歩く速さで












 すっきりと空気が澄んだように晴れた冬の日の放課後。せっかくのクリスくんの誕生日だから、と私が誘ったケーキ屋さんに私達はいた。そんなにしょっちゅうは来ることがないし、まさかいつもごちそうもできないから今日だけは、と一人特別な気持ちで臨んでいたのだけれど。

 ケーキを頬張るクリスくんの顔は不思議と憂いを含んでいて、そのままそれごと飲み込んでいるように見えた。
 もちろん彼の表情は笑顔。
 誘ったその時からずっと、いつものふんわか、こちらもつられて笑ってしまうような笑顔を湛えているというのに、どうしてその憂いが感じられるのかとしばらく見つめていた。その理由は瞳にあるとそう感じる。
 ふと逸らした視線はゆっくりと伏せられた。

 金色の長い睫毛が、その瞳を縁取り、うすく影を頬の上に作り出す。

 いつもはその影は見ない。


「クリスくんは自分の誕生日はあんまり嬉しくない?」
「ん?え?そんなことあらへん。こうして、キミに祝ってもらえるだけでジューブンすぎるほどうれしーんやで?」

 思い切って聞いてみても、彼はのんびりとそう返事をする。
 じいっと私は彼の顔を見つめてみるけれども、そこには言葉通りの気持ちしか載っていないようだった。
 そのまま見つめ続ける私の視線に根負けしたように、彼はしばらくすると、ふにゃり、と唇を歪めた。

「ただなー、一個歳取るってことはなーそんだけオトナになるってことやろ?ボク、ずっと子供でおりたいもん……」
「ピーターパンみたいなこと、言わないでよ」
 思わずふふっと笑い声が漏れてしまう。
 何だか彼にぴったりの言葉ではあったし、その気持ちにも嘘はなさそうだと思った。

「オトナになったら、下駄箱の色も塗り替えられないもんね?」
 そう言って彼の瞳を覗き込むと、くるん、と綺麗なエメラルドをした珠が私を向く。
「せやろ?ニノミヤサンもおしゃれにしてあげられへん」
「怒られるっていうのは、子供だからしてもらえるんだぁ……」
 思わずそう呟くと、クリスくんはちょっと困ったような顔で、笑った。

「せやなー。今の内に甘えておかな」
「……うん。でもね、あんまり先生に怒られるのはどうかと思う」
 今日、辞書を忘れたと言って私に借りにきたけれど、国語辞書が必要だったのに漢和辞書を持っていってしまい、怒られたという彼。
 何気なくそれを示唆すると、途端にクリスくんはふふっと笑い出した。
「ほんま。キミにも怒られてまう」
「えっ?私は怒ってないよ。でもあんまり怒られるの良くないかなって思っただけだよ!」
「はーい」

 まるで気のないような返事を笑顔でするクリスくんに、私も眉を下げる。
 大きく羽をはばたかせるように自由に振舞うクリスくんは、卒業したら家業を継がなければならないと言う。でもそれと、今このときに憂鬱になるのは違う話だと、思うのだ。

「クリスくん、お誕生日、おめでとう」
「ん、ありがとう。改まって言われると……なんや照れるなぁ」
「おめでとう!クリスくんが生まれた日!」
「へへ」

 今日はクリスくんがこの世に生まれた日だ。
 この日があるから、今こうして私達は顔を合わせて、ケーキを食べている。

 その言葉にできないような感覚をどうしても伝えたくて、私は何度も彼に、「おめでとう」を言った。



 帰り道、すっかり辺りは薄暗くなってきていた。
 遠回りになるというのに、彼は頑として私を家まで送ると言って聞かなかった。
 街灯も点り始め、並んで歩く帰り道には少しだけ、緊張する。
 クリスくんの歩みは、ゆっくりだった。
 私に合わせてくれているのかは分からないけれど、いつも一緒に歩くときはゆっくり。

 一緒に、こうして歩いて、大人になりたいと思っているのは私だけなのかもしれない。彼に聞いてみたいけれど、まさか聞けるはずもなく、私はよりゆっくりと、歩いた。



 私の家の少し手前、さりげなく、手を握られた。

 ちょっと驚いて見上げると、そこにはいつもの柔らかい笑顔。その顔には「だめかな?」っていう控えめさを感じる。私はちょっと唇を噛んでから、笑い返す。
「キミとこうして、触れ合えると、あったかくなる。寒〜い道も、ポッカイロみたいになる」
「ポッカイロって可愛いね」
「え?ちゃうん?」
「”ホ”ッカイロ、だよ」
「なんや〜そうか〜」
 えへへ、と笑うその顔こそ、あったかい。

 彼の手の先は冷たかったし、多分私の指先も冷たいだろう。
 でも、同じ温度だから冷たいなんて感じない。じわじわとそれがお互い温かくなっているのが分かる。

「ああ、着いてもうた。もうデートはおしまいかぁ」
 残念そうに、本当にそれは残念そうに、肩まで落として言うクリスくんに私は思わず笑った。
「また明日も会えるよ。学校でね」
「せやけど……まぁ、そうやな」
 繋いでいた手を放そうとすると、きゅっと握られた。
「クリスくん?」
「うん、あんな、えっと……」
 続きを言うのを躊躇うように彼は私の手を両手で握った。
「……また、来年もこうして祝って欲しい、な」
「……なんだ、そんなこと?」
 あんまり深刻そうに、まるで祈るように言う彼の様子に、何を言われるかと冷や冷やとすらしたのだけれど、つい私は息を漏らす。
「もちろん、一番に祝わせてね。約束ね」
「ほんま?ええの?」
「うん!」
 繋いでいた手を何やら彼は動かす。指きりの形だ。小指を絡ませて、私は言う。
「ゆーびきーりげんまん、知ってるんだ?」
「うん、聞いたことはあんねん。こうやろ?」
「そう、ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらハリセンボンのーます」
「えっ針千本も飲まなあかんの!?」
「約束やぶったら、ね」
「ほんならキミ絶対やぶったらアカンよ?」
「忘れないよ。やぶらない」
 くすくす笑いながら指きりなんて、一体何年ぶりだろう。私は彼と繋がった小指を見つめてもう一度、言う。
「はい、指きった!」
 ぱっと指を離す。繋げていた小指がじわりと温かい。
「指も切らなあかんのかぁ」
 日本の約束って絶対やな、と付け加えて、クリスくんは笑う。

「また来年も、一緒にお祝い、します」
「うん、楽しみにしとるわ!」
「今から?」
 二人で笑った。暗がりの中、彼の目が優しい。

「送ってくれてありがとう」
「うん。ほな、また明日、な」
「じゃあね、気をつけて帰ってね」
「ありがとう」
 街灯の下、彼の長い金髪が消えるのを確かめて、家に入る。

 クリスくんと絡めた小指だけ、熱を放っているように、温かくて、ぎゅっとそこを握った。



















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