あいあい　がさ

あいあい　がさ

「あ～やっぱあか～ん」
　そう言うと、クリスくんは大きな机の上に蒟蒻のようにくにゃんと横になった。身体が大きいから、異様に目立つその格好に私は恥ずかしくなる。試験前期間の図書室はぼちぼちと席が埋まっていて、お喋りをしている人などもちろんいなかった。必然的に注目をあびた彼はそのまま小さく「うーん」と唸っている。
「ちょっと、クリスくん、みんな見てるよ……」
「ああ、ごめん、お邪魔やんな……」
　小声で注意すると、さっと彼は身体を起こして、両肘を机に乗せて頬杖をついた。私はさっきからほとんど進んでいない数学のワークを指差す。

「ねえ、ここってどういう意味になってるかわかんないんだけど……」
「……それをボクに聞きますかぁ？」

　そう言うと彼は困ったように笑った。私も同じように笑う。そうだよね。と言うのはやめておいたけれど。
「な、雨の日は頭働かんって統計があんねんで。もう今日は帰ろうや」
「ええ？」
　彼の言葉につられて窓の外を見やると確かに。激しくは無いが、穏やかに静かに雨が降っていた。気付かない程勉強に集中していた、といえば聞こえはいいが、私はしまった、と思った。

「ああ、帰るにしても、私傘忘れちゃった……」

　私のその声に隣のテーブルの人が窓を見上げる仕草をした。私は頭を軽く下げると、クリスくんが出よう、というジェスチャーをしたので、それに倣った。

　廊下はいかにも雨の日の湿っぽさを湛えていた。クリスくんはふうっとひとつ息を吐いて言葉を発する。
「ああ～図書館の喋ったらあかんって雰囲気が苦手なんやわ～人が多いと特にな～」
　そう言って、階段のほうへ足を向けた。私がついてこないのに気付くと、振り返る。
「どしたん？ちゃん」
「あの、だからね、私傘忘れちゃって」
「そんなん、ええよ～。ボク持ってるから、一緒に帰ろ」
　私はクリスくんに追いつくと、その長身を見上げた。
「いいの？」
　そう言うと、クリスくんは人好きのするいつもの笑顔で笑ってくれた。
「ええよええよ～むしろいつでもウェルカムや！アイアイガサや～嬉しいなあ～」
　何だか節を付けて言うその言葉に私は思わず笑ってしまう。
「へへ、ありがと！」
「そうそう！ほんなら～ついでにケーキでも食べて帰らへん？頭つこうて甘いもん欲しくなった頃なんちゃう？」
「あ！いいね、それ！」
　いかにも楽しそうなその提案に私は喜んで首を縦に振った。

　昇降口に着くと、クリスくんは傘立てから長い傘を引っ張り出した。
「じゃーん！ちゃんとアイアイガサするための傘やで～！大きいやろ？」
「えーまたまた……でも確かに、大きいね！」
「チチオヤのやねん、元々な」
　そう言葉を切ると、彼はその大きい傘を開いた。私の持っているものより、骨の数が多い気がした。

「さ、いこ～！」
「お邪魔しま～す」

　身長差があるから、クリスくんが少し背中を丸めて歩いてくれていた。いくら大きい傘と言っても、相合傘とは難しいもので、私と反対側のクリスくんの肩が濡れていないか気になった。

「そっち大丈夫？濡れてない？」
「平気やで。ちゃんもーちょっとくっついてもええよ？」
「や、私は大丈夫だけど」

　今嫌って言わへんかった？と小さく呟くクリスくんに私は首をかしげて笑った。こうして近くでクリスくんの顔を見るのは初めてで、ちょっとどきっとしてしまう。いつもは遠い金色の髪もすぐに触れられるようなそこにある。私は慌てて前を向き直った。

「こうして、傘の中に二人でいると、なんやフタリッキリって感じするなぁ」

　意識してしまいそうになるその言葉に私はちょっと首を横に振った。
「周りに人いるよ。もう、ホント誰にでもそういうこと言うんだね」
　クリスくんはずるい。こうして、笑顔で、かっこよくて優しくてすてきな人にそんなことを言われたら、きっと女の子は皆、自惚れてしまいそうになると思うから。

「へへ。バレた？」

　楽しそうに大きな口の両端を上げるクリスくん。私は頬を膨らませてみせた。

「うん、バレバレー、やで！」

　クリスくんの口調を真似て言ってみると、当人はぷっと勢いよく吹き出した。
「ちゃんの突っ込みはキビシーからなぁ」
「当たり前です」

　私ぐらいはしっかりしないと、と思った。

　同じ美術部員では誰もクリスくんの言葉を真に受ける女の子はいない。それはいつもがそうだから慣れてしまっているから。でも真に受けない、というだけで、密かに好意を持っている女の子はきっといるはずだ。

　一緒にいると、楽しくて嬉しいのに、何だか少し不安になる。そんな隣の人のことを考えて、私はこっそりと息を吐いた。

「どしたん？雨、キライなん？」
　クリスくんには気付かれてしまったようだ。私は慌てて笑う。
「ん？ううん。そうじゃないよ」
「ケーキ食べて元気出そうや」
「うん！いや、元気無い訳じゃないよ！考え事！」
「ふうん……ほんなら、何のケーキにするか考えよ～。クラスの子ぉがアナスタシアの新作が出たらしいって騒いどったで！」
「じゃあ私新作にしようかな」
「そうそう。ボクはぁ……レモンとかそういうのが食べたいなぁ。あるかなぁ？」

　そうして二人でしばらくケーキの話をしていた。
　面白くて、優しくて、笑顔がすてきで、気遣いしてくれる。こんなクリスくんのことが私はすきかもしれない。彼にとって私はたくさんいる女の子の友達の一人だろうけれど、私にとってはちょっと違うかもしれない。そう自覚した今日は少し触れ合う右の肩がとても熱く感じた。