春風カモミール











 放課後の学校の廊下を歩いていると、ふと窓からの日差しをあったかい、というより熱さとして感じた。もうすぐ桜の季節か、とも感じる。最近、天気予報など観てもいないので開花予想もされているのかも知らない。ただ、春休みになれば森林公園は毎年そうなるように桜色の世界になるんだろう。いつもは悪友とも呼べる男友達とばっか出かけていたお花見だけど、今年はできたら…彼女を誘おうか、などと、とりとめもなく考えていたところだった。

「ニーナ!」

 声を掛けられ、そのまま振り向く。同じクラスの女の子だ。彼女も運動部所属だったようで、学校指定のジャージではないそれに着替えていて俺の方へ駆け寄ってくるところだった。

「ああ、近藤って何部だっけ」
「陸上だよ。書いてあるでしょ。ニーナも今から部活?」
 確かに、彼女の指差す左胸の部分には「HABATAKI 陸上部」としっかり刺繍されていた。俺はそれを見てうん、と首を縦に振った。
「おう、そーだよ、なに、近藤、そんなに部活が楽しみ〜?」
 彼女は生き生きとした表情で荷物を持って走っていた。走るのが大好き、と顔に書いてあるかのような彼女をからかう。
「え!楽しいよ〜。ニーナは?柔道部楽しくないの?」
 当たり前かのような返事に俺はあからさまに顔を顰める。
「何言ってんの。男と組み合って楽しいもなにも……」
「でもさ、可愛いマネージャーがいるって話じゃん」
 微笑むというより、ニヤニヤと形容すべき表情で彼女は笑った。俺も同じように笑ってみせる。
「アンタうちのマネ知ってんの?まぁ、実際可愛いんだけどね。柔道部自慢のマネなんだけどね」
「じゃあ部活行くの楽しいんじゃないの〜?」
「まぁそこはね〜…。じゃ!お互い頑張りましょう!」
 おどけて俺が言うと、近藤もははっと大きく笑った。
「おー、ニーナも頑張って!じゃあね!」
 そう言って俺の後ろへ走り去って行った。なんとも爽やかだ。俺はその背中を見送って、再び柔道部の方角へと足を向けた。
(可愛いマネージャー、か)
 もうすぐ、あの人に会える。
 そう思うとキツイ苦しいツライはずの部活なのに少しだけ楽しみになる。もちろん今から始まる練習内容を思うと今すぐ帰りたい気持ちにもなるのだが、終わったあとに彼女を誘って何か食べにでも行こうかなぁ、なんて考えることで、足取りも軽くなるというものだ。こんな風に実に俺は単純明快な動機で日々せっせと青春の汗を流しているという訳だった。



「ちょりーす」
 柔道場は部室兼、道場になっている。外観は単なるプレハブ小屋だ。校舎から離れた裏側にあるので、日当たりはあまりよくないのでこの春先でもやはり寒い。ただ、日当たりが良いと夏場はサウナ状態になってしまうだろうから、この場所に建てられたのだろうとも思う。
 部員は柔道場の隅で着替えるか、校舎の更衣室で着替えてくるかしなければならないのだが、俺は柔道着で校内をうろつくのが嫌なので専ら柔道場で着替えている。早めにくれば、マネージャーのさんもいないので気にすることはない。
 というか、もしいても彼女はあまり気にする様子はない。これは至って心外ではあるが、運動部のマネージャーってそういうもんらしい。逆に俺を含めた他の部員の方が気にしているのだ。そこはなぜか伝わらないのか。

「新名、押忍」
「押忍、嵐さん」
 既に部長である嵐さんは着替えており、隅でDVDプレイヤーを覗き込んでいた。
 俺はその隣にカバンを下ろすと、おもむろに着替え始めた。なぜ隣かというと、いつも俺が荷物を置く場所がここだからというのと、そのDVDの内容が気になったからだ。ブレザーを脱ぎながら俺は嵐さんの肩から画面を覗き見た。
「今度の対戦校だ」
「へえ」
 嵐さんは画面から目を離すことなく、言った。「はまだなのか?」そこで初めて俺と目が合う。

 急に問われた内容に俺は目をしばたたかせた。俺より、先輩の方が同じクラスなんだから知ってるんじゃないのか?そういう意味を持って首を横に振った。俺が知る訳ないじゃん。
「知らないっすよ。嵐さんこそ同じクラスなんだから一緒にくればいいんじゃないんすか?」
「俺より早く教室出たみたいだったけどな。なんだ、新名んとこ行ったんじゃないのか」
 何で俺?
 嵐さんはそのまま流れたままのDVDプレイヤーに視線を戻した。俺も着替えを続行する。そうしている間に他の部員も続々と道場へ姿を現した。

 体作りの資本であるという走り込みが始まった。グラウンドではサッカー部が練習している為、他の運動部は学園の周りを走ることになっている。それが始まってようやくさんは姿を見せた。

「遅い!」

 嵐さんが寄っていった。他の部員には走りこみを続けるようにと言い残して。ちらっとさんの様子を見るが、いつも通りだった。でも予告なく部活に遅れるなんて本当に珍しい。しばらくすると、嵐さんは俺たちの集団に追いついてきて一番後ろから声を出してきた。余計な考え事は捨てて、俺は走ることに夢中になるようにした。

「お疲れ!皆、遅れてごめんね」
 部室前に戻ると、いつも通りさんは飲み物を用意してくれていた。銘々自分のボトルを手にする。俺も乾ききった喉を潤そうと手を伸ばした。よく冷えていて、おいしい。
 俺はさんに声を掛ける。
さん!今日遅かったね、どしたの?」
 すると、何故か肩をびくりとさせて俺に振り向く。そんなに大きな声で話しかけたつもりではなかったのだけれど、こちらを向いた彼女の顔は驚いたような顔をしていた。
「ううん、何でもないよ。ちょっと委員会があって遅くなっちゃった」
「ふうん、そうだったんだ」
 俺、嵐さんにさんの行方聞かれちゃったんだ、これって部長公認の仲良しって感じ?
 …などという感じの軽口を思いついたが、何故か口に出すのが阻まれた。そう、俺が発言を飲み込んでいる間にそそくさとさんは道場の中へと入っていってしまった。

 何だか、避けられたような気になった。思えばこの時が一番初めだった。


 その日、帰りにさんを喫茶店に誘ったが、断られた。
 夜のドラマについてのメールを送ったけれど、「観逃しちゃった」と返ってきた。
 次の日曜日にカラオケに行こうと誘ったけれど、友達と約束したから、と断られた。



 確実に避けられていると気づいたのは初めのそれから2,3日後。再びデートの誘いを断られた時だ。
「わっけわかんね…」
 俺は通話終了ボタンを押すことも忘れ、しばらく携帯電話の奏でる機械音を耳にしていた。

 少し前までは、結構彼女から日曜日にお誘いがあった。
 これって付き合ってんじゃね?と勘違いしてもおかしくないような、それぐらい日曜日はデートに勤しんでいた。帰りに手が触れ合って、自然に繋いでみたりしていた。

「訳、わかんねーよ」
 行き場のない憤りが自分の腹の中に充満しているのがよくわかった。俺が変なことを言ったのだろうか、傷つけたのだろうか。初めはそう考えた。だけれど何にも思い当たらない俺の頭の中では理不尽な対応をするさんへハッキリと苛立ちの芽が育っていっていた。




 クラスメートが慌てて俺の机に寄ってくるのが分かった。前の授業の教科書を片付けてていたときだ。「何だよ?慌てて?」
 彼は教室の前方の出入り口を親指で素早く指差すと眉毛を寄せた。
「新名、お前何やったんだよ?ちょー怖え」
 教室の扉のところを見ると、嵐さんが怖い顔で立っていた。威厳がありすぎだ。次はお昼休みだから教室を出ようとする人も多いのに、嵐さんの側の扉には出入りする人間がいなかった。それはそうだろう。俺も知り合いじゃなかったらそうしたい所だ。だが、嵐さんがこの教室へ来る理由はたった一つだろう。この俺だ。

「お前、ちょっと来い」
「…はい」

 理由は分かっている。俺が部活を勝手にさぼったからだ。(しかも三日も)

 嵐さんの後について、俺たちは屋上に来た。重い扉を嵐さんが先に立って開けた。途端に強い風が顔に吹き付ける。風は春の香りをはらんでいるものの、温度は冷たかった。屋上へ出ながら髪の毛が無造作に舞い上がってゆくのを抑えると、予期していなかった人物までもがそこにいた。

、さん」
 さんが俺と同じく、髪の毛とスカートを抑えながら屋上に立っていたのだ。

 嵐さんは俺と、さんを強く見据えた。
「お前ら、何なんだよ」
「え?」
 俺は何となくさんに並んで立つことになった。嵐さんが目の前で腕組みして立っている。これは…。お説教モード?さんまで?

「お前ら二人とも勝手に休みやがって。何のつもりだ」
 そこでさんも初めて俺の顔を見る。「え?」
 俺たちはお互い顔を見合う格好になった。一瞬そうした後、すぐに嵐さんの声が聞こえたので視線を戻す。
「何か理由がある休みなら俺か大迫先生に言うべきだろう。そうじゃなかったら今すぐ辞めろ。迷惑だ」
 嵐さんの言うことはもっともで。俺はすぐに頭を下げた。
「すみません!」
「ごめんなさい!」
 目の端でさんも同じように頭を下げている。
「お前ら、周りに聞いたら一緒にさぼってた訳じゃないらしいけどな、何なんだよ。新名はともかく、まで」

「…ごめんなさい、本当に」

 小さくさんが言った。
 すぐに嵐さんの大きいため息が聞こえる。

「お前ら、何かあったのか?」
 俺は下げたままだった顔を上げた。急に嵐さんの声質が柔らかく変わった気がした。
 嵐さんは怖い表情から眉を寄せた心配気な顔へとなっていた。俺はそういう訳じゃないと思っているので首を横に振る。が、次の嵐さんの言葉で俺は固まる。
「二人は付き合ってるんだろ?」

「……え?」
「…ええっ?」

 同時に驚きを意味する声をあげた俺とさんは顔を見合わす。そしてさんは勢いよく首を横に振った。

「ち、違うよ!何で?そ、そんな…」
 しどろもどろになって否定されると何とも胸の内で苦い気持ちが広がる。俺も口を開いた。
「付き合ってなんか、ないっす」
 さんは口をへの字に曲げたまま、ゆっくり首を縦に振ってみせた。

 すると嵐さんはまた眉を逆に寄せて、怒った顔になる。
「じゃあ何で休んでるんだよ。二人とも同じときに勝手にさぼったら何かあると思うだろーが普通!心配するだろ!」

「嵐さん…」

 もうこの人かっこよ過ぎなんじゃないだろうか?ただ怒ってるだけじゃないだなんて。さんをちらりと見ると、瞳をキラキラさせて嵐さんを見つめていた。何でこんなときにハート掴まれてるんですか。怒られてるんですけど俺たち。でもきっと俺も同じような目をしていたかもしれない。

「俺はお前らのこと信頼している。だから無断欠席なんて俺が困る。何か不具合があるんならちゃんと言え」
「すんません。マジで。俺の弱い気持ちのせいだから、だから、ちゃんと今日から行きます」
 俺がもう一度頭を下げると、さんも頭を下げる気配がした。
「すみませんでした。柔道部、やりたいです」

 しばらくそのまま重い沈黙が流れた。

 もちろん、それを断ち切ったのは他でもない、嵐さんだ。
「お前らのこと信じてるから、だから今日からまた来い」
 そして嵐さんは屋上から立ち去った。遠ざかる足音、重い扉の開閉する音。全てが聞こえなくなって、俺は大きく息を吐き出した。

 マジ嵐さん、かっけー。
 知れず、そう呟いていた俺にさんも重ねて言う。
「本当、かっこいい…」

 隣の彼女を見下ろすと、ちょうど俺の顔を見上げていた。

 土日を挟んだ為、顔を直で見るのは一週間ぶりだった。
 瞳は相変わらずキラキラしている。かわいい。かわいいけれどやっぱ得体の知れない女の子だ。理不尽な避けられ方を思い出すと胸の奥に鉛を落とされたような感覚になる。

「新名くん、何で部活さぼったの?」
 アンタが聞きますかそれを。
 アナタのせいで人知れず枕を濡らした俺に、その人本人が聞きますか。
 それを知る由も無いことは分かっているので、しばらく考えた後俺は重たい口を開いた。

「アンタに避けられるから」
「えっ」

 わざと視線を外した。
 拗ねているように見えるだろう。というか、拗ねているのだ俺は。分かっている。拗ねている他、傷ついてもいる。それに気づかないほどこの人は鈍感ではないはずだ。
 案の定、彼女は反対側に逸らしている俺の顔を覗き込んでくる。

「本当にそんな理由?」
「はぁ?」
 思わず人に対して使ってはいけない言葉だと母親に最近言われた言葉が口をつく。
 さんは不安そうに瞳の中を揺らして俺の目を見ていた。腰が屈んだままなので、いつもよりももっと見下ろす形になる。俺は脱力も手伝って、その場に腰を下ろした。

「つーか、話そう。俺もアンタに聞きたいことがある」
「は、はい」
 なぜ敬語だ。
 彼女も俺の隣に座り込む。脚を軽く折り曲げて、三角座りをしている。肩をすくめている。かわいい。悔しい。俺も脚を崩して胡坐をかいた。

「まず俺が聞きたいんだよアンタには。何でいきなり俺のこと避けるの?俺、何かした?何か傷つけたんなら謝るから、言って?」
 彼女の目の中をまっすぐ見た。俺の苛立ちが伝わったか、彼女はまた頭をたれた。
「ごめんね…そんなつもりじゃなかったけど、結局避けざるを得なかったというか…」
「意味わかんねー」
「…ごめん」
「謝るより、理由聞かせてよ」

 そう俺が言うと、さんは頭をあげた。頬がほんのりと赤くなっている。風に当たり続けたためか、鼻を少し鳴らして、彼女は言った。

「さっき、嵐くん言ってたでしょ。二人は付き合ってるのかって」
 突然の話の内容に俺は胸が跳ね上がるような感じになる。心臓が痛いほど、動いた。耳の奥で脈打つ動きも一気に加速する。
「あ、うん、それが、何?」
 平静を装うのが苦しい。
「実は、新名くんのクラスの子にも聞かれたの」
 更に鼓動が大きくなった気がした。それで、アンタはどう思ったの。それが、聞きたいのだ。でも、話はまだ続いている。俺は先を促すように相槌をうつ。
「私が部活遅れた日、あったでしょう?あの日、部活行く前に2階に用事があったから、新名くん誘って行こうと思ったの。それで教室に行ったら、もう新名くんは教室を出たあとでね。私も部室に向かおうと思ったら、そこで引き止められて、新名くんのクラスの女の子が『先輩とニーナは付き合ってるんですか?』って」
 風は冷たいのに、汗が吹き出る感覚がした。
「それで、アンタはどう返事したの」
 彼女は少し息をついて、首を振った。
「だって、付き合ってないでしょ?その通り言ったの」
 ですよねー。
 それっぽいようなデートもしているけど、俺ははっきり言葉に出して伝えた訳ではまったくない。逆もそうだ。そう考えると、自分が彼女に対してもっていた苛立ちも何だかお門違いのような気になってくる。俺は頷いた。
「そしたら、言われた。『ニーナのことを好きな子がいるので誤解を生むようなことは止めてください』って」
「ああ…、そう……」
 何だか何とも言えない脱力感が俺を襲う。さっきの鼓動の激しさはどこへやら。俺は頭を右手で抱えた。それであの対応。
 でもまだ彼女の話は終わらなかった。

「それから部室に向かう途中で、新名くんを見かけたの。声掛けようと思ったら、1年生の女の子と…仲良さそうに喋ってたから、だから、逃げちゃった」
「えー」
 俺は大きく口開けて息を吐き出す。大きく吐き出す。今まで溜めていた苛立ち、モヤモヤ、全て出したくて大きく息をついた。その様子に驚いたのか、さんは肩を揺らした。
「な、なに?何それ?」
「いやいやいや、…ため息もつきたくなりますよ」
「だって、その子すごく可愛かったし、新名くんも楽しそうで、何だか、お似合いって思ったし…」
 語尾が小さくなってゆく彼女の声。
「もしかしたら、この子が新名くんのこと好きなのかな?って思って」

 ん?これは。
 怪しかった雲行きが春の風のおかげか、流れていったようだ。俺はどうにでもなれと思っていた胸の中に一つ残った疑問を口にする。
「それって、もしかして妬いてくれた、とか」
 そう、俺が言った途端、彼女の頬が赤く染まっていった。髪の毛が分かれて覗いている耳までも赤い。
「だって!悪いと思うじゃない!」
「答えになってないんスけど〜」
 彼女は真っ赤な顔で首を振った。慌てて手も振っている。この慌てようではむしろ肯定していると見えるのだけれど。
「そういうの、いいから。アンタが気を使うことなんてひとっつもないから」
 俯いている彼女の頭。風は吹き続けていて、お互い髪の毛はぐしゃぐしゃに乱れている。でも俺はこの一週間悶々としていた気持ちが晴れて、爽快な気持ちだった。
「あの子は多分俺のこと好きでも何でもないと思うよ。誰にでもにこにこする子だし」
 アンタみたいにね、と言葉を一部飲み込んだ。
 それを押しとどめ、俺はまた続ける。
「俺が好きな―」

 ぐうううう

 そこで予期しない音が鳴った。
 俺じゃない、はず。隣のちゃんをそうっと見る。
 ちゃんは一瞬、動きを止めてから、今度は顔を思い切り膝に埋めて、小さく言った。
「……恥ずかしい…………!」
 
 俺は腹の底から笑い声をあげた。



 俺は教室に飛び込んだ。慌てて自分のカバンから弁当を取り出すと、さっきの屋上まで走った。
 階段の途中でさんに会う。顔を合わせたとき、彼女はいつも通りの笑顔を振りまいた。いや、訂正する。いつも以上の、だ。
「急いで食べないと、昼休み終わっちゃうよ!」
「マジだ!さんもお腹また鳴っちゃうよ!」
 俺がそう言うと、後ろから思い切り背中を叩かれた。大きい音が鳴る。
 例の重い扉に寄りかかり、開けながらさんに非難の声をあげる。
「いってぇ。ホントのことじゃん」
「もう!」
 扉を開けると、強い風と、くっきりと青い、空が広がる。

「あと10分か、ゆっくりしたいけどできないから…ね、今度の日曜、空いてる?」
 俺が弁当を広げる手を止めずに聞くと、さんは顔をあげて俺の顔を真っ直ぐ見つめて、そしてにっこりと笑った。

「うん!」

















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