ユニオン本部の中には、ちょっとした住居スペースのような、寮のような感じで部屋がたくさんあった。それらは皆、ドンが総元のギルド、天を射る矢<アルトスク>のメンバーの為のものだった。 私もその内の一部屋を貸してもらい、日々を過ごすことになる。 ユニオンとギルドとは全然別物だった。ギルドというのはそれぞれ色々な目的をもとに集まってできた人たちの会社のようなものであり、ユニオンはギルドという個々の会社を取り仕切るグループのようなものだった。そういう基本的な社会のことを理解するということなどを始めとした”やること”はたくさんあり、私は毎日退屈などしなかった。忙しくしていると気もまぎれて、とても精神的にも良いと感じていた。 「ちょっとは慣れた?」 「あっレイヴンさん、うん、大分慣れました。そっちは……?」 「ごめんね、……まだ何も」 「そっか……」 ユニオンの受付に座っていると、馴染んだ顔が挨拶してくれる。 レイヴンはその筆頭で、立ち寄る度に私を案じてくれるような言葉を掛けてくれていた。私も、目が覚めて初めて見たのが彼だったということもあるのか、何故だかとても安心した。 その上、彼はドンにも言われた通りに私の保護者であり、責任も感じているようなのだ。さらにはこれもまたドンの指令の下、事故のことを調べたりもしてくれている……らしい。 ただ、周りの人には散々注意するように言われている。何よりうさんくさいのが理由だというけれども、私にはそうは見えなかった。 それよりも……初日に見た冷たい表情が出るときのことを恐れていたからかもしれない。 「そろそろお昼でしょ。どっか食べにいかない?」 「はいっ行きます!」 「じゃあおっさんと行きましょ。……ちゃん借りてくわね〜」 受付のもう一人の女性――マーヤさんは嫣然と微笑んで、送り出してくれた。彼女はまったく無駄口を叩かないので、世間話すら私はしたことがないけれど、仕事はきちんと厳しく教えてくれる、とてもいい先輩だった。なにより、とっても美人なのだ。 「ふうん、読みと書きは出来るようになったの」 「はい。とりあえず、それができないと何も仕様が無いかなって思って、今は猛勉強中です!」 文字も全然違った。見たこともない象形文字のようなそれで、言葉は通じるというのに、文字はさっぱり分からなかった。単語が分からないとどうしようもない。文字表をマーヤさんに作ってもらい、目下勉強中だ。それでも文法は不思議と理解ができたので飲み込みが早いと誉めてもらえる程だったのだ。 レイヴンが連れてきてくれた食堂はごちゃごちゃと人は多いけれど、味がすごく良いところだった。結局、いつも混んでいる訳だ。端っこの二人がけの席に通されて、注文したものを待つうち、そんな風に今日のことを話していた。 「レイヴンさんは?今日もドンのおつかいですか?」 ドンの片腕のようなことをやっている、とハリーに聞かせてもらっている。無精髭をさすりながら、彼は違うほうを向きつつ、のほほんとした口調で答えた。 「んー、ちょっと明日から長期で出かけるかもしんない。それちょっと伝えとこうかなって思って。ちゃんに」 「そうなんですか。分かりました」 寮の部屋も隣通しだった。ドンが配慮してくれたのだけれども、くれぐれも手は出すなと言っていた。私はそれこそ、笑い飛ばす。レイヴンにその気が無いのは一目で分かる。 彼は私の保護者たらんとしてくれていた。最初に何故、そうしてくれるのか尋ねたことがある。すると、彼は口元を緩めさせ、 「拾った猫は最後まで責任持て、ってさ」 と言ったのだ。 ペット扱いされた訳ではなく、私を助けたことに意味を感じ取ってくれている、彼ら、レイヴンとドンに私は深く感謝した。 突然、右も左も分からないところへ放り出され、どうしていいかも分からなかった。 その私に、住む場所と仕事も与えてくれて、本当に足を向けて寝られない、と思っているぐらい。 「危険じゃないと、いいんですけど」 注文したドリアをつつきながら、私はぼそりと言った。んー?と気の抜けたような声がする。聞こえなかったならそれでいいので、私はまた食事に集中した。 「結界の外は危険だらけよ。くれぐれも、ちゃんは出たら駄目、だからね」 「はい、分かってます」 聞こえていたのか。私は窺うように彼の顔を見た。 彼はお気に入りのサバ味噌を箸で器用に崩しながら、答えている。 「ちゃん、魔物見たことないんでしょ」 ま、 「まもの……?」 「ああ、モンスター。大体結界の中の人は知らないほうが多いけれど。本当に危ないからね」 何気なく、辺りを見回す。いるのは人ばかりだった。 魔物、モンスター、そう呼ばれるものがこの世界にいるのか、と初めて知ったときだった。 受付へ戻り、マーヤさんと休憩を交代した。ひとり、ユニオンの顔を守るのは少し緊張する。 大体に尋ねてくる人といえば、勝手が分かっている人が多かった。ギルドのトップか、もしくは経理担当の人。ドンや、ユニオンへの用向きを尋ね、そして伝えるのが受付の役目だ。暇なときは基本的に天を射る矢<アルトスク>の事務仕事を手伝っている。 「おお、お嬢サーン、話を通してくれマセンカー」 ふとかけられた声に顔をあげて、どきりとした。 顔の造作は目を見張る程、格好良い男の人だった。けれども、その目は蛇を思い起こさせる爬虫類的なねっとりとした視線で、見つめられると何とも居心地が悪くなる。 「どのようなご用件でしょうか」 慌てて笑顔を貼り付け、マニュアルばりの返事を返す。 「海凶の爪<リヴァイアサン>の首領に新しく就任しました、イエガーと申しマース。ドンにお目どおり願いマース」 「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」 小さな木戸を押し、ドンの部屋付きの伝令係りにそれを伝える。伝令係りは代々若い新入りの人らしいのだけれど、彼は海凶の爪<リヴァイアサン>と聞くとあからさまに顔をしかめた。 「伝えてくる。待合室で待たせておいて」 「はい、分かりました」 入り口へ戻り、イエガーさん、そして付き人のような見るからに殺気だっている猫背の人(一見して男性か女性かもわからない)を待合室である、ソファのある部屋へ通した。 「こちらでお待ちください」 「ありがとうございマース」 恭しくそのイエガーさんは一礼する。その綺麗な動作に思わず見惚れた。ギルドの人たちは大体に荒っぽい、いかにも腕っ節一本がウリ、という人が多いのに対し、ちょっと大袈裟な態度ではあったけどもこういう騎士然とした人もいるんだな、とも思う。 それだというのに彼の視線から逃れると、ふと安心した。 その晩、ハリーに声を掛けられて、食事をすることになった。ドンに呼ばれた、というので天を射る矢<アルトスク>御用達、の酒場へと足を運んだ。件の酒場には、ドン専用のVIPルームがあり、そこに通される。そこに座るのは、初めてドンと食事をしたときぶりで、二度目だった。まだ、ドンは来ていないようで、ハリーは慣れた様子で店員に注文している。 「俺、きまぐれごはん。は?」 「私は……ええっと、ひづめパスタセットにします」 ハリーはそれに、生ビールも注文した。 世界が違うというのに、食べるものの文化はあまり変わらず、私はそれに助かっていた。何を食べてもおいしいと感じていたし、ビールもあることに満足だった。 「は意外と飲めるほうなんだな」 ふとハリーはジョッキを傾ける手を休めると、私に言う。 「うん……そうでもないけど、普通ぐらいかな。ハリーはまだ十代みたいだけど、お酒って飲んでもいいの?」 「ん?別に飲んじゃいけないなんて法、ある訳無ぇじゃん!何言ってんの」 「そうなの?私のいたところは、大人になるまで禁止だよ」 私も同じように乾いた喉を潤した。音が鳴る。体中に染み入るアルコールの感覚が心地よかった。 「ふうん、ダングレストでは自分で何でも責任取るのが当たり前だからな。弱きゃあ飲まなきゃいいし、飲みたかったら飲めばいい。誰も文句言うことねぇ」 「そうなんだ。まあ、そうなんだけどね、健康にはあんまり良くないから大人まで禁止なのかな」 私が違う世界から来たことを知っているのは、ドン、レイヴンとハリーだけだ。 混乱させたり、あまり公言すると野次馬根性で騒がれたりするだろう、ということで緘口令が敷かれたのだ。 だからこのVIPルームではハリーとこういう話題も話し易かった。 「待って、じゃあいくつなんだ?大人って?」 「24歳」 ジョッキを持ったままハリーはストップしていた。視線は私にへばりついていたけど、私はちょっと頬を膨らませてみせる。 「……そんなに意外?」 「……てっきり、同じぐらいだと……ばかり……」 「あははっハリーは?いくつ?」 「俺は16だよ」 私は爆笑した。 そんなに若く見られるのも悪くはないけれど、典型的な日本人は童顔、というやつなのかもしれない。 ふとハリーの耳が真っ赤になっていた。ちょっとそれが可愛くて私は余計に笑った。 「おふたりさ〜ん、楽しそうじゃな〜い」 「あっ、レイヴン来たか、ちょっとちょっと、って何歳だと思う?」 ハリーが仲間を見つけたとばかりに目を輝かせた。私は思わず苦笑いをする。VIPルームに入るなり、テンション高く迎えられたレイヴンは仰け反ったように見せながら、ハリーの隣のソファへと腰を下ろした。 「ええ〜?ちゃんね……」 わざと値踏みするかのような視線を私に送るので、私も敢えて、澄ました顔を見せた。 「うーん、18歳ぐらい?」 思わずハリーの顔を見た。彼はしてやったりという顔で私とレイヴンの顔を交互に見る。 それが何だかとっても子供っぽく思えて、私はつい笑ってしまう。 「え?何?ハズれた?」 レイヴンの言葉にハリーは大きく頷き返す。私は黙ってビールを口に含んだ。 「は24だって。信じらんねぇよな!!」 「ええええええええ!!!!!」 「そ、そんな驚かなくても!!」 またしても仰け反るような格好のレイヴンに何故か得意気に言うハリー。私は可笑しくて笑いながら言った。 「そっかぁ、何だ、じゃあおっさん全然射程範囲じゃん」 「はぁ?レイヴン何言ってんだよ。、止めとけよ。レイヴンだけは悪いこと言わねぇから止めとけ」 お酒が進み、ぼちぼちと食事も済みかけていた。私は残っていたグリーンサラダをつつきながら、笑う。 「うん、何となく分かってる」 レイヴンは飲みかけのジョッキを口から放すと、大きく「何で!!」とツッこんだ。その慌てようが可笑しくてハリーも私も笑った。 「何でぇ、盛り上がってやがるなぁ」 突然轟くような声が部屋にこだまする。入り口を見なくとも誰が入ってきたかはすぐ分かる。 「ドン!」 「爺ちゃん!ちょっと聞いてくれよ!はいくつぐらいだと思う?」 レイヴンが入ってきたときと同じ展開が予想されて、私もレイヴンも視線を合わせて、また笑った。 お腹が満ちて、お酒もいい感じで進み、気持ちよく酔いながら夜道を歩いて帰っていた。 ハリーと、レイヴンも一緒だ。遅れてきたドンは飲み足りないから、ということでまだ酒場にいるはずだった。 「ああやって爺ちゃん、朝まで呑むんだぜ。朝誰が呼びに行くかでモメるぜ〜」 「朝までコースだと、お酒抜けないまま本部に戻ってくるからねぇ。タチ悪いもんねー。おっさん明日から出張でよかったぁ。あんしーん」 「あはは、ずるーい」 ユニオン本部の手前の分かれ道で、ハリーは手を挙げた。 「俺はここで。レイヴン、絶対狼になんじゃねーぞ」 ハリーは自宅がちゃんと本部の隣にあるのだ。レイヴンに向けて指の先を立てると、そう言ってハリーはもう片方の手を振った。 「あらー心配してくれてるのー?」 レイヴンがすかさず返すと「違うだろうが!!」と怒り始める。からかうのが面白いんだろうなぁ、と私も笑う。少年は単純で可愛い。 「じゃあねーおやすみハリー」 「ああ、おやすみ。本気で気をつけろよ?泣かされた女は数知れずなんだからな。こんななりなのに」 「えっ?そうなの?こんななりなのに?」 笑顔で言い合う私とハリーに話題の中心となっていたレイヴンは小さく呟いた。 「こんななりって……本人眼の前にして言うことじゃないじゃなーい」 ハリーは大きく笑って走り去っていった。その後姿を見送ると、若いなぁ、と感じた。 「ちゃん、嘘だからね?泣かせた女なんかいないのよ?俺様のほうよそれは……」 「えっ?嘘でしょう?」 やっぱりハリーは本当のことを言っていると思う。こうして調子よくしながら女の人を本気にさせて回ってるのかなぁ、とうっすらと考えた。 「手厳しいなぁちゃんは」 へへへ、と困り顔で笑うその顔は確かに女泣かせと言われても仕方が無いような、何となく母性本能をくすぐられるような表情だった。 「私だって、ちゃんとお、と、な、ですから」 月明かりの中、歩を進めると、のんびりとレイヴンも隣についてきた。 「まだ気にしてるの?」 覗き込まれるように尋ねられ、私は敢えて、真っ直ぐ正面を向いていた。 「ううん、若く見られるのは嬉しいですけど、ハリーと同じくらい、は無いと思う」 「いいじゃない!可愛いってことなんだから」 「レイヴンさんはどうせ女の人なら誰でも可愛いと思ってるんですよね?」 「あらやだ、何で分かるの」 「やっぱり」 そう私が言うと、彼はへっへっへとまた笑った。 「あ、そういえば今日はすごく丁寧な騎士っぽい人が来ましたよ。顔も良かった」 「えっ何それ。誰?なんていう奴?ちょっと聞き捨てならないわねぇ」 「海凶の爪<リヴァイアサン>のイエガーさんっていう人。何だかギルドの人っぽくなくて、覚えてます」 ちらりとレイヴンの顔を見ると、珍しく険しい顔をしていて、何だか驚いた。 「ああ……俺も見た。……確かに顔はいいかもしれんけどね……。ああいう男には気をつけなさいよ」 初めは冷たい表情が気になって、怖い人なのかと思っていた。 でも、あれやこれやと世話を焼いてくれたり、気に掛けてもらっているうちに、随分ゆきずりの異邦人に優しい人なんだなぁと思い始めた今日この頃。 ふと自分の気持ちにも余裕が出てきて、周りの意見も聞いてみたり、彼とその他の人とのやり取りを見ていると、何ともうさんくさいのに気付いた。 うまくはぐらかす、というのが得意技というのだろうか。 そして女性と見たら挨拶するように口説く。美人ときけば飛んでくる、とハリーが言っていたが、そのときにその本人が通りかかった時には笑った。 「ねえねえ、その”レイヴンさん”っての止めない?何か歯がゆいわぁ〜。呼び捨てにしてくれて構わないから。あのハリーだってくそ生意気にも子供の頃から呼び捨てよ」 「えっ……うーん、そう、ですね」 「まあ、この世界に慣れてきたところだし、おっさんの胸に飛び込んできてもいいのよ?ほら!」 「えっ、それは……結構ですけど……」 「なぁによ、まあそれは冗談だけど、もっと崩しちゃっていいから。砕けちゃえ」 気軽な風に、彼、レイヴンはぽん、と私の肩を叩いた。 軽いような言動に秘められた優しさが感じられて、私は瞳が少し潤むのを感じた。 「ありがとう、レイヴン」 |