PM7:00








「お疲れ様、さん!」
「……また君か…」
私のバイトが終わると彼が通用口の外で立っているようになって1週間近く経った。
うんざりした風に私がその中学生にしては長身を見上げると、彼は短い前髪を揺らしてにかっと笑う。とても気のすくような嫌味のない笑い方を向けられて、私は正直困ってしまう。
「キミ、じゃなくて、誠二っすよ!藤代誠二!あ、さん何飲んでんすかー」
「……モカ」
「奇遇っすね!俺も、ほらほら、アイスだけどモカっす!一緒だー」
無邪気な彼。
私ははしゃぐ彼を無視して歩き始めた。
既に陽はとっぷりと暮れて、肌寒くなってきた。暖かいコーヒーのぬくもりを抱きながら、私は当然のように隣を歩く彼を見上げる。
「毎日毎日、飽きないわけ?私なんか声かけてどうすんのよ」
「だからー言いましたよね?俺の運命の出会いなんだって!」
私の口調に合わせてそう言い切る彼を見やり、私は初めてこの少年と出会ったときを思い出した。

5日程前。日曜日だった。
私のアルバイト先であるコーヒーショップは盛況を呼ぶ曜日であるので、私は忙しく働いていた。
カウンタへ立ち、コーヒーの注文を取りながら、私も喉渇いたなぁ、とか思いながら。営業スマイルには定評のある私だけれども、あまりの忙しさについそれを忘れそうになってしまい、丁度それに気づいたチーフに一言お小言を頂いたところだった。確かに今日はちょっとしたミスが多く、自分でも嫌気が差しているところだったので、ダメージは大きい。
正直へこみながらカウンタへ、次のお客さんの注文を取るべく向かい、顔をあげていつものようにいらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか。と言うと、人の顔をまじまじと見て、眼をしばたかせている彼がいたのだ。
初め、すごく私の顔を見ているものだから、知り合いなのかと思った。どこかで会ったことあったかなぁ、と記憶を辿るも、こんな整った顔の格好良い子、多分見たら忘れないだろうとして、私は会ったことがないと判断した。けれども、いつまで経っても注文どころか、私から目を逸らさない彼に業を煮やし、私はもう一度聞いた。
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
そう言うと、今度は嬉しそうに隣にいた連れだと思われる少年に顔を向けて、言うのだ。
「すげぇ!運命かもって、今思った!」
私は訳がわからずにただ早く何にするか言ってくんないかなーと思っていたら、次はその彼、私に向かってあの笑顔で話しかけたのだ。
「おねえさんの、おすすめは何すか?今、おねえさんだったら、何飲みたい?」
「え…」
何だ、ただ迷っていただけなのか、と思って、私は素直に自分だったら飲みたいものをつらつらと言い始める。
「私でしたら、ホットのモカですかね。ホイップクリームもついておりますし、ほんのり甘くて、かといって甘すぎたりはしませんので、おすすめですよ」
そう言って注意を受けたばかりの営業スマイルで笑うと、彼は何だかふにゃ、と言う形容がぴったりなように力なく笑った。
「ねえ、おねえさん、こんなだよ。どうしたの?忙しいし、しんどい?」
この人…!
私は驚いて、思わず営業スマイルなんて吹っ飛んでしまった。
いつもと同じように笑ったつもりなのに、この人にまで見透かされてしまうなんて!
そう思うと、きっと私って顔に出易いんだな、とまた更にへこむ気持ちを感じた。接客業に向いてなさそうではないか。憧れていた場所でのバイト。思った以上に厳しくて、やりがいもあった。けれど、今日の私はぼろぼろだ。その好きなバイトでさえ、辛く思えてきているのだから。
「誠二、何言ってんだ。おねえさん迷惑だろうが。…すみません。ホットモカのトール二つ下さい」
その声に私ははっとして顔をあげて、反射的にレジを打った。
彼の隣にいた少年が気をきかしたのか注文してくれた。少年は、目の前の彼よりも、そして私よりも何だかオトナなような気がして、私服ではあるが、明らかに私よりは年下なのだろう、と思うと、恥ずかしくて、頬が少し火照った。
「…ありがとうございます」
恥ずかしさもそのまま、私はしっかり笑って(こういうときって笑顔しか出ないものだ)初めの彼の差し出すお札を小銭へ代えて、返した。
そのときに、その彼はぎゅうっと、私の手を掴んだ。私は驚いて、思わず手を引っ込めようとしたけれども、びくともしない。そのまま目と目で見つめ合うと、彼はにかっと笑って、こう名乗った。
「俺、藤代誠二。おねえさん…さん、また来ますから、覚えててね!」
手をぱっと離され、私は思わず名札を隠したけれども、もう遅かった。彼は泣きぼくろのある片目をつぶってみせて、すぐに去っていった。
忘れる訳はなかった。
2年間アルバイトをしていて初めてこんなことが起きたのだもの。
イレギュラーな出来事に私は弱いもので、その後も意識しすぎて笑顔が強張っている気がして、心の中では泣きそうだった。
彼との出会いはそんな私にとってはあまり良くない思い出だったのだ。

さん?どうかしたんすか?」
歩く私を遮るように藤代誠二は身体を前に出し、私の目の前に立った。私はそれを横から避けて、歩き続ける。
「別に、どうもしないよ」
駅に向かうと切符券売機で目的の駅分の切符を購入し、改札口へ向かう。
「あれ、さん、真っ直ぐ帰んないの?」
彼は私の最寄の駅までの値段までしっかりと把握しているようだ。横から覗いていつもと違う値段を押した私を見つめている。
「今日は約束があるから。だからキミも早く帰りなさい」
そう言った途端、彼はぷうっと頬を膨らましてみせる。こんなことをされると思わずその両頬を押しつぶしてやりたい衝動に駆られるのだが、そこは抑えた。
「それって、男?彼氏、いるの?」
何ともいえない口を結んだ不安そうな表情で彼は言った。私は本当のことを言ってやろうか迷ったが、そう言えばあきらめるであろうかとも思い、ここは嘘も方便のコトワザに乗っ取り、ただ頷いた。すると、不安そうな表情は急に真面目な顔になった。何ともくるくると表情がよく変わる子だなぁ、と少し感心する。私は普段はよく無表情で可笑しいのかそうじゃないのか分からないと言われるものだから。
「いたんだ…。そっか…今まで気づかなかった…」
本当はそんなものいないのだけれど、そんなあからさまに肩を落とされると、申し訳ないが、少しホっとするのも事実だ。
「分かった?それじゃあ、ちゃんと帰りなさいよ」
大人ぶって彼に別れ文句のように言うと、彼はまたあの何とも言えない顔で私を見た。それが昔見た捨て犬のようで心が少し揺さぶられた、のも、事実だった。幼い私は捨て犬を更に見捨てて家路に着いた。それと同じく今もそうだ。表情には何も出さず私はホームへ向かった。








その次の日も、そのまた次の日も、彼はいつもの時間のいつもの場所にはいなかった。
方便が効いたのか、と私はいつものようにコーヒーを片手に帰路に着くのだが、ほんの少し、物足りない言いようの無い寂しさを感じていた。
あんな(私にとっては)衝撃的な出会いで、その上しつこい求愛は初めてだったのだから、それは当たり前なのかもしれないな、と自分に言い聞かして、私はその物足りなさを堪えていた。
中学生のときの恋愛なんてそんなものだし。
パっと燃え始めたかと思えば、思いも寄らないことで消えてしまったりする。
そんな、ものなのだから。
私はそう考えていたのだが、そう思うにはやや、彼の存在が強烈に染み込んでいすぎたような気がする。
しかし、もう遅い。
私は一人で駅まで歩きながらほのかに後悔の念を感じていた。
秋ももう終わったように感じる風がとても冷たかった。

次の日、バイトは休みだったが、大学の帰りにふと、自分のバイト先であるコーヒーショップへ足を運んだ。
明日までに提出しなければならない課題があり、それを仕上げるのにコーヒーでも飲みながら、と思い、つい自分の店へ寄ってしまったのだ。
一番奥の席で大好きなコーヒーの香りに包まれながらレポート用紙を広げると、何だかはかどる気がする。
そのまま課題を少しこなしていると、目の前のルーズリーフに影が落とされ、私はのんびりと顔を上げた。
その私の頭は、影の主を確認したときにびくり、と静止したのだろう。それは自分でも分かるほど。
「…藤代くん?」
「やっぱさんじゃん。今日は休みなんだ」
眉をひそめる私とは正反対に、いつもの人懐っこそうな笑顔で彼は私の向かいの席に座った。
何で、来たのだろう?
私はただ彼を見つめた。
「どうしたの?さん?今日は名前も呼んでくれるし、目も合わせてくれるし…
 …あ、もしかして、俺が週末来なくて寂しかったんじゃん!?」
彼は笑顔のままでそう矢継ぎ早に話しまくると、いくらか赤い頬でニコニコと笑った。
私はもしかして、彼の策略にハマったのだろうか、と頭を抱えて机に肘をついた。
やられた…。
彼は慌ててどうしたの!?と動揺しているよう。
けれど、動揺しているという点では、私のほうが遥かにそうだもの。
何より、彼の言うとおりなのだから。
私は重い口を開く。
「……わざと、週末は来なかったの?」
目だけ上げて彼を見つめると、満面の笑みが返ってきた。
「違うよ。俺、サッカーしてるって言わなかったっけ?試合があったんすよ」
そう言い切られ、私はこの天然の策士にまんまと落とされたことを悟った。
「そうだったんだ」
「うん。さん、俺が来なくて寂しかった?」
改めて聞き直す彼は、わざとなのか、そうでないのか。
私は彼の笑顔を改めて見つめ返してみたが、さっぱり読み取れず、ただ頷くことしかできなかった。












スタバはバイト中何でも飲み放題らしいっすよ。
うらやまー







恋愛的お題のページへ
夢メニューへ
TOPへ