「本当にそういうんじゃないんだから、からかわないでちょーだい!」 「そぉお?だって彼女、怒って行っちゃったわよ?可愛いじゃない」 「いや〜あれは単に気分悪かったってぐらいのことでしょうよ。さすがに俺様もその辺分かるわよ」 セイラは俺の目の前に座っていた。つい先程まではが座っていたその椅子だ。久しぶりに会ったのだから、話し相手ぐらいいいでしょう、と言われれば断る理由などない。彼女はふうっと煙管から艶のある唇を離すと、憂い気に煙を吐いた。その仕草は実に色っぽく、目の保養にぴったりだと思う。 セイラは彼女――と俺の中を邪推していた。 本当にそういう仲ではないと諭すが、そう言えば言う程怪しい、などと言われるので終いには黙るしかない。心中では既に、明日の朝彼女に会ったらすぐ謝ろう、などと考えていた。多分彼女はさほど気にした様子はみせないだろうけれど、そういうときでも謝っておいたほうが後々響かぬものだ。 「ねえ?レイヴン」 「ん?」 「この後、時間ある?」 意味あり気にゆっくりと彼女は微笑んだ。 自分の魅力を十分に分かっているその笑顔は、嫌いではない。むしろ見ていて気持ちがいい。 しかし、そんな気分にはなれないことに自分で少し戸惑う。 「いやー、実は明日早いしさ、俺おっさんだからちゃんと寝ないと起きられないのよ」 「嘘っ。年寄りは何もなくても早く目が覚めるでしょう?ね、いいじゃない。飲みなおしましょうよ」 ざっくりと開いた胸元の衣装を強調するように彼女は身をテーブルに乗り出した。 本当に見た目いい女なんだけどなぁ、と断る理由を必死に探している自分に自らやっぱり少し驚く。……普段だったら何も考えずに着いていったのではないだろうか。 しかし、今は何となくその気になれない。やはり明日からの仕事が気がかりなのだ。 「ほんっとに明日仕事じゃなければ行くんだけどさぁ。悪いねぇ。こんな美女のお誘いに乗れない仕事という邪魔者が憎いわ……」 酒を一口飲んでそう言うと、今度は彼女は明らかに表情を変えた。 「なによ、それ。前はそんな風に言わなかったわ。……そんなに仕事仕事って言ってたかしら」 美しい柳眉を逆立て、彼女は荒くテーブルを叩いて立ち上がった。 「何が仕事よ。本当にそうかしら。あー腹立つ!私よりあの子の方がいいのかしらねー」 「……え?」 「え?じゃないわよ!わざとらしいわね!断る理由に仕事使うなんていやらしいわ。ほんっと、腹立つ!!分かんないとでも思うの!?」 「いやいやいや、ちょっセイラちゃん」 「うるさいわね。もう誘ってなんかやらないわ」 そう言う彼女は長い髪をばさりとかき上げると、勢いそのままさっさと店を出ていったのだ。 唖然にとられて俺は宙に手を浮かせたまま、中腰でしばらくぽかんとしていた。 周りの外野が「レイヴン振られてやがる」と囃したてるそれを聞いて、ああ、そうなのか、と腰を下ろす。 完全に誤解している彼女、と外野はもうどうでもいいか、と考え直して、グラスを空けた。 いい感じで飲んでいたのだけれど、を怒らせたのはまずかったな、と思い返す。 彼女がなぜ怒ったのか。明らかにセイラが原因だろう。そんなにいつも不快感を顔に出す彼女ではないが、セイラが話しかけてきたとき、コロンの香りが鼻についた。そのときにの顔色が変わったような気がする。わざと、に見せ付けるようにセイラが耳打ちをしてきたときにはの顔にもありありと嫌そうな顔が浮かんだのだ。 まぁ二人共全然タイプが違うものな、と感じる。 女性は得てして対するタイプとは相容れないものなのだろう。 自分は来るもの拒まずぐらいの女性好きだという自覚はある。誰だって、どんな人でも女性は得てして、すべからく可愛らしいと思う。それは今も、昔も、ずっと変わらず思っていることだ。 そんな自分に対する女性のパターンは大きく分けて二通りだ。 同じように求めてくれる女性と、敵視せんばかりに避けられるか、だ。 そこまで考えて、はふとどちらにも属さないと思った。 けれど無関心、という訳ではない。話しかければ嬉しそうに答えてくれるし、一緒に食事を取るなどすると、こちらも楽しい。他愛のない話ができる相手というのはいいものだと思う。 しかし、いつものノリで冗談交じりで彼女に言葉を投げると、普段だと返ってくるボールのような手ごたえはない。遠くに放り投げられるか、避けられて返ってこないか、そんな感覚だ。 ……異世界の女性はミステリアスなものなのだろうか。俺はそう考え事をしながら部屋への道を歩いていた。 と、廊下に人影を見つけた。思わず気配に注意を払いながら、近づく。背格好からして男だ。よく見ると、自分の部屋の近く……いや、の部屋の前ではないか。扉が開いて、中から光が漏れている。俺は目を剥いた。こんな深夜に男が尋ねてきて扉を開けるなんてあまりに危機感がない。 何か話している。俺は耳をそばだてた。あまりお行儀の良いとは言えない行為だが、自分にはこうする義務があると思っている。 「――レイヴンとデキてるって聞いたけど、嘘、だよな?」 思わずずっこけそうになった。 体勢を立て直し、よくよく窺ってみると、も驚いたような声を発していた。 (おいおい廊下に響くぞ) そのまま様子を窺うと、まぁは動揺する様子もなく、冷静に否定していた。それはそうだろう。俺と、なんて噂が立っているのは知らなかったが、確実に事実ではない。 それより、廊下に立つ男が漸く誰か思い当たった。門番の男だ。部屋からの明かりで逆光になり顔がよく分からなかったが間違いないだろう。まさかこいつがに想いを寄せていたとは、とそちらに関心がいく。 マーヤではなくだということに、なんとも納得できるような、そうではないような気持ちの悪い感触が胸の内に広がった。 「じゃあ……うん、気をつけて、行って、帰ってこいよ」 「うん、ありがとうございます」 そうしているうちに会話は終わったようだ。こっそりと廊下を少し戻り、住居エリアより出る。どことなく後ろ髪を引かれるような様子の彼をやり過ごし、またこっそりと自室へと戻った。 明日の朝、彼女は怒っているだろうか。しかし、夜中に男が尋ねてきて扉を開ける行為は感心しない。そこは注意しないと。ここがどういうところか彼女は分かっていないのではないだろうか。明らかに女性の数が少ないこのユニオンという組織。この住居エリアに入居している女性なんて今のところ一人だけだ。 やはり基本的に面倒をみなければならない。しばらくは綺麗どころと一夜を過ごすことなんてできる余裕はないな、と再びそこに考えは巡り、諦めの息を吐いた。しかしあまり残念ではないということにもう一度、驚いた。 |