解はあるのか 俺の名は新名旬平。はばたき学園高等部に通う普通よりちょっとかっこいい高校二年生だ。 俺の所属する柔道部はこの夏、引退試合も終えて、この度俺が新部長に任命された。なんとなく、雰囲気でそうなるのかもしれない、なんて思ってはいたけれど、あの現・部長嵐さんに認めてもらえるのだろうか、と思案していたので、あっさりと嵐さんに「頼む」と言われたとき、俄かには信じられなかった。 そうして熱い暑い夏も明けた新学期。 我が柔道部では引継ぎの為、三年生の嵐さんと敏腕マネージャーだった美奈子さんは忙しそうにしていた。今までは部内の何もかもを嵐さんと美奈子さんで取り仕切っていたのだから、それを後に任すという作業は割に大変なのだ。それは次の部長になる俺が一番よーく分かっている。 単純に覚えることもたくさんある。練習試合を組んでくれる他校のデータなどがいい例だ。今まで嵐さんはこんなに大変なことを本当に一人でやっていたのか、と舌を巻いたものだ。何しろ言っちゃ悪いかもしれないが、嵐さんは一見、柔道一筋の「柔道バカ」にしか見えなかったから…。 一日の練習も終わり、軽く部室内を掃除すると、大抵の生徒は帰宅の途につく。俺はそんな同級生、後輩たちを見送ると、道場の片隅で嵐さんとこれからの柔道部についてあーだこーだ話していた。今までは嵐さんの脳内にインプットされていただけような日々の練習メニューについても要、相談だ。部長に就任しても俺がこの先やっていけるかどうか、と何だか不安にもなる。 「ニーナ、どう?」 ふと後ろからかけられた、美奈子さんの優しい声。俺は肩越しに振り向くと、眉毛を下げた顔を作った。 「うー、美奈子さん、二人とも引退なんてしないでよ〜」 思わず泣きつくと、嵐さんがぽつりと言う。 「新名はできる奴だ。頼むぞ」 真面目な顔でそう言われると、もう情けない顔なんてできやしない。嵐さんは、ずるい。 「分かりましたよ……。あー、部長って結構頭、使うんすね……」 「お前、今まで俺のことバカだと思ってたんか?」 「い、いや、そういう訳じゃないじゃないっすか!!」 何だか雲行きが怪しい会話。 俺が慌てるその様子に美奈子さんはくすくすと笑いながら、声を発した。 「そうだ!二人にお土産があったんだった!ちょっと待ってて!」 そう言い残すと、美奈子さんは走って自分の荷物の側にいき、また小走りで戻ってきた。手には四角い箱のようなもの。俺はああ、と思い至る。 「そっか。美奈子さん、温泉に行ってたんだ。楽しかった?」 「うん!すっごい良かったよ〜。それで、これは二人と食べようと思って買ってきたんだ。お饅頭!」 箱を見せながら、俺と目を合わせると、美奈子さんは言う。 「あ、これあんまり甘くなくておいしいんだからね。おせんべいも買ってきたよ!」 何でも食べる嵐さんはともかく、俺にも気をつかってきてくれるなんて、本当に優しくていい子の美奈子さん。でもさりげなく嵐さんの隣に腰を下ろすその姿を俺は見て見ぬふりをした。 「あ、本当だ。あんまり甘くないねコレ」 「でしょ?嵐くんはどう?」 「うめぇ」 「やったー。試食させてもらっておいしかったから!良かった。疲れたときには甘いもの、だよね」 俺たちは美奈子さんの持ってきてくれた饅頭をつつきながらしばらく談笑していた。お茶もあるし、何ともまったりした時間だった。 「そっちのは」 「え?」 「その黒いのはうまいか?」 「うん、食べる?」 「食う」 ふと会話していた二人に目をやって、俺はすぐに目を逸らした。 美奈子さんが包装を剥いた饅頭をそのまま嵐さんは口を開けて食べていた。いわゆる「あーん」をしていたからだった。不意を突かれたような美奈子さんはそのまま固まっていたし、俺は何となくいたたまれなくなる。まさに二度目の見て見ぬふりだ……。 「あ、らしくん……?」 「うん、こっちは白餡か。うまいな」 「うん、おいしいよ」 少し動揺したようだった美奈子さんはすぐに気をとりなおしたようで、ごく普通の態度に戻る。俺は気まずい思いそのままだった。もらったせんべいを握って、お先に帰ることにする。別に傷ついてはいない。いないが、本当に、何度も言うが、あの空間に身を置いていることが苦痛だっただけだ。いっそ早く告って付き合ってくれたらいいのにとさえ思っているぐらいだ。夕暮れの帰り道、早くそうしてくれ、と願いながら俺は歩く。 * 「新名、どうしたんかな」 「うーん、どうしたんだろうね……」 嵐くんはいつもの感じで不思議そうに道場の扉を見つめていた。急に「用事があるんだった!」と慌てて帰った彼を案じた末の言葉。 私にはニーナの考えていたことがなんとなくだけど、分かった。多分。多分だけど、気を使ってくれたんだろうと思う。その気持ちに対しては御礼を言うべきなのかどうなのか。私は戸惑ってさえいた。 さっき、私の手から当然のようにそのままお饅頭を食べていたけれど、嵐くんは何とも思っていないのだろう。確実に。 指の先にほのかに残った柔らかい感触を思い出して、心臓が痛くなった。どきどきしてしまう。 やっぱりニーナがいなくなってちょっと困る。二人でいるなんて、さっきのことを思い出して顔を赤くしている場合ではない。私はお饅頭の箱に蓋をして、帰り支度をすることにした。 「これ、嵐くん持って帰ってね」 「いいんか?ありがとな」 未だ食べ終わろうとしない嵐くんだったけれど、私の様子を見たせいか、お茶をぐっとあおり、言った。「俺らも帰るか」 私は頷いて、カバンを持ち上げた。 外に出ると、もう既に薄暗くなっていた。夏が過ぎ、残暑も厳しいとはいえ夕方こうして陽が傾いてくると、半袖から出た腕をかすめる風もだいぶ冷たく感じるようになった。 「秋になるねぇ」 ふと漏らした私の言葉に嵐くんは隣で大きく頷く。 「ああ、もう、あとちょっとなんだな」 さらっと、感慨もなく述べられた言葉だけど、嵐くんも色々と思うことがあるんだろう。 何を意味するかなんて分かりきっている。高校三年間、色々あったけれど、こうして柔道部を立ち上げて、部室もできて、大会にも出て、そして引退した。まさに柔道一色な三年間だったんだろうな、と私は嵐くんを見上げた。 「楽しかったよね。はば学」 「ああ」 私に視線だけよこすと、嵐くんは口角を少しあげて、微笑んだ。 「お前がいたからな」 「えっ?」 「柔道部。お前のおかげ」 改めてそう言われるのも何ともこそばゆい。既に前を向いて歩き続けている嵐くんに対して、私は少し歩幅を緩める。何故かと言うと、確実に頬が赤らんでいるのが自分でもよく分かるからだ。 「どうした?」 気付いた彼は歩みを止めて顔だけ少し振り向く。 私はそれを上目遣いにして、慌てて足を動かした。 「何でもないよ!……私はね、この三年間、嵐くんが頑張ってたから、一緒につられちゃっただけだよ!」 「そうか?」 「うん」 隣に追いついて、顔を見合わせると一緒にちょっとだけ、笑いあう。彼の言わんとするところは、戦友、とか同志、とかそういうものに近いものなんだろうけれど。というか、未だに彼の気持ちは私にはとんと分からない。これでも丸二年とちょっと毎日顔を合わせて活動しているというのに。 ふと何かに気付いたように嵐くんは「あ」と口を開く。 「そういえば」 「え?」 「温泉ってどこ行ったんだ?」 「熱海だよ。近場でね」 毎年、夏休みにはささやかだけれど家族旅行をする。それがたまたま今年は温泉だった。高校生最後の年だから、もしかしたらこれが最後の旅行になるかもね、なんて母が父に言っていたっけ。正直、家族で旅行、という年でもないというのは分かるけれど、そんなつもりは私にはない。 そんなことを考えていると、嵐くんがじっと私を見つめていることに気付いた。何?という意味を込めて首を傾げると、ぽつりと彼は言う。 「いいな、温泉。俺も行きたい」 「いいよねー。私も温泉好きだよ!」 「今度の春休みとかにお前と行けたらいいかもな」 「…………」 なんということを。 なんということをこの人は言うのだろうか。 不意打ちとも言える問題発言。けれどもきっと。全く。絶対。嵐くんに他意なんて一つもないんだろう。純粋にそう思ったから言ったんだろうな、とは思う。 けれども、私にとっては破壊力がある一言に感じてしまう。 二人きりで行こうと言われた訳ではない。そうだ。本当に他意なんて一つもないのだ。悔しいことに。私は咄嗟に俯き、スニーカーの先を見つめながらも平静を装った。 「どうかしたか?」 再び足を止めた私を、きょとん、とした顔で見つめる嵐くん。 普通の男子高校生だったら。いや、女子でも、思春期の少年少女だったらば、こういうセリフは異性に言わないんだろうけれど。普通枠では語れない所が彼なのだったと無理矢理思い、私は首を振る。 「な、なんでもないよ。帰ろう!」 「ああ」 また彼の横に私が追いつくと、嵐くんはそうそう、と切り出す。 「卒業旅行に、考えとかね?」 「ええっ!?」 彼に他意は無いとは分かっている。理解している。 それなのに私の心臓はうるさいほど動くし、発言した本人は何故だかいつもの悪い笑顔を作っていた。やっぱり、彼の気持ちは私にはとんと分からない。 |