ミステリアスチョコレートに乗せて









 手の中の包みを見つめてため息をつく。今日一日何度こうしただろう。これは…どうしたらいいんだろう。いっそ今日はあげない、という選択肢もあるのだろうけれど。昨日のうちにアポを取ってしまった自分が憎い。包みを持つ逆側の手でそっと制服のポケットから携帯電話を取り出す。

 差出人:玉緒先輩
 件名:了解
 本文:ちょうどそっちの6時間目が終わる時間に
    僕も授業が終わりそうだよ。
    大学まで来てもらうのは悪いけれど気を
    つけてきて欲しい。
    明日楽しみにしています。



「楽しみ…だって」
 私はもう一度大きくため息をついた。これは今日が何の日でどういうつもりで私が先輩にメールをしたか、もちろん分かっているんだろう。今日呼び出すという時点で気づかないだなんて思わない。いくら先輩が鈍くたって。今日は年に一度のバレンタインデーなのだから。







 昨日の放課後、我が家の台所で頑張って作ったチョコレート。一も二も無く、玉緒先輩の為だけに作ったチョコレート。何度やっても上手にできなくて、悲しくなった。味見をしてくれたカレンはひきつった笑顔を浮かべながら「バンビの気持ちがいーっぱいつまってるから大丈夫だよ!」と言ってくれた。でも今朝会ったカレンは顔色が悪かった。どうかしたのか尋ねると単に寝不足だと言われたが、私のせいである気がしてならない…。みよに関しては味見もせずに水晶玉を取り出して「明日はうまくいく…………きっと」しか言わなかった。一口勧めたが、星の導きが聞こえるらしく、カレンより先に帰っていった。
 それから自分でも一口食べてみた。不味くはないと思う。でも普通のチョコレートの味が不思議としなかった。もしかしたら、欲張ってあれもこれもトッピングしようと張り切ってしまったからかもしれない。正直言って、玉緒先輩にあげるべきものではないような気がした。
 ラッピングだけは上手にできた。これは本当に大成功!だと思った。主に雑貨屋さんで包装紙からリボンまで選んでくれたカレンのセンスのおかげである訳だけど、本当にお店で売っているみたいだとうっとりして写メにも撮った。けれど、中身のことを思うとやっぱり憂鬱になる。
 中身も外観に見合うように可愛くできていたら、こんなにため息をつくこともなかったのに。もうちょっと芸術センスを磨いておくべきだったなぁ、と早くも高校三年間の反省をしてみた。



 玉緒先輩の通う一流大学へ向かう途中、コンビニを見つけたので入ってみる。バレンタインコーナーにはまだ少しピンクや水色の可愛らしい包みがあったのでほっとする。でもよく見ると、義理だと言わんばかりの普通のチョコレートだった。私はしばらく思案する。
 これをあげるぐらいだったら、今日はやめて明日作り直したものを持っていったほうがいいのではないか、とも思う。わざわざメールで今日会う約束を取り付けて、義理チョコと思しきものを渡されたら、さすがに失礼にあたる気がした。いくら玉緒先輩が優しいといっても、これはない。
 結局、チョコレートは買わずに私はコンビニを後にした。

 冷たい風がひゅうと私の横を吹き抜けてゆくが、私のこの重い気持ちを飛ばしてはくれなかった。こんなに先輩に会うのに重苦しい気持ちになるのは初めてだった。いっそ、仮病でも使おうかと思ったぐらいだった。

 そんなことを考えてバスに揺られて、乗り換えてさらに数十分。はばたき山より向こうにある、一流大学前というバス停に私は降り立った。ちらほらと私と同じように降りる人が歩き出して、バスも去ってからようやく私は大学の正門へと足を向けた。

「…さん!」
「えっ!」

 突然自分を呼ぶ声に驚いて後ろへ振り返ると、さっきまで頭の中でチョコレートを渡すシミュレーションをしていた相手が手を振ってこちらへ駆けてくるところだった。

「どうしたの!ぼーっとしすぎじゃない?何度も呼んだのに。僕もバス停で待ってたんだよ」
「そうだったんですか!?ごめんなさい、気づかなくて…」

 先輩が大学へ進学してからは、会える時間が極端に減った。私もお花屋さんでアルバイトをしているし、先輩も塾の講師のアルバイトを始めたので必然的に時間の調整が難しくなったのだ。
 久々に会えた先輩は何だか余計にかっこよくなっている気がして、どきどきしてしまう。なかなか顔をあげて、先輩の目を見ることができなくて、少しだけ、心の中で焦った。

「ええっと…、もちろん僕もなんだけど、君も緊張しているんだったら嬉しいけど…」
「え?」
「いや、何でもないよ。どうする?どこか入ろうか」
「はい」

 一流大学は山の中に建っている。はばたき市では一番大きな大学だろう。山の中といえども、学生客目当てにスーパーや本屋、飲食店などは十分にあった。はばたき市では臨海地域に次いで、今開発途上にある地域だと思う。
 玉緒先輩はその中でこじんまりとしたカフェに連れていってくれた。カフェというより喫茶店と言ったほうがしっくりくる、昔ながらの雰囲気のお店だった。黒々とどっしりしたテーブルや椅子、一席一席に備えてあるシュガーポットのひとつに至るまで、このお店の年月を感じさせられた。それでも清潔感を覚えて、入った瞬間にこのお店が先輩のお気に入りなんだとすぐに気づいた。

「ここは、僕がよく来るところなんだ。授業と授業の合間とか」
 席につくと、歳若いウエイターさんが注文を取りにくる。
「僕はブレンドください。君は?」
「じゃあ、私もブレンドで」
 ウエイターさんは愛想の良い笑顔でカウンターの奥へ消えていった。私は少しその後ろ姿を見つめていた。

「何?見とれてなかった?さん」
「え、え!?いえ、別にそんなんじゃないです!」
「そう?」
 先輩はにっこり笑ってくれた。私は先輩の過ごす『授業と授業の合間』とやらの時間に思いを馳せていただけなのに…。でももしかしてヤキモチを妬いてくれたんだったとしたら、少しだけ嬉しい気持ちになる。自惚れでなければ、だけど。

 私はしばらく世間話でもしようと口を開こうとした。すると、思いがけなくも玉緒先輩のほうが先に口火を切る。
「それで、今日は?」
 最後まで言わないのがずるい気がするけれど、今日が何の日であるかは誰だって分かっているだろう。優しい先輩の曇る顔を見たくない。がっかりさせたくない。私はカバンの中の小包を思い浮かべた。
「……今日はバレンタインだから、チョコレートを…」
「嬉しいなぁ、本当に?」
「……作ったんです、けど…」
 カバンから例の可愛らしい小包を取り出す。膝の上に引っ張り出したところで、ウエイターさんの声がした。

「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーです」
「あ、ありがとう」

 そのままコーヒーを並べてウエィターさんは立ち去る。私は勢いをなくした腕を膝の上で固めたままだ。
 そっと前を向いて先輩の表情を伺うと、いつものように優しく笑っていた。

「ごめんなさい」
「え?」
「一生懸命作ってみたんですけど…」
「本当、嬉しいよ」
「でもあげたくありません」
「え?」

 先輩の顔は見られなかった。
 しばらく沈黙が続いて、私はため息をこっそりこっそり、気づかれないように吐いた。
 すると先輩が口を開く。

「それは、僕にあげるチョコレートはねぇ!……みたいなことかな」

 自信を持って渡せるものなら何個でも渡したい。たくさんたくさん、私の気持ちが伝わるならば、いくらだって。けれども、こんなチョコレートじゃきっと気持ちなんて伝わらない。下手したら嫌われてるんじゃないかって勘違いもされてしまいかねない。
 でも、何より、自分が納得いくものをあげられないのが、嫌なんだ。
 自己中心的な考えに私は嫌気が差した。

「違います。先輩にあげるチョコレートはあります」
 それでも誤解を生んではいけない。私は去年までの先輩の人気を思い出す。紺野、と書かれたロッカーにはチョコレートとラブレターが毎年入っていたのを私は知っている。教室こそ違うから分からないけれど、直接渡している人だってきっとたくさんいただろう。それが大学生になったからって何もなくなるとは思わない。
 私みたいに渡しにくる人がいない訳がない。

 私はどうにでもなれ、と思いながら、包みをテーブルの上に出した。先輩の表情が柔らかくなった気がする。

「すごい!可愛いね」
 中身も可愛くできたらよかったのに。
 そのまま満面の笑みをたたえた先輩に包みを押し付ける。
「開けてみてもいいかな?」
 まるでクリスマスに待ちわびたおもちゃを受け取った子供のように、先輩の瞳が期待に満ちた輝きを帯びていた。私は首を縦にふることしかできない。
 ピンク色のリボンがするすると先輩の手によって解かれていくのをぼんやり見つめた。中身を見た先輩はどんなにがっくりするのだろう。その顔は見たくない。

「これは……」
「ごめんなさい、何か、何度やっても変になっちゃったんです。こんなのあげたら嫌われるんじゃないかって思って、本当はあげたくなかったんです。ごめんなさい」
「何で?嬉しいよ」

 ずっと俯いていた顔をそうっとあげてみると、先輩は全然がっかりした顔なんてしていなかった。むしろ、嬉しくて仕方が無いような、そういう、うずうずした表情で。私は首を傾げた。どうしてこういう顔になるのか、理解ができなかったからだ。

 先輩の手の内にあるチョコレートは私が溶かして、固めて、デコレーションしたものだ。母に「溶かして固めるだけで何で失敗なんてするの?」と聞かれたけれど、私にも分からない。何でだろう。答えは私が聞きたいぐらいなのだから。
 デコレーションこそセンスを問われたものだろう。文字を書こうとして失敗して、それを誤魔化すためにさらに上にクリームを塗りたくったせいで見るも無残なものになってしまったのだ。イチゴクリームを使ったせいなのだろうか。見た目がすごくグロテスクなのは。それを誤魔化すために、みよが用意してくれた金箔を飾った。けれど、手元が狂って、瓶から一気に出してしまったので一面キンキラキンの悪趣味なものに仕上がってしまった。既に先輩に喜んでもらえるもの、という目標から、見た目普通なチョコレート、に変更しなければいけなかったのに、金箔を試しに剥がしてみたらグチャグチャになってしまったのだ。慌てて元通りに貼り付けた。

 その明らかに「失敗したけど、誤魔化したよ!」と言わんばかりのものを持って、玉緒先輩は嬉しそうににこにこしていたのだ。

「何で、嬉しそう、なんですか?」
 何だか言葉を発すると、泣きそうな声になってしまった。先輩は小さく笑ってから答えてくれる。
「だって嬉しいから。君が一生懸命僕に作ってくれたんだって、そういうのが分かるもの」
 私はやっぱり、泣きそうではなく、とうとう泣いてしまった。
「何でそんなにやさしいんですかぁ」
「え!?何で泣くの!?僕何か変なこと言ったかな!?」



 家までの帰り道の間、私たちはずっと手を繋いでいた。大学の前を通るときも、バスに揺られているときも、ずっと。

「今日はありがとうございました。嬉しかったです」
 家の近くまできて、私は頭を下げた。頭の上で、空気が揺れるのが分かった。繋いでいないほうの手を先輩がぶんぶん振っていた。
「何で、僕がお礼を言う方だろう?……ありがとう。チョコレート、大事に食べるから」
「大事になんて食べないでください。もう…。来年こそは、上手に作りますから!今から練習します!」
「え!?来年もくれるんだ……」
「リベンジです!」
 私がやっぱり空いたほうの手でガッツポーズを作ると、先輩は苦笑いするように顔を崩した。

「分かった。楽しみにしてる。……胃薬用意したほうがいい?」
「もう!いりませんから!頑張ります!」

 優しい先輩が大好きです。本当は今日、気持ちを伝えようと思ったけれど、失敗したチョコレートには縁起が悪くてあやかれない。
 私は先輩の笑顔に宣戦布告する。晴れて一流大学に合格した暁には、きっと気持ちを伝えようと。




















これで付き合ってないんだぜ……?



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