バニラスカイ











 仕事が終わると真っ直ぐに自分の愛車にもどり、帰路につく。なんてことはない、毎日の回路に組み込まれている。ついでにスーパーで何か買い物をして、帰ってちゃんとご飯を作ることもあれば、コンビニに寄って買ってすませてしまうこともある。最近は半々の割合、といったところだった。

 今日も何も変わったことは無かった。見通しのいい国道をごく普通に運転していた。
 ただ一ついつもと違うことが起こったのは突然のこと。
 前方、道路の真ん中に突然何か巨大なものが横からぬっと現れたのだ。
 明らかにそれは道路の幅を超えていて、地面に墜落した途端、車に激しい衝撃がきた。

「なっ……きゃああああああああああああ」

 エアバッグって、こんな風に出てくるんだ、とやけに目に映るものがスローモーションになり、身体中に電磁派のような、痺れる衝撃をくらい、意識はそこで途切れた。





 次に気付いたときには、白い天井が見えた。

 寝起きのぼんやりとした頭でよく分からなかったが、覚えているのは少し前の衝撃。私は病院にいる、と瞬時に判断した。
 実際、ベッドに寝かされていたし、疑う余地は全くなかった。ただ、意識が覚めてきているにも関わらず、身体は別物のように動こうとしなかった。ただ、ひたすら全身に切り傷があるように、痛い。
 まさか私、死んでるんじゃないのか、と思ったとき。
 部屋のドアが開閉する音に続き、人がこちらにくる足音。お医者さんか看護師さんか、とそちらに顔をめぐらし、私は驚く。

「あら、起きたの、今治癒術者を呼んでくるわ」
 おおよそ、医者にも看護師にも、いや、何者なのかも想像もつかない男性が部屋に入ってきて、そしてそのまま出ていった。まず、どこぞのお医者さんが紫色の羽織を着ているのか、いや、そういうものなのか、ちょっとよく分からない。

 まだ夢の中なのかもしれない、と私はもう一度目を閉じた。



 医者だという人(確かに白衣を着ていた!)と共に、大柄のプロレスラーもかくや、という人が入ってきたときにはまた心底驚いた。顔には年齢を示すような皺が見られるけれども、その太い腕や大きな頭に本当に驚愕する。
 でも逃げ出そうにも身体が全くといっていい程動かないので、どうしようもなく、ただベッドに横になり、目と首だけを動かしていた。
 身体が動かないのは何ということはなく、包帯を巻かれていただけのようで、お医者さんが何やら私に膝まづいて呪文のようなものを唱えると、急に身体の痛みが緩和される。私はそれにもまた、また、驚いた。一体、どうなっているのだろう。

 驚き続けて声も出ない私に向かって、その大柄なお爺さんは顔に見合った野太い声で言ったのだ。
「で、お前さんはどこから来たんだ」



 しばらく放心した後の私に、案外とお爺さんは優しい声で尋ねなおしてくれた。聞き間違うこともなく、意味がよく分かる。やっとそこで私は声が出せることに気付いて、とりあえず、今までの経緯を伝えることにした。
 どう見ても日本人のそれとはかけ離れた身体、顔つき、もしかしたら外国の病院に運ばれたのかと尋ねる私に、お爺さんは言った。
「お前さんはこのダングレストの街の外で倒れてたんだとよ。そこの小僧が見つけたもんで、一応保護してやったんだ」
「ダングレスト……」
 聞き覚えの無い街の名前だった。日本でないことは確か。そのとき、例の小僧、と呼ばれた人が側に寄ってきた。
「小僧はないでしょ、いい歳したおっさんに……それより、本当にあんたはどこから来たの?」
 小僧と呼ばれた”おっさん”は――確かに”小僧”には似つかわしくない顔だった。けれども、その瞳は鋭く私を見ていて、何故か敵意すら感じた。
「ダングレストを知らないってことは帝都?旅をするって感じの格好じゃないものね……」
「帝都……都民ではないです。あの、日本人です。事故に合ったんですよね、私」
 恐る恐る尋ねてみる、と、その小僧呼ばわりされているおっさんは多少顔を険しくさせた。
「確かに、何かの事故に巻き込まれたみたいだったわね」
「ギルド同士の抗争ってんだったら俺も黙っちゃおれねぇけどよ、そんな話は俺の耳には入ってきてねぇ。ま、嬢ちゃん、一人で歩くときは十分に気をつけるんだな――身体が動かせるようになったらちゃんとお家に帰りな」
 大柄のお爺さんはそう言うと、重そうな腰をあげ、そのままゆったりと部屋を出ていった。お医者さんもその人に付き添うように急いで出てゆく。
 最後まで迫力に押されっぱなしで、聞きたいこともなにも聞けずじまいだった。きっと今いる病院か、施設の偉い人なのだろうけれど、お医者さんにも見えない人だ。

「大将からか」
 ふと隣に立ち尽くしたままだった、例の紫色の男性が声を低く尋ねてきた。
 目を動かして顔を見ると、さっきとは一変して、まったく冷たい表情だった。ぞくり、と背中が粟立つ。
「大将って……?」
 ちいさく返事をすると、目の前の彼はまた表情を変えた。突然だった。
「じゃあいいわ。おっさんも行くからまたちょっと休んでなさい」
 慌てたようにまくしたてて、彼もまた、部屋から出ていってしまった。再び静かになった部屋で、私は考えを纏めることもできないまま、また目を閉じた。すうっと意識がひっぱられるように、眠りの世界への門が口を大きく開けていた。




「そりゃあ驚いたな……どういうことだってぇ?」
「だから爺さん、彼女は……どうもこの世界の人間じゃないらしいんだ」
 大柄のお爺さん、ドン・ホワイトホースと皆が慕う、ここギルドをしきるユニオンの頂点である彼は、大きな声で笑った。その低い笑い声は空気をも揺らす。

 私はひたすらどうしたことか考えてみたし、色々と状況から察するに、確実に自分の住んでいた場所とは違うと、ドン、そしてドンの傍らで説明する言葉も無いことに困りきったような顔をしている紫色の羽織を着たレイヴンに説明した。
 笑い飛ばしてしまいたいのは、こっちだった。

 次の日、怪我もだいぶ収まり体力も元に戻ったところで、外に出てみると、私はやっぱり驚いた。
 初めて自分のいた建物を外から見る。異国情緒溢れた木造建築で、そこには日本の面影は全くなかった。
 嫌な予感はしていたが、どこにいるのかが自分で分からないのは初めての体験で、思わず涙が出た。きっと悲しい、とかではなく、驚きと、どうしたら良いのか分からない不安感に一度に襲われた、と思う。
 外に飛び出して、急に泣き始めた私を見つけたのは、若い男の子で、ハリーと名乗ってくれた。彼に連れられて、レイヴンの元へ行き、事情を説明すると、彼はたちまち難しい顔をして、ドンのところへ私を連れていった。
 そして事情をレイヴンが説明するも、肝心のドンは一笑に付してしまった……という訳だ。

「嬢ちゃん、泣いてたのか?」
 覗き込まれるように見つめられ、私は思わず俯いた。いい年をして恥ずかしかったのもあるし、なにより現実は見つめたくなかった。と、そこまで考えて、これは夢ではないかと思い至る。
 もしかしたら……。
 私は思い切り、頬を叩いてみた。
 乾いた音と、ぴりりと頬に走る痛み。そして部屋にいた、三者が一斉にぎょっとしてこちらを見ているのが分かり、これは現実なのだと再度思い至った。

「何してんの……?」
 驚いたようにこちらを見つめ続けるレイヴンに私は返事をする。
「……夢だったら、覚めるかなと思ったけど、痛かったです」
「そりゃあ、あんなおっきな音させればね、痛いでしょうよ」
 確かに痛かった。また泣きそうだ。

「とりあえずだ、俺はちょっと分かんねぇけどよ、この娘がおかしい奴じゃねぇってことはよく分かる、普通の娘さんだ。カラクリが分かるまではレイヴン、お前面倒みとけ」
「えっ……」
 勢い、ドンの方へ皆振りかぶった。
 特に名指しされた彼、レイヴンは大きな身振り手振りで反論しようとしていた。
「何でも面倒ごとは俺様?何でよ」
「元はと言やあ、お前が拾ってきた娘じゃねーか。大事にしてやれよ」
「いやいやいや、大事って、どういうこと」
 私は自分が問題になっているという事、それでもどうしたらいいか分からなくて、手を胸の前で握った。
「あのっ、あの、ご迷惑はかけられないので、あの、私、どうしたらいいんですかね……」
 哀れに見えたのだろう、ハリーも口添えしてくれる。
「ここで雑務でもしてもらったらいいんじゃねぇの。ちょうど受付のリリーが辞めちまったとこなんだし」
「じゃあそれだ。レイヴン、連れてってやんな」
 ドンは巨大な掌を前に出すと、私の頭をちょい、と撫でた。とても優しく、触れてくれた。
「まぁ、起こっちまったもんは仕方無ぇもんだと思って。ぼちぼちカラクリも調べてやるからよ」
 なるほど、このお爺さん、確かにここの”ユニオン”のトップなのだ。目が優しくて、強く光を湛えている。こちらで目が覚めて、初めて私は心が一瞬安堵した。



 ドンの部屋を退出すると、レイヴンはハリーに「受付まで行って話を通しておくように」命じた。ハリーは10代真ん中ぐらいの、少年、といった方が良いぐらいの子で、気持ちよく返事をすると、軽やかに走っていった。残された私はそっとレイヴンを見上げる。二人になったときに見せた、冷たい表情が忘れられず、少し怖かった。
「さて、とお嬢さん?とりあえず、名前聞かせてくんない?それとも名前も忘れちゃった?」
「あ」
 確かに、名前もまだ告げていなかったのだと気付く。私はちょっと頭を下げた。
「申し遅れてごめんなさい。私は、といいます」

「あっ、ファーストネームはです」
 話す言葉が日本語でもないのに通じることに違和感はあったけれども、どうやら、名前表記は英語圏と同じなのかもしれない。慌ててファーストネーム、と言うと、得たように彼は笑った。それが優しい笑顔で、ほっとした。
ちゃんね、よろしく。俺は、レイヴン」

 これが全ての始まりだった。


















夢メニューへ
TOPへ