「ご苦労さま」 ようやく港に着くと、幸福の市場<ギルド・ド・マルシェ>首領のカウフマンさんは首をぐるりと回しながらそう言った。 潮風に混じり揺れる髪からいい香りがする。同性ながらも魅力的だと思う彼女は続けて言う。 「約束通り、積荷を下ろしたらこの船はあなたたちにあげる」 「わー!ありがとう!大事に使うからね!」 「ええ、頑張ってね。凛々の明星さん」 嬉しそうに手を振り上げてそう言った小さな首領にカウフマンさんも微笑む。 さて、ここは私が寄ろうとしていたカプワ・ノール港ではない。 ノードポリカという都市、らしい。船から降り立つと、岩でできた桟橋を渡り、無骨そのままというような階段の先に大きな建物が見える。それがこの街の名物、闘技場なのだとレイヴンが教えてくれた。 ……というのも、色々あり、カプワ・トリムで先述のカウフマンさんが船に乗せてくれたものの、海上でエンジン(これも駆動魔道器<ゼロスブラスティア>という魔道器らしい)の調子がおかしくなり遭難しかけたのだ。 おかげで幽霊船を見られる、という世にも貴重な体験もさせてもらったのだけれど、そうこうして難破した船のエンジンが直ったときには、カプワ・トリムよりも遙か西だった。どう考えてもノードポリカの方が近く、それだったら私の用事は急ぎでもない訳だから、レイヴンや他の皆の用事が終わった後でアスピオへ寄ろうという話になったのだ。 「んじゃあ用事を済ませてきましょうかねー」 「ベリウスさんに会うんだよね?」 「そう。手紙をね、届けないと」 レイヴンがそう言うのに続き、私は彼を見上げた。……私が行ってもいいのだろうか。特に用事もなく、関係がある訳でもないのにギルドの首領がほいほいと会ってくれるのだろうか。 「そうそう、ちゃん」 さっき船から見えた階段を延々と昇っていると、レイヴンが話しかけてくる。 「この街も歴史が深い街だから、案外いい資料があるかも」 「そうなの?ありがと」 世界の歴史には求める解決があるとは思えないけれど、もし前例でもあれば何か分かるかもしれない。 「ここの宿の隣に資料館があるから行って見るといーよ」 「わかった」 長い階段を昇りながら話すのは、ちょっと息が切れる。でも彼はそんな素振りもない。……日頃自分のことをおっさんおっさんと言う割には体力も元気もあるもんだ。 「……何?おっさんそんなに見つめて。もしかして優しさに惚れちゃった?」 「……それは自意識過剰とお伝えします」 「つれないのー」 ふう、と階段を昇りきって正面を見上げる。 確かにそこには歴史の重みを感じさせそうな大きな石造りの像、同じく石を積まれてできている闘技場と教えてもらった建物がこちらを見下ろしていた。 「大きいねー……」 「ほんと。僕もここは初めてだからこんなに大きいなんて、知らなかった」 「なんだかわくわくしますね」 ぼーっと見上げる私、カロルくん、エステルが口々にそう言うのを横目にリタが小馬鹿にしたように「口開けてないで、行くわよ」とすり抜けた。 ……確かに。 私たち三人はしっかりと口を閉じて、前に進んだ。 早速首領の所へと向かった皆とは別れ、私はレイヴンの言っていた宿の隣の資料館へ足を運んだ。無造作にたくさんの書物が棚に所狭しと詰め込まれている。大して大きくもなく、部屋ひとつに本が詰められているだけのそこは資料館というよりも、単なる資料室にしか見えない。一般的な私の知っている図書館などにあるような分類ラベルなどもないようで、私は途方に暮れた。 「……どこから探せばいいんだろう……」 歴史……というよりも例えば新聞のような事件を纏めてあるようなものがあればいいな、と思いながら、目に留まった本を抜き出してページを捲る。 「……騎士の殿堂<パレストラーレ>の歴史……。こっちはデズエール砂漠について……」 何冊か手に取り、隅に備え付けてあった椅子に座る。誰もおらず、自由に閲覧もできて気兼ねなく読書はできるようだけれども、さて目当ての本にたどり着けるのだろうか。 そしていくらも読み進めない内に人の足音を耳にして顔をあげた。 「あれ、レイヴン。早かったね」 彼はきょろきょろと本の壁を眺めながら近づいてきたところだった。私の姿を見つけ、いつものように顎を摩りながら言う。 「あー、実はまだベリウスに会えてなくってね。今、宿からドンに伝令だしたとこ。『次の新月までは会えないらしいです』ってな」 「新月?」 「ああ、新月の夜にしか訪問者に会わないって決まりがあるらしい。ま、そんなの知らない俺たちは門前払いって訳」 「へえ。そうなの。新月ってまだ先?」 「うん、しばらくこの街で皆、情報集めするみたいよ。おっさんも適当に過ごすし、ちゃんもここで色々調べてみてもらっててもいい?」 「分かった。それはいいんだけど……」 「……けど?」 レイヴンの目を見てから、私は周りの本棚を見回してみる。首を傾げ瞬きをする彼に私はちょっと笑ってみせた。 「暇なら手伝ってくれたりしない……かな?」 適当な木箱があったのでそれを踏み台代わりに上の方の棚を漁る。 なるべく奥の本から引き出し、その表紙を検分して気になれば更に下の方の棚に一時置き、全く関係無さそうならば奥に返す。けれども関係ありそうな本はほとんど見つけられなかった。 「こうさ、本じゃなくって新聞とか、そういうのって纏めてあったりしないのかなぁ」 後ろの棚を同じように探っているレイヴンに背中合わせのまま話しかける。背中から「んー」と気の無いような返事。 「新聞ねー。こういうところじゃそれこそ保管なんかしてないだろうね。帝都かアスピオならまだしも」 「……じゃあ期待できそうな資料は無さそう……かもね」 「まーねぇ。手がかりって言っても一体どっからって感じだしなぁ……」 探していた棚の最後の一冊。一番奥に本というよりも、紙片をまとめただけ、というような束を見つけ、精一杯手を伸ばす。 「……あとちょっとで、届くんだけど……な……」 腕を出来る限り伸ばすと指先が目当てのそれに触れた。換気など一切されていないようなここの書類たちは一様に紙に触れると少し柔らかく感じる。手繰りよせるように指を動かすが、あと少しでそれができない。私はちょっとナナメに振り返った。 「ねえ、これ、取ってくれないかな」 「わーちょっちょっちゃん!!」 私が体重を預けすぎていた本棚が振り返った反動でぐらりと傾いだ。あっ、と思った瞬間にはもう遅く、既にたくさんの本が頭と背中に当たることに気付いていた。 「わっわっ倒れっ」 「えーーーーっ」 私はそのまま豪快に大量の本と一緒に床に落ちた。 「……いた、くない」 「……でしょうねぇ」 お尻には固い衝撃を喰らったが、他に痛いところはない。あんなにたくさんの本が辺りに、床に、一気に散らばっている。倒れかけた本棚はどうなったのだろう、と顔を上げて私は驚いた。心底、驚いた。 「や、あ、え」 目の前に彼がいた。 正確には、顔を上に見あげた先には彼の顔があった、と言うべきだ。私を後ろから覗き込むように見下ろしているその表情は、咄嗟の事態に驚く顔。多分、私も同じような表情をしていると思う。 状況を説明すると、踏み台から足を滑らせた私を本棚からかばおうとして、抱きかかえてくれたみたいだ。みたい、というのはほとんど彼が私の背後にいるのでどうなっているのかが良く分からないから。背中、腕、すっぽりと彼の身体に抱えられて座り込んでいるような状態で、一気に顔が熱くなるのを感じた。 「痛くないなら、大丈夫?どこも打ってない?」 「うん、大丈夫、大丈夫、えっと、ごめんなさい……」 慌てて立ち上がろうとするけども、本を踏みつけるようことは避けたい。腕で本をがさがさっと乱暴にどけ始める。急にわたわたと動き始めた私にくつくつと後ろで笑いを堪える空気を感じた。 「謝んなくてもいーのよ。おっさん役得役得。こーんな形でちゃんをぎゅーっとできるなんて、思ってなかったわ。ラッキー」 頭上でそんなことを言っている彼に私は無我夢中で肘鉄を見舞う。彼が話すたびに髪に吐息がかかり、くすぐったい。 「痛いっ痛いってば!」 「な、な、何言ってる、の。もー何でもいいからっ離れてー」 「そんなこと言っても本棚が倒れてきてるから。おっさん、ちゃんと棚に挟まれてるから動けないからね」 見上げると彼はへらりと笑い、言った。いつもよりも断然に近い距離、背中には温かい彼の熱。息が止まりそうになる。 「やーこのまま二人でくっついてるのも悪くないわよねぇ」 「ちょっとちょっとちょっとレイヴンったら!!!!」 「お前ら、なーにやってんだよ」 斜めになっている本棚の隙間から見知った黒髪がさらりと揺れるのを見て私は心底安堵した。 「あら青年!」 「ユーリ!!助けてー!!」 物音を聞きつけて様子を見に来てくれたユーリのおかげで、なんとか棚の隙間から這い出した私とレイヴンは埃まみれそのままの有様で片付けをすることになった。 「何で俺様こんなことに」 「だって、もう……ごめんなさい」 「いや、いーんだけどぉ。まさかのラブハプニングがあった訳だしぃ」 「……もーそれはいいから、もー本当ヤダ。もー恥ずかしい」 「ちゃんてば柔らかくていー香りして、やっぱ女の子だねー」 「……もういいって言ってるでしょう……黙って手動かしたら」 「ちゃん?声のトーン怖いわよ……」 もともと簡素な木枠のみというような本棚だっただけに、多量の本を動かして重心が揺らぎ、倒れてしまったようだ。ユーリと共に駆けつけてくれた管理人であるという騎士の殿堂の人に逆に謝られてしまったが、散らかしたのは完全に私たちだ。結局、めぼしい資料も見つけられなかったし、散々な目にあってしまった。 (意外と、がっしりしてるんだなー) 普段、飄々とどこか気だるげに、猫背に歩く彼の姿を思い浮べる。 レイヴンに触れたのは全くの初めてではないけれど、あんなに近づいたのは。 (あ、あのとき。ダングレストで) 以前にダングレストに魔物が侵入してきたとき。腰を抜かした私を抱えてくれたこともあった、と思い出す。けれどもあの時はそんなこと考えてる余裕なぞ髪の毛一本分すらなかった。 それに、言葉の割には変にベタベタ触ってきたりはしないのが彼だ。 なんだかんだ言いながら、本当は紳士。 何となくそう思いながら、淡々と本を片付ける作業に専念することにした。 (……まぁ、ジュディスのような立派なもんでもないしね) 自分で考えて、自分でむっとして、そして自分で少し笑ってしまった。 「ん?何笑ってんの?」 「いいえー。べつにー」 「……前から思ってたんだけどさぁ。ちゃんってよくわかんない所あるよねー」 「……そう?」 表紙をざっと見てやはり関係なさそうな本ばかりを選んだものを一冊ずつ、下から詰めていっている。 「どっかクールっていうか、ちょっと冷めてるよね。冷たい」 「え?私が?嘘ー。そんなこと言われたことない」 思わず笑ってしまった。今まで、この世界に来てからも、そして来る前すらも言われたことがない。単純ね、とか面白い子ね、とかならあるけれども、と首を傾げる。 ……もしそう見えるとしたら、意図的にやっているところだけだろう、と思って心臓が冷えたような気がした。 楽しく過ごしたい。元の世界のことは思い出さないぐらいに。 それと同じぐらい、いやそれ以上に、とても留意していることはある。 『この世界に大事なものは作れない』 帰られるときがきたら迷い無く帰ることができるように。 |