ピンクの幸せ










「今お茶用意するからちょっと待っててね。………あんまり色々見ないでね」
「はーい」
 僕の返事が気の無いものにでも聞こえたのだろうか。語尾を小さくした彼女は念を押すように目だけを強く吊り上げて、そのまま部屋から出ていった。別に家捜しする訳でもなし。それでも初めて入った恋人の部屋で落ち着く訳もなく、僕は視線をあちらこちらに彷徨わせた。
 彼女の部屋は女の子らしく、淡い色味で統一されていた。白い壁にピンクのベッドカバー、揃いの色のカーテンに、ごく一般的なタイプの勉強机、本棚には本や雑誌の他にも雑貨がぽつぽつと並べられていた。
 僕はその本棚の前に立つ。ガラスの瓶やポストカードなどが可愛らしくセンスのあるように陳列している隣に写真立てを見つけた。
 それを目にして思わず僕は口元が緩むのを感じた。
 そこに写るのはラケットを振りかざす真剣な表情をした、僕。
この間のテニスの大会のときのもののようだった。多分、桜葉が撮ったものだろう。ピントが僕の顔にきちんと合っている。動きのあるスポーツ写真は素人ではなかなかこのように撮れないだろう、と思う。
「…可愛いことするなぁ、もう…」
 そう思わず一人で呟く。一人で呟いて一人で何だか恥ずかしくなってきたので、視線をずらす。
 本棚の隣には背の低いチェストが置いてあり、その上には鏡や櫛、申し訳程度の化粧品らしきものが筒状の箱に差し込んであった。いや、ボールペンも混ざっているから、これはペン立てなのか…。いつも化粧気などない彼女の顔を思い浮かべる。ふとそのペン立てに綿毛を見つけた。
思わず触れてみると、見た目通りに頼りない触り心地。けれど本物のたんぽぽの綿毛ではなかった。
「?」
 引き抜いてみると、綿毛のようなものがてっぺんについた細長い棒状のものだった。メイク道具なのだろうか。そう思っているときに、扉が開いた。

「おまたせ……何してるの?」
「え、いや、別に…これなんだろうって思って」
 彼女は持っていたトレイを勉強机の上に置くと、僕の方に近づいてきた。
「…耳かき?知らないの?」
「耳かき?この綿毛を耳に入れるの?」
 僕はあまりに突拍子も無いことを言っただろうか?彼女は小さく笑った。馬鹿にされたようで少し面白くない。
「そうだよ。でも仕上げのときかな。こっちの方で耳垢を取るんだよ」
 彼女はそういって、僕の手の中のそれを取ると、綿毛の逆側を示す。そちらは小さなスプーンのように丸く曲がっていた。この細長いものを耳の中に入れる。想像すると背筋が粟立つ感覚を覚える。
「…怖くない?君はいつもそんなことしてるの?僕耳にそんなもの入れたことない」
 そう僕が言うと彼女は噴出した。やはり馬鹿にしているようだ。
「怖くないよ。気持ちいいから!私耳かき大好き!ねえ、穂波くんもしてあげようか」
「ええ?」
 お風呂上りに綿棒で耳内の水分を取るぐらいなら自分でしたことがある。僕は反射的に答えた。
「いいよ、別に」
 途端、彼女が頬を膨らます。
「すっごい気持ちいいのに…人にやってもらうとまた更に気持ちいいのに…」
 なぜそんなに残念そうなのだろう。僕は眉を寄せ、首を傾げてみせる。彼女はそんな僕を見て、同じように首を傾げた。
「ねえ、ちょっとだけ、やってみない?」

 しばらく僕と彼女は押し問答をしたものの、何故か彼女が引かないのを見て、僕は諦めた。何とも腑には落ちなかったが、彼女が勧めることだ。痛いとか怖いとかはない、んだろう。多分。
「じゃあ、ちょっとだけだよ」
「うん!よし!キレイにするぞ〜!」
 何なんだそのやる気は。僕の耳内は別に汚くなんかないと思うけど。
 そう口内で呟いてみるけれど、彼女は聞こえなかったみたいで、嬉々とした動きでカーペットに直に座ると、僕を手招きした。呼ばれるまま僕は彼女の隣に座る。
「はい、ここどうぞ」
 そう言って彼女は自分の膝を軽く叩いてみせた。僕は膝を指差す。制服のスカートから白い膝小僧が覗いていた。
「何?」
「だから、ここ。寝てください」
「君の?膝に?僕が?」
「そう。じゃないと、できないよ」
 彼女は当然のように言った。その様子はいつもと変わることもなく、言うなれば朝になったら「おはよう」とか洋菓子店で「ケーキください」とか言うそれと大差のないことらしかった。
 耳かきとはそういうものなのか。何しろ初めてのことだから勝手が分からなくてな。
 突如、葵先輩になった気がした。セレブの先輩が庶民の普通といわれることに触れるとこういう感覚なのだろうか、とも思う。
 今まで僕が馴染みのない家族の雰囲気や日本の文化に触れたときは見本となるであろう、テレビドラマなどで得た知識を思い出すことで何とかなってきた。けれど、初めて知った耳かきという文化には何も対処ができない。
「…じゃあ、失礼、します」
 別に嫌だとかそういうんじゃなくて、恥ずかしいだけ。とは言わなくても分かっているのかもしれない。彼女の膝に僕が頭を乗せて横になると、優しく頭の位置を調整された。手のひらが温かい。
 でも
 こうして膝に頭を乗せただけで僕は急に幸せな気分になった。膝枕なんて、今まで誰かにされたことがあっただろうか。目の前に並ぶ彼女の膝小僧をみとめて、僕は目を閉じる。
 耳をそっとひっぱられた。少し、その感覚がくすぐったい。僕は心の準備をする。
 ゆっくりと細い棒が侵入してくる感覚がありありと分かった。でも彼女は十分に気を使ってくれているようで、そっと耳内の壁を優しく引っかいてくれている。

 確かに。
 気持ちいい。

 想像以上の心地よさだった。
 かさりと耳の中で音がすると、すぐに棒が出ていった。

「あ、取れた」
「うん?」
「ううん、もうちょっとしていい?」
「…うん」

 極耳元で優しく囁かれると、ちょっと違う気分が僕を襲ってくる。急に頭の下の柔らかい感触を意識してしまう。考えてみればすごい状況じゃないだろうか。膝枕ってすごい。制服のスカートって意外と硬い。持て余していた手を彼女の丸い膝小僧の上に乗せた。すべやかで気持ちいい。

 これはどうしよう。ものすごく気持ちいい。
彼女が「気持ちいい!」と熱弁するのが身にしみてよく分かったというものだ。
「ねえ、…気持ちいいね」
「ふふふ、でしょ?私、取るのも大好きなの」

 ふと耳から棒が出ていくのを感じると、名残惜しい、と思った。もう終わりなのだろうか。
 すると、彼女は優しく、優しく僕の頭をなでた。小さく「なんか可愛い…」と聞こえる。
 不思議とそう言われたことに腹を立てる気にもなれなかった。いつもだったら確実に面白くない言葉ではあるが、今はただただこのゆったりした雰囲気に呑まれていたかった。
急に祖母にもこうしてもらった記憶があるような気がして、鼻の奥がつん、とした。



































続きも書いたけど俄然蛇足な気がして切ってしまった。
逆の耳もしてほしいよね、ごめんね穂波くん…




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