朝、カーテンが開く音でゆるゆると夢の世界から引き戻される。 一応昨夜は寝台に入ればお酒の力もあり、すとんと寝付けた。ただふと目が覚めてしまうことが何回かあり、その都度ふわりと瞼の裏には、ユーリのしっとりとした黒髪が浮かぶのだ。私は思わず枕に顔をぐいぐいと押し付ける。……今は現実だ。目を固く閉じて布団に潜りなおしたところで、真上から声を落とされた。 「ねえ、朝よ。遅くまで飲んでたんでしょ」 リタが静かに言う。 私は顔を出さずに手だけ布団から出してひらひらと振った。 「そんなに、遅くはなかったよぉ……」 「そう?」 それに、全く酔いは残っていない。 しかし、うだうだしていても仕方が無い。私は思い切りのびをしてから、勢いよく反動をつけて起き上がった。すぐ隣にいたリタが大袈裟に驚いて飛びのく。 「な、なにしてんのよ」 「勢いつけないと起きられなくて……」 ユーリにどんな顔して会えばいいのだろう。 まして、まだフレンも同じ宿にいる。今朝はきっと顔を合わせることになるだろう。二人の前で異常に意識してしまう流れになりそうで私はまた布団に倒れこんだ。そのまま脚をばたつかせる。 どうしてくれるんだ。この激しい動悸はどうしたらよいのだろう! 不審そうに私を見ていたリタに気付いて、身体を再び起こした。その視線は致し方ない。私ももし人が起きるなり布団でじだばたし始めたら同じように訝しく思うに違いない。 私は髪の毛を手櫛で直しながら、起き上がった。 「えっと、食堂行こうか」 既に部屋にはリタはいなかった。私はそれから黙って顔を洗うためにやっと寝台から降りた。 「おはよう!」 「お、はようカロル!」 「?今、変な間が無かった?」 「そ、そうかな?」 食堂で皆の座るテーブルには、既に全員揃っているようだった。昨夜はフレンらが取った部屋に泊まっていたエステルも一緒に着席していたが、フレンはどこにもいなかった。 その点だけにはほっとした。気がかりなことが一つ無いだけで違う。 空いている席につこうとしたが、隣に座る人物を目に入れてしまい、急にじわりと手に汗をかいてしまう。椅子の背もたれを引くとき、さりげなく向かいのカロルの顔を見ていた。 「えっと、お茶!お茶をもらってくるね!」 いたたまれなくて、座ったばかりだけれど勢い立ち上がる。 慌てて食堂の厨房近くのカウンターまで走り寄った。駄目だ、この距離を走っただけで息切れしているなんておかしい。理由が身体を動かしただけでないのなんて分かってはいるけれど、認められなかった。 「わざとらしく避けてんなよ」 思わず出そうになる声を押しとどめる。息を止めてゆっくり振り向くと、もちろんその声の主。毎日顔を合わせているユーリその人がいた。 ずっと意識してしまっていただけに瞬時に昨夜の記憶が蘇る。 「わ、あの、別に!避けてなんかない!!」 思わず食堂の出口へ走る。 もう後のことは考えず、急に顔を合わせたユーリを避けることしか頭にない。 宿の廊下へ出たところでぐいっと腕を引かれた。 「だから、ちょっと待て、落ち着け」 廊下には大きな窓がはめ込まれていて、曇った空からのゆるやかな陽が差し込んでいた。ほんのりと薄暗いその廊下で、私はユーリに腕をつかまれて流石に足を止めた。 落ち着け、と言われた言葉通り、何とか平静を装った顔を見せようと、向かい合う。彼は走ったために乱れた髪の毛を少しかきあげ、「うーん、まあ……」と何だか言い難そうに切り出した。私が聞く姿勢を見せたせいか、彼は手を私の腕から放す。 「あのさ、俺も何か悪かった。酔ってたからってな。ホント気にすんな。俺も気にしない」 早口でそう言うと、ユーリは最後に小さく笑った。 その瞬間、私の胸の中にはもやもやと沸きあがる感情があった。 お腹の底で煙が舞い上がるように私の中に広がってゆく。むかむかとしたそれは私の口を突いて飛び出してきた。 「気にすんなって……なによ」 「あ?」 昨日のその一件から、私はずっとそのことで頭の中を占められていたというのに、何でもないように言ってくれるじゃないか。ましてや、私の気持ちを否定するように掛けられたその言葉を「俺も気にしない」とはどういうことだろう。 「じゃあそんなこと軽々しく言わないで。あれから私がどれだけ……」 「……どれだけ?」 勝手に唇が震えていた。私がどれだけ戸惑ったか、悩んだか、頭の中を目の前のこいつが占領していたか、そう伝えようとして、躊躇った。口を両手で塞ぐようにする。 正面から見詰め合っていた相手であるユーリはというと、整った顔を意地悪そうに笑い顔にして、私をじっと見ていた。 「どれだけ、俺のこと考えてたかってこと?」 「!!」 まさににやにやという形容がピッタリな笑顔を浮かべて、ユーリは私に一歩近づいた。同じように私は一歩、後ずさる。 しかし彼はそれ以上は私に近づいてこようとしなかった。私はもうあと一歩だけ後ろに下がり、背中に壁の感触をおぼえた。 「軽く言った訳じゃねぇよ」 ユーリの唇がそう紡ぐのを私は目を細めながら見る。途端に動悸が激しくなり、背中に汗が伝うよう。何と続くのか、何だか恐ろしくすら思う。 ゆっくりとまた彼が髪の毛をかきあげるのを見ていた。つややかで、綺麗な黒髪だとそんなことを意識の片隅で思う。 「お前ってホント、鈍感」 ユーリはそう言って私の頭の上にぽんぽんと掌を乗せる。思わず一瞬目を閉じ、そして開くと、彼は苦笑いを浮かべて私を見つめていた。じっと見つめられると、もう心が平静でいられない。なぜならユーリの瞳が、すごく温かいから。いつもと同じ視線だというのに、こうも受け取り方が違って見えるなんて。私は思わず眉を顰めた。 「まあ、俺ぐらいなんだけどな、そんなの待ってられるの」 掌を私からどけると、そう言ってユーリは振り返って廊下を歩き出した。 いつも見慣れたその後姿、私は彼が食堂へ戻っていくまで見つめていた。 どういう意味に取ってよいか分からず、私はそのままそこに腰をおろした。とにかく気にしないように私は努めないといけないんだな、と、それだけは解る。 甘くくすぐったいような幼馴染からの好意をそこで私は漸く本当に理解したのだ。 |