Sunny Days 初めに会ったときの印象は正直あまり感じなかった。人の名前と顔を覚えるのが苦手ではないので次に会ったときに一致はしたが、ただの下の学年の女の子と思っていた。ただそれだけだ。というよりも、二度目の再会の方が印象的すぎて覚えていないというのが本当かもしれない。 その日、僕は昼休みを木陰で過ごしていた。弁当を食べ終え、一応目を通しておこうと思った生徒会の書類を持ってはきていたけれど、何となく読む気にならずにぼーっとしていたところだった。空は青く晴れていて、五月らしく風は涼しく日の光は暖かい。そろそろ半袖になる頃だなぁ、とぼんやりと思っていたところだった。 「あっ」 突然、頭上で声がしたかと思うと、まるでスローモーションのように。 「ぎゃああああああああああ」 「っ!?」 僕の膝の上に何かが落ちてきたのだった。大きな音と声に中庭にいた人間の注目を一気にあびることになって僕は思わず俯いた。 「痛……」 腿に突然の衝撃を感じて痛みも覚えたが、それ以前に心臓が飛び跳ねるような心地もした。普通、頭上から人間が落ちてくることを想像できるだろうか?そう考えたとき、丁度僕の膝の間にお尻を落としてきた女の子に見覚えがあることに気付いた。仰向けで僕の腿の上で目を閉じていて、その眉は苦痛に耐えるように顰められていた。 「あ、あの……?」 どこか打ったのだろうか。僕の足も相当痛みを感じてはいたが、上から落ちてきた彼女もそれは痛いだろう。ぴくりとその眉が動いた。 「び、っくりした……」 ゆっくり彼女は目を開けると、そう呟いた。 そう言いたいのはこっちのほうだと言いたいのを堪えて、僕は代わりに言った。 「あの、降りてくれる?さん」 「えっ?カイチョーさん?」 そうカタカナに聞こえる発音で言い、彼女は僕の顔を捉えると、「ごめんなさい」と言う口とは逆に全く悪びれる様子もなく、軽やかに僕の膝から降りた。 「何で、木の上なんかに……?」 僕は目の前にしゃがみこんだ彼女に思わず尋ねていた。だが、そうも聞きたくなるものだろう。まさか高校生にもなってそんな。 「この木、登りやすそうだったから、ちょっと登ってみたの。いい眺めだったよ」 そうだろう。そうなんだろうな。 あまりにも無垢とも言える邪気のない笑顔を向けられて、僕は心のどこかでゲンナリしていた。何なんだこの子。 まず、普通は人の上に落ちたら(そういう状況は殆ど「普通に」は無いとしても)落下場所にいた人物を気遣うものじゃないのだろうか。だが彼女は平然と「いい眺めだった」とたったそれだけを言い放ったのだ。 「えっと、危ないから止めた方がいいんじゃないのかな」 「うん、まさか足を滑らすとは思わなかった。今度から気をつけます」 全くホントに悪びれるそぶりもない。 まあ、ついちょっと前までは中学生だったのだから、こういうものなのかもしれない、と無理矢理に僕は自分を納得させると、頷いた。 彼女も頷くと、勢いよく立ち上がった。 「じゃあ、ごめんね!カイチョーさん!」 「はあ……」 手を振りながら彼女は颯爽と走り去っていった。短めのスカートが風になびくのも気にしない様子で、(断じて中身は見えなかった)それは一瞬。 最後に向けられた満面の笑みがやけに目に焼きついたのをすごく、覚えていた。 僕は基本的に常識が無い人が好きではない。例えば、先日の彼女のような人間。先輩に対して敬語を使わない、というのもあって、僕の中では苦手というカテゴリに分類されていた。彼女が金髪の桜井弟とリーゼントの桜井兄と仲良さそうに話しているのを見かけたとき、何となく、やっぱり、と感じたものだった。僕の苦手な人物同士だと思ったからだ。 僕はまた中庭にいた。雨が続く梅雨の中休みのような晴れた日だったから、外で弁当を食べていたのだ。ベンチに座り、クラスメイトと何でもないようなことを話していた。 ふと足元に何かの紙切れが飛んできた。思わず立ち上がって飛ばないように押さえ、それから拾い上げると、向こうの方から何やら叫びながら向かってくる人がいることに気付いた。 「拾ってーーーー!!!」 彼女だった。 木の上から落ちてきた、さん。 さんはすごい勢いで僕の前に走りこんできた。突風が吹くように顔に風圧を感じた。身長は僕の胸元までしかない小柄のような彼女だけれど、陸上部にでも入ればいいだろうな、とちょっと思った。 「はい、これ」 「あっカイチョーさんだ、ありがとう!」 今度は言葉通りの表情だった。笑顔はとても女の子らしくて可愛らしい。でも先日の一件により、僕の中ではこう評されていた。「男子のような女の子」 さんは僕が差し出した紙切れ。どうもチケットのようなそれを受け取りかけて、また「あ!」と大きな声を出したのだ。その声に俄かに僕は驚いて、手がびくんと動いた。 「えっと、な、何?」 「カイチョーさん、今度の日曜暇!?あさって!」 「えっ?」 突然掛けられた言葉の意味を考える間も無く、彼女は話を続けていた。 「友達に遊園地の招待券もらったんだけど、行く人がいなくて……。カイチョーさん一緒に行かない?」 僕は正直困ってしまった。どうして、という思いがその大半を占める。明るい様子の彼女なら、行く人がいないなんてことなさそうだし、例の桜井兄弟もいるのに、何故僕を誘うのだろう。僕は口を開いた。 「その、友達は?」 「この券、今度の日曜までが期限なんだけど、チケットくれた友達は部活なの。せっかくもらったし、もったいないから使いたいなって。ね、行こ?」 「ええっと……」 僕は思わず逃げ口上を探していた。少し彼女と話しただけなのに、何だか疲労を感じたからだ。こんな感じで一日を過ごすのはちょっと辛そうだし。僕は思い当たった理由を口にする。 「ごめん、今度の日曜は塾があって……」 「えー……そうなんだ……」 突然、勢いの良かった彼女の表情がまるで花がしおれるかのように光を失った。頭をがくりとさげていかにも残念、と言いたそうな全身を見ると、少しだけ申し訳ないという気持ちが芽を出した。塾には本当に行くが、夏期講習の申し込みをするだけだから10分ぐらいで済む用事なのだ。 ふと隣から小さく笑い声が聞こえた。何かと思って見ると、友人である設楽が堪え切れないと言った様子で笑っていた。 「紺野……お前本当に塾なのか?」 「えっ?」 真相を突かれて僕は思わず胸を抑えた。いや、嘘ではない。嘘は言ってないのだが、僅かに後ろめたい気持ちを持っているのは確かだ。 「塾なのは本当だよ。……午前中には済むけれど」 言ってしまった。 僕がそう小さく呟いたのをさんは聞き逃してはいなかったようで、勢い僕の顔を覗き込んできた。少し後ろめたい僕はというと、ちょっと目を逸らしてしまう。 「じゃあ、午後にバス停で待ち合わせ!でどう、ですか?」 語尾が敬語になっているところに彼女の譲歩を感じる。僕は目を閉じながら、分かった、と頷く。 「やった!じゃあ日曜にバス停で13時ね!約束!」 そのまま彼女はチケットを受け取らずに走り去って行ってしまった。慌しい子だなあ、と僕は嘆息し、ベンチに座り直した。日曜。約束。気が重くなった僕は隣で笑う数人のクラスメートの中の端っこで肩を震わせる程笑っているヤツに目を向けた。 「設楽〜〜〜〜なんであんなこと言うんだよ」 「紺野、お前、嘘、へた」 声を出さずに笑いながらそう言う設楽に、今度はその場にいた級友が皆声を出して笑った。 「紺野〜あんな可愛い子の誘い断るなんておかしいぜ?」 「何で断るの?っていうかあの子一年生?いつの間に知り合ったんだよ」 「嘘ついてまで断るとか、紺野何様だよ」 口々に好き放題言う彼らに僕は思わず口を閉ざす。無言で弁当を片付けていると設楽が言った。 「アイツ、こないだ音楽室覗いてた。ヘンな女だよな」 ヘンな女。そうだ。だから、苦手なんだよ。 「ああいう子、苦手だからだよ。いいなら、お前が行けよ」 何様だ、と言った近藤に僕は振った。彼は悪くないなーと言いながら少し顔を綻ばせている。何とも気味が悪い。 「俺が誘われたなら俺が行くって!!でもお前しか目に入ってなかっただろうが。誰でもいいみたいな言い方だったのにさ」 近藤が口を尖らせて言った。 「それはただ単に顔見知りが僕しかいなかっただけだろう。……もういいや。約束しちゃったものはしちゃったしさ」 「デートだな!」 からかうような言い方に僕は教室に戻る為に腰を上げながらも、胸が高鳴るのを感じた。 「デートって……」 言われてみれば、異性と二人きりで出かけることをデートというのか、と思い至った。 何を隠そう、そんなことは初めてで、僕は前日、ちょっとだけ慌てた。何を着ていけばいいのか、どういう風に接したら良いのか。それ以前に彼女の方はどういう心積もりなのだろう、ということを考えて、ようやく、これはデートという訳では無い、と思えるようになった。 彼女にしたら、「遊園地」に行きたかっただけで、「僕と出かけたかった」訳ではないのだから。そう考えることでようやく僕は落ち着いた。何も焦ることはなく、普段どおりの僕で良いのだと。 待ち合わせ場所には、12時50分には着いていた。張り切った訳ではなく、いつも待ち合わせの時間より早めに着いておきたい性格だからである。さんはまだ来ていなかった。バス停のベンチには腰掛けず、ぼんやりと時刻表を見ながら立っていた。 「カイチョーさんお待たせしました!」 とん、と軽く肩を叩かれて、振り向くと、予想にしていなかったことで鼓動が一瞬強く耳の中で鳴った。さんだったのは確かだが、意外と言うべきか。 「カイチョーさん?」 「あ、ああ、ごめん、すぐバス来るみたいだから、行こうか」 「うん!」 そう言って彼女はバス停の列にスキップするように並んだ。ひらりと柔らかそうな素材のスカートが揺れる。 彼女は意外にもとても女の子らしい私服で現れたのだ。リボンが胸元で揺れる半袖のTシャツに、花柄のスカート。その下には動きやすいようにだろうか、スパッツを合わせている。いつもの様子の彼女からは想像できないような雰囲気だ。ただ、動きはいつものままのそれだったが。不覚にも可愛いと思ったことは素直に認めるが、僕はそういう気持ちを素直に言えるような性格ではない。黙ってバスに乗り込んだ。 「遊園地なんて、久しぶりだなぁ」 バスに揺られながら、独り言のように呟いた僕に、隣に座っていたさんは反応したか、顔を覗き込んできた。 「あんまり遊びにいかないの?」 無邪気とも言えるその質問に僕は少し笑ってしまう。さんは首を振り振り言った。 「え?私、なんか変なこと言った?」 「いや、別に笑ったのはそうじゃなくて。……遊園地ってそんなに遊びに行かなくなったなって。小学生のときは家族でよく来てたけどさ」 彼女は頬や顎に手を当てて、ふうん、と呟く。 「じゃあ久しぶりの遊園地、楽しもうね?」 「……そうだな。そうしようかな」 僕の答えに満足したのか、彼女はいつもの満面の笑みを浮かべた。普段は見ない私服との効果も相俟って、僕の胸はほんの少し高鳴り、これから一日楽しく過ごせたらいいな、という希望も見えた。 「カイチョー!私、ジェットコースターから行きたいな!」 「そうだな。僕も賛成だ」 「よし!レッツゴー!」 いつも見かける通り、跳ねるように、歩いているのかスキップしているのか分からない歩き方で、彼女は真っ先にジェットコースターへ乗り込む人の列についた。彼女は「良かったーカイチョーさんもジェットコースター好きだったんだね!」と嬉しそうに手を胸元で握っている。 「君は想像通り、好きみたいだね。こういうの」 列の先から漏れ聞こえる「きゃー」とか「わー」とか言う歓声の方へ指を向けると、隣に立つ彼女はうんうん、と強く頷いた。 「大好き!」 やっぱり、先程から少しおかしいと思う。 彼女の笑顔が眩しいと思うのだ。 僕は大体において、彼女のように確固たる自分を持っているような人間と話すことに精神的疲労を感じる。というのも、つい話を合わせようとしてしまうからだ。その結果、向こうの気持ちの変化ばかり気になってしまい疲労を感じるという訳だ。 しかし、今日は違う。何だか彼女のペースに合わせているだけで楽しいとさえ感じる。 この遊園地という開放的シチュエーションのせいなのだろうか。彼女の話を聞いたり、質問に答えるだけで不思議と会話は弾み、顔も綻ぶ。もしかして、彼女のほうも僕に合わせてくれているのだろうか。そう思うと少し胸が痛くなった。 「ねえねえカイチョーさんはお化け屋敷好き?」 ジェットコースターに二度乗り、バイキングにも乗り、フリーフォールにも乗り、叫び疲れた僕らは一休みと称して、ベンチに座り、ソフトクリームを食べていた。さんがふいに尋ねてきたのだ。何気なく当たりを見回すと、夏休みの期間限定予告でお化け屋敷をするというポスターが目に入った。僕は答える。 「別に好きっていう訳じゃないけど、嫌いじゃないよ」 彼女はソフトクリームをひとなめすると、目を輝かせた。 「じゃあ、また夏休み来よう!ここのお化け屋敷怖いのかなぁ」 その約束なのかどうか分からない返しに僕は少し戸惑った。何故、彼女はこんな僕を誘うのだろうか。基本的にハッキリ会話したのは今までに二回だけだ。初めて会ったときと、二回目のときだけ。僕は少し首を傾げた。 「夏休みは塾があるからなぁ……」 「もう。またそんなこと言うんだ。一日中やってるんなら仕方ないけどさ……」 そんながっかりしたような声を出すなんて。 反対側を向いてソフトクリームを食べだした彼女は少し可愛かった。何だか複雑な気持ちになる。妹がいたら、こんな感じなのだろうか。 「いや、あの……まあ、塾の無い日に、ね」 「ほんと?」 振り向いたさんは、見上げるようにして僕の顔をじっと見据えてくる。疑っているというより、僕の気持ちを窺っているようなそんな感じだった。 「うん。いいよ」 「やった。忘れないでね。手帳にメモしといてね」 「はは」 ああ、まさに、妹がいたら、こんな風なのかもしれない。僕は手元のソフトクリームの滴りそうなところを慌ててなめとった。酷使された喉の奥にひやりと通る甘い液体は特別おいしく感じた。 遊園地のシメといえば、これ、と言われ、観覧車に僕たちは乗り込んだ。向かい合わせて乗ると少し気恥ずかしかったが、外を眺めていればよいのでそこは次第に気にならなくなった。 「ねえ、カイチョーさん!はば学ってあの辺かなぁ?」 「ああ、そうかも。こうして見ると、小さいなぁ……」 「あっちは一流大学かな。広ーい」 ふと、ちょっと気になっていたことを聞いてみようと思った。僕は景色に見入っているさんの横顔に声を掛ける。 「さん」 「何?」 窓に手を貼り付けたまま、彼女がこちらを向いた。空はうっすらと茜色に染まってゆく過程で、ほんのりと彼女の頬も髪も赤く見えた。 「どうして僕のこと、カイチョーって呼ぶの?」 「えっ?」 彼女は珍しくすぐに答えなかった。さっきまではぽん、と聞いていないことも話していたというのに。そんなに答えづらい質問だったかな、と僕は彼女の目を見つめた。 「えっと、別に、カイチョーは会長だから、生徒会長だから」 もそもそと口の中で喋るように彼女は答えた。そう、と僕は言った。いつももやもやとするのもこの呼び名にあるんだな、と僕は感じた。 「あの、嫌?ですか?」 突然の敬語にまた彼女の気遣いを感じた。気を使わない子という訳じゃないんだな、と思う。 「嫌っていうか、それ、肩書きだからかな…名前を呼ばれてる気がしないっていうか」 ふと外を見やると丁度てっぺんへ着いたところだった。思っていたよりも風が強いようで揺れる。彼女も同じように外を見ていた。 はしゃぐのかな、と思ったけれど、全然そんな様子は無い。何かを考え込んでいるようだった。呼び方について、しっくりこないというのが伝わったのだろうか。僕は声をかけようとしたときだった。 「たまちゃんって呼んだらいい?」 「え……」 僕は思わずベンチからずり落ちそうになった。 何で、この子は。 普通は便利な呼び方があるのに気付かないものだろうか。僕は彼女の一つ上なのだから、「先輩」と付ければ解決するんじゃないだろうか。 「ちょ、ちょっとそれは……」 「だめ?だったら、うーんと、玉緒くん?」 「ええ、うーん、一応、僕は君の先輩なんだと思うけど……」 「じゃあ玉緒先輩?」 やっと落ち着いた呼び方に僕は大きく頷いた。「それにしようか」彼女も頷く。 「玉緒先輩、かぁ」 彼女は幾度か頷くと、嬉しそうに笑った。 「カイチョーって呼ぶよりも、仲良さそうだね!」 訂正しよう。やはり、彼女と話すのは少し、疲労を感じる。 |