次の日の朝、外が騒がしくて眠りの世界から呼び起こされる。ぼんやりとした頭のまま布団を被りなおしたところに鳴り響く警鐘の音に気付いて私は飛び起きた。 「また……結界が?」 慌てて窓の外を眺めるけれども、覗いた先には弧を描いた結界は依然としてそこにあった。 「結界じゃなく……」 とりあえず身支度を済ませて、外に出てみることにした。 部屋の外に出ると、ちょうどお隣のレイヴンが廊下にいた。もしかしたら、私が出てくるのを待っていたのかもしれない。私の姿を見止めると、すぐに神妙な顔そのままに近寄ってきたから。恐る恐る私は口を開いた。 「何、何の、騒ぎ?」 「サイズオーバーの魔物が出たらしい。ちゃんはここで待ってて」 「サイズオーバー?」 外ではざわめき立つ人の声に混じり、けーんと一つ、鳥の鳴き声のようなものも聞こえる。とりあえず、前回の反省を踏まえ私は頷く。 「おっさんは様子見てくる」 「うん、えっと、気をつけて……」 既に身体を動かし、廊下を走り出していた彼は振り返ってにかっと口を開いて笑う。いかにも嬉しそうなその笑顔に、何故か私は昨夜の苛立ちを蘇らせてしまった。 (うやむやになっちゃったし、まさか尋ねる訳はないけどさぁ) そういえば怒って飛び出したような形だったんだよな、と今更ながらに気付いた。 しかし、そんなことよりも、窓に張り付いて気になる外の様子を窺う。けれども騒動はユニオンからは見えないところで起こっているらしい。ただただ喧騒が耳に入るだけだ。 「次から次へと、魔物って……」 窓枠にもたれて一人で呟いた。ユニオンの中には既にほとんど人気がないようだ。この居住空間にいるのは私だけなのかもしれない。 そう思うとどうしても気になり、私は駆け出していた。 ダングレストのメインストリートはいつもなら朝市が開かれている時間帯だ。だというのに、そこは市場に集まるお客さんでごった返している訳ではない。皆、店仕舞いで忙しいようだった。 いつもお世話になっている雑貨屋のおばさんを見つけ、つい私は駆け寄る。 「これ、ここに入れていいんですか?」 「あら、ちゃん、悪いね、助かるよ」 「いえ。あの、何が起きたんですか?」 シーツでぐるりと巻いてある商品を荷台へ運びながら私が尋ねると、おばさんは苦い顔を顕にした。 「魔物よ。こおんな大きな、見たこともない!何でこうなるかしらね?結界はあるってぇのに……あ、ほら!今また!!」 おばさんの指差す方を慌てて見やる。 街の入り口でもある桟橋の上には確かに、恐竜がいたならばこんな風なのでは、と言うような巨大な鳥のような格好の魔物が上空から急降下してくる。 それを目にした瞬間だった。魔物が火を噴き、あっという間に橋は焼かれてゆく。火の海が一瞬にして出来上がった。その一撃での惨状に私は度肝を抜かれる。以前の襲われかけた魔物たちの群れの一体一体とは比べようのない存在みたいだ。大きさより何より、圧するオーラすら感じられるそれが物語っていた。 「や、何あれ……」 「何だかわかんないけどさ……ほら、荷造り終わったわ、ありがとう。あんたも早う逃げなさいよ!」 「はい、分かりました」 軽く挨拶を交わすと、心配そうな顔をしたおばさんは手を振りながら荷台を引き、通りを抜けていく。気付けば周りの店も大体に片付き始めている。そこを見慣れた青年が駆けてゆくのを見た。あれは騎士団から伝書係としてやってきていた……。 その青年は輝く金色の髪を乱れさせながら、慌てて橋の方へと一目散に向かってゆく。後をぞろぞろと騎士が走り抜けていった。 「騎士団が来てる。そんなにえらいことなの……」 「ちゃん!!」 突然呼ばれた名前に振り向くと、騎士団が去っていった後から見覚えのある紫色の羽織を着た彼が走り寄ってきた。ああ、しまった、と顔に出てしまう。 「もー、ユニオンにいなさいって言ったでしょ!変な野次馬根性ダメ!!」 「うっ、だって、気になって」 「まぁいいか。橋が壊れそうだから迂回して出るとしましょーか」 そうして彼は私の腕を軽くひいた。まさかの言葉に私は心の準備がまだだと気付く。 「えっ?えっ?」 「急いで荷物取ってきて。おっさんも用事が出来た!」 「えっ今?」 「いま!!」 ごちゃごちゃ言っている暇は無いとばかり、言葉に被せるように彼は私をユニオンへ引っ張っていく。慌てて付いていくしかないが、元々は今日発つはずだったのだ。自室へ戻り、まとめてあった荷物を抱えて、飛び出すようにまたユニオンを後にした。 「街がこんなバタバタしてるのに、出掛けていいの?レイヴン」 街の外れ、橋を迂回するにはその反対側から出るしかない。防塞の目的も果たしているのか、このダングレストの出入り口は二つしかなかった。その一つが使えない今、一方から騒動に紛れ、抜け出る。 「バタバタしてるからこそよ。あのまま残ってたら、まぁしばらくはユニオンから離してもらえないでしょーが俺様」 「うん、そうだけど……」 「俺様も仕事があんのよ。大丈夫」 「……そう」 思ったことを見透かされたように畳み掛けられる言葉。 まさか私の旅のためだけに同行してくれるのかと聞いてみたかったがそれは飲み込む。もちろん肯定されたら断るからだ。それも見越してなのだろう。本当に仕事があるのだろうと私はそう頷く。 「オッケー、分かった。ちょっと怖いけど、楽しむ!」 「おっいいねー前向きぃ!おっさんも楽しもうっと!ちゃんと二人旅!」 「……」 「えっなんでそこで黙るの?『そーねっうふふふー』って返すところでしょ」 前を行く彼の背中を思い切り叩いてみた。 そう、昨日のことを忘れた訳ではないのだ。 彼の自由ではあるけれど、昨日の今日でそんな軽口を聞くのは何となく腹の虫が収まらない。 「何で叩くの!暴力はんたーい!」 「無神経だから!」 「あ!そういえば!無神経といえばちゃんのほうがよっぽど無神経でしょーが」 「えっ?何が?」 何もそんな心当たりなんてない。眉毛を寄せたまま彼を見上げて歩いていると、その眉の間をデコピンされた。 「いた」 「あのね、夜中に男が尋ねてきて扉開けるなんて無用心すぎる!」 昨日のことだ。……見ていたのだろうか。 「……見てたの?」 「ああ、だって部屋に戻ろうとしたら見えたから。たまたまモラルある奴だったからいいものの、部屋に押し入られてても分かんない状況でしょうが」 それはもっともだ。何とも言えない、と思うが、同時に昨夜のイライラも思い出す。 「それはそうだけど、でもレイヴンこそ、私そっちのけで美人にせまられてニヤニヤしちゃってて。感じ悪い!」 「えっ何でおっさんが怒られるの……」 「気を利かせて帰ってあげたんだもの、感謝してもらってもいいぐらい!私が部屋でどうしようと、勝手だと思う。私だって相手が怖い人かそうじゃないかぐらいは、分かる」 ムカムカとしていた。 何と正論を言われても、このムカつきは違うところから来ている。 「そりゃあ……ちゃんの勝手と言われればそれまでだけど」 ああ、分かっているのに。彼は心配してくれてこそ、そう言っているのだと。 口が勝手に回ってしまった。すぐに言い過ぎたと思うが、訂正する言葉も何も見当たらない。 温かい風がさっと吹いて草が煽られる。街を抜けたら深い草原。そこをぐるりと周り、熱帯雨林を抜けるとヘリオードという街に出るはずだ。もらった地図を見ながら私は何気なく空を見上げた。 段々とピンク色の空が青く変化している。思わず私は大きい声をあげてしまった。 「ねえっ。空、水色になる!」 「ん?ああ、そう。ちゃんはずっとダングレストにいたからオレンジか暗い空しか見たことないもんね。他の地域に行くと、水色になるんだよ」 「私の世界も!そうだよ!!朝、陽が昇ったら青くて、夕方陽が沈んだら、暗くなる……!同じだったんだ……!」 「へえ……」 息を吐くように彼は私を見ている。それから目を逸らし、立ち止まって真上を見つめた。久々の青い空が広がる彼方を目に映して、私は胸が苦しくなった。 |