数回の機械音の後、聞き覚えのある優しい声がした。その声の主が誰であるかはもちろん知っている。男の子にしては割と高い声。 「もしもし、ですけど」 「あ、さん。俺だよ」 こうして電話をするのは、もう何回目だろうか。 「今日のアレ観た?」 「それが、うっかり飯食って風呂入ったら忘れてた」 「えー、まじで!もったいない!」 ドラマの話、好きな音楽の話、部活の話、クラスの子の話。 話題は尽きないけれど、それでも他愛無いものばかり。 何故こうして電話を掛け合うような仲になったのだろう。 きっかけは、確か連絡網の不備があって、学級委員のはしくれ(会計なんだけど)をしている私がクラスの4分の1の人に電話することになった。その中に森長くんがいた、ただそれだけなんだけど。 意外と話も合うし、彼が面白いことを喋るなんていうのは普段の教室にいては分からなかった。 こうして話してみるまでは、気づかなかった。 きっとクラスが変わるまで話すことなんて無かったと、思う。 そうして私は彼を、好きになってしまった。 こうやってときたま電話をし続けていることを森長くんはどう思っているのだろう。 でも、彼も迷惑がってはいないみたい、なんだけど、なぁ。 それも気が良い彼は言い出せないだけかもしれないけれど。 いやいや、たまには向こうからもかかってくるんだから、そんなことは、ない、だろう、けど、な…。 それでも、週に2,3回の何気ない10分が、私にとっては元気の源であり、幸せ。 朝、靴箱のところで偶然森長くんに会った。 これがもし、周りにクラスメイトでもいたら挨拶もそこそこに、私は先に教室へと歩き出しただろう。でも、ガタガタと音を立てて内履きに履き替える、スノコの上には、私たち二人しかいなかった。電話はするものの、実際には教室ではあまり話したことが無い私たちは、お互い、何となく気まずそうな顔をして、見合っていたのだ。 「…おはよー」 「…おはよう」 そして、その空気に耐え切れず、私は吹き出してしまった。 「いや、何で笑ってんの!」 「だって…何か気まずいとか思って、ごめん」 「気まずい?つうか、さんが気まずそうな顔してるから俺も何となくそうなるんだって」 内履きを自分の棚から引っ張り出しながら、彼の声を聞く。 電話とは何か少し違う。何だかどきどきしてしまう。 「ごめん…んで、昨日のドラマ観てないんでしょ?ビデオ撮ってたから、持ってきた」 「まじで!やった!俺も昨日言ってたCD持ってきたんだけど」 半歩先を歩き始めた森長くんが半分振り返りながら、笑顔で言った。 …やっぱり、この笑顔が見られるんだから、生で話したほうが断然いいな。 私は嬉しくて、また、笑ってしまった。 「あんたら、付き合ってんの?」 お弁当のウインナーをつついていたときに、そう友達のミホから声を掛けられ、私は思わずウインナーを箸で掴み損なって、机の上に油の痕跡をつけてしまった。 「え?つうか何?何の話なの?」 「いやいや、とぼけないでよ。と森長だって」 「…いやいや、とぼけてませんが。私と森長くんは付き合ってる訳でもなんでもありませんが」 ミホは牛乳をストローで吸い込んで、そして飲み込んでしまうと一気にまくしたてる。 「じゃあ付き合っちゃえばいいんじゃない?」 ミホの顔にはまさに、『解せない』と書いてあった。 それでも私にはそのミホのセリフのトーンが高いことを心配する。 何より、ここは当人と同じ教室内なのだということをミホは忘れてやいまいか。 …本人に聞こえていませんように! 「あのね、友達でもそれぐらいするでしょ。普通にクラスメートでいいんだってば」 そう私が呟くと、次にミホは私の耳元に顔を近づけてきた。 私も気持ち身を乗り出すが、耳にミホの髪の毛の先が当たり、思わずくすぐったくて笑ってしまう。 そんなことにはミホは関せずに、言う。 「森長の方は知らないけどさ、は、好きなんでしょ?」 私は曖昧な笑顔を返す。 「…とりあえずその話はさ、後にしない?」 私の視線の先にはニヤニヤと笑う高井くんがいたからなのは、言うまでもないのだけれど。 廊下に鳴り響く呼び出し音。 電子音のそれに気づいて真っ先に私は廊下へ飛び出して、受話器をあげた。 こんなに電話が鳴る音に敏感になった私をお母さんが笑いながら見ているのを感じて、居間の扉をしっかりと閉めた。 「…もしもし、です」 「あ、森長ですけど…さん?」 想像通りの相手に思わず笑みがこぼれる。それと同時に少しだけ緊張で胸がぐっと締め付けられる気がした。 何の話だっただろうか。 何かのついででちらっと話題が誕生日になった。 森長くんが言ったんだ。 「俺、明日で15歳になるんだ」 明日で15歳。 ということは、明日誕生日? もっと早くに言ってくれれば、何か用意したのになぁ。 それから何を話したのかあんまりよく覚えていない。 ずうっと考え事をしながら、上の空で私は受話器を置いた。 ミホの言葉が頭の中にそのまま蘇る。 『付き合っちゃえば』 きっと、そうできたらすごく毎日が楽しいだろう。だって私は森長くんが大好きなのだ。 私は決意した。 明日、彼の誕生日にこの気持ちを伝えようと。 森長くんと私は只の友達。 クラスメートとしてよりも、距離は短いかもしれないけれど、男女の関係というようなものでは決してない。 もちろん、私は彼が好きなんだけど。だからこうして電話をして、楽しくて嬉しくて、たまに困っちゃうんだけど。 彼がどう思っているかなんて分からない。予想するなれば、…只の友達かな、と。 それでも言わずにいれなくなった。 これから受験で、ややもしたら高校も違ってしまう。 気持ちを伝えて、もし気まずくなっても離れるならば、まぁ良いことにして。 むしろ誕生日というイベントはせっかくのチャンスなんじゃないかなって、思った。 プレゼントはよく考えて、タオルにすることにした。 明日の放課後に急いで買いに行って、そしてまた学校まで戻って、部活が終わった森長くんに声をかけて渡すことに決めた。 その時、ついでに森長くんのサッカーしているところも見学してみよう。 今まで見たことなかった彼の部活動。告白云々のことよりも、それを楽しみにして私は眠りについた。 そして次の日、私は終礼が済んですぐに、一度家まで戻って、そのまま自転車で出発した。 お気に入りの雑貨屋さんへ入っても、いつものように一周するのではなく、目的のタオルのコーナーまで真っ直ぐに向かう。 そこには柔らかそうなパステルカラーがとりどりに並んでいた。 どれが彼には似合うだろうか。 ベージュ?やっぱり、白?定番だし、外しはしないだろうけど。 そんな風に色々とたくさん悩んで、私は淡い水色のタオルを選んだ。 森長くんにも、そしてサッカー部のユニフォームにも似合いそうだな、なんて思いながら、決めたのだ。 タオルには、雑貨屋さん独特の良い香りがほんのりと染み付いていて。 私は学校へ再び向かいながら、段々と緊張してきていた。 断られたらどうしよう。いらない、とか、そんなつもりで電話してたんじゃないんだけど、とか。 タオルなら友達からとして、もありかな、と逃げ道がちらっと頭をかすめた。 けれども、せっかく告白するって決めたのに。 もう一度勇気を奮い立たせながら、私は自転車をめいっぱい漕いだ。 グラウンドの横を丁度通ったとき、サッカー部の声が聞こえた。 私は自転車を降りて、それを押しながらゆっくりとグラウンドを見渡す。 「…あ、いた」 正直、サッカーのルールも分からなければ、今彼らがしている練習の内容もさっぱりだ。 ただ分かるのは、コートの中でボールを蹴っているのだから、サッカーしてるんだな、ぐらいのことで…。 それでも、やっぱり、いつものにこにこ笑顔じゃなくて、真剣な表情の森長くんを見られるのは、貴重なことで、嬉しい。 かっこいいなぁ、と素直に思って、つい足を止めて見入ってしまう。 それでもずっとここで部活が終わるのを待つ訳には行かないかと考え、私は再び校門へ向かって自転車を押し始めた。 自転車置き場は既に自転車はあまりなく、一番入って近いところに停める。 ああ、緊張するなぁ。 やっぱり、言うのは止めておこうかな。 でも言いたい。 私は葛藤をしながら、グラウンドを覗きに向かった。 「…さん?」 「!あ、森長くん…」 私がまたグラウンドの方へ顔を出したとき、丁度練習が終わったらしいサッカー部が校内へ戻ろうとしていたところで、これまた丁度、森長くん本人と顔を合わせてしまったのだった。 まだ心の準備もできていないというのに…。 高井くんや他のサッカー部の人もたくさんいた。 私は慌ててしまう。あからさまなような気もするがとりあえず引き止めたかった。 「森長くん、ちょっと今いい?部活終わった?」 「あ、今終わったとこ」 気が動転していた。何も言えなくなる。すごく、アヤシイ感じかする。 「今帰りって遅くない?さんて何部だっけ」 「あ…ううん美術部…」 話し始めた私たちを避けるように他の部員の人たちは学校内へ消えていった。陽は多少傾いてはいたが、まだ明るく、皆口々にどこかへ寄って帰ろう、だの言っているのが耳に入る。 「おーい、森長。先マック行ってっからなー」 高井くんの声が背中から聞こえた。 その声に手を挙げて森長くんは返事をしている。ああ、すごく場違いでいたたまれない。 「ごめん、なんか」 思わず謝ってしまうと、森長くんは不思議そうな顔になる。 「何がごめんなの?さんさっきから何か変じゃない?」 その不思議そうな顔を見ると、さっきまで散々考えていた言葉が消えてゆくのが分かった。もう、何て言ったら良いのだろうか。こんなに自分の気持ちを伝えることが緊張するのは初めてだった。もちろん、男の子に好きだ、なんて言うこと事体が初めてなのだけど。 「いや、あの…」 とりあえず渡してしまおうと、抱き締める格好になっていた紙袋を差し出す。 ますます訳の分からない、と考えていそうな森長くんの表情。できればちょっとだけでも私の気持ち、察してほしい。無理だろうけれど。 「誕生日、おめでとうということで、これ」 「え?」 その時、森長くんの顔が変わった。 「まじで?嘘?」 「まじで、どうぞ」 ああ、森長くんも照れているんだ。 笑っているけれど、慌てているかのような素振り。うそ。脈アリ? 私は一応辺りを確認した。校庭の片隅にはもう私たちしかいない。フェンスの向こうに帰路に着く生徒が見えるが、ここからの会話など聞こえようもない距離だ。そうして周囲を見渡した後、私は森長くんに改めて向き直った。 「受け取ってくれる?」 「ああ、いや、ありがとう。こんなつもりじゃなかったんだけど。昨日の電話のせいだよね?ごめん。でもありがとう」 しきりに頭をかきながら、森長くんは紙袋を受け取ってくれた。私は静かに息を吸い込んだ。 「あともう一つ、お知らせしたいことが」 「うん?」 「すきなの」 吐き出すように一気に言葉を吐く。 「うん………え?」 見る間に森長くんの顔に熱が集まっていった。それを見ると同時に私の頬もどんどん火照ってゆくのが自分で分かった。 「…熱いね」 「…うん」 照れ笑いをしきりに浮かべる森長くんを見て、私もとりあえず、笑ってみる。むしろ、もう笑うしか無いような。恥ずかしくて笑うことしかできない。 「ありがとう、その、嬉しい、よ」 とりあえず、笑う。 「俺も、すきだし」 とりあえず…笑おうとして咄嗟に私の口からは「うそ!?」と出た。 「え?何で?うそ!」 森長くんの顔を見てみると、彼は照れ笑いのまま。八重歯がちらっと覗いていた。 「うそじゃないよ…ていうか、むしろ俺がうそ?って聞きたい」 ありがとう、と言ってみたけど、声が掠れてしまって聞こえただろうか。でももう一度言える気がしない。 背中に陽が当たって、汗をかきそうな程熱い。でもそれは、太陽のせいだけではないと思う。 まだ頬の火照りはおさまらない。 |