街へ戻り、ふとレイヴンは言う。 「魔法はよしとして、もう一つは得物が扱えたほうがいいんだけど、ねぇ」 「得物?刀とかそういうこと?」 眉を寄せて言う私に、いかにもなしたり顔で彼は続けた。 「ま、そういうこと。何か使えるものはあんの?得意なものがあれば調達するけど」 「いや、別に何も……」 そう答える私に、彼はうっと半身を引き、もう一度口を開く。 「何も?」 「……ごめんなさい」 いたたまれないような気持ちになり、頭を下げた。 夕食としていつもの定食屋で私はパスタ、彼は日替わり定食(今日はカレイの煮付けだった)をつつきながら軽く段取りと言うような旅中の話をしていた。 魔法さえ使えればいいような気になっていたけれど、得てして素早い相手には分が悪いとも感じていた。場慣れしている人はともかく、ずぶの素人である私には魔法陣を描くこともおぼつかないだろう。 今日はたまたま距離があったからできたようなものだ。 ふいうちで狙われたら、きっと反撃する間も無い。 そういうときの為の”得物”だと思う。 残念ながら、今までそんなもの手にする機会すらない平和な世に生まれていた私としては、付け焼刃でできるものではないと思う。 目の前の彼は箸をくわえて「んー」と言い、どこか遠くを見るように言った。 「ま、いっか。単独行動は止めて、絶対に俺の側から離れないようにしてもらって」 「はい、すみません。お世話になります……」 「いーのよいーのよ。どうせならぎゅーっと、くっついちゃってもいいんだからね」 「それは遠慮するけどね」 「……ちゃんたら冷たいね」 いつもの冗談を織り交ぜてくるレイヴンをじっと見る。 ……もし本気にしたらどうするつもりなんだろう、このおっさん。 耳にした瞬間にいつもの冗談だからと、ある意味条件反射で返事をしているけれど、もし本当にくっついたら……。 とそこまで考えて急に恥ずかしくなったので、慌てて手を振る。 訝しげに目の前で首を傾げるレイヴンにも愛想笑いをした。 何考えてるんだろう。彼が本気で言ってるんじゃない、というのはすごーくよく分かるというのに。自意識過剰な自分を誤魔化すために、パスタをフォークに巻き付けて大きく口を開けて食べた。 「あら?レイヴン。久しぶりじゃない?最近街に帰ってたぁ?」 「ん、おーセイラちゃんかぁ。ちょくちょく帰ってはいるよ?でも確かに久しぶりだねぇ」 突然通りかかったお客さんに話しかけられた。 随分親しげな物言いをする人だ、と見つめてみる。それに応じているレイヴンも気安げに話しているし、知り合いなのは間違いない。……なんとなく知り合い以上の関係のような気すらする。 確かに、レイヴンの好みそうな素敵なボディーラインを持っている女性だった。ここは定食屋だというのに花の香りを撒き散らして私達のテーブルの隣に立っている。 一瞬で、嫌な感じだな、とは思ったけれども、一応会釈をしてみる。彼女はそれを受けて嫣然と微笑み、それから目をいくらか細め、レイヴンの方を見た。 「ねえ?この子は今の彼女なのかしら?」 「いっ」 飲んでいた水を飲み損ねたのか、レイヴンは大袈裟にむせ始めた。唖然と見る私とは対照的に、彼女――セイラさんは彼の背中をさすってあげたりしている。 「いやっそ、そういう訳じゃ」 何とかそう答えるレイヴンに満足そうな笑顔を寄せ、セイラさんはそのまま彼の耳元へ口を近づけた。 私には聞こえない耳打ちをしている。 はっきりと感じる。 目の前でそんなもの繰り広げられたら、誰だって不愉快だと思う。 たとえ私がレイヴンに気があろうともなかろうとも、不愉快だと、そう思う。 「いやあ、ちょっと近頃俺様、忙しくてさ〜」 だからそう言い出すレイヴンに私は席を立ちながら言った。 「いいわよ?私は明日の準備をしているので、どうぞごゆっくりと」 「いやいやいや、ちゃん?ねえ、ちょっと!」 「ちょうどご飯も食べ終わったし。ごちそうさまでした」 「ちゃんってば!」 後ろから私を呼ぶ声と、セイラさんの高い笑い声がかすかにしたが、振り返らずに私は店を後にした。 何あれ。あの女の人、絶対に私に見せ付けるようにしていた。 というか、私と彼はそんなんじゃないし、そんなことされても意味なんかひとつも無いというのに。 私だって別に何も怒ることなんかない。レイヴンが彼女と何をしようとも文句の一つも言える筋合いはどこにもないはずだ。 ……というところまで考えて、漠然と落ち込んだ。 部屋で一人、お茶を淹れて飲む。椅子に膝を立てて、いわゆる三角座りをした格好でその膝に私は額を押し当てた。 「私が怒ることなんてないのに……馬鹿みたいもう」 ヤキモチなんてそういうんじゃない。 ただ単に彼女の振る舞いが癇に障っただけ。 彼は誰にでも優しい。女性と見たら口説く。そんな現場今までにも見ている。 ただ、今日のような、昔の彼を知っていて、そしてその上迫ってくる女性は初めて見た。もちろん私が見たことがなかっただけで、彼は遊び人とよく言われているのだからしょっちゅう遊び歩いていたのだろうけれど。 私が見たことがなかった、ただそれだけだというのに。 それが面白くないだなんて、ちょっと変だ。 気を紛らわそうと、明日からの準備に動く。 旅に出るその間、仕事に穴を開けることはドンにも許可を得ているし、マーヤさんにも話している。どれぐらいの期間になるのだろう。それはレイヴンの仕事にも関係してくる。極力荷物を少なくしようと、まず下着を用意し始めたところで、扉がトントン、とノックされた。 「……はい」 こんな時間に訪ねてくるのは、もちろん彼だけだ。 扉越しに声を聞く。 「あの……マイク、だけど」 「マイク……さん?」 門番のマイクさんだった。 持ち場が近いこともあり、ここに来た最初からよく話すようになった気のいい青年だ。 ただ、部屋に来たことは一度もないし、まさかこんな時間にあげるのもどうかと思ったので、扉越しに話す。一体何の用なのだろう。 「どうしたんですか?」 「いや、遅いしどうしようかとも思ったんだけど……明日から、出掛けるって聞いて。その、レイヴンと」 「あ、そうなんです……」 「どうしても、レイヴンとじゃないと駄目な用事なのか?」 扉越しにくぐもり、よく聞こえづらかったが、どうもレイヴンと出掛ける話は伝わっているようだ。私は少し、扉を開けた。突然開いた扉に身を固くしたようにマイクはふるんと身体を揺らす。短い茶髪が揺れる、背の高い人だ。 「あの、どういう意味ですか?」 「……いや、その、」 廊下は暗くて、彼の表情は窺い知れなかったが、私は言葉の続きを待った。 「……レイヴンとデキてるって聞いたけど、嘘、だよな?」 「ええ!?」 思わぬ言葉に私は思わずのけぞった。目の前のマイクもその私の様子に若干驚いている。 「それはどういう意味の驚きなんだ」 「突拍子も無いことって意味のです!そんなことある訳ないです」 「…………だよなー、いや、よかった。ただの噂かー」 安心したーと続け、彼は笑って、自分の髪をくしゃくしゃとしている。こんなことの確認の為にわざわざ私の部屋まで来たのだろうか?つい私はふうっと息を吐く。 「あ、悪いな、こんな時間に。明日早いのか?あの、気をつけてって言いたくて」 「え、はい、ありがとう、ございます」 しばらくそのまま沈黙が私達を包む。隣人は今はまだ帰っていないと知ってはいるが、もう一つ隣の部屋まで聞こえるだろうか。迷惑だったら悪い。 「じゃあ……うん、気をつけて、行って、帰ってこいよ」 「うん、ありがとうございます」 静かに彼は手をあげて、振り返った。そのまま廊下の向こうへ消えてゆくのを見守る。それから漸く私は扉を閉めた。 ちょっと、驚いた。 彼がこんな時間に訪ねてきたということもだけれど、まさかレイヴンと私が、という噂があるだなんて。 そんなにべったりと彼といる訳ではないし、それだったらハリーの方がまだ仲良くしている。(見るからに色気のない関係だと分かるのかもしれないけれど) 今日は一体どういう日なのだろう。 立て続けにレイヴンを意識せざるを得ないことが起こるなんて。 それどころではないと思っているのに、すごく胸の中、波立つように煩わしい気持ちが生まれる。 まだ、隣に人が帰ったような気配は、ない。 |