彼のことを知ったのは、新しいクラスになってからの、学級会でだった。
委員会を決めるとき、私は本が好きだし、誰も選ばなさそうな図書委員に手を上げた。
それぞれ男女一名づつ、クラス毎に委員会へ送らねばならないので、当然女子は私だけで、男子はなかなか決まらなかったのだった。
そこでだらだらと時だけが過ぎる。
チャイムは既に鳴って、放課後に食い込みはじめていた。
次第に教室内はザワザワとし始め、廊下からも、他のクラスが今日の授業を終えたことから生徒の声がし始めた。
担任の先生は「誰かやってくれないの?」と少しイライラした風に言う中、一人の男の子が手を上げた。

「俺がやります」

その男の子の周りにいた男の子は、「よっ!救世主〜」なんてからかっていたけれど、
事実、彼にクラスの人たちは助けられたみたい。
委員会に所属を決めてなかった人はきっとほっとしたのだろう。
先生は「じゃあ、これでHRを終わりにするわね」と、言うのを挨拶に、決まったばかりのクラス委員の人が起立の号令をかけた。

その救世主の名は、森長祐介くん。
サッカー部に所属している、優しい男の子。








   恋は水色









「天気良いな〜」
「うん、そうだね」
放課後、ちらほらと図書室には本を返しにきたり、借りに来る人の姿が見えるが、大体に図書当番の仕事は暇だった。
普通の公立中学校なので、ごく普通の図書室なんだとは思う。
一応エアコンも完備されてはいるが、まだ出番ではなさそうだし、涼みに来る生徒なんかもいない。
私はカウンターで当番日誌を広げ、シャープペンをくるくる、と回す練習にいそしみ、隣に座る森長くんは外をぼーっと眺めていた。
(多分、早く部活行きたいんだろうなぁ)
そう私は思いながら、シャープペンをカウンターの向こうに飛ばしてしまい、恥ずかしいけれど、拾いにいった。
幸い、森長くんは気づいていないようで、恥ずかしさは半減。
森長くんがいなかったら、私、一人で本でも読んでいられるのになぁ、と考え、私は思い切って言うことにした。
「ねぇ、森長くん」
「ん?」
窓の外には丁度サッカー部の蹴ったボールが天高く上るのがかすかに見えた。
それを背にこちらを振り向いた森長くんは、少し首を傾げて「どうかした?」と聞く。
「うん、良かったら、部活行ってていいよ」
「え」
「ほら、暇だしさ、二人いることないし」
私が言った通り、図書室内は閑散としていた。
大体、皆本を借りにきてはそのまま帰ってしまうため、残って本を読んでいる人はあまりいない。担当の先生なんかもいないし、今日は楽だ。
それでも、森長くんは言う。
「でも、さんに押し付けたら悪いから。部活は、当番が終わってからでも間に合うから大丈夫だよ」
笑顔でそうやって返されると、私はもう何も言えなくなってしまう。
「そう?でも、暇だね…」
「うん…。何か話そっか?」
「うーん、あ、じゃあ、何で、森長くん図書委員に手ぇあげたの?」
私は疑問に思っていたことを素直にぶつけてみた。
あの状況じゃあ面倒くさくなって手をあげた、とも考えられるけれど、そんな感じの人じゃないしなーと思っていたのだ。
思いがけない質問だったみたいで、彼は目を丸くして、その後はにかんだように笑った。
その笑顔を見て、私は少し心が揺さぶられるのを感じる。
「ちょっと、やってみたいな、とは思ってたんだけど、何だか手をあげづらくって。でも、あの状況だったら、別にいいやって思って」
ああ、こういうのはふとした瞬間にくるな、と私は思った。
けれど、それを外には出さずに、話を続ける。
「そうだったんだ。だって部活もあるのに、面倒じゃない?」
「うん、でも練習はいつでもしようと思えばできるからな」
そっか、そうなんだー、と私は頷く。
嫌々って訳では無かったんだ。
それを聞いて少しほっとする。
だって、一緒に仕事するのに、片方が嫌々だったら、こっちも嫌だなぁ、と少し、思っていたから。
森長くんの人柄だと、本当は嫌でも態度には出さないとは思うけれど、それでも良かったなぁ、と私は何となくほっとする。
そこへ、ガラガラっと戸が開き、入ってきたのは図書担当の先生だった。
「お、真面目にやってるか?」
「はい。暇ですけどね」
私はそう返すと、先生はニコニコ笑顔で返してきた。
何だか、嫌な予感…。
「じゃあ、これ、図書だより、下書きなんだけど、こっちの写して、コピー刷っておいてくれる?各クラス分」
そう先生は言い放ち、図書便りの原稿を置いて足早に去っていった。
私は森長くんに余計なことを言ってごめん、と言う意味の笑みを送り、森長くんは少し苦笑いで返してきた。

さん、字、キレイだねぇ」
「え?そ、そんなこと、無いよ?」
やだな、そんなことを言われると、急に意識してしまって、原稿用紙が急に汗ばむ手のせいで波打っていきそう。
「俺、字汚いし。さんと図書委員で本当に良かったよ」
益々意識するようなことを彼は言い、窓の外を見ている。
呑気なもので。
私はそんな森長くんの一言で異常にあがってしまっているのに。
もう、図書だよりなんてどうでもいい、この状況から出てしまいたい!
「あ、こっち書けた?俺、刷ってくるよ」
「う、うん。お願いします」
そう言って彼はカウンターから出て、部屋の隅のコピー機に向かっていった。
彼は心が読めるのか!?と一瞬思うような絶妙なタイミング。
でも、こっそり後姿を盗み見ると、耳が赤い。
もしかしたら、森長くんも言ってから照れてしまったのかなぁ?
そう思うと、何だか可愛くて、またこっそり笑った。
くっくっと声を殺して笑いながら、私は思う。
私、森長くんのこと、好きだなぁ。
そう自覚したその日は、図書だよりを書く手が少し震え続けた。




季節はもう秋になろうかとする頃。
2学期が始まって、また図書当番の日が来ると、私は人知れず喜んだ。
夏休み中は会えなかったし、森長不足の日々でした。
一度だけ、サッカー部の練習を見に行ってみたのだけれど、そのギャラリーの多さと熱気についていけずに、もう二度と行かないでおこうと思った。
あのギャラリー、殆どは「水野くん」「佐藤くん」ってはしゃいでいたけれど、中には、彼目当ての子もいるんだろうか。
そう思うと、心がざわめく。
既にうまく行っていて、夏の間は彼女とラブラブだったり…。
そんな妄想も頭をもたげ、私の心中はごちゃごちゃとしていた。

「森長、焼けたね!」
は白いな。本ばっか読んでた?」
あはは、と笑いながら言う森長は少し夏に成長したのか、その日焼けした笑顔が男っぽさを感じさせる。
背後にある窓が眩しいだけではなさそうだけれど、私は自然に目を細めた。
こうして当番として接するうちに、私たちは呼び捨てし合う仲にはなっていた。
一番近しい女の子なのかな、と思っていたのに、そうじゃないかも、だなんて考えが過ぎり、それは暗雲となって私の頭の上に覆いかぶさってくる。
「夏休みはほとんど外にはいなかったもん。森長は、毎日部活?」
「そうそう。ホラ、ポッキー焼け」
「あははは!本当だ!じゃあ、遊んでる暇無かったの?」
「うん、本当サッカー漬けだったなー」
「あんなにギャラリーの女の子、いっぱいいるのに、何も無いのー?寂しいー」
あははーと笑いながらさらりとチェックを入れる私。寂しいと言ってください!
「だって、あの女の子たちのお目当ては皆水野とシゲだよ。なーんにもある訳がない!」
あはは、と笑う彼の口元に白い八重歯が覗く。
小麦色に焼けた肌と、八重歯のソレのコントラストに思わずまた目を細める。
良かった、なーなんて、一人で安心。
、さぁ」
「うん?」
「一度、練習見にきてたよね?」
一安心したところへ、今度は彼自ら爆弾投下。
まさか、気づいていたとは。
思わず声が裏返りそうになるのを咳払いで誤魔化して、私は言う。
「一度、学校に来たときにちらっと見たよ。暑そうだった!」
「そうなの?やっぱりも誰かが目当てなのかと思ったけど、違うの?」
「え」
ギクリ、という形容詞が私の耳の奥で鳴った気がした。
まさか、彼自身にそういう話をふられるとは思ってもみなかった。
私は、エアコンが効いているはずの室内で自分の周りだけ温度が上昇するかのような感覚を知る。
ここで言うべきなのか、どうなんだろう。
まだ隠しておこうか。言うべきではないよな。
そう考えあぐねているところへ、彼はもっと続けた。
「俺、ちょっとショックだった」
ショック?
私が、ギャラリーと混じってるから?ただのミーハーじゃん!とか思った?
正直、そんなに彼女たちと大差は無い訳で。言い返すこともできなく、私は項垂れた。
やっぱり、言おう。
勘違いされてちゃ分が悪いもの。
そう決めて顔をあげると、森長が先に口を開いた。
「俺、が他の男のことを見てるっていうのが許せなかった。哀しかったし。
 俺が一番、と仲が良い男なのかなって思ってただけに、ショックだった」
森長はそう一気に言うと、本当に悲しそうな顔をして俯いた。
うんんん?
「ちょ、ちょっと待って」
私が他の男を見てるのが許せない?
「それは、どういう…」
森長は辛そうに顔を歪めて言った。
「俺、が好きなんだ」
私は、隣の椅子に座る、今まで見たことないような顔をした森長を凝視する。
この人は、知らない人?夏休みが終わって、一歩も二歩も先に大人になってしまった?
その知らない男の人は私の瞳を真っ直ぐに見つめて、だんまりを決め込んでいた。
ここは、私が何か言うところなのかしら?
気づけば、室内に人はおらず、私と森長の二人きり。
顔が火照っていくのがよく分かる。
だって、私は、初めて男の人に告白なんてされた。
どうしていいのか分からないけれど、とりあえず、返事をしなくては。
「え、え、え、っと。私、確かに、サッカー部の人を見てた」
そう私が言うと、森長は軽く目を伏せた。
あ、睫毛長い、なんて気がつくけれど、それどころではない。
一つ息をついて、私は言う。
「それは、森長、なんだよ」
そう言い終えて、私はまた息をつく。
森長はしばらくしてから、「ええ?」と顔をあげた。
「それは…」
「だから、私も、森長のことが好き」
今度は、ぽかん、と口を開けたまま森長が私を凝視する。
恥ずかしくて私は彼の顔を見ていられなくなって、横を向く。
「ね、両思いってやつなんだね」
そう言うと、森長は、「やったああー!!!」とビックリするほどの大声で叫んだ。
私は本当に驚いて声も出ない。
目を見開いて、ただただ森長を見守った。
彼はキャスター付きの椅子に座っていたが、それをお尻で跳ね飛ばし、立ち上がって「嘘じゃないよね!?」と確認を取っていた。
私は頷くだけしかできずにいる。
それを見て、やっと自分の動作のおかしさに気づいたか、真っ赤な顔で
「ごめん…」
と言うと、椅子を戻してきて、私の隣に座った。
「…」
「…」
ヘンな沈黙の後に、彼は言った。
「…ずっと、この図書当番の日が待ち遠しくて。やっとと二人きりで話せるんだな、って思うと」
それは私が思っていたことと同じ気持ち。
全く同じ気持ちでいてくれてたなんて、それにもまた驚く。
森長ははにかんだように笑った。
背後に見える、窓の青がとても際立つ。
今まで、彼の笑顔を見るときは、いつもバックには空の色があった。
私の恋の色は、きっと、空の色。
私も、伝えなくちゃ。
「そんなの、私だって一緒だよ」
そう言って笑うと、彼も、あのはにかんだような笑顔を返してくれた。
その笑顔が初めの一歩だったんだな、ってしばし私はその笑顔に見とれた。
そんな私に気づいたのか、急に森長は顔をよせて、こう囁いた。

「ねぇ、、って呼んでいい?」




















夢メニューへ
TOPへ