雪と 空気と ホットミルクティ
















もういくつねると、おしょうがつ。
散々待ったお正月。冬休み。
私はその待ちに待った年の瀬、浮かれきって落ち着きが無かった。
お母さんの作るおせちの手伝いをしながら、一つ、皿を割り、二つ、コップを割り、菜ばしも折ってしまった。
「もう、あんたはどうして、そうそそっかしいのかしらね」
なんて言うお母さんの嫌味も耳に入ってもすぐに抜け落ちてしまっている。
時計の針が進むのが遅すぎる。さっきからまだ10分も経っていない。
かっちゃんたちが来るのは5時だって言ってた。ああ、あともう10分か、何て長いんだろう…。
じれったい。じれったい。そう思っていたところへ、ピン、ポンと軽快に玄関からチャイムが鳴り響いた。
「あ!あたし!出てくるー」
「渋沢さんね、きっと…」
私はお母さんに出てくると告げたまま、その返事を聞きもせずに玄関へ向かって小走りに急いだ。
だって、待ちに待ってた、かっちゃんだもん!

「いらっしゃい!」

慌てて扉を開くと、予想通り5時ぴったりに来た、渋沢一家が立っていた。
おじさんと、おばさんと、そしてかっちゃんが。
「久しぶり、。相変わらず元気そうだな」
かっちゃんはそう言って、昔と変わらない、温かくて優しい笑顔を浮かべた。
久しぶりに見たその笑顔に、私も思わず同じように笑う。
「元気だよー。おじさん、おばさん、どうぞあがってください!かっちゃんも!」
ああ、嬉しくて、笑顔が止まらないや。きっと。
おじさんもおばさんもかっちゃんと同じようにニコニコ笑いながら居間へと進んでいった。
かっちゃんは何だか妙にゆっくりとした動作で靴を脱いでいる。
私はおじさんとおばさんが行ってしまっても、かっちゃんを待って玄関にいた。
「何だ?、どうかしたか?」
「ううん、かっちゃん久しぶり。かっちゃんは元気だったの?怪我してない?ちゃんとご飯食べてる?」
私の矢継ぎ早の質問に、靴を脱ぎ終えてようやくウチに上がったかっちゃんは目を細めて笑った。
「…、お前、何だその心配っぷりは」
「だって、毎日毎日ハードにサッカーばっかりなんでしょ?ちゃんとしてるかなぁって、思って」
隣に立って、一緒に居間まで歩くかっちゃん。
何だか、夏休みに会ったときよりも、背が伸びているみたい。
成長期なんだから当たり前なんだろうけれど、それだけ長く会ってないんだなぁと思う。
「俺は大丈夫だよ。食事だけが楽しみなんだからな」
居間の扉を開けながら、かっちゃんは振り返りながら言う。
そんなかっちゃんの少しおどけたような言い方に、私も笑った。

かっちゃんと私は、お隣同士。小さい頃から一緒に遊んで、とっても仲良く育っていた。
兄妹みたいだってよく言われたけれど、一応同い年なのだ。
それはひとえにかっちゃんが大人っぽかったっていうのもあると思うんだけど。
私はずっと、そんなかっちゃんが好きだったし、今でも好き。
でも、てっきりずっと一緒にいられると思っていたのに、中学校に上がるとき、別れは訪れた。
かっちゃんが、私立の武蔵森学園に進学を決めたからだ。
それを知った私は、何とか一緒の中学に行きたいと思って、一度だけ、公立の中学にしないのかと言ったことがあった。
けれども、かっちゃんの意志は固く、私なんかが言ったところで、簡単に変わるようなものではなく。
サッカーがしたい。サッカーが強いところへ行きたい、というかっちゃんの望みは神様に叶えられて、
私の当然かっちゃんとずっと一緒にいられますように、というお願いは虚しくも届かなかったのだ。
ましてや全寮制の武蔵森学園だから、かっちゃんに会えるのなんて、一年でもほんのちょっぴり。
お正月と、お盆と、春休みぐらいなんだから。
私は、その貴重な時間を本当に大事にしていた。
大好きなかっちゃんと会える、少しの時間。

居間に入ると、既に私のお父さんと、かっちゃんのおじさんは一杯始めていた。
「えー、もう飲んでるの?」
「いいじゃないかよー、年末ぐらいさ!」
「お父さんは一年中じゃん…」
すっかり良い気分になっているオジサン二人は私の返事に大笑いをする。
「克朗くん!大きくなったねー、どう、ちょっと。一杯ぐらい!」
そう言って、かっちゃんにビールを勧めるお父さんに私は詰め寄った。
「もー!酔っ払いの典型じゃん!かっちゃんはまだ中学生だよ?」
「お前も飲んじゃえばいいじゃんー」
あはははは、とオジサン二人はまたもや大笑い。もう、私はついていけない、と台所へ逃げ込んだ。
「もー、お母さん!お父さんがかっちゃんに酒飲ませようとしてるよー」
私がそう告げ口すると、お母さんは苦笑い。かっちゃんのおばさんなんか、「たまにはいいんじゃない?男の子だし」なんて言っていた。
私はそれきり、だまっておせちをお重に飾り付ける作業に没頭した。
ぷりぷりと怒っているような素振りを見せつつ、私は胸が躍るのを抑えるので大変だったのだ。
やっぱり、年末はこうじゃないとね。
私はキッチンから、ソファに腰掛けているかっちゃんをこっそりと見て、思った。



時計は今、まさに0時を指そうとしている。
私の両親と渋沢夫妻は私やかっちゃんが生まれる前から、年越しは一緒にしていたらしい。
今、私たちが見ている、この、行く年来る年を眺めながら。
私はダイニングのテーブルでかっちゃんとお蕎麦をすすっていた。
私はソファに座る両親と、かっちゃんのおじさん、おばさんを見つつ。これも毎年同じ光景だ。
そして、毎年、もうすぐ初詣に出かける。
かっちゃんと、二人で。
確か小さい頃はお父さんも一緒に行ってたような気がしたけれど、いつからか二人で行くようになったなぁ、と思う。
それは所詮、近所の歩いて5分もしない小さなお宮さんへ参るだけだからだろうけども。
そう、私は毎年、このちょっとしたデートを密かに楽しみにしていたのだ。
、食べたらそろそろ行くぞ」
かっちゃんは、お箸を静かに置きながら、言う。
私はお蕎麦をすすりながら頷いた。
それを聞いたお母さんが、「外、雪みたいだから暖かくしていきなさいね」と口をはさむ。
何気なく、窓の外に目をやると、確かに白く小さなものがちらちらと映りこんだ。
私は、急いで残りのお蕎麦をかき込んだ。

コートをひっかけて玄関に向かうと、かっちゃんはマフラーを巻きながら待っていた。
「お待たせー」
「あぁ、行くぞ」
私だけに微笑みかけながら、かっちゃんは玄関のドアを開ける。
外から冷たい風が入り込んできて、私はスニーカーをつっかけながら、思わず頭を下げた。けれども、行く気を削がれることなんて、全く無かった。
それはかっちゃんも変わらないようで、平気な顔をして一足先に出ていく。
相変わらず、変にせっかちだなぁって思いながら、私は追いかけた。
「かっちゃん、寒いねー」
「寒いぞ。本当、冷えるなぁ」
はぁっとかっちゃんの吐いた息が白く舞い上がる。
雪はちらつくだけで、傘を差したりはしなくても平気そう。積もりはしなさそうな、そんな雪だった。
まるでそれは冬の気分を演出してくれるだけのもののよう。
私は雪の舞う夜空を大きく、見上げた。
真っ黒の空、白い雪、そして、かっちゃん。
息を吸うと、冷たくてピリっとした匂いが肺に広がる。
「かっちゃん、空気冷たいね」
「あぁ、風邪ひくなよ」
かっちゃんはそう言うと、電灯の薄明かりの中、本当に優しく笑った。
かっちゃんの笑顔は、こんなに寒い中にいても、いつだって暖かい太陽を思い起こせる。
その笑顔、私以外の女の子に見せていたら、なんて一瞬のうちに考えて、思わず涙が出そうになったのは、秘密だけど。
こんなに寒いと、涙腺も弱くなるんだろうか。
幸い気づかなかったかっちゃんのななめ後ろで、私は鼻水をすすった。

近所のこぢんまりしたお宮さんだけあって、毎年この時間に初詣に来る人はあまりいない。
賽銭箱に5円を投げ込むと、二人でお祈り。
そして、隣の小さな受付で、お神酒をほんの少し、唇につける真似事だけをして、帰る。それが毎年のパターン。
帰るときに一組のカップルにすれ違っただけで、他は全く参拝客もいなかった。近所のお宮さんではそんなものみたいだ。
帰り道は、何をお願いしたか、なんていうお決まりの会話。
今年の私のお願いは、何と言っても、武蔵森高等部への受験合格だった。
それをかっちゃんに言うと、何だか、かっちゃんの声色が少し、低くなった。
「あれ、H女子高だって言ってなかったか?前」
「うん。やっぱり、思い切ってレベル上げて、武蔵森受けることにしたの。お母さんもいいって言ったし」
「…ふうん」
やっぱり、かっちゃんの機嫌は悪くなっているみたい。
…どうしてだろう。
私が、同じ学校に行くの、良く思わないのかな…。
「かっちゃんさ、嫌なの?私が同じ学校なの。嬉しくないの?」
「いや、俺がどうこうって話じゃないだろう。そもそも、は武蔵森に来るっていうことが分かってるのか?
 寮に入ることになるんだぞ。おじさんやおばさんの元から離れるっていうことなんだぞ。
 それに、元々H女子高に行くのも、H大学の付属だから行きたかったんじゃないのか?H大学でやりたいことがあって、それで決めたんじゃなかったのか?」
かっちゃんは、気持ち早口にして(めずらしいことだけど)そうまくしたてた。
その全てが正論であるし、私は思わず口を噤む。
そして、
言いたいことが、
あるのに、
も関わらず。
「……」
私の瞳は勝手に涙をこぼし始めていた。
?……」
急に立ち止まった私を、不思議に思ったか、かっちゃんは振り向いて、同じく言葉を詰まらせた。
顔は見ていないけれど、多分、『まいったな』なんていう顔をしているに違いない。
それから、かっちゃんはすぐに私の手をつかむと、ずんずん歩き始めた。それは帰り道とは違う方向に。
「…かっちゃ、ん?」
久しぶりに手を繋いだ感触に、私は泣きながら、その温かさを握り返した。
かっちゃんの手は、今も昔も変わらずに、温かい。
そして、昔とは違って、大きかった。

引っ張られ、連れてこられた場所は、これまた近所の公園だった。
小さい頃、一緒によく遊んだ遊具たちが見える。
ブランコのペンキは塗り直されて、違う色になっていたけれど、何だか懐かしくて、唇をかんだまま、私はそれを見ていた。
「ベンチで待ってろ」
かっちゃんは、立ち尽くす私にさらっと指示すると、公園の隅の方へと消えていった。
そちらにも薄明かりがあるので分かったが、自販機までかっちゃんは走っていったみたい。
私は言われた通りにベンチに腰掛けた。
コート越しでもひやりとする感触がしみる。
これが木製でよかったな、と小さく、思った。

泣いてしまったのは、別にかっちゃんのせいではない。
私は、心の中の言いたいことをうまく言葉に乗せるのが苦手だ。
それがさっきみたいに一気にまくしたてられたものの反論だとすると、余計に難しくて、つい、涙の方が先にこぼれてしまうのだ。
かっちゃんは、それを知っている。
だから、私のことを落ち着かせてくれようとしたに違いない。
俄かにかっちゃんは戻ってきた。急がなくてもいいのに、走って。
「ホラ。ミルクティでいいだろ」
「ありがと。あったかい」
私の好きなものを覚えていてくれた。
かっちゃんは、温かい緑茶を一口すすりながら、私の隣に腰掛けた。
目線は自分の手元を見たままだ。
私はゆっくりとミルクティを飲み込み、その熱が身体の中を通り過ぎるのを待つ。
そして、かっちゃんから目を逸らし、その缶のぬくもりが逃げてしまわぬように、両手で覆いながら、口を開く。
「あのね、…私のやりたいことはね、武蔵森でもできる、よ」
「…そうか」
かっちゃんは、いくらか声のトーンを下げたまま、相槌をうつ。
どうしてこんなに怒っているのか、苛立っているのか、私は自分がしょうがない子のような気がして、また溢れてきそうになった涙をぐっと飲み込んだ。
「…すまんな」
「え?」
かっちゃんは、ふいに、私の方を向いた。
その気配に思わず私も顔をあげる。
「正直、が女子高に行くっていうことに安心しきっていたのかもしれない。そうだと思っていたから」
「…はぁ」
かっちゃんの言わんとするところが掴めずに、私はただ声を漏らした。
そんな私に、かっちゃんは小さく笑った。
その笑顔、可愛い。
「あのな、俺は、に武蔵森に来てほしくない訳じゃないからな。それは、分かってくれよ」
私はその言葉を受けて、ただ頷いた。
「ごめんな。単なる、俺の変な嫉妬心だから」
「え?」
更に意味が分からなくなり、そう、自分がバカであるような気になる。
この場合、かっちゃんが嫉妬する対象っていうのは、私のことだよね?
可愛い笑顔のまま、かっちゃんはゆっくり、続けた。
「分からないか。俺は、が女子高に行くんだと思って、周りに男がいないなぁ、と思って、安心してたんだよ」
「分かんないよ」
回りくどい言い方は、かっちゃんのクセでもあるかもしれない。
そのせいで、いつも私は核心をしっかりと、聞き取れない。
首をかしげる私に、かっちゃんは溜息を一つ落として、言う。その顔は、真っ直ぐに私を見据えたまま。
が大事だからだ」
だから、武蔵森って男の人数の方が多いんだぞ。お前知ってるのか。などと続けながら、かっちゃんは私から目を逸らした。
かっちゃんは、本当に、いつも分かりにくい。
そんな大事だって言葉、とっても嬉しいけれど、でも、ずばりじゃないよね。
それでも私は何となく、今かっちゃんがすごくすごく照れていることや、手に持つ温かいお茶のせいだけではなく、頬が火照っていることは分かった。
つまりは、私と同じ気持ちでいてくれて、いるのかな。
「私だってさ、かっちゃんの周りに女の子がいたりしたら嫌だし、もっと側に行きたいんだよ」
「…俺の周りは野郎ばかりだぞ」
「嘘。だって、サッカー部のマネージャーとか、いるでしょ。私、知ってるよ。試合見にいったとき、いたし」
「それは、本当に単にマネージャーとして女の子がいるだけだろう」
なかばムキになっているように、私は言う。それに、苦笑まじりでかっちゃんは答える。
何だかいつも通りでおかしくなる。
「…とにかくさ、私、頑張って武蔵森受かるから。応援、してくれる?」
「すまなかった。応援するよ」
私はかっちゃんを見つめながら、言った。
もうほとんど告白みたいなものなんだけどなぁ。
…かっちゃんも、きっと気づいてくれてるだろうけれど。

「さぁ、そろそろ、皆心配するだろうから帰るか」
「うん」
温かいかっちゃんの手。
かっちゃんは自然に私の手を取って、私はその手を握り返した。














2424番を踏んでリクエスト頂いた、桐子さんにささげるドリームです。
リクエストは、ヒロインが心配性な感じ、とのことだったのですが、
むしろ、渋沢さんのほうが、心配性になってるんですけど……
と言った感じで、ご希望に添えているかどうか、疑問の残るところではありますが、いかがでしょうか(汗だらだら


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