チームメイトというには遠いようで親友というほど気安くもなく。同居人の珍しく口元の緩んだ顔を見ながら、俺はぼんやりと思った。 (こいつのこんな顔、まさか彼女も見てないんじゃないか) 狭い部屋の中。冬にはコタツへと変貌を遂げる小さなテーブルに斜向かいに座って、俺は雑誌をめくりながら、アイツは煎茶をすすりながら、俺タチはいわゆるコイバナに花を咲かしていた。きもいだろう。俺もきもいと自分で思っている。 まさに人生の春を謳歌中。彼女ができて3ヶ月とちょっと。今がピークだぞ、と苦言を呈したところで、「お前にはそうなんだろうけど、俺はきっとそうじゃないと思う」とさらりと臆面もなく言われそうで、言葉にすらせずに、ヤツの話をただただ聞いた。聞き役に徹するのは俺にとっても珍しい。あいつが珍しい顔をしているせいかもしれないが。 「お前にも見せてやりたいよ。本当に彼女はキレイなんだ」 ふ、と話がひと段落したので、ようやく俺は口を開いた。ここまで聞いたのだから、野次馬根性という欲を少しでも満たして欲しいものだ。好奇心のままに尋ねることにする。 「で、やったのか」 そう一言聞くと、途端にヤツは眉をしかめて、大げさなほどに口を歪めた。 「何でお前はそっちにばっかり持っていこうとするんだ。そんなのなくたって、一緒にいるだけで満たされるんだっていうことを知らないのか」 うーん、コイツのこんなに色恋事に雄弁な様ったら滅多にない。今日が一ヶ月ぶりの逢瀬だったからだろうけども。普段は普段でこっちが尋ねたとしても「うまくやってる」の一言しか言わないクセに。なんとはなしにイラついた俺は顔を上げて渋沢をまっすぐに見た。 「ってことはやってないな。3ヶ月付き合ってまだなのかよ」 「…本当にお前は。そっちのことばっかりしか頭にないのか」 自分の身の上の下ネタ話にだってコイツは顔色ひとつ変えやしない。面白くない。極めて面白くない。呆れた、と言いかけた渋沢を遮って俺は話し始めた。 「だってお前。さんっていくつだっけ?22だっけか?やっぱ経験無い訳ねーだろ?それがさ、3ヶ月付き合って何にもされないって思ったら女として傷つくと思わねーの?絶対俺だったら凹むと思う。アタシってそんな魅力ない?とか言われたりしない訳?」 畳み掛けるように放った俺のトークは見事にヤツを揺さぶったようで、僅かに目を見開いていた。うんうん。それこそが俺の望んだ反応。実際さんがどう思っているかは知らないが、渋沢は手を口元に当てて考え込むような格好を始めた。 「……そうだろうか」 キスすらしていないというプラトニックカップルの片割れはうーん、と唸り始めてしまった。確実にコイツよりは経験の多い俺だからこそ効く攻撃なのだろう。思わずニヤつく顔を戻しながら、また俺は言う。 「まぁ向こうだって、年上ってことを気にしてできないってこともあるんだろうけど」 「ああ、それは確かに感じる。すごく気にしているようだし」 うう、とまた少し唸ってから、ヤツは目だけを俺へ向けた。なんだ、と同じく目で問いかけると、ヤツは口元の手をはずして、テーブルを軽く叩いた。 「今度の練習試合、あるだろう。あの日、彼女の誕生日なんだ」 「おお、それはメモリアルだな」 「メモリアルだろう」 「その日外泊届け出しとけよ」 「……」 俺は笑うよりもむしろデジカメを用意しておかなかったのを悔やんだ。その時のヤツの顔をここでお見せできないことが非常に残念だ。仕方が無いので、俺の胸だけに秘めておいてやろう。 その練習試合の日。渋沢の彼女の誕生日。ヤツは少しだけ、いつもとは様子が違っていた。起き抜けに麦茶と間違えてめんつゆを飲んだり、既に高等部に進学しているというのに突然中等部に向かって歩き始めたり、先輩のロッカーを間違えて使ったり……細かいうっかりばかりで、密かに俺はハラハラした。なぜかフォローに回る俺。 「お前、ちょっとしっかりしろよ」 「いや、すまん。何か、やっぱり落ち着かないものだな」 先輩には「渋沢も試合で緊張なんてするんだな」なんて笑われてみたりするが、俺は知っている。試合で緊張するようなヤツではない。その証拠にコートに一歩出ると普段通りのヤツに戻った。仕組みを知っている俺だけが面白い。辰巳が不思議そうに渋沢に声を掛けている。俺は笑いを堪えるのに苦しい思いをせねばならなかった。 周りの不安をよそに、渋沢はよく守り、試合は見事に勝利を収めた。が、終了のホイッスルと共に、ヤツはきょろきょろと落ち着かなくなった。その様子に俺も観客の女の子の波に目をやる。なるほど。聞いてはいなかったが、どうも応援に来てくれているらしい。それで余計に様子が変わっていたのか、と納得する。 渋沢に近づいていくと、ヤツの目が一点に留まったので、俺もそちらを見やる。制服の群れより大分離れたところにその人はいた。向こうも渋沢に気づいたようで、小さく胸元で手を振っていた。 すっと背が高く、姿勢の良い女だった。よく顔を見ようと近づいていくと、驚いたような顔をしている。造作はごく普通の顔だが、雰囲気がある。美人と言える程ではないのだが、キレイ、とヤツが形容するのが少し分かった。 隣の女子の群れから黄色い歓声がわっとあがり、俺は何となく彼女から離れた。目が悪いので思ったより近づいていたようだ。フェンス越しではあるが、見られて良かった。そうか。あれがヤツの彼女か。グラウンドから出ると、すぐに渋沢に肩を叩かれた。しかも、強く。 「痛い」 「あんまり目立つようなことさせないでくれ」 あからさまに目が怒っていた。 「悪ぃ」 素直に謝ってしまう。 渋沢の言いたいことは分かった。学園の女子があの女は何者なんだろう、と言っている様子はたやすく思い浮かべられる。 シャワーを浴び、着替えを済ますと、そそくさとヤツは帰っていった。これから俺たちは寮に帰って昼食だが、ヤツはおデートらしい。 「三上。渋沢見なかったか?」 辰巳がこちらへ歩いてきながら、言った。タオルを弄びながら、視線を左右に彷徨わせている。 「いや。なんか今日は用があるっつってた」 「そっか。日曜だもんな」 デートのご予定が控えている先輩もいるため、ミーティングなど部活動的ことは既に終わっていた。辰巳と並んで(デカイから嫌なんだけど)学食に向かいつつ、たわいもないことを話す。 「そういやあ渋沢に用あるんじゃなかったのか」 席についてカツカレーをつつきながら尋ねると、辰巳は言った。 「俺、ウワサに聞いたんだけど、渋沢の彼女が今日来てたんだって?」 思わずスプーン上のカツをカレーの海へとダイブさせてしまった。慌ててしょうゆ注しの側のティッシュを2,3枚取って胸元をぬぐった。カレー染み。かっこわる。 焼き魚を丁寧にほぐしながら俺をそのまま見ている辰巳。隠すのもおかしいので、俺は「そうみたいだな」と一言言った。こんな辰巳でもやっぱり渋沢の彼女ってだけに興味あるようだ。 「どうだった。見たか」 今日の天気予報見たか、ぐらいのトーンで言うので、俺も晴れらしいよ。ぐらいに「ふつーだったぜ」と答える。 「ふうん。なんか普通ってのが渋沢っぽいな」 「そーだなー。っぽいよなー」 「渋沢のオンナって想像つかないけど、普通って言われたらああ、普通か、って納得する」 「ああ。普通」 「めちゃめちゃギャルのおねえさん、とかだったら逆に見てみたい気もする」 「ぶは」 淡々と笑わせる辰巳に俺はカレーを噴き出した。 |