温 か な












どんより雲からひとつ、またひとつ、と涙のようにしずくがたくさん降ってきた。
今の私みたい。
昇降口には既に誰もおらず、私は振り出した雨を前にどうすることもできずに立ち尽くしていた。
私の暮らす寮までは歩いて10分。
確実に着く頃にはぐしょぬれになることは間違いないだろう。
私ははあ、と大きく溜息を吐くと、思わずひとりごちた。
「今日、サイアク」
何よりもサイアクなのは、片想いしていたサッカー部の三上先輩に振られたことだ。
それにしても今日は、本当についてない。
朝から遅刻して先生に呼び出しくらうし、お昼は財布忘れて食いっぱぐれるし、
挙句確かに持ってきたはずの傘まで、取られてしまって帰れないなんて。
もう三上先輩を見ることができただけで喜ぶ日々もこれから無いし、私は今、青春のどん底を這っているのだわ…。
私は耐え切れず、また一つ溜息を、吐いた。

「そんな溜息ばっかつくと、幸せ逃げるって誰かが言ってたよ」

突然背後からかけられた能天気な声に私は振り向けずにいた。

「どうかした?
「…どうもしないよ。藤代」

絶対に今の私は情けない、顔をしているに違いない。
さっきまで誰もいない教室でひっそりと泣いていたのだから、目は腫れているだろうし。
クラスメイトの藤代は部活が終わったのか、大きなスポーツバッグをぶら下げて、それを下足箱にどかどかと当てながら靴を引っ張り出していた。
それを横目で見て、私はまた、溜息をおとす。
「でかいって、溜息」
「うるさいなー」
「まぁ、よく降るもんなー、雨」
いつもと変わらない明るい声が掛けられて、私はただ首を縦に振った。
そんな藤代も傘が無い様子で、空を見上げては、あちゃーとか言いながら降る雨に向かって腕だけ突き出したりしていた。
「な、も傘無いんだろ?」
「…だから帰れないんだけどね…」
「これ、止まないよ」
「…かなぁ」
そうやり取りする中で、急に藤代は勢い良く昇降口から飛び出した。

「うっわー」

「なにしてんの!?」
藤代のばかでかいバッグに打ち当たる音が聞こえる程、雨は強い。見る間に彼は髪も、服も、ぐしょ濡れになっていった。

私はそれにただ見とれた。
あまりに楽しそうに藤代が雨にうたれ、その笑顔だけがすごく引き立っていた。
薄暗い校庭はましてや雨も降っているので誰もいるはずもない。ただ藤代が駆け回っていた。
私がただ呆然と見ているのに気づいた藤代は大きく手を振ってくる。
もさー、来たら?気持ちいんだけど!」
私はそれを受け、走り出していた。むしろ、その言葉を待っていたように。
もう、どうでもいいや!
一歩校庭へと踏み出すと、すぐさま強い雨は私の腕や頭、肩に降りかかった。
弾く足元の水も靴と靴下をどろどろに濡らす。
「つめたーい!!」
「うわ、マジで来たー!あほじゃねー?!」
「藤代が呼んだんでしょーが!!」
私は雨に打たれながら、大きな声で笑ってみた。
可笑しくてたまらなかった。
藤代も、そんな私を見ながら大声で笑っていた。

「…、笑いすぎじゃね?涙」
「…泣いてないよ。雨だって」

私は、大きな声で、泣いた。
藤代は、私が泣きやむまで側で一緒に、濡れていた。

そうしてようやく落ち着いた私の手を引いて、藤代は黙って寮までの道を歩いた。
私は気持ち早足にしてそれに合わせる。ずんずんと黙って歩く藤代のブレザーの背中は本当にねずみ色。
女子寮の前に着くと、藤代はぱっと掴んでいた私の手を離して、言う。
「寮母さんに言って、風呂先に入らせてもらえよ」
「…うん。藤代こそ、風邪ひくなよ」
「俺は大丈夫だって」
「…バカだから?」
「何ー?」
私は藤代の優しい言葉が嬉しくて、涙が出そうになるのを堪えるために、わざとあほなことを言う。
…藤代は、それに気づいているのかもしれない。
何でそんなに優しいんだろう。
今日に限って、いつもとは違う藤代。
何だかありがたくって、ホント、余計涙が出てしまう。
「ありがと」
その私の言葉を聞くと、藤代はくるりと背を向けて、男子寮の方へ、走ってゆく。
大きく右手をあげながら。

もしかして、藤代は、私が三上先輩に振られたこと、知ってたのかな。
それだとしたら、恥ずかしいような、余計に嬉しいような。
こういうときは、そんな友達のありがたみって身に染みる。
何はともあれ、藤代に元気づけられたような、そんな温かい気持ちになった私は、人生は山あり谷ありなんだなぁと思いながら、寮の玄関へと入った。











一方、松葉寮では。

いつもの面々が集まっている談話室で、一人離れて湯上りの身体を休ませている藤代がいた。
彼はその短髪から僅かに水滴を滴らせながら、その両頬を完全に緩ませている。
それは傍目で見ると、至極気持ちが悪いようで、普段の彼とは少し、いや相当の差があった。
そんな彼を少し遠くから見守る三上は心底不安げな表情で言った。
「何、アイツにやけてんだ?雨に打たれて余計バカになったんじゃねぇ?」
苦笑いをしながら、渋沢も口をはさむ。
「うーん…俺たちは傘があったのにそれを振り切って雨に打たれて帰ってくるんだものな。何か、あったんだろうか。笠井、知ってるか?」
渋沢にそう問われるが、笠井は表情を変えずにただ肩をすくめた。
「いえ、俺は、何も」

「俺は、チャンスは逃さないタチだから!」

そのとき、藤代が俄かに手を握り締めて呟いた言葉は、しっかりと離れた3人の耳にも入った。
途端に笠井は小さく吹き出す。三上はそれを横目で見ながら、首を更にかしげる。
「今、アイツなんつった?何の話だ?」
渋沢も同じく首をかしげながら、笠井に向き直る、笠井の表情のそれはまさにしたり顔であり、渋沢はいたく真面目な顔で疑問をぶつける。
「全く俺には見当がつかんが…何だ笠井?何笑ってる?」
「いえ、俺は、何も」
笠井はしらを切った。自分で言うべきことでないことは重々分かっていたのだが、思わず吹き出したのはやはり間違いだったようだ。
すぐに三上は笠井に噛み付く。
「何もって顔じゃねぇだろうが」
「いえ」
「言っちまえ。楽になるぞ〜」
まさか、あなたには言えないです。という言葉を飲み込みながら、笠井は耐えた。
前から三上のことを好いていたという少女のことを藤代が好きで、今日、失恋した彼女に一歩近づいてきたというのは、笠井にしか分からないことであったのだ。
今日ぐらいは、有頂天にさせといてやろう。
明日からは、思う存分、からかい、苛め倒してやろう、と三上にプロレス技をかけられながら、笠井はそう心に誓ったのだった。

















結局、愛されるヒロイン。
最高。夢最高。




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