秘密基地









 壁際と本棚に囲まれていると、狭いところが安心するという気持ちがよく分かる。胎児の頃の記憶なのだろうか。
僕はときたまこうして、図書室のカウンターの奥にある書庫室で独りになるのが好きだった。
生徒会長権限を駆使して書庫室の鍵は僕が今持っている。
生徒会室でも独りになれないことはないけれども、あそこだとどうしても雑務が気になってしまって落ち着くことができない。
それにここは―
 重い扉を開ける音がして(この部屋の扉だけ何故かほかのものに比べて重い。人の往来があまり無いせいだろうか)軽快な足音が近づいてくる。
「あ、紺野先輩、やっぱりここだ」
「やっぱり君か、見つかっちゃったな」
かくれんぼでオニに見つかってしまったかのような調子で言ってみると、彼女はふふふ、と息を漏らして笑った。
「だってここにいるのは私しか知らないハズですもん」
「それもそうだ」
元々、図書委員の彼女に用事があって図書室に訪れたのが最初だ。
そのときに図書室管理の教師に頼まれて、彼女は書庫室の掃除をしていた。
滅多に足を踏み入れる者がいないこの部屋は年に一度きりしか掃除をしないらしい。たまたまその日に図書室の当番だった図書委員の生徒がやるハメになるんだとか。
多少愚痴めいたことを言いつつ、彼女は楽しそうだったのを覚えている。
「だって、秘密基地を見つけたみたいです!」
それ以来、二人だけの秘密と称して、たまにこの部屋で昼休みや放課後、ぼんやりしたり本を読んだりと勝手に憩いの場にしている訳だ。

「さっき、生徒会のひとが紺野先輩のこと探してましたよ?」
それで私もここに見に来てみたんです。と付け加えて彼女は僕の隣に座った。ふわっと彼女からシャンプーらしき香りがして急に二人っきりを意識してしまう。
本棚と壁との間の床にそのまま腰を下ろしている訳で、狭い。少し動いたら、肩と肩が触れ合ってしまいそうなほどだ。
胸の鼓動を悟られるんじゃないかとあるはずのないことを気にしてしまって、僕は僅かに身を本棚のほうへ寄せた。
「今日は会議も無いはずだけど、何かあったかな」
彼女から意識を逸らすべく、僕は生徒会室のボードを思い出した。文化祭も終わったばかりのこの時期は割と暇なはずだ。
「私、紺野知らないかって聞かれたけど、わかりませんって言っちゃいました。本当はここだろうってすぐ思ったんですけど」
多少、申し訳なさそうな声音で彼女は言う。スカートから伸びた足を抱え込んだ。裾がちょっと気になる。僕の位置からは到底見ることはできないというのに動悸がうった。
「いいよ、よっぽどのことなら携帯に電話でもあるはずだし、帰ったと思うだろう」
ブレザーのポケットの中の携帯を触れてみる。始終マナーモードにしてあるそれが震えた記憶は今日はまだ無い。
「だって、ここは誰にも教えたくないですもん」
「ん?そうだなぁ、なかなかの穴場だよな」
はばたき学園広しといえども、書庫室に用事のある生徒はほとんどいないと言っていいだろう。
僕だって彼女がここの掃除をしているときに出くわさねば3年間足を踏み入れることは無かったはずだ。
「……先輩、明後日の日曜日、時間ありますか?」
きた、お誘いだ。
「どうかした?」
「いい時期ですから、森林公園に行きませんか?」
左の頬がちょっと熱い。
彼女が僕の表情を伺うように顔を向けるのが分かって、僕も左を向く。ちょうど上目遣いになる彼女の瞳が少し、潤んで見えた。
かわいいな…。
息が止まるように、空気の密度が濃くなった気がした。彼女も僕と同じ気持ちなんだろうか。
ずばりと言葉にして伝えられた訳ではないので、僕の態度もどういうようにして良いか正直いつも戸惑う。
「いいよ。待ち合わせはどうする?」
「じゃあ、公園入り口に、10時ぐらいでいいですか?」
「ああ、じゃあ10時だね。了解」
できるだけ軽く友人のように返してみる。彼女は満開の笑顔を僕に向ける。
この時僕は気づかされた。
彼女も僕を誘うのに、勇気を振り絞って、いるのだと。
自惚れても、いいのだろうか。
そう自問自答する僕の隣で彼女は笑顔を保ったままだ。
彼女の顔をよく見ようと身を捩り、身体を支えるために床に手をついた。
「!」
「!あ、ごめ…!」
床に手をつくつもりが彼女の腿のあたりに手が触れてしまった。
鼓動が急に早くなる。埃っぽい空気を大きく吸ってしまう。
柔らかい感触が指先にまとわりつくように残った。いけない。今の僕には刺激が強すぎる。
「いえ、大丈夫、です」
「ごめん、あの、わざとではないから!」
思わず彼女に向かって言った言葉に、僕の目の前で彼女は大きく吹き出した。
「やだ、紺野先輩!顔真っ赤ですよ!わざとだなんて、思ってませんよ〜」
ああ、空気が変わってしまった。攻守がコロコロ変わるようなスポーツか何かのようだ。
彼女は笑いながら僕の肩を叩いた。ちょっと笑い上戸気味の彼女はこうして笑い出すとしばらく止まらないところがある。
仕方が無いので、僕も一緒にちょっとだけ笑う。
腕時計にふと目を落とす。まだ遅くはない時間だ。
「じゃあ、これからお茶でもどう?おいしいケーキがあるところを姉に聞いたんだけど」
笑いすぎて頬をほんのり上気させたままの彼女が大きく頷く。
「はい!いきます!」
「よし、じゃあそうと決まれば行こう」
「そうですね!見つかったら先輩、捕まっちゃう!」
まるで本当にかくれんぼをしているみたいだ。彼女とだったらずっと隠れていてもいいのにな。
一瞬そんなことを考えて、すぐに恥ずかしくなって勢いよく立ち上がる。
「さあ、行こう」
「はい!」
僕が差し出した手を彼女は掴んでくれる。
温かい小さな手を一瞬だけ握り返すと、顔を見られないようにして先に立って古書室を後にした。



















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