夕日がおちた。
―シゲSIDE―










寺の廊下の隅にある備え付けのピンクの電話を手に取る。
これから掛ける相手の電話番号、もう俺暗記してんねんで。
指が勝手に動きよる。
それは毎晩の儀式のようなものやから。
一日のうちでのほんのわずかな時間やけども、最高に楽しみな時間。

「もっしー。ちゃん?」

「はい。シゲ?」
うわ。なかなか出てけえへん思たら、めっちゃ不機嫌そうな声ちゃう?寝てたんか?
「なぁ、明日でかけへん?」

「…明日ぁ?仕事なんだけど…」
せやったか。やっぱ社会人。幼稚園の先生サンやもんな。そら、暇んないわな。でも、終わるんそんな遅ないやろ。
「何時に終わるん?」

「3時すぎには終わるかなぁ」
思った以上に、早いやんけ。やったー。どこ行こう。ちゃんの好きなとこ行きたいなぁ。
「なら、決まりや!俺、部活無いねん」

「うわー、強引!」
引かれた?でも、別に迷惑そうやないやん。やっぱ、優しいわ。
「それが俺の持ち味やって!ほんなら、ちゃんの職場まで迎えにいったるさかい」

「うええ!来なくていいし!」
うひゃひゃ。オモロイ。マジで嫌がっとるやん。そんな嫌がるんなら逆に行かなあかんわな。
「遠慮しなやー。ドコやったっけ?ドコ幼稚園ゆうてたっけ?」

「来なくていいから!私が行くからいいから!」
迎えにきてくれるのも捨てがたいけどなぁ。ちゃんの先生姿、見逃す手は無いし。
「ええやんけ。あゆみ幼稚園やったやん?行くし〜、ちゃんと待っとりやぁ」

「来なくていいっちゅうねん!」
思わず方言までうつっとるやん。ほんま、かわえぇなぁ。
「あはは、関西弁うつっとんでー。ほな、明日なー」

「来なくていいしね!」
本気で嫌がるんかい。相当見られたないんやなー。でも、見てまうけどな。
「行くーゆうてんねんから待っとりよ!じゃおやすみ〜」


俺はそう言い、ぷっつりと話を途切れさせると受話器を電話機本体に乗せた。
「楽しみやなー、どこ行こう。何しよー」
浮き立つ心が抑えられずに、部屋へ戻ってもなかなか寝付けず、隠し持っていた缶ビールを2本開けてしもうた。
俺、浮かれすぎやん。
それも仕方が無い、とは思うんやけども。
久しぶりに惚れた女に会えるんやから。
毎日声を聞くことができても、実際に会えなければ物足りない。
会って、直にあの声が聞きたい。
あの髪の毛に触りたい、と思うのは欲張りなんやろうか。
「あー、さすがに少〜し眠たなってきたかも」
俺は一つあくびをして、敷きっぱなしの布団に潜り込んだ。
ひんやりとしたシーツの感触が、火照った腕や頬を冷やしてくれるようで心地よい。
俺はそのままやっと寝付くことができた。



「あゆみ幼稚園…この辺やてたつぼん言うてたかな」
微かに聞こえる小さい子供の甲高い笑い声を頼りに、幼稚園を探し当てた。
あらかじめタツボンには場所を聞いていたものの、薄い土地勘では少しばかり入り組んだところにあった園に辿り着くのは難しかった。
やっと子供の姿が見えたとき、腕時計は3時5分前を示していた。
「ぎりぎりやーん。あ、あ、あれやん?」
園庭を区切る柵に寄りかかり、見渡すと、奥のほうに小さい見知った人影が見える。
ピンクのエプロンをして子供を追い立てているのはまさに俺の思い人その人やった。
優しい笑顔や。かわいいーかわいいー。
「ぶ」
ちゃんを目で追うのに一生懸命やった俺は、思いがけず、頭にぶつかる衝撃を避け切ることができなかった。
俺の頭を跳ねて高く上がったゴムボールを片手でキャッチする。
「誰やねんー。放ったん?!」
ボールを大きく振りかぶると、その場にいた子供たちのきゃははーという嬉しそうな悲鳴があがった。
「たっちゃんが投げたよー」
くりくりと大きな瞳で俺を見上げながら可愛らしい女の子は一人の男の子を指差した。
ほぉ。たっちゃん。名前まで奇妙にイヤらしいやないかい。
「たっちゃん。テメェかぁ〜。受け取れー!」
「うわー!」
嬉しそうに逃げようとするたっちゃんの頭上にふんわりとボールを放ると、その子は少しジャンプして手を伸ばし、両手で上手くボールを受け止めた。
「うまいやんけ。すごいなー、たっちゃん」
「あたりまえだよ!ボクはゴールキーパーになるんだからなー」
「ほう。サッカー選手になるんか。ええやん。がんばりよ〜」
「おっちゃんもせいぜいがんばりなー」
うっわ。小憎たらしい。さすがたっちゃんやわ…。
近づいてきたちゃんの姿を目の端で認めて、その胸元へダイブするたっちゃんを更に目を細めて見やる。
ほんま、ええ根性しとるわ、あのガキ…。
たっちゃんは何やらちゃんに話しかけながらこっちを指差す。
ちゃんの顔が俺を確認するのを見越し、手を振りながら俺は待った。
あ、がくんって、頭下げよる。ぷ。
そのまま何でもなかったように顔を上げて、こっちに近づいてきた。
俺はにやける顔のまんま、口を開く。
ちゃん、めっちゃ似合うやんけ。でも子供が子供の面倒見とるようやけどなぁ〜」
「…最近、物騒ですから、誤解起こさないように園から離れて待っててください?」
「なんや、冷たいなー…。ほな、おこちゃまたちー、また今度は遊ぼなー」
「ばいばーい!お兄ちゃん!」
手を振る大きな瞳の女の子とたっちゃん。可愛らしいなぁ。
俺は存外と小さい子供の相手が好きみたいや。
そのまま園庭の周りをぐるっと周り始めると、別の先生が目に入った。
少し若そうなそのオネエサンに通用口あるか聞いてみよ。
年いっとるオバチャン先生やと、さっきみたいに「物騒ですからー」とか言われそうやもんな。
「そこのセンセー!俺、センセーに用あんねんけど、通用口とかってありますか?」
そのオネエサンは振り向くと、笑顔でもう終わるから裏門の外で待っていれば良いと教えてくれた。
俺は負けじと笑顔でおおきに、と返す。そのオネエサンは意味深なニヤニヤ顔。
もしかして、ちゃんの彼氏やと思ったんかな?
そりゃそう取られてもええもんな。俺はふとニヤけ気味の顔を口元を隠しながら歩いた。
そこで10分くらい、待ったやろうか。
煙草を1本吸い終え、もう1本吸おうかどうしようか考えていると、走ってくる足音が聞こえた。
ちゃんや。
慌てて玄関をくぐってきたちゃんの姿を見つめ、俺はおつかれさん、と声をかける。
すると、ちゃんは淡く微笑んだ。
あ、それ可愛い。
けれどそのままちゃんはすぐ近くにあった駐車場を指差した。彼女の赤い車が見える。
「シゲ、乗って。すぐ出るから」
「はいよ」
心地よいその声音に酔いしれると共に、車のエンジン音が聞こえた。



海に行きたい、と言い出した俺に嫌な顔ひとつせず、ちゃんは車を走らせてくれた。
運転中の彼女を盗み見ると、少しだけ目を細め、口元もきりっと締まっている。
普段は可愛い、という形容が似合うちゃんだけれども、何だか運転中はオトナって匂いが否が応にもする。
確かにハンドルは身体に不釣合いで大きめだが、しっかりと運転できている彼女。
早く、オトナに追いつきたい。
いつかは逆に俺が乗せたるよって。
少なくとも、車の免許をとるにはあと3年はあることを思い、少し溜息がでる。
「どうかした?シゲ」
ちゃんはこちらを見ずに言う。CD選んでいいよ、とか的外れなことまで言い始める。退屈で吐いた訳ちゃうんになぁ、と思うと何だかおかしい。
「いやいや。ちゃんがあんまり綺麗かったから、ちょっと溜息出てしもうてん」
「…嘘吐くにも程があるでしょ…」
「別に嘘ちゃうんやけどなー」
全然嘘では無いのに。ちゃんはそれ以上は何も言わずにただ前を向いていた。
でも、少し照れているのか、耳がほんのり赤い。
かわいいなぁ、もう。
俺はCDケースで顔を隠して密かに笑った。

小さい頃から海など数えるほどしか来たことがない俺は、日差しを浴びた海を見て、思わず腰を浮かしてしまった。
「あ!海やん!めっちゃ見える!サーファーがちょっとおんで!」
波が高いのか、ポツポツ人影が見えた。もう季節は寒くなってきているというのに、サーファーてのは平気なんやなぁと少し感心する。
ちゃんは停めようか、と車を駐車場っぽいところへ乗り入れた。
車のドアを開けると、強い風と共に潮の香りがぷんと香った。
その香りに導かれるように、砂浜へ降りてみようと駐車場の端から続く階段へ足をのばす。
階段は風であおられた砂のせいでやろうか、段が坂になるほど砂が積もっていた。
スニーカーがずぶりと沈む感触にふと後ろに付いてきているちゃんの足元を見ると、ヒールのついた靴で、何とも歩きづらそうやった。
砂に足を取られるのは必至やな、と俺は手を差し出す。
「足元滑るから」
理由つけて手ぇ繋ぎたいだけちゃうかーと自分で自分にツッコむものの、ちゃんは素直に俺の手を取った。
「ありがとう」
その顔がすごく自然に笑っていて、ホンマに恋人同士みたいやなって思って、何だか妙にこそばい感じ。
ちゃんの手は柔らかくて、ちいさかった。
そのまま手を繋いだまま階段を降りきると、ちゃんは空いた片方の手でひょいひょい、と靴を脱ぎはらってしまったのだ。
その動作が何だか子供っぽさを感じて、俺は思わず笑う。
確かに、よろよろと砂に足を取られながら歩くよりは良いなと思って、ちゃんにそれを言った。
「その方が正解やわ」
すると、ちゃんはニカっとすっきり笑って、
「ホント、でも、久しぶりだー、海なんて…」
と広がる蒼さに目を細めて言った。
その横顔が今度は急に大人の人に見え、俺は戸惑う。
ホンマにちゃんは…大人なのか子供なのか、よく、分からへんなぁ。
その歴史を少しでも紐解きたい、と俺は聞く。
ちゃんは、何年ぶり?」
「ええ、っと、5年ぶり、かな。地元が海の側だったから、東京出るまでは海があるのが当たり前だったんだぁ」
聞いたことのない、地元の話。こうやって、ちゃんの”今まで”に触れられることに俺はすごく嬉しく思った。
「そうなん?へぇ〜。俺は海来たことなんかほとんどあらへんけどな〜」
「そうなの!?私なんか海まで徒歩何分の世界だったから、信じられないけど、へー、そうなんだ」
ちゃんは本当に驚くように、目を大きく見開かし、俺を見つめると、そのまま手を繋いだままで海のほうへ駆け寄っていった。
俺は引っ張られるままに海へ近寄る。
今まで見たことのある、真夏の海とは違って、今の海の水は何だかすごく冷たそうな色やった。
確かに、もうとっくに夏の海は通り越したんやな、と少し残念に思う。
こうして季節によって海の色が違うなんてこと、俺は知らなかった。
隣で濡れた砂浜をぺたぺたと歩くちゃんの横顔を覗き込んで俺は言う。
「来年の夏は海入ろうや。一緒に、またこよ?」
すると、ちゃんはキョトン、としたようにこちらを見たまま言った。
「でも、こっちの海水浴場、すごいじゃん?人ばっかりで!泳ぐ場所あるのかなー」
軽く誘いをかわされたことに少し落胆しながらも、俺はならば、と食い下がる。
「なら、ちゃんの地元の海行こや。ちゃんの育った町も見られて、一石二鳥やんけ」
そう言うと、ちゃんはにっこりと笑った。
「…行けたらね」
ちゃんは、来年の約束なんてしたくないっちゅうことやろうか。
鬼が笑うって?
俺は一度した約束は守るっちゅうポリシーを持っとるんやけどなぁ。
どうにかして、俺の方を向いて欲しい、なぁ。
いつしか空はだんだんと赤みを増してきていた。
その様子に目を取られているちゃんの横顔を見ると、それは急に、来た。
好きやなぁって。
「約束、しよか」
俺はぐいっとちゃんを腕に収めた。
そして、思いっきり、抱き締めた。
ちゃんが痛がるのもお構いなしで、いや、そんなの気にしてもいられないほど、ちゃんを欲しいと思ってたんや。
俺は片手でちゃんを俺に向かせると、勢いでその唇に自分のを押し付けた。
ちゃんの唇は柔らかくて、俺は夢中でキスをした。
ちゃんは俺の腕の中で身じろぎ一つせず、黙ってそれを受け入れてくれて、俺はソレがただ嬉しかった。
苦しそうに息を漏らすちゃんも、すごく可愛くて、余計に強く抱き締めた。

「……っ」
「…………」

俺がふと、名前を呼んだとき。
ちゃんは応えるように俺にしがみついてきた。
それが可愛くて、彼女のふわふわの髪の毛に顔をうずめながら、また腕に力を込めた。

、めっちゃ好き…」
「シゲ、の、ずるっこ」
「なんやねんそれ…」
何でずるっこやねん?
少し俺から身体を離してにこにこと見上げてくるの思惑に俺は眉をしかめた。
すると、余計にはにっこり笑って、こう言った。
「あかい」
…俺の、顔がか?
急に何だか恥ずかしくなって、ちらっと海の方を見た。
ちゃん、夕日が差してんねんで」
だから、赤いねんよ。そう言おうとすると、ちゃんは今度は声を上げて笑う。
「ええ、ホントにそれでかなー?」
「ええーな、ほんまやって!もう!」
俺は恥ずかしさをそのままに、彼女の肩へ額を押し付けた。
恥ずかしい。見られたくない。
かっこ、わりー。
そのまま押し付けた額をぐりぐりとすると、ちゃんは身をよじった。
「痛いーって!」
こうなりゃもうええかー!と、俺は好きでたまらなくなったちゃんに、言った。
「もー、俺、めっちゃ好きやねんってば!」
俺ばっか好きでどうすんねん!
「分かった分かった!」
笑いながら俺から身体を離そうとするの肩を両手で押さえて、俺はぱっと顔をあげた。
「違うて。ちゃんはどうなんやって」
それが一番聞きたいこと。だが、はうーん、どうしよ。と首を傾げている。
何だか、急に身体の力が抜けてゆくのを俺は感じた。
「どうしよて、どうすんねん?」
その言葉にんー、と唸りながら、は海をちらっと見ていた。
俺は、の次の言葉が気になって、しばしの顔をじいっと見ていると、ふっと目が合って、はにこっと笑った。
「シゲ、来年、海行こうね」
その投げかけられた言葉の意味を理解し、俺は思わず口元がゆるんでしまった。
それって、来年も、一緒にいようねってことやんね?
つまり、
ちゃん、それって」
確認しようとすると、は海のほうへ向き直った。
「お、見る間に夕日が沈むよ。シゲ、見なきゃ」
そんなの、ホンマにお構いなしなんやけど…。
「そんなんいつでも見られるやんけ。俺はが見てたいの」
「それこそいつでも見られるでしょうが」
「…それって、それって、」
全てを語ってくれない少し意地悪なところは予想外やけれども、俺はの隣に立っててええんやなって思って、
海を見続けるを強引にこちらへ向かせ、言った。
「ハッキリ言うてや!好きやーて」
すると、見る間にの顔は夕日よりも早く赤く染まっていった。
「言わなくたって、分かってるんでしょー!」
「ええやん。ちゃんのお口から、聞きたいんやって」
「えー、えー、えー」
渋るちゃんをじっと見つめると、観念したように、肩をふうっと垂れさせ、彼女はぼそっと言った。
「シゲ、好きよ」
あー、やった。
ちゃんは俯いて耳を真っ赤にしているけれど、俺はそんなちゃんをぎゅっとまた抱き締めた。











シゲたんの可愛さアピール?

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