バウルが見えて飛んできたのは本当。でも、誰かと思った、というのは嘘。 触れた頬に想う 「今度の非番はいつ?」 「え、僕の?」 それは十日程前のことだった。遠征先でたまたま出会った知り合い――クリティア族の戦士であり、幼馴染たちが作ったギルドの一員であるジュディスとの会話。 そんなことが何か関係あるのだろうかと思いながら伝えたことは記憶にある。そのとき彼女は「忙しそうだからいつ休んでるのかと思って」といつもの通りニッコリと微笑み、その後まさについで、というような感じでこう付け加えたのだ。 「そう、そういえばその頃きっともお休みのハズよ」 だから、誰が来たのか何となく分かっていた。 お昼ごはんを一緒に食べながら彼女はいつにも増してよく喋り、笑っていた。 「楽しそうだね、は」 「久しぶりのお休みだし」 「そうなのかい。僕と一緒だ」 「じゃあ、すごくいいタイミングだったね」 そう言ってまたふふふ、と堪えきれないといった笑い声を零す。 その仕草があまりにも可愛らしくてすぐにも抱きしめてしまいたかったのを抑えるのは重労働だ。テーブルを挟んで対峙していたのが本当に助かった。もし隣に座っていたり、何も遮るものがなければ危なかっただろう、と思う。 チキンをハーブで漬けて焼いたものが机の上に並ぶ。 とてもおいしいと評判のお店だったけれども、正直なところ僕は舞い上がっていて味をほとんど覚えていなかった。 食事が済むと下町へ行ってみようと言う彼女に付いていく。馴染みのある風景は少し変わっているところもあれば、幼いときから全く変わっていないところも。水道魔道器の音が近くなり”帰ってきた”という感覚が自分の内に蘇る。 いつもの宿の扉を押す。彼女には目的があるようだったが、それは中に入った瞬間に知ることとなる。 「ユーリ!お疲れ様」 「おお、何だよ、帝都に来たのかよ」 「うん、ねえ、ちょうどフレンも休みなんだって」 「へぇ」 食堂の奥に陣取って目に慣れた黒尽くめの男がいた。……ユーリに会うのが目的だったのか、と予想以上に僕の気分は沈む。彼と視線を合わせると、驚いてなんていない顔で「よお」と短く声を掛けられる。一応表情では普通を装う。 「久しぶり」 「確かに。久しぶりだな」 同じテーブルに着くとはそういえば、と仕事関係と思われる質問をユーリに飛ばす。二、三言そういった話が続き僕はつい込み上げる欠伸を噛み殺す。 (わざわざ今する話なのだろうか) ぼんやりと窓の外を眺めながら、これまたゆるく考える。 ――デートのようだと思ったのは僕だけだったみたいだ。彼女にとっては偶然出会った知り合いと食事を共にした、それだけなのだ。きっと。 そう思い始めると尚更に悲しくなって目をつぶる。 彼らの笑い声が遠く聞こえる。それがふわりと耳にまとわり付くと子守唄のようだ。 ふと僕の意識が戻ったときにはそれはひそひそ、という話し声になっていた。 「……しゃあねぇなぁ」 目蓋を開けるのがもどかしく、そのままでいると、身体が宙に浮くので声を出しそうになるが寸でのところで耐える。 硬い衣擦れを頭に感じ、朧気になった意識で自分が運ばれていると気付いた。今目を覚ますのも気まずいので必死に寝た振りをする。ユーリ、済まないと心の中だけで謝るに留めた。 ふかふかでない布団に寝かされ、またぼそぼそと話す声。それを意識の遠くへ感じ、夢と現の境で揺られているような心地よい感覚だった。思ってはいなかったけれども、身体は疲れていたのかもしれない。何としても非番のこの日に休む為に、実務はともかく事務仕事もきちんと終わらせようと頑張った十日間が蘇る。 無理をしてまで会いたかったのに、と目蓋の裏側に彼女の笑顔を貼り付ける。 その笑顔を向けられているのはさっき見た自分の幼馴染だ。 不貞寝だこれはもう。 そう考えていると突然、眉間の辺りに冷たいものを押し付けられる感触がした。 勢い、目を開くと、そこには僕よりも驚いたような顔をしたがいた。距離は近く、拳骨ひとつ分しか開いていないのでこれにもまたびっくりする。 「ごめん、つい」 「…………ここは、ユーリの?」 目を開けて見てみると、確かに見覚えのある部屋だった。ただずっと主がいなかった空気はする。きちんと整頓されていて元通りの宿の部屋の様相になっていた。 「うん、ユーリが運んでくれたの。フレン疲れてそうだったし」 「ああ……申し訳ない。……ユーリは?」 たったさっきまではいたはずだ。身体を起こして見回してみるけれども、ユーリの姿はどこにも見えなかった。が床から身を起こして椅子に座りなおしている。目線の高さがまた同じになり、距離はさっきよりは離れた。 「ユーリは出掛けたよ。帰らないと思うって。……それより、フレン大丈夫?疲れ溜まってるんじゃない?」 言いながらが顔を近づける。僕を見て心配そうにきゅっと眉根を寄せた。 ああ、どうしよう。すごく嬉しい。 想っている人に関心を向けられるということがこんなにも嬉しいとは。……狸寝入りもしてみるものだ。近づいた彼女の顔をお返しにまじまじと見つめてみる。 一瞬驚いたように瞳を大きくさせ、はまばたきを二度した。 その目元に思わず触れる。 「……ここんとこ野営ばかりで落ち着いて寝てなかったからかな……。こそ、忙しいんじゃないのか?クマ、できてる」 全く意識せずに彼女の頬へ手を伸ばしたのは、まさに衝動だった。 勝手に手が動いたと言ってもいい。 対する彼女はというと、やっぱり突然触れたことに驚いているようだった。口が少し開いたまま何と言うか考えているよう。その頬は柔らかくて、温かかった。 「今日は、休み、だもん」 がぽつりと言った。 「そうか。じゃあしっかり休まないと」 「うん、えっと、休みだし、甘いものでも食べようかなって思って帝都に出掛けたんだけどね。あの……あの、」 自然、見つめあうことになる。 目の前の彼女は動揺するように視線を彷徨わせては僕に合わせる、を繰り返す。その仕草が余計に僕を煽るものだということはきっと気付いていない。 引き寄せようかと思った瞬間、彼女がすっくと立ち上がり、僕の手は持ち場を離れてベッドの上に戻ってきた。ぱっと見上げると、彼女は真っ赤な顔をして両手を胸の前で合わせている。 「急にどうしたの?」 「ど、ど、どうしたの?ってなんか、顔、近いから……っ」 そんなに可愛らしい反応をしないで欲しい、と思うともう歯止めがきかなかった。 そうして恥ずかしがってくれるのは、期待をしていいのだろうか。言葉が出ないほど、僕が動揺させているという事実に気を良くしてしまう。 僕は立ち上がった彼女の腕を引き寄せ、ベッドの上で受け止める。思った以上に力を込めなくても彼女は僕の元へきた。ふわりと髪の香りが舞い、それが柔らかくて急に鼓動が早くなった。 「何っ何してるの!」 「だってが逃げるから」 「にっにっ逃げてる訳じゃっ」 そう言いつつはベッドから降りようとするので僕は抑え込むように半身を回転させて彼女を下に倒す。ちょっと強引だったかもしれない、と一瞬胸の内では過ぎるけれども、そんなことを気にしていられないほど、この場から彼女を去らせたくなかった。後から考えたら、よくそんなことが出来たものだと呆れたくもなるけれども。 シーツに髪を散らせ、さっきよりも瞬きを多くしては固まってしまったように動かなくなった。 どきどきと心臓の音が聞こえてしまいそうだ。耳の奥がきーんとするほど急いで脈が動いている。それでも落ち着きそうにはない。 この際だから、この距離だから。 誤魔化しも何もきかない。僕は口を開く。 「……せっかく休みなんだから、会いにきてくれたのかと、思ったんだけど。違ったのかい?」 そう言うと、は慌てて反論するように唇を尖らせた。 「だって、フレン忙しいから、会おうと思っても会えるもんじゃないし、そんなつもりじゃ」 違う。僕が聞きたいのはこんなことじゃない、と首を振る。今日の僕の心は容量を溢れてしまっている。それが漏れ出るように口からは勝手に言葉が飛び出ていった。 「ごめん、もういいから……はっきり言わない僕が悪いんだ」 ジュディスが休みを尋ねたのも、カロルが今日この日を休めと言ったのも、もちろん彼らの心遣いだ。そんなことはとうに分かっている。未だに意気地を出さない僕はそれに甘えていられるのだろうか。 「僕が君に、会いたかった」 言ってしまえばなんのことはなかった。 本音の本音だから。でもの反応を見るのが怖くすら感じ、彼女の肩に顔を埋めた。理性が飛びそうになるのを必死に抑えるのだけれど、ああ、もう飛んでいるか、と妙に開き直った。 と、背中にゆるく、彼女の腕を覚える。 抱き返されていると気付き、ゆっくりとの様子を窺う。見つめあうと同時に、彼女が口を開いた。 「私も、本当は、フレンに会いたくて仕方がなかったの」 ……嘘みたいだ。 しかし、触れている彼女の頬は温かくて、もっと確かめたくて、僕は初めて彼女の唇を奪ったのだ。 何度か目が覚めたり、浅い眠りを繰り返して、ふと瞳をこじ開けると、もうとっぷりと陽がくれていた。部屋の中は真っ暗になっている。隣に寝ていたはずの彼女はもういなかった。 「……?」 狭い部屋だ。隠れる場所もない。呼んでも返事がないというならそれは彼女がもうここにはいないということ。 さっきまで一緒にいたのは確か、だろう、と思うのは自分の隣のぽかりと空いた空間とそこにほんのりと残る温かさだった。一瞬夢だったんじゃないかと思うけれど、そうではないと物的証拠が訴えている。 身体を起こしてベッドから降りようとしたところに小さく扉の開く音がしたので、勢いよく振り向いた。 「あ……フレン起きたんだ。そろそろ夜ご飯だから、ご飯作ろうと思っ」 明るくそう言う彼女に立ち寄ると思わず抱きしめた。 「あのっえっとえっとフレン、あの、どうしたのえっ」 慌てたように捲くし立てるをもう一度ぎゅうっと抱きなおす。大人しくなった彼女の耳元で僕は言った。 「だって夢かと思ったから。良かった……夢じゃない?」 「う……うん、あの、後ろよく見てね」 「えっ……」 言われて扉の方を振り向けばそこには我が幼馴染を初めとする凛々の明星メンバーが勢ぞろいしていたので、僕はあとでまるで吊るし上げられるようにからかわれることになる。……それを差し引いても今の僕は幸せでいっぱいだから良いのだけれども。 |