蝶々結び 

まさか、ホントウに本気になるとは思わなかった。 でも、あまりに純粋な彼女に恋していたのだけは事実だった。
冬の夕方は短い。 既に薄暗くなってきた中、彼女のはあっと吐かれた白い息が立ち上るのを見る。 「先生、寒いね」 「おま、先生って、やめてくれないか?」 「何で。先生は先生なのに」 「いや、だって、人の目もあるしな、一応、こうして二人で出かけてる訳だからさ」 俺は斜め下を見下ろしながら、同じく俺と目を合わそうとしている彼女に言う。 「恋人同士で先生はおかしいだろー」 こうしておどけて言うと、多分、そう、俺の思った通り、彼女は頬を染めて目を逸らす。 彼女は鈴木ちかこ。俺の教え子でもあり、可愛い、彼女でもある。 彼女と言っても、こうして二人で出かけるのは初めてだし、大したところに行く訳でもない。 単なるコンビニへの買出しだ。 今日はクリスマスだし、と俺のアパートへケーキを持ってやってきた彼女だったが、生憎飲み物も何も用意してなかった俺はちょっと買い物へと連れ出した。 危ない橋ではあるが、それでも、 一緒に歩いてみたりしたかった俺は、まだまだ若いガキみたいだ。 「だって、じゃあさ、何て呼んだらいいの?」 俯きながら、彼女は口を尖らせ言う。 それを横目で見ながら、んー、と考え込む振りをして、立ち止まる。 「せんせ?」 「名前で呼んでよ」 「名前…」 「そう。名前」 そのまま三歩先へ進んだ彼女はこっちを向きながら、口を開く。 「あ、敦、…さん」 そう紡ぐ唇も、頬も、耳も、真っ赤だ。 それを見ると、ついつい笑いたくなるのを堪えて、彼女の頭をニット帽の上からぽんっと叩いて追い越す。 肩を滑る黒髪が、白くくゆる吐息に触れて光る。 「いいにくかったら、何でも呼びやすいようにして。でも二人のときは、必ず名前だぞ」 本当は手を繋ぎたいところだけれども、ぐうっと我慢して、その手をコートのポケットに押し込み、先を歩く。 「わかった。二人のときは、あっくんにする」 「…いいよ」 また笑いたいのを我慢して、振り返ると、彼女は晴れやかに笑っていた。 まだ陽も沈みきってないというのに空はどんより今にも落ちてきそうなほど。 でも彼女の笑顔は夏の暑くて爽やかな匂いを呼び起こす。 「はあー、寒かったー」 「今、温かいもん淹れるから、コタツ入れて」 「はぁい」 彼女はすぐさまコタツに潜り込むと、ぺたっと机にへばりついた。 初めて来た男の家でこの態度。 只者じゃあないな、とまた俺は苦笑を漏らす。 「あー、今、何か私見て笑ったでしょ?」 慌てて彼女に背を向けて、ポットからお湯を注ぐ。 「全然」 「えぇー…」 「はい、コーヒーどうぞ」 「先生!チキンは?まだ食べない?」 そう彼女は元気よく言うと、あ、と口を開けたまま俺を見つめる。 「ん?」 俺は自分でも思うが意地の悪い笑みを作り、彼女を見返す。 「あ、あ、あっくん。チキンは」 「はいはい」 満足げにする俺を見て彼女も照れ隠しに笑う。 俺はこの笑顔にやられたんだな、と再確認をする。 「おいしい!これ、本当にあっくんが作ったの?」 「当たり前だろー。お前が来るから、張り切って作ったんだよ」 俺が作ったパスタを彼女は本当においしそうに頬張る。 「嬉しいなぁ」 にこにことおいしそうに笑う。 そんな彼女がおいしそう、だということは言わないでおく。 「ちかこは、素直だなぁ。本当に今時めずらしいぐらい素直」 「ありがとうございます。誉めてるんでしょ?」 「うん」 「あっくんは、素直じゃないの?」 「俺か?俺は…どうだろ。素直なときもあるけどなぁ。そりゃもう大人だからなぁ」 「大人?何それ」 「うん、素直になれないときもあるってことだ」 ふうん、と分かったように彼女はパスタをフォークにからめとる。 「まだ、ケーキもあるんだぞ。食べられるのか?」 「え、私は全然平気なんだけど!」 「じゃあ、あけよっか」 「わーい!」 また素直に喜ぶ彼女の目の前でケーキの包みのリボンを解く。 小さな雪の王国でサンタがトナカイを引き連れている姿がケーキの上に映し出されている。 ナイフを入れるのが勿体無いね、と彼女は少し笑った。 じゃあ、勿体無いなら写真に撮っておこう、と俺はデジカメのシャッターを切った。 モニターには笑う彼女とケーキ。 夏の匂いの笑顔と雪の王国のケーキはちぐはぐだけれども、すごく愛しい。 「見せて」 無用心にも彼女は俺の持つデジカメを覗き込んでくる。顔がすぐ触れられる程の距離にあるということを気づかないのだろうか。 俺はいい年をして固まってしまった。 彼女は何も意識してないのか、分かっていて気にもならないのか(だとしたらすごい)、画像を見終えると何事も無かったように元いた場所になおった。 バカみたいじゃないか。 これじゃあ俺の方が高校生みたいだ。 いや、今時の高校生の方がもっと進んでるようだし、じゃあ、中学生ぐらいか? 「…そろそろ切ろうか。………あっくん?」 「あ、いや。うん。そうしようか」 俺は包丁を取りに席を立った。 今、俺は恥ずかしい顔をしているのだろう。 いくつ離れているのだっけ。 8つだ。8つ離れているというのに、この有様だ。 …恋をすると、いくつでも若返ってしまうものなのだろうか。 そうさせる、ちかこがすごいのだろうか。 「ケーキもおいしいでしょ。セゾンのだから」 「ああ、あそこのは俺も好きだ」 にこにことあれだけ夕食を食べたのにケーキも同じくらい頬張る彼女。 俺も甘いものは好きだから食べられるけれど、彼女はどこに入ってゆくのだろうか。 太いというより、どちらかというと細めな割にはよく食べる。 しかも、格別おいしそうに。 その幸せそうな顔を見るたびに、心のどこかにある自分への猜疑心がつつかれる。 俺が、幸せにするから 心の中だけで呟いたはずの言葉は、気づかぬうちに声に出していたようだ。 きょとん、とした顔で彼女はこちらを見ている。 「……だから、一緒にいような」 しまったな。 仕方なしに続けた言葉に、彼女は瞬く間に顔をピンクに染め上げ、困ったように微笑む。 ああ、この顔。 見てると、我慢など吹き飛んでしまう。 沈黙。 俺が沈黙させた。 コタツの隣に移動した俺は、彼女が何か言う前にその唇を塞いだのだ。 少し離れ、また軽く押し付けると、彼女は息を漏らした。 顔を見てみると、大きな瞳が見開かれていた。 俺はまた笑ってしまう。 「な、何でっ笑うのっ?」 「目は、閉じるものでしょ。ホラ、閉じなさい」 「だって、初めて…」 俺は無理矢理彼女の目を手で閉ざし、ゆっくりと間を置いて口づけた。 初めは固くがちがちになっていた唇も、何度か軽く交わした後は、緊張が少しは解れたのか、柔らかくなった。 本来のその柔らかさに触れたとき、俺は、あ、ほどけた。とつい声に出してしまった。 それを聞くとすぐさま彼女は机からケーキを包んでいたリボンを取ると、俺の口へ向けて蝶々結びに縛った。 「できた」 俺の唇の前には赤いリボン。 「なに、解いてよ」 「だめ。あっくん、エロいもん」 「え、エロくねぇよ!どこが?」 キスひとつでエロいだなんて言われると思わなかった。そう言われて動揺する俺も俺だけれど。 「……そんなことするヤツにはプレゼントは無しだな…」 「え!?あるの!?うそ!」 「嘘じゃないよ。そりゃ用意するだろーが」 「そっか、そうなんだ」 満足そうに彼女は微笑んでから、リボンを解いた。 コレを渡したら、どんな風に笑うだろうか? そう考えながら、俺はカバンの蓋を開け、中をまさぐった。 俺は今、毎日毎日、この女の笑顔ばかり追い求めているようだ。 まさに学生の頃みたいで、何だか可笑しくなる。 なにしろ、俺の心は彼女に縛られたまま、解かれないままなのだ。 aikoの曲名で10のお題に戻る はずかしマックスなモノ。きゃあきゃあ。 かる〜く「あいつを振り向かせる方法」の二人の続きを書きたいなって思ったら、こうなりました。 ぎゃ!甘すぎ!はず!げろ! 男の人視点て難しいですね。  








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