熱を抑えて











 目の前にぼんやりと霞がかかっているよう。確実につまっている鼻のせいで細く口を開けて息をするけれども布団に跳ね返る自らの熱いそれが余計に身体の倦怠感を増す気がする。
 眠ってからどれくらい時間が経ったのだろう。窓の外を眺めようとちょっと寝返ることにする。
「……ん」
「あ、目が覚めた?」
 目の端に映りこんだ馴染みのある紫色の羽織。視線だけを動かすとその先にはちょっと微笑んだレイヴンが私の横になる寝台に肘をついていた。
「まだ起きられそうにない?」
 心配そうだというそのままに眉を歪ませ、彼は私を覗き込む。ふわっと額に掌をかざされ、私は反射的に瞳を閉じた。

 冷たくて、心地いい。 
 触れて、離れる。

「まだ、熱いみたいね」
「うん」
 そのまままた瞳を開くと、そこにはちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしているレイヴンがいた。ぼんやりとした頭ではなぜそんな顔をしているのかが分からない。私はゆっくり瞬きをする。
「ウイルスボトルがあればすぐ効くんだけどなぁ、品切れとは」
「ういるす……」
 ぼうっとしながらも言葉を反芻して考える。お店で売っている解毒剤の類だ。私は小さく頷いた。
「嬢ちゃんがね、悔しがってた」
 小さく笑いながら、レイヴンが言う。私もつられて、ちょっと笑う。でも声が出なかった。
 身体の中で繁殖するウイルス類には治癒術の効果がない。所謂普通の風邪であるのだろう、私の今の症状だ。エステルが悪い訳では決してないのに、謝るその姿が目に浮かぶようだ。
 悪いといえば、体調管理ができていない私のせい。

「今日は一日ゆっくり寝て」
「……はい、ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ」
 声が柔らかい。いつもよりもずっと。身体が弱っていると余計に言葉自体が染み込むように広がる。全身がゆるりと包まれるような気がして、気付くと目からするんと涙が一粒、落ちた。
 途端に空気が震えるような気がした。見上げると、そこには明らかに動揺している彼が腕をぶるぶると動かしていた。
「全然責めてるわけじゃないよ?泣かないで!ちょっと、しんどい?おっさんそんなつもりで言ったんじゃなくて、気にしないでって言いたくてね」
 目に膜が張っているようにぼんやりと映る彼はとっても可愛く思えて、つい笑ってしまう。

「……ちがうよ。それは、分かってる。あのね、熱があって、たぶん、鼻もつまってるから、それで涙が浮かんだだけ」
 猶、心配そうになってしまった彼の顔を変えたくて、元気ぶって言ったつもりが、何故かそう聞こえなかった。ワンテンポ、普段よりものんびりと声が出ている。不調は話し方や声にも当たり前に反映される。頬に再び冷たい感触を感じた。

「それならいいんだけど。何か冷やすもの持ってくるわ」
 レイヴンの手の甲がすっと離れた。

 でも途端に心細くなって、思わず布団から手を出す。
 椅子から立ち上がった彼の服の裾を慌てて掴んでしまった。

 すぐにそれに気付いたレイヴンは私を振り返ると、何とも言えない、例えるならばクジグミを口に含んだような、何かを探る様子を見せて首を傾げた。私は慌てて手を放す。
「えっと、どうした?何か欲しいものがあった?」
「あ、うん、……喉が渇いたな」
「りょーかい。じゃあ水も持ってくるから。イイコに待ってなさい」
 最後はおどける様に言うと、私は口元だけで笑ってみせた。



 病は気から、とは言うけれど、逆だってある。
 身体がしんどいときは、酷く、心細くなるものだ。
 目を閉じると瞼の裏側にはどこかで見たような遺跡の風景。思い出したくはない一つの思い出、柱が何本も立っているそれがぐにゃぐにゃと歪みはじめ、そして全てが崩れるように私の目の中で風景はゆっくりと混沌の様相へと変える。
 ひとりでそれを見るのが怖い。

 無理にその瞼をこじ開ける。

 視線を彷徨わせるけれど、まだレイヴンの姿はない。
 幼いときから熱が出たときには、目をつぶると不思議な混沌の景色が浮かんだものだ。
 大人になった今はそれが過去の記憶とない交ぜになるのかもしれない。余計にタチが悪い。

 熱い溜息を吐いたところで、扉が開く音がした。



「お待たせ。起きてたのね」
「うん」
 ふわっと良い匂いが漂ってきた。見ればレイヴンはお盆に湯気の立ち上る小さなお鍋を持ってきている。
「いい匂いする」
 よいしょ、と言いながら身体を起こすと、彼はひひ、と笑い、出汁のどこか懐かしいような香りを醸すお鍋を見せてくれる。
「おいしそーでしょ。おかゆ。青年が宿の食堂借りて作ってくれたんだって」
「えっ。そうなの」
「うん出来立て」
 そう言いながら、レイヴンは私の背中にクッションを持ってきて、私が座りやすいようにしてくれた。至れりつくせりのそれに私は少し、照れてしまう。
「ありがと」
 お盆をベッドサイドの棚に置くと、彼はそのままさっきと同じように寝台の隣に置いてあった椅子に腰掛ける。
「熱いよ?おっさん、あーんしてあげようか?」
 冗談だろうな、と分かるその言葉。私は思わず頷いていた。
 途端にレイヴンの笑顔が固まる。
「ん?え?嘘?本当に?」
「……冗談だったの?」
 私は熱のせいで霞みそうな視線を彼に宛てた。自分で言った当の本人だというのに、やっぱり慌てるように顎をさすっているレイヴン。私は口を緩めた。
「本当にちょっとしんどいから……」
「う、うん、そうよねー。おっさん看病しちゃおうかな」
「おねがいします」

 彼はお鍋からお茶碗におかゆを移し、軽く混ぜていた。冷ます為だろう。
 ぼんやりとそれを眺めていると、ふと近くに気配を感じる。

「はい、口開けて」
 目の前に匙を差し出された。
 何も言わずに、言われたようにする。舌で少し匙に触れてから、それをぱくりと口に含んだ。

 ちょっと熱いけど、さすがユーリの作ったおかゆ。おいしかった。

「おいひい」
「そう、良かった。熱くない?」
「うん」

 いつもの自分ならきっと頼まない。なぜなら恥ずかしい。その一言に尽きる。
 今日はとことん、彼の厚意に甘えたくなったのだ。

「お水欲しいな」
「はいはい」

 何だか、彼はいつもの調子の良い雰囲気ではなくて、必死に恥ずかしいと思っているのを押し込めているのが手に取るように分かった。余計に何だか意地悪したい気分になってしまう。
「レイヴン、照れてるの?恥ずかしい?」
「いや〜俺様が〜?むしろ光栄でございますよ姫?」
 おどけて言うその手元の匙が少し揺れていて、私は思わず笑った。













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