私のアパートに着き、お金を払って車から降りたは良いけれど、外階段をしなだれかかる彼を引きずりながら上るのが一苦労だった。 「んん、もう着いた?」 「着いたよ……!重いヨ藤代くん!」 「あはは、がんばれー」 何ががんばれだよー! なんとか二階まで辿り着き、部屋の鍵を開けて、藤代くんを招きいれた。 正直ちょっと散らかっているので片付けさせて欲しかったけれど、多分当人に気にする余裕は無いだろう、と見越して、入ってすぐ横のキッチンの椅子に彼を座らせる。 「藤代くん。水飲む?」 「ん、飲む…」 真っ赤な顔でぼーっと座っている様は、気持ちよくシュートを決めるブラウン管越しの彼とは別人のようだ。記憶の中の中学生の彼とも違う。ここに彼がいることがどうにも現実感がない。 私は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップにそそぐ。 「はい」 「ありがと」 さぁ、どうしようかな。 まさかこれだけ酔っているし、私相手だし、身の危険は無いだろうけれど、当然一人暮らしの私の部屋は1DK。ベッドは一つだけだ。 私は小さなソファの上に毛布を用意し始めた。 忙しく動くと、服や髪に移りこんだタバコの匂いが気持ち悪い。 「藤代くん、もう寝ていいよ」 「え。だって、、は?」 「私は大丈夫だから藤代くんベッド使っていいから寝ててください?」 「んん、じゃあ、ちょっとトイレ貸して…」 「こっち」 藤代くんをトイレに導くと、私はお風呂の用意を始めた。 ……男の人が部屋にいるのにお風呂って無用心かとも思うけれども、まぁ、藤代くんが寝入った後に入ればいいか、と納得させる。正直に言ってこのまま寝るのはとても嫌だ。 ザーという流水音と共に未だ赤ら顔の藤代くんが戻ってきた。 「ほら、もう寝て」 「んー、ありがとな」 藤代くんは私に引っ張られるままベッドに倒れこんだ。そして、そのまますぐに寝息が聞こえる。 ……飲みすぎだよ。いくらなんでも…。 私は身体の疲れを引き抜くように溜息を一つ吐き、お風呂へ向かった。 熱いお湯を浴びると、それでも疲れが吹っ飛ぶようだ。もやーっとしたタバコの匂いもシャンプーで洗い流すとすごく頭も心もさっぱりする。 お湯につかりながら、私は藤代くんのことを考えた。 初恋の人に会えるなんて、すごい偶然だとも思う。一緒に話していると、あの頃に戻ったみたいで、すごく楽しかった。 今度があればお酒抜きで話してみたい、な。 そうしたら、言ってみようかな。 私、あの頃藤代くんのこと、好きだったんだよって。 言えるだろうか。それこそお酒の力を借りても言えそうにはない。 そんなことまで思いながら、私は浴槽から出て、風呂場を後にした。 水分をタオルで吸収する間も、髪の毛を乾かす間も、藤代くんのことを考えていたのだけれど。 どうしたって言うんだろう。 私、気持ちまでもあの頃に戻ってしまったのかのよう。 一気に学園の有名人から、世界を相手取る有名人になってしまった人に出会えたのだから、これもミーハー心なのかもしれない。そう思うと、少し自分が悲しい。 そんなんじゃない。 やっぱり、私って藤代くんが好きなんだなぁ。 こんなに偶然に会えるのも、もしかしたら運命のうちかもしれない? まぁ、会うのも、もしかしたらこれっきりなのかもしれないけれど…。 ドライヤーのスイッチを切ると、急に静かになった室内に何だか寂しさを覚えた。 もう、寝よう。 ソファに向かい、ちらっとベッドの方を見ると、藤代くんはシャツをまくってお腹を出して寝ていた。 子供のようなその寝姿に小さく噴出してしまう。 暑いのかな。 でも、流石にお腹出しっぱなしはちょっとね、と思い、そうっと近づいて、上に夏蒲団をかぶせる。 「ん……」 しまった。起きちゃったかな。 藤代くんは仰向けからこちら側に横になると、目をこすりながら口を開いた。 「?、いいにおい……」 「起こしちゃった?ごめん。藤代くんもシャワーする?」 その時だった。 ベッドに手をついて藤代くんを覗き込む体勢になっていた私は、藤代くんにぐいっと引き寄せられ、上半身を彼に預ける形となってしまった。 私は一瞬の出来事に思考も一瞬止まったが、すぐに身を離そうと暴れるものの、藤代くんはぎゅうっと私を抱き締め、離してくれない。 「ちょっと…!何して」 「こんないいにおいさせて…ずるいよ」 藤代くんはもぞもぞと私の首筋に顔を埋めながら言う。 何してるんだろう。いったい突然何なの??? タバコ臭い彼の髪の毛。私の鼻先をくすぐった。 「ずるいって、何が!…」 「今日は我慢しよーと思ってたのに」 揉み合ううちにいつの間にか、私はベッドに寝かされ、藤代くんを見上げる形になっていた。 これって、 これって、 これって、 いわゆる、 押し倒された、みたいなこと? 「わー何してんの!藤代くん酔いすぎだし!」 「ん、ちょっとは酔ってるけど、正気だよ」 嫌だー! 酒の勢いでこんなの嫌だー! しかも初恋の人だなんて! もっといい思い出にしておきたいよー! そんな私の心情を知ってか知らずか、藤代くんは不敵な笑顔を浮かべて、言った。 「ねえねえ、、知ってる?」 「……?」 藤代くんのしていることとは全く違う、世間話でもするかのトーン。私は更に抵抗したけれど、両の手首は私の頭の横で彼に握られ、ベッドに押し付けられたままだし、身体を動かすことをしばし諦めることにした。 「俺がのこと好きって噂、流れたじゃん」 「……聞いた……ことある」 私は藤代くんの顔をまともに見ることができずに、男の人らしいのどぼとけを見ていた。 男の人らしい……。 余計意識してしまい、何だか逆効果だ。 心臓の音が彼にも聞こえてしまいやしないかと、焦る。 「あれ、本当だったんだよ」 「えー」 この期に及んで、まさかそんな嘘。 私は混乱しかかる頭をなんとか起動させようとしたわけじゃないけれども、かろうじて動く指先で頭を抱えた。とにかく、この状況は冷静にモノなんて考えられない…。 「本当だよ。俺の今まで、心の底でずーっと好きだった人って、だったから。 今まで他の女と付き合ったこともあるけどさぁ。どっかに似てたり、比べたりしちゃってたんだと思う。 俺の女を見る眼はが一番だって言ってる」 だから、こんな状況でそんないっぱい告白されても、だめですってば! 私はゆるゆると頭を振った。 それを見た藤代くんは顔をもっと近づけた。 「何。俺じゃいや?俺は、も俺のこと好きなんだって噂、聞いたことあるけど?」 藤代くんはもっと近づいて、近づいて、近づいて。 私は抵抗もすることなく、唇を許した。 しばらくしてようやく解放された私の口からは、観念したように、本音が語られた。 「……私も、藤代くんと会えて嬉しかった……好きだから……」 それを聞いた藤代くんは、勢いづいた、かのルパン3世のように、ベッドの布団をはぐと、私を抱き締め転がり込んだのだった。 小鳥がさえずり、新しい朝が来た。希望の朝だ、そうだ。彼が言うには。 「二日酔いとかしないの?」 私はコーヒーを淹れるためのお湯を沸かしながら、そう聞くと、 「だって、俺あんま飲んでねーもん」 と、返ってきたのだ。 おかしいよ!あんなベロベロだったじゃん! そんな意味を込めて、じっと彼を見ると、寝ぐせのついた髪の毛をいじりながら、藤代くんは言う。 「だって演技だったからさ。こんな簡単に騙されて、男を家に入れちゃだめじゃん」 それはもう、けろりと言ったのだ。 そして、こりゃあもう、俺がずっと監視しとかなきゃなー。とかぶつぶつ言ってる。 私はもう、呆れて口を開けたままだった。そんな私を見て、藤代くんはちょっと笑う。 「騙された?」 演技って!演技! 全ては彼の計算の上だったんだ。 私は何だか自分が流されている感が強くなってくるのを感じる。 これで良いのかな…。確かに私は藤代くんのことを好きなんだけど。 私は気分を変えようと、ダイニングのカーテンを開けて朝日を招きいれた。 外は晴れ渡り、天気が良く、休みの一日にはもってこいだ。 淹れたてのコーヒーをテーブルの椅子の上で胡坐をかく彼の目の前に置くと、爽やかな笑顔でありがと、と返ってくる。 ……うん、幸せかもしれない。 これで良いんだ、と思うと同時に、じんわりと嬉しさが込みあがってきた。 私も単純なものだな、なんてちょっと笑ってみる。 「でもさ、俺たち、昔っから両思いだったんじゃん?空白の数年間がもったいねぇ!」 朝ごはんとして用意したトーストをかじりながら、藤代くんは元気に言う。 私はカフェオレをすすりながら、答える。 「そうだねー」 藤代くんはブラックコーヒー。何だか意外。 じっと見ているのに気付いたのか、彼は私に目を合わせて、少しだけ首を傾げた。慌ててわたしは自分の分のトーストを口に運ぶ。どうしよう。どきどきして飲み込めない。寝起きの気だるげな感じが大人になっていることを感じさせる。 「つうか、が、無視とかするからー意識なんかしちゃってさー」 「ええ!だって中学生だよ?恥ずかしい、花も恥らうお年頃なんだもん!他人の目が恥ずかしいもんだよ」 「じゃあさ、今なら全然平気だよな?」 「はー。今はねぇ。そりゃ、私だって酸いも甘いもちょびっとはかじってきたし…」 「じゃあさ、記者会見とかやっちゃわない?」 「…………はあ?」 「、俺は誰だっけ?」 「……サッカー日本代表のエース藤代誠二さん…」 「その通り」 何だか、すごく急な展開に眩暈がしないでもないんだけれど。 朝から、本当、朝から、冗談激しい…。でもこの展開は記憶の中の中学生時代を思い起こさせるような感じだった。こんな感じだったのだ。毎日。 「その……記者会見って、付き合うだけなのに、いらないよね?」 「そんな冷たいこと言うなよ。付き合うだけだなんて」 もう一生離さないぜーと冗談交じりにウインクをする彼に私は何もリアクションを返せなかった。 「藤代くん、やっぱり変わってないね」 彼のあの冗談めかした行為は、決して冗談のつもりではないらしいことを、私は後から知ることになる。 |