大分文章も読めるようになった私は、人からお古の魔道書を貰い受けた。
「護身術になるようにするまでは、向き不向きもあるけれど、魔法が近道なんじゃねぇの?」
 ハリーにもそう薦められたが、そう言う彼は全く魔法を使えないという。
「でもハリーは使えないんだよね?難しいの?」
「いや、なんつーか、素質っていうか相性があるらしい……っていうか、、魔道器<ブラスティア>持ってないんじゃね?」
「魔道器。あの結界の?」
 受付の中でその魔道書をめくりつつ、印の絵を指でなぞってみた。
 私のその様子をカウンターの外からハリーは肘をつきつつ、眺めている。
「違う。結界魔道器のじゃなくて、皆魔物を戦う術としては、コレをつけてる訳」
 顔をあげると、ハリーは腕を伸ばして、服をまくって見せてくれた。
「へえ。これ?」
 その手首には美しい宝石のようなものをはめ込まれたブレスレットが嵌っていた。
「ああ、これは武醒魔道器<ボーディブラスティア>。付けてると能力があがるんだ」
 きらりとその魔道器が光る。
「みんなそういえばブレスレットとか、アクセサリーをつけてる人が多いなって思ってたけど……こちらの人はみんなおしゃれなんだなって思ってた」
「なんだそれ。これが無いとなかなか魔物と渡り合うにはキツいからな。そこで、プレゼント」

 ことん、と受付カウンターの上に金色のブレスレットが置かれた。
 いかにも重みを感じるそれはハリーの嵌めているそれよりも少し華奢なデザインで、女性もののようだった。
 煌くルビーのような石がひとつ、存在感を放ちながら私を見つめている。

「これ?私に……?」
「ああ、本当は俺から……って言いたいけど、あのおっさんからだよ」
「……もしかしてレイヴン?」

 ハリーは黙って頷いた。
 ユニオンの入り口が大きく開いたので彼は身を引く。来客だ。
「もしが魔法を覚えたいって話だったらこれをって言われてたんだ」
 そう言い残すと彼はドンの部屋の方へ歩いて行ってしまった。私はカウンターの上に置かれたそれを慌ててポケットに入れ、お客さんへ向けて笑顔を作った。



 正直に言うと、街の外に出るのは怖かった。
 あの魔物の襲来。あんな存在が街の外を容易にうろついていると知り、まさか私は旅に出るつもりなど毛の先程も考えることはなかった。
 けれど、それでは駄目なのではないかと最近考えるようになった。
 ずっとこのままここで生活し続けられるのか。何故私がこの世界に来たのか、どうしたら帰ることができるのか、突き詰めて考えれば考えるほど、じっとしていられないような焦燥感に襲われる。
 レイヴンが何か手がかりを探してくれる、という話だけれども、彼も忙しい身だ。近頃はダングレストにもなかなか戻らないようで、顔も見ていない。あまり世話になる訳にもいかないし、そろそろ自分で行動すべきときかな、と思ってはいた。

 差し当たって、何か掴めそうな場所を調べることから始める。
 それは既に見当をつけてはいる。学術に秀でた研究施設などが豊富な街があると聞いた。そこへ向かえば色々と関係ありそうなものが出てくるのではないかと踏んでいる。



 そんなことも考えながら、食事を済ませ、私は自室で魔道書を読んでいた。コツを掴むと、読み解き方がなんとはなしに分かってくる。何より、ハリーに渡してもらった魔道器を嵌めたところ、身体の中を巡る血液と共に力が流れるのがよくよく分かった。部屋の中では試すことができないが、明日は実践できるようなところへ行ってみようと思っていたそのとき、扉がトントントン、とノックされる音が響いた。

「はい」
「俺だよーおっさん」
「はーい」

 こんな時間に部屋を訪ねてくるのは彼ぐらいのものだから、何となく分かってはいたが、扉越しのその声に少しほっとした。
 ユニオン内には、当然血気盛んな男の人も多いし、十分に身辺には気をつけるように、ドンからも聞かされている。実際そんな危ない目にあったことは一度も無いのだけれど。

「もう遅いからちょっと話だけ」
「うん、お茶淹れようか」
「あー、うん、もらおうかな」

 部屋に入れてレイヴンが椅子に座るのを見て、私は一つあるコンロの前で薬缶を火にかけはじめた。ふと振り返ると、彼は机の上に出していた魔道書を手にしている。
「もしかして、魔道でも勉強してる?」
「う、うん。あの、ありがとう。魔道器、ハリーに預けてくれたって聞いて」
「ああ、もしかしたらこういう日が来るかなって思ってさ」
 たまにこうして達観したようなことを言う。僅かの歳の差なのだろうかと私は思う。そこをちょっと尋ねてもみたかったけれど、ちりちりという火が爆ぜる音を耳にし、机のそばには行かなかった。
「旅に出る、つもり?」
「……まだ、ちょっとその勇気がないけれど、もう少ししたらアスピオに行って、手がかりを探そうと思って」
 ポットに茶葉を入れる。紅茶の産地は分からなかったけれど、香りが良くて気に入ってるお茶だ。そうしている間に、しゅうしゅうとお湯が沸く。ポットに注ぎ入れると、不思議とやすらぐような耳にも眼にも温かい音がする。

 レイヴンの前にお茶のカップを出す。ありがとう、と言って彼は両手でそれを温まるように持つ。それを飲まずに彼は口を開いた。

「一人では絶対に行っては駄目だ。どこか旅ギルドにでも頼み込んで同行してもらうとか……そうだな、幸福の市場<ギルド・ド・マルシェ>にでも頼むといいかもしれない」
 珍しく、語気が強かった。私は瞬きをして、彼の正面に腰を下ろす。
「うん……できたら、そうしてみる」
「女の一人旅なんて、ちゃんしたことある?絶対に危ないから。魔物とかそればっかりじゃないのよ」
 まだ具体的に道中のことなど調べてはいない。私はただ首を振った。
 その私の様子を見たせいか、目の前のレイヴンは大袈裟にはあっと溜息を落とす。
「……おっさん心配で胸がつぶれそうよ……」
 まずは身を守る術を身につけるのが先決だと思っていたけれど、勝手の違うこの世界の色々な常識もダングレストを出れば違うのかもしれない。
 学ぶことがたくさんある。
 私は紅茶を一口飲み、そして、彼と同じように溜息を落とした。

「心配かけてごめんなさい。それは謝るけど、でもやっぱりレイヴンに頼ってばかりでもいけないし」
「それはこっちこそ悪いなって思ってる。なかなか情報も無いし、手も回んなくて、ごめん」
 ちょっと謝り合っている構図が可笑しくて、つい吹き出しそうになってしまった。
 そっと目線をあげてみると、眉を寄せて、彼は訝しげに私を見ている。
「…………何でちゃん笑ってるわけ」
「えっだって、なんか可笑しくない?」
「……まあ、ね」
 そう言って私達は少し、笑った。

「やっぱ寄ってみて良かったわ。ちょっと旅に出るのはもう少し、待ってくんない?」
 笑い顔そのままに、レイヴンはそう言った。私は頷く。
「え?うん、まだ色々準備しないといけないし、今すぐではないつもりだけど」
「もう少ししたら、落ち着くかもしれないし。そうしたらおっさんが護衛してあげられるかも」
「……そんな」
 そこまで迷惑はかけられない、と私は手を振る。
 ましてやレイヴンは色々とギルドの仕事であちこち飛び回ってるというのに、私の都合で引っ張りまわせない。
「大丈夫、ついでもある。俺は仕事であっちの地方に用事があるとき。ちゃんはアスピオで色々調べながらおっさんを待ってればいいってだけ。どう?」
 私の逡巡を見越したように、そうレイヴンはいたって軽く言う。
「俺様も一人で行くより、可愛い女の子と一緒の方が楽しいんだけどなぁ〜?」
 そこまで言ってくれると、私も首を横に振る訳にはいかない。もう一度吹き出ししそうになりながらも、頷いた。
「分かった。ありがとう。ほんとに……」
 申し訳ないと思う反面、やっぱり知っている人と動けるというのは心強い。
 色々忙しそうにしている彼なのに、そこまで言ってくれるのならきっと断る方が悪い。
「やーだなーやめてよ!お礼ならほんのちょーっとほっぺにちゅってしてくれるだけでもいいのよ?」
 急におどけ始めたレイヴンをじっと見る。きっとそれは突き放すような視線になっているだろう。
「密室で言うとか洒落にならないのでお帰りください」
「そんな冷たい目で見ないで!ごめんなさい……」

 感謝の気持ちは、今度サバ味噌でも煮て伝えようと思いつつ彼が部屋から出ていくのを見送った。

















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