鬼が笑う














 まだ空は明るくはあったけれど確実に陽は傾いていて、夏の夜の湿った匂いが私の鼻先を掠めた。背中の帯を潰さないように、柱にもたれたり出来ないので私はちゃんと気をつけをして立ち尽くしている。
 落ち着かない気持ちのまま、待ち合わせ時間にはまだちょっと余裕があったので、私ははばたき駅構内のトイレに寄って、鏡だけをのぞく。普段はボブヘアーなのを無理矢理、纏め髪にしたので乱れていないか気になったのだ。無事に編み込みも崩れてはおらず、私は軽く襟元を直してトイレを後にする。彼はまだ来ていないようだった。
 見渡すと、目的を同じくしたような人達はたくさんいた。中学生ぐらいの女の子のグループ。幼い子供を連れた家族連れ…。高校生らしきカップルの様子には私も何だかくすぐったくなる。もうすぐ私もその波に乗るんだ、と思うとワクワクする気持ちが早々に私の鼓動を逸らせた。

(赤城くん、浴衣みたら何て言うかな?)

 そんなことを考えながら10分ほど。手持ちのうちわを弄んでいると、遠く駅のホームの方から小さく手を振りつつ小走りに近寄ってくる人を見つけた。小気味良く下駄を鳴らし、私の前に立ったその人はうっすらと額に汗を滲ませて言った。

「早かったんだな。待った?」
「赤城くん、遅い」

 私がわざと頬を膨らませてみせると、彼は息を一つ吐いて苦笑を漏らした。
「ごめん。でも良かった。君が待ってなかったらどうしようかと思ってたよ」
「何、それ」
 私が変な顔(言ってみれば不機嫌な)をしているのに気付いたのか赤城くんはちょっとだけ眉を下げる。
「ナンパ。そこかしこでされてる浴衣姿の子を見る度にドキドキした。……その、君が僕を待っててくれてるかどうかって」
 私はそれを聞いてちょっと呆れた。
 どうも彼は私のことを相当に短気だと思っている気がする。もしくは、移り気だとでも思っているのだろうか?信用されていない気がして、少し私は口を尖らす。
「何でそんなこと……だって。赤城くんと約束してるじゃない」
「もちろんそれは分かるけどさ、……いや、ごめん。行こう!」
 話をぷつりと切り上げると急に彼は私の手を取って引くように歩き出した。私は軽くたたらを踏んだけれど、軽快に鳴った下駄はすぐに普通の歩幅に合わせて再び音を上げた。
 そう。私だって、ケンカしたい訳じゃない。
 かちんと来ることも多々あるけれど、今日は楽しみにしていた花火大会だし!ここは気持ちを入れ替えて、彼の姿をそうっと観察することにした。

 彼は鶯色でかすりの渋い浴衣を着こなしていた。「僕が浴衣なんて柄じゃない」なんて言う彼を何とか説き伏せて、懇願して着てきてもらった訳だ。思ったとおり、改めてかっこいいな、とついついまじまじと見てしまう。隣の私からの視線を感じたのか、彼は目だけを私に向ける。

「……見過ぎだろ」
「へへ。バレた?」

 私が少しゆっくりめで歩いているので、彼もそれに合わせてくれていた。いつもよりも小さい歩幅。花火まではまだ時間がたくさんある。繋いだままの手をきゅっと彼は繋ぎなおした。いわゆる恋人つなぎ、という指同士を絡める繋ぎ方で、私は掌に汗をかいていないか、そこが気になっていた。彼の指の節がごつごつと当たるのを感じ、男らしい手なんだなあと思うと、なぜかどきどきした。

「僕も、見たいんだけどな」
「え?」
 その繋いだ手をぐっと引っ張られて、私たちの歩みは止まった。駅から目的を同じにする歩行者がゆるりと私たち二人を避け、抜かして歩いてゆく。
 赤城くんはじっと私の姿を足元から頭の先まで目を走らせると、また手をひいて歩き出す。私はただそれに付いていくだけだ。
「あの……赤城くん?」
「僕だって君をちゃんとじっくり見たいんだけど、やっぱり照れ屋だからさ。まともに見られないんだよ。分かるか?」
「……そう?照れ屋さんだっけ……?」
 隣を歩く彼を見上げて、少し首を捻る。彼のことを照れ屋だと感じたことが今までなかったので私は首を傾げたまま団扇で彼の肩をぽんぽん、とした。
「照れ屋さんだって思ったことはないけど。ほら。手、繋いでくれたりするし」
 ただ、彼の耳たぶは赤くなっていた。
 浴衣の襟元から覗く首、そして耳元の赤さのコントラストがやけに胸を締め付ける。私はちょっとだけ笑う。

「そうだよ。僕はシャイだと思うぜ?もしそうじゃなかったら、きっと高校時代にちゃんと携帯の番号を聞いて。告白をして。そして花火も見に来れてたんだと思うけど」
 憮然とした顔。早口で彼はそう言うと、最後に私の顔をちらりと見て、口元を緩ませた。

 反則だ。
 暗に「好きだ」と言われたような何だかとても満ち足りた気分になり、今度は私の頬が熱を持つ番だった。

 高校時代。私と赤城くんは偶然会うことがたまたま多くて、私は勝手に運命を感じていた。それでもなぜか連絡先を聞くことができなくて。そして彼からも聞かれることがなく、単に縁が無かったんだろうな、なんて思っていたあの頃の私。
 その私が今の二人を見たらどう思うんだろう。
 良かったねって笑うのだろうか。

 色濃く広がるオレンジ色の空。段々と近づいてくる賑やかな喧騒の波。遠目にも屋台の光が目に入った。
「あ!屋台出てる出てる!りんご飴食べたいな」
「僕は焼きそば。腹が減ったよ」
「うん、じゃあまずは腹ごしらえね!ああ、かき氷も食べたい!」
「慌てるなよ。一個づつ見て周ろう」
 僕たちには時間があるし、と赤城くんは小さく呟いた。高校のときは何故だか有限だと思っていたけれど、これからはいつも一緒にいられる。私は隣の彼を見上げて頷いた。

「来年も来ようね」
「気が早いな君は。まだ花火もあがってないんだぜ?」

 屋台に向けていた視線を赤城くんは私に戻す。屋台の強い照明が彼の髪の毛をきらきらと透かした。優しそうに目尻を下げて笑うその顔に私はもう一言、言う。

「だって、来年も、再来年も、その次も、来たいなって今、思ったから」

 ふうん、と彼は息を吐いた。あれだろうか。来年のことを言うと鬼が笑うよ、とか言われるのかもしれない、と身構えていた私だったけれど、いつまで経っても返事はなく、彼は黙っていた。

「何で何にも言わないの?」
 ちょっとむくれたように聞こえる声。私の口からでたその素直な言葉にも赤城くんは答えず、手を繋いでる手とは逆のその掌を口元に当てた。
「いや、だって……そんな可愛いこと言われたら何て返していいか」

 私は思わず声を出して笑ってしまった。
 やっぱり赤城くんは、シャイなのかもしれない。
















「ところで。君のその浴衣は自分で着たの?」
「ううん。お母さんに着せてもらったよ。さすがに羽織るぐらいはできても帯が難しくて」
「だよな。うん。……僕は練習したけど」
「え?何か言った?」
「いや。別に」



















 RTされたら指定CP書きます。(ツイッターの診断)
 唐川さんRTありがとうございました!!  指定CPは赤城×主人公でした。
 赤城とデイジーは付き合う前も付き合った後もおいしいケンカップルです!
 あまりケンカップル成分がなくなってしまったのですが、お気に召されたら嬉しいです…!



RT企画ページへ