恋をして
「もう、しんどいのは嫌なの」 私がそう言い放つと、部屋にはとてもとても重い沈黙が流れた。 私は耐える女だった。 耐えて、耐えて、耐えて、耐え抜くと、そこにはただ疲労感に押しつぶされただけの痩せた女がいた。 それが、私。 誰が耐え忍ぶ女はストイックで美しいなんて言ったのだろう? そいつ、今すぐ私の前に連れてきてよ。損害賠償でも慰謝料でもなんでも請求してやろうじゃないのよ。 私は泣き腫らして重たくなった瞼の裏でそんなことを考えていると、亮は大きく溜息をついて、わかったよ、と言った。 亮と付き合い始めて、2年が過ぎようとしていた。 その間、私は様々な女の醜い感情を知ることとなった。一番恐ろしい嫉妬という感情はもちろん私も持っている。亮が他の女の子と話すだけでも気が狂う程嫌だと思えるのに、亮はそんな私の感情を知ってか知らずか、たまに女の子と遊びにいくことすらもあった。それでも私は決してそれが嫌だと彼に言わなかった。嫉妬という感情を露わにして、亮に嫌われることのほうを私は恐れたのだ。 逆に嫉妬されることもたくさんあった。亮は校内で花形のサッカー部のレギュラーで、且つ頭も良くて顔も良いという、学園内でも1,2を争う程モテる男だし、当然彼女のポストに就いた私は嫉妬の対象となるべくしてなったのだ。そんなことは付き合う前から分かりすぎていた。もちろん了解の上で付き合い始めたのだ。けれども、彼のファンからの嫌がらせというのは相当ねちっこく、いやらしいものが多く、私は精神的にほとほと参ってしまい、胃炎にまでなってしまった。 亮は自分からファンに言ってやる、とも言い出してくれたのだが、そこは私のプライドとかいうものが邪魔をして素直にその好意に甘えることができなかった。結果、胃炎になってるだなんて、可笑しくてしょうがない。けれども私は亮に迷惑だと思われるのが嫌だったのだ。 そういうことを、かいつまんで亮に全て打ち明けて、私は彼に別れを切り出したのだ。 すると、亮はそれを受け入れた、という訳だ。 ここまで言ってしまえば、きっと亮は嫌だ、なんて言わないだろうとは思った。だって、亮はすごく優しいんだもの。 優しい亮が大好きだった。 でも、それだけで恋愛ってしていけないんだなって身にしみて解った。 私は彼の部屋を後にして、自分の部屋へと足を向けた。 扉を閉めるとき、止まっていた涙が思わず溢れ出たし、もうここには来る事もないのか、と思うとそれを止めることもできなかった。 自分の足、手はここから離れたくない、というようにすごく重たかったのだけど、千切れそうなそれらを引っ張って、私は扉を閉めたのだ。 胸が張り裂けそうって、こういうときなのかな、と思う。身体と、頭と、ちっともちぐはぐな行為をするときそうなるのかな、と。 身体は心に正直だから。 亮は、何も言わなかった。ただ、入り口に背を向けたままだった。 少しだけ、ほんの少しだけ、引き止めてくれることを願ったけれども、そんな訳もなかった。今、もし引き止めてくれたら、私はそのまま亮の元にいることを選んでしまうだろう。きっとそれでは私はまた疲れるままなのだ。 私は自分の部屋に入ると、全ての力を抜き、靴下も履いたままベッドへもぐりこんだ。 ルームメイトのカナは何も聞かずに部屋の電気を消してくれた。 こんな、友達の優しさもすごく身に染みる。 そのまま、私は泣き疲れて眠りにおちた。 次の日、学校に向かう足取りはとてもとても重かった。 カナは先生には言っておくから休んでもいいよ、と言ってくれたが、それでは逆に亮のことばかり考えてしまう私になってしまうから、と有難い申し出を丁重に断る。 教室に近づくにつれ、足は回れ右をしたがったが、隣のカナの存在が多少、それを引き止めてくれた。 教室の扉を開けると、すぐに私の前に立ちはだかる影が見える。私にはそれが誰だか気づくのにカナとタイムラグがあった。カナは先にその人へ声をかける。 「何?どういうつもり?」 その剣幕に私は顔をぱっとあげる。やっぱり、亮だ。 目の前に立つ背の高い彼の顔を見続けることは辛いので、すぐに目をそらして教室に入ろうとしたが、すぐに腕をつかまれてそれは阻まれた。私は顔を背けたまま言う。 「やめてよ」 「ちょっと来い」 「痛い」 「いいから、来い」 私の言葉なんて聞かずに、すごく怖い顔をしたまま亮は私の腕を引っ張った。カナがそれを止めようとしたが、亮はそれも聞かずに足早に歩き始めた。私は観念して、黙って付いていくことにする。 こっちの方向は、屋上に向かっているのだろうか。 一緒に何度か授業をサボった二人の場所。思い出は良い思い出のままにしておきたくて、私は抵抗したが、亮はそれを許そうとしなかった。 こんなに強引な亮は初めて見た、と思う。 今まで亮は何だかんだ嫌だとか言いながら、全て私の良いようにさせてくれたりしたので、こんなに強引に私を引っ張ることはしなかった。 行く道々で私たちの普通じゃない空気を感じ取った人たちがコソコソ何か言ったりしている。また、何かあることないこと言われたりするんだ。私が浮気して亮に別れを告げられる、とかそういう話になるんだ。と、思うと、本当にうんざりする。 屋上に付くと、彼は丁寧にも壊れていて向こうからは開かなくなっている鍵をおろした。これで開放的な密室ができたという訳だ。 「痛いって」 私が掴まれたままの腕を振り解くと、亮は途端、口をへの字にしたまま、眉を一層吊り上げた。 「何で、言わないんだよ」 「…」 「何で、ギリギリまで言わないのかって聞いてんだよ」 私の目には、昨日の晩から出ていなかった透明な液体が溢れた。今日は我慢していたのに、もう無理だ。 「…だって、言えなかった…」 「何で言えないんだよ?そんなに俺が怖いのか?」 亮は怒った表情のまま、私に詰め寄る。私は顔を俯かせた。ポケットからハンドタオルを出して、流れ出る涙を受け止める。 「怖いよ…。亮に嫌われるのが、すごく怖かった。だから、もういいの」 「もういいって…」 亮は溜息をつく。私はその息に怯える。 けれども、その途端、亮は一転、眉を逆に下ろし、まるで泣きそうに私を見た。私はその意外な表情にしばし見とれた。 「お前、すっごい自分勝手な。自己完結してんじゃねーよ!俺の気持ちはどうなんだっつうの」 そう一気にまくしたてると、亮は私の肩を両手で掴んで、体重をかけた。 「何、して」 「じゃあさ、お前は俺が嫌いになった訳じゃないんだろ?ふざけんなよ、」 そのまま私は口がきけなくなった。 亮にそれを塞がれ、熱い息を吹き込まれて、息すらもできない。まるで動物みたいに噛み付くようなキスで、私は思わず目をつぶった。 「…」 「…」 一瞬のような、長かったような、その時間を亮は離れて終えると、俺情けない顔してんだろ、と口元をあげた。私は首を横に振る。 2年近く付き合って、やっと初めてしたキスが別れ際、とは私は驚く。けれども、亮は私がもっと驚く言葉を吐いた。 「、俺、一晩考えたけどさ、やっぱ別れるの無理だから」 それを聞いた私は目を丸くした。 何て? わかれるの、むり、と? そのまま彼は続ける。 「だって、お前、俺のこと嫌いな訳じゃないんだろ?もうさ、お前に辛い思いさせないように、俺も何とかするから」 だから、一緒にいてくれ。 私がぼけっと突っ立っていたら、今度は亮に思い切り強く抱き締められた。 「お前が嫌だっつんなら、もう女友達とも遊ばねぇし、お前が嫌だっつっても、ファンクラブとかいうやつらにキツく言ってやる。 だから、だから、」 別れるなんて、言うなよ。 私はしばし感動していた。 亮のこんな顔、初めて見た。 震える声も、初めて聞いた。 私を抱く手を緩めない亮の背中に腕を回すと、私は言った。 「やっぱ、私も別れたくない…!」 2年近くも付き合ってきて、今、私は亮の素顔に触れたような気がした。 題名が決まらずにすっごい悩んで…。 何かいいのないかな… |