あなたと握手 

私は髪を切りに行く。 なぜなら、たった数分前、大好きでたまらなかった彼氏との恋愛が終わったから。 ありきたりで少し古いと言われても私は失恋する度に髪を切るのだ。 私は美容院が好きなのだ。 失恋したことを髪を切っただけで吹っ切れるという訳では決してないが、 優しく髪の毛を触ってもらい、すっきりと洗ってもらい、ついでに肩のコリも少しほぐしてもらえる美容院という存在が私は好きだ。 「岩城さん」 「真島さん、お久しぶりですね。三ヶ月もいらっしゃらないから、結構伸びてますよ」 私はいきつけの美容院の扉を開くと、すぐに顔を見せた顔見知りの美容師さんに声をかけた。 今日は黒ぶちのえらく細い眼鏡をかけて、彼はにかっと気持ちの良い笑顔を見せる。 岩城さんはあごひげと美容師独特の服のセンスで初めて見たときは怖そうだと思ったけれど、この店に来るようになって三年たった今じゃ何でも話せるお兄さんみたいだ。 既婚者だということもその上で安心できるものがあるのかもしれない。 もちろん、プライベートでの付き合いなんかは一切無く、客と店員という関係以上でも以下でもない。 「予約してないけど、いいですか?」 「カットですか?」 突然予約も無く来るということは、きっと岩城さんも分かっている。 その証拠に彼の眉毛は少し困ったように歪んで。 私は満面の笑みを作って頷く。 「もうすぐ夏だし、短くいっちゃおうかな、と」 「分かりました。こちらへどうぞ」 岩城さんは白い大きな椅子を一番低くして私を招いた。 今日はお店はそこまで忙しくないようで、バイトの男の子がぼうっとタオルを畳んでいるのが見える。 私の他にはマダムなお客様が二人だけ。ゆっくり話せそうだなあと少しほっとする。 「また振られました。もう、今年に入って二人目ですよ。もー…」 「何ででしょうねぇ。僕には分からないけど、良い男じゃなかったんじゃないですか?」 岩城さんを困らせているのが分かる。 こんなこと他人に言ったってホント困るだけだろう。 何故振られたかは私は分かっている。 私は重いそうだ。 つい昨日まで恋人だった彼は、「お前重いんだよ」と最後に吐き捨てるように言った。その前の彼にも、「お前の気持ちには俺は応えられない」だかなんとか言われたのを覚えている。 「私、重いって言われたんです。だからだわー。そんなに見た目が軽そうなのかなー」 私は笑いながら言う。可笑しくは無い。でもこういう言い方が『軽そうで重い』なのかもしれないなあなんてぼんやり思いながら。 「男は子供だからねー。真島さんが重い訳でもなくて、いつも本気だからじゃないですか?」 「ああ、若い青い男には本気は重いかもねー」 本気だ。 私は常に恋愛に全力投球なのは確かだ。 仕事も、友達も大事だけれど、いつも一番は彼氏になってしまう。 だから、重いのかもしれない…。 私にとって恋愛の比重がとても重いのは確かだし、それで相手が重圧を感じる程だったのかもしれない。 そこまで考えて、急に煙草が吸いたくなった。 前の恋人に合わせて吸わなくなったマルメン。 私が煙草を吸い始めたのは18のときに付き合っていた人の影響で、止めたのは昨日までの恋人の影響。 振り回されっぱなしの私。だけれど、そんな私が私は好きに違いない。 岩城さんは急に黙った私を不思議に思う訳でも、問いただす訳でもなく、ただひたすらハサミを動かしている。 この心地よさ。 友達とこんな話をしていたらこうはいかないだろう。 だから私は失恋するたびに岩城さんに話を聞いてもらいにくるのだ。 岩城さんにとっては迷惑かもしれない。けど、私はお客だという権利を利用してそういうことを為している。 それからは恋人だった彼の話はださず、当たり障りのない話をした。 雑誌も読んだ。 私が雑誌に目を落とすと、岩城さんは必要以上話しかけてはこない。 美容師さんとは心を読む仕事もしなくてはいけないのだなぁと感心すらしてしまう。 私の髪は肩下まであった長さをさっぱりと顎までのボブになった。 頭はすごく軽くなり、気分も少し晴れる。 だから髪を切るのはいい、と最後に岩城さんに言うと、彼はめずらしく照れたように顔を伏せて笑った。 私も軽く笑った。 昨日から、今日までに本気で可笑しくて笑ったのは今が初めてだった。 「僕も三ヶ月、真島さんが来ないうちに色々ありました」 会計のときに岩城さんはぽつりと小さく、誰にも聞こえないように、でも私には聞こえるように言った。 私はカバンの中から財布を探す手を止めて、岩城さんを改めて見る。 眼鏡の奥から覗く瞳は一瞬私を映し、すぐにレジの方を向いた。 「何ですか?色々って」 再びカバンの中を探りながら財布を見つけ、取り出す。 「嫁さんと別れました」 私のほうは見ずに、私が出したスタンプカードを開きながら淡々と答える彼に私のほうが動揺した。 その動揺を見せることは恥ずかしいような、気まずいような感じがして、私も普通の顔をして口を開く。 「そうなんですか…。色々ですねー」 「今日はシャンプーとカットで四千円頂きます」 平然を装ったまま私は財布を開く。 それを私に今告白するなんて、どういうことなんだろう。 昨日失ったはずの心の穴がこそばゆい感覚。 私は軽い女なのかもしれない。 お金を差し出す私の手を軽く岩城さんは握った。 「ずっと気になる子がいるんだって、別れたんです」 私は笑うことなんてできなかった。 本当は嬉しくてたまらないのかもしれない。 でも、私にはそれが顔に出せなくて、ただ弱く手を握り返した。 aikoの曲名で10のお題に戻る どんなもんでしょうか…(汗汗汗だく 深く書き過ぎないようにさらさらっと書いてます。 美容師さんの彼氏が欲しいなあって思って思いつくままに書きました。 つうか、好きな子がいるっつって離婚する男ってどーなん?とか思うけど。  








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