騎士団とギルドの戦争が起きるのではないかという程の、ユニオンだけではなく、ダングレストや他地域のギルドをも巻き込むような抗争が無事に終結へと向かった。 聞くところによると、ドンは全てを見越していて初めから騎士団と手を組むつもりだったらしいのだけれど、いまいち私にはピンとこなくて分からなかった。 「あんまり世界情勢がよく分からないんだけど、帝国側とユニオン側って対立してるんだよね」 騎士が一人訪ねてきたのは覚えている。 親書を持って単身敵地に乗り込むのだから、ただの伝書係ではなさそうだったけれども、まだ若い男の人だった。 「ああ、そう。んで、これがとりあえず落ち着いたからさ、船旅でもお誘いしよーかと思って」 カウンターに肘をついて私と視線の高さが同じぐらいのレイヴンはそう言う。 翡翠の瞳が真っ直ぐ私を向いていた。 至って軽くデートのお誘いのように言う彼に私は戸惑ったように映っているだろう。実際、どきりとした。思っていたより、早いお誘いだ。 「結構、早かったね……。私まだ実戦したことはなくて」 「んー、それは、まぁちょっと心配だわな。んじゃあちょっと練習、行ってみる?」 夕方また誘いに来る、と言い残して彼は身を翻して行ってしまった。 ぎゅっと左の手首につけた、武醒魔道器を掴む。練習。あのときの魔物の放つ殺気は未だ忘れることはできていない。 約束どおり、レイヴンが私を迎えにきて、私達はダングレストを出てみる。 結界から出るのはまるっきり初めてのことだ。異常に怯えてしまう。 魔法の原理は理解した。詳しいことは分かっていないけれど、この世界の大気中に溢れる力の元であるエアルと呼ばれる物質を捕まえ、色々といじくると火を出したり回復したりすることができるという、それだけのことなのだ。 一応の練習もしたことがある。火の玉を繰り出したり、風の刃を作り出したり、はたまた軽い傷を癒す術も覚えた。私ができるのは切り傷を少し塞ぐぐらいのことだけども。 うっかりと包丁で切ってしまった指に施してみたら、傷はすぐさま塞がり、薄皮だけ被せることができたのだ。これには私も自分ってちょっとすごいんじゃないかと思ったけれども、この世界では当たり前の出来事。 実際に使えても、実戦で役に立てられなくては意味が無い。 「どれぐらい覚えたの?」 街を出てオレンジ色に光る草原をさくりさくりと音を立てながら歩く。少し前を歩くレイヴンは振り返らずに私に聞いた。うーん、と私は唸る。 「ファイアーボール、ウインドカッター、ファーストエイド……かな」 魔道書に記してあった、魔法の名前を言う。どれも簡単な呪術で描く魔法陣も易しい。しかしその基礎ができなければもっと上級なものは使えないらしい。私はそこまで大袈裟なものは使えなくてもいいとは思っているけれども。 「それだけできれば、まぁ大丈夫でしょ。おっさんもそれぐらい」 「えっレイヴン魔法使えるの?」 「ちっちっ……おっさんを甘く見ちゃいけねぇよ」 そうこう話していると、ふいに空気が張るような気がした。 目の前で笑っていたレイヴンの表情もいくらか引き締まる。 「そろそろ、お出ましかな」 この感じた違和感は、彼の様相が変わったからだ。私は俄かに早鐘を打ち始める胸を抑えて、きょろきょろと辺りを見回す。一瞬、彼の側に寄ろうとして、足を踏み留めた。 練習でそんなに頼り切っていたら、これからどうするつもりなのだ。 予期したとおり、草むらを掻き分けてカマキリを巨大化させたような魔物が目の前に現れた。奇しくも、以前街中で襲われたやつと同じ種類のよう。私と対峙はしたものの、距離はかなり開いている。向こうがこちらを見やったその時、目が合ったような、そんな気になる。 ぞわりと全身、総毛立つ。 「臆するな!いけ!」 突然、横から掛けられた声にはっとなる。 依然動悸は激しく打つが、落ち着くように頭の中で魔法陣を組み立て、それをそのまま指先へと移すようなイメージをする。宙には辿る軌跡の通りに、赤く印が浮かび上がった。これも魔道器のおかげらしい。 震える指先でやっと描けた魔法陣を意識して、眼前の魔物へ向ける。途端にそこからは火の玉が二つ、三つ飛び出し、勢いよく、飛んで行った。 距離が開いていたけれどもそれは思っていた通りの位置――魔物の頭に命中した。 形容できないような叫び声をあげ、魔物は横倒しになる。 「は、やっ……たの?」 「もういっちょう!」 「はい!」 気を抜きそうになる私を戒めるよう、鋭くレイヴンが声をあげる。 その通りにもう一度同じ魔法陣を描く。今度はさっきよりも早く描けた。 「いけ!」 念を込めて火の玉を飛ばす。体勢をくるりと起こしかけた魔物の横っ腹にそれが当たり、断末魔をあげてそれは息絶えた。しばらく様子を見ていたけれども、もう起き上がる様子は無い。 「よし!初めてにしたら上出来じゃない!」 いつの間にか隣にいたレイヴンが私の肩をぽんっと軽く叩いた。 その拍子に私の膝は力が抜けてしまう。 動転する間もなく、私は草の絨毯に尻餅をついた。 声すらもあげる暇がなかった。同時に私は長く息を吐く。 やっぱり、どうしたって、怖かったのだと気付く。 「……え?おっさんそんな強く叩いてないよ?」 「……うん、えっと、腰抜けたみたい……」 夕焼けの映える草原に、彼の笑い声がこだました。 |