最低限の戦闘しかしない、という話をしていた。できるだけ、避けられるものは避ける。逃げられそうだったら逃げる。それだけだ。
 といってもレイヴンは単なる博愛主義でも魔物愛護協会の人という訳でもない。

「俺様もおっさんだから、あんまり戦闘ばっかりだと辛いのよ」
「身体が持たないってこと?」
「そうそうそ……いやでも人に言われるとなんか癪よねぇ」
「……自分で言ったんじゃん!」

 嘘、という訳でもないだろうけれど、極力私に合わせてくれているんだということは分かっている。何より私自身は戦闘を避けて通りたいのが本音だ。咄嗟に慌てて魔法陣を描くことにはまだまだ慣れそうになく、戦闘の度に命の危険を感じているせいか寿命が縮まっているような気がしている。(本当に!)心臓を酷使し続けたらそりゃあ早死にしてもおかしくないような気がした。

 慣れないといえば野宿もそうなのだけれど、その点については何だかまだ楽しいというレベルだ。テントや調理器具もしっかりとしていて、キャンプなんて小学生以来の私はわくわくするぐらい。
 そういう旅用のテントには結界があって魔物が近寄れないようになっているというのもなるほど、と思わざるを得ない。安心して旅ができるというものだ。

「お、ちょーっとストップ」
「えっ」
 急に腕を広げて静止をかけるレイヴンの声で、私は辺りを警戒し始める。魔物の気配だろうか。さっぱりそこは分からないので彼の動きを見ようと目をやると、しい、と唇に人差し指を立てて当てていた。倣って私も息を潜めた。自然、手に汗が滲み出す。
 ふと耳に入ったのは人の話し声だった。
 樹の陰からそおっと窺うような彼の背中で私も同じように覗きこむ。

「ちょっと、フェローって?凛々の明星<ブレイブヴェスペリア>って?何の話よ。説明して?」

 耳に飛び込んできたのはきいんと通る女の子の声。どこかで聞いたことのあるような、と木々の間から見えた顔に思わず声を出す。
「あっ、あの子」
「こら、ちゃん」
 レイヴンは慌てて一瞬振り返って私を諌めるものの、観念したような表情を見せる。
 見つかってはいけなかったみたい。私はごめん、と言う意味を込めて見上げるけれど、結局彼に手を引かれてしまう。
「そうそう、説明してほしいわ」
 わざと大きな声でレイヴンが言う。引き摺られるまま、横道から通りへと出ていった。目の前にいる面々はぽかんとした顔で私たちを見ている。

「おっさん……とそっちのアンタは確か……」
 ユーリと呼ばれていた青年だ。すらりと高い身長から見下ろされ、覗いていた罪悪感なのかそうではないのか、ちょっとどきどきする。
「あなたは!栓抜きの!あのときはありがとうございました」
 彼の隣にいたエステルがさらりと髪の毛を揺らしてキレイなお辞儀をする。私も慌ててそれを返した。
「とんでもないです。エステルさん、ですよね」
「はい。エステルって呼んでください」
 そう笑う彼女にレイヴンが声を掛けた。
「えっいつの間にちゃんお友達になっちゃってんの?」
「そういう訳じゃないんだけど……ちょっと。レイヴンこそ知り合いなの?」
 何だかうろたえたような顔のレイヴンを見て、おかしくなる。エステルは私を見て微笑んだ。

「まあ、いいや。んで、おっさん何してんだよ」
 ふとユーリが溜息をつくように言う。
「お前さんたちのせいでねー、おっさんここまでくることになっちまったのよ」
「どういうこと?」
 そう呟いたカロルくん同様、皆、そして私も訝し気な顔をする。彼の仕事と、このギルドの人たちが関係してるのだろうか。不審そうな私の顔を見て、ひとつ彼はウインクをする。
 どういう意味か分からないけれど、とりあえず黙っている。
「ま、つもる話はあと!おっさん腹減ったしとりあえず近くのトリム港にでも行こうじゃないの」
「それには俺も賛成。とりあえず、トリム港に向かうか」
 ……とあれよあれよと言う間に、なぜか一緒に行動することになっていたのだ。




 一行が歩く後ろにいるレイヴンの袖を引き、気持ち小声で話す。
「ねえ、どういうこと?」
「ん、だからとりあえずトリム港で話すから。大丈夫。ちゃんも人数多い方が怖くないっしょ?」
「それは、まあ」
「それともおっさんとふたりっきり〜の方が良かった?」
「えっ……違う!そんなつもりない!」
 彼はニヤニヤといつも通りの笑顔を浮かべていた。……うまくはぐらかされた気がする。これ以上聞いたところで今は何も話すつもりはないだろう。私は諦めて彼の袖を離して歩くことに専念した。

、ユニオンの人なんだよね?」
 先をゆくカロルくんが振り向いて歩調を合わせてくれる。頷いて私もそれに少し合わせた。
「そうだよ。カロルくんもギルドの人なんだね?」
「そう!」
 へへんと胸を張るように言うその姿が可愛らしい。私はちょっと笑う。

 先頭を歩くのはユーリ、それに続いてジュディスというなんとも眩しい、目のやり場に困る衣装を身にまとったお姉さんが歩いている。……後姿も凛としていてかっこいいし、前を向けば美しい。なんとも羨ましい。
 中盤にはエステルとリタというまだ少女と言った風貌の女の子二人並んで歩いている。見る感じはリタの方が年下のようだけれど、さっきから「知らない人に物をもらったらダメでしょう」と言われたりしているエステルのほうが面倒を見てもらっているようだ。
 そしてその後ろにカロルくんと私が並び、そのまた後方にレイヴンとラピードという犬が控えている。
 確かに、大所帯というのは何となく安心するところがあった。どこから魔物が来ても誰かが気付いてくれるだろうし。

はやっぱりドンに憧れてユニオンで働くことにしたの?」
「私?」
 隣をゆくカロルくんが目をキラキラさせていた。聞くところによると、彼はドンを敬愛しているらしい。とにかくすごい人だから、という彼の気持ちはよく分かる。
 厳しい、怖いだけの人じゃない。器の大きな、本当にすごい人なんだということをひとしきり二人で語っていた。

「ねっレイヴンって結構幹部の方なんでしょ?」
 カロルくんが振り向きざまにそう声を掛ける。突然話を振られた彼は驚いたような表情を見せ、近寄ってきた。
「俺様ぁ?そーよ!偉いのよ!……って言いたいとこだけど、別にそんなんじゃないのよ。体のいい小間使いだわねー」
 私を見て、レイヴンは同意を求めるように首を二、三度縦に揺らした。私はうーんと逆に首を捻る。
「でも忙しいよね?」
「そうね。貧乏暇なしとはよく言うもんでね。おっさんこき使われてんのよ本当」

 カロルくんは小さく笑うと、今度は私に言う。
「レイヴンって本当に幹部なの?」
「うーん、私は良く分かんない……」
「……へー」
 正直、分からないというのは本音だ。あまり幹部という幹部が揃ったところも見たことはない。ただ彼が何やら密命を受けて走り回っているのは知っている。ドンの信頼を買っているのは確かだ。



 そして彼の目的はトリムの宿で明らかにされた。

「エステルの動きを追っておく、ってこと?」
 ぽつりと呟く私にそう、とレイヴンは頷いた。カロルくんはいい感じしないなーとぼやくが、本人は気にしてないみたいだった。エステルが一国のお姫様だと聞き、心底驚く一般市民の私には到底分からない心理だけれど、そこでリタが言う一言が納得できるものだった。
「帝国とユニオンの関係を考えたら当然でしょうね。微妙な均衡の今、皇帝候補の足取りは追っておきたいものでしょうよ」
「そうなんだ……」
 歳若いというのに大した観察眼だなぁと感心すらする。その私の視線に気付いたのか、彼女はふい、と私から顔を背けた。

「で、あんたらは砂漠に行くんでしょ?砂漠ってどういうところか分かってんの?甘くないわよ?」
 砂漠。私は頭の中で地図を広げてみた。砂漠といえば、デズエール大陸。私が向かうアスピオとは違う大陸だ。ちょっと残念に思いながら、話を聞くことに専念した。
「そうですね。色々回ってみて、そしてフェローの行方を聞こうかと」
 話によると、この間ダングレストを襲った大きな魔物はフェローと呼ばれているらしい。そしてこのフェローに再び会うことをエステルたちは目的としているらしいのだ。
 リタがちょっと黙った。顔が怖い。しかし首を振りながらエステルを向き直って続ける。
「お城に戻りたくなくなった訳じゃ、ないんだよね?」
「それは……」
 今度はエステルが黙る番だった。ふうっと誰かの溜息が聞こえる。
「おっさんとしちゃあ城に戻ってくれたほうが楽だけどなぁ、ま、デズエール大陸ってんなら、好都合っちゃ好都合なんだけども」
 慌ててレイヴンの方を見ると、彼も私をちらりと見たあと、皆に向き直って、何やら書簡のようなものをひらひらとさせた。
「ドンのお使いでノードポリカへ行かなきゃなんないのよ」
「ふうん」
「あそこのトップのベリウスに書簡を持っていくんだけどね」
 何も聞かされてはいなかった。
 世界中を飛び回っているらしい彼のことだから、そういう仕事があるのは分かる。返って、私のことが”ついでの用事”に感じられて、ちょっとほっとした。やっぱり無理に彼を付き合わせているのだったら、申し訳ないから。
「あ、ちゃんはちゃんとアスピオに送ってって、それから行くからね」
「うん、ごめんね」
「なーになーになんのなんの」

 ユーリの視線がこちらへ向く。
「お前、はアスピオに用があったのか」
「うん。少し調べ物をしたくて」
「へぇ、じゃあリタに手伝ってもらえばいいじゃねえか」
「えっ?」
 ふとリタを振り向く。彼女はぽかん、とした顔で私を見ていた。
「まあ、アスピオにある資料なら大体頭には入れてるけど……」
「リタはこう見えてもアスピオじゃあ顔が利くからな」
「何よ、何かひっかかる言い方ね」
「はは、誉めてんだよ」
「そうは聞こえないけど」
 ユーリとリタの漫才のような会話につい笑う。
「じゃあ、皆の用事が済んでからで結構です。いいんですか?」
「……別に、いいけど」
「ありがとう」
 リタは恥ずかしそうに横を向いて言う。何だか可愛らしい女の子だ。というのも、さっきまでの饒舌さが成りを潜めているのがそれだ。つい笑ってしまいそうになる。

「さて、この書簡の中身は知っているのかしら?」
 ふと口を開いたジュディスを振り向いた。彼女はにっこりと微笑み、レイヴンを見ている。
「ん、ダングレストを襲った魔物について。お前さんたちの言うフェローってやつのこと。ベリウスならあの魔物のことも知ってるってことだ」
 てっきりデレデレとするかと思いきや、至極真面目に返事を始めた彼に私はちょっと驚く。話の流れが真面目だったからだろうか。
 そう思っているとユーリがふふん、と笑った。
「そりゃ俺たちもベリウスに会う価値が出てきたな」
「うんうん、っつーわけで、おっさんも一緒に連れてってね」
 それを耳にしてすぐ、カロルくんがおっけーと声をあげる。
「でも一緒にいる間は凛々の明星<ブレイブヴェスペリア>の掟は守ってもらうよ」
「了解了解〜」
もね」
「えっわ、分かった」
 掟、といえばギルドの絶対侵してはならない規則だ。どういうことだろう、と私は思いながらカロルくんの顔を見る。
「別に何にも怖いことはないよ?そんな顔しないで」
「うん、掟って何かなって思ったから」
「一人は皆のために、皆は一人のために動くこと。それだけだよ」
 私は大きく頷いた。それならいい。
「素敵な掟だね」
「へへ、ありがと」

「話は終わった?私はそろそろ休むわ」
 リタが立ち上がり、部屋を出て行く。そのまま三々五々、解散の流れとなった。
 こんな大人数で旅ができる、ちょっと私はわくわくし始めていた。アスピオには船に乗ったらすぐだけれども、こうして宿に泊まることもできて私は楽しくすら思う。



 夜風に当たりながら港のほうへ出てみた。
 空には星が無数に瞬き、暗い海はとても穏やかに静かに規則的な音だけ奏でている。
 港町の様子はとてもゆったりしている。ダングレストとは全く違う雰囲気。不思議と気持ちが解されるような感じだ。
 備えてあったベンチに腰掛け、潮風を頬に受ける。海を見るのは久しぶりだ。
 明日は船に乗るのか、揺れないといいな、等ととめどなく考えていたところへ人の足音を聞く。

ちゃん、ここにいたの」
「うん、海見たいなーと思って。レイヴンも?」
「いんや、おっさんはちゃん探しに」

 何気なくそう言うと、例の紫色の羽織を闇になじませ、彼は私の隣に腰を下ろした。
 再び辺りは波の音だけが響く。さらりと落とされたその気遣いに、不意打ちのように心が揺さぶられた。

「海は?初めて?」

 沈黙を抑え、彼がそう言った。黙っていることに耐え切れなかったようなその声の柔らかさに私はちょっとだけ苦笑を漏らす。
「ううん、小さいときは泳ぎにいったりしたよ。……なんか、結構同じなんだなーって私も今思ってた」
「へえ、そうなの」
 そりゃあ、良かった、と小さく言ってまた彼は口を噤む。”何が”同じなのか、言わなくても分かってくれる。
 今度は私が気を遣う番だった。何だか優しくされて、気恥ずかしいというか、とにかく慌ててしまう。きっとこうして気に掛けてくれるのは、一番最初に私が混乱して泣いてしまったのを覚えているからだと思う。今は流石に泣いたりしない。

「感傷的になってないよ?ちょっと。気遣わなくてもいいからね」
「え?そう?おっさんすんごく気遣ってた?」
「うん、すっごく。丸分かり」
「やだなーばれちゃってたー?」
 お互い暗がりの中、顔を見合わせて笑う。
 本当に彼は優しいし、私のことを気遣ってくれるのは素直にとても嬉しい。私が変な意地を張らなければいいだけなんだ。
「レイヴンって面倒見いいよね」
「でしょ?だから身体も預けてくれちゃっていいんだけど」
「こんな暗いところで言うとか洒落にならない、それは嫌」
「……ごめんなさい」
 そう、その一言でバランスが崩れる。
 でもそれがあるおかげで丁度いいのかもしれないと思ってもいるのだ。ちらりと視線を投げると彼は顎を摩りながら海の遠くを見つめていた。

 そのまましばらく二人で暗い海を眺める。満天の星も変わらず頭上でそのまま輝いていた。


















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