明日の陽がのぼるまで









 その日は定時あがりだったので、同僚のミホに夕飯に誘われていた。そう、夕飯のはずだったのだけれど。

「ええ、コンパ〜?」
「うん、お願い!人数足りないのよ。お願い〜!」

 結局ミホの顔を立てるため、ということで合コンに行くことになってしまった。私は溜息を吐く。
 私はこういう場があまり好きではない。皆にこやかにしていても、裏ではどろどろしてるものが渦巻いているような気がするからだ。事実、男女共にそういうものなんだろう、とは理解しているつもりだけれども。
 特に今日の男の子たちは最悪だった。
 待ち合わせの店に入り、席についてすぐ品定めをするように露骨に眼を光らせていた。普通はそういう心理は隠そうとするもんじゃないのかと思っていたのでやっぱり驚くし、嫌な気分にもなる。
 どうもミホの男友達の友達、らしいのだけれど、まず好きにはならないことは確定だった。私とミホ以外の女の子もあまりやる気じゃないみたい。ミホが小声で謝ってきた。ミホが悪いという訳じゃないんだけれども……。

 私がトイレに立つと、一人の男の子がついてきた。
「ねぇ、さっき男いないって言ってたよね?」
 酔いに任せて肩にしなだれてくる腕を丁重に振り解く。
 嫌だなー。もー。
 そのまま振り切って女子トイレへ逃げ込む。強引に迫られるのも初めてだし、こんな逃げてしまうということも初めて。……だから嫌なのだ。合コンって。
 女子トイレのドアが開いたのでまさかと思って振り向くと、ミホだった。心配してきてくれたみたい。
「ごめん、アイツ迫ってこなかった?マジごめん」
「もー、本当だよ。だから嫌なのよ……合コン……」
「ホントごめん!ここ出てさ、女だけで飲みなおさない?おごるから!ね!」
「んー、そうしよっか」
「知り合いがやってる店があって、結構いいのよ」
「分かった」
 私たちは一緒にトイレを出て、何とか理由をつけて、解散をした。
 送ってくれる、というさっきの男の子をミホが押しのけてくれた。

 その後、ミホが連れていってくれたのは、いわゆる、クラブ、というところ。
「え、え、ここ?」
「そう。ほら入った入った」
 下へ下へと階段を降りて、扉を開けると、大音量の音楽の波。
「ミーホー?私、こういうとこー!」
「いいーからー」
 ミホの声も良く聞こえないし、どんどん引っ張られる私。
 中は人がいっぱいで、密度が高く、薄暗いし、肩がぶつかってもどんな人だか分かりもしない。ズンズン、と身体の内側に響くような音も居心地悪いし、落ち着かない。
 初めて来たものだけれど、辺りを見回す余裕も無いままカウンターのようなところへ引っ張ってこられた。
「ショーちゃん!ちょっとビール頂戴」
「いらっしゃい!はいよ」
 ミホの顔見知りは、この人か。カウンター内にいた帽子を被った男性に私は小さく会釈をする。彼も私に向かって笑ってから無駄のない動きでビールをサーバーから注ぎ始めた。
 そのショーちゃん、とミホが話し始めたため、私は所在がなくフロアの方を眺める。
 ……人、多!
 皆、音楽に合わせて踊るんだかなんだか、身体を揺らせている。低音はズンズン、身体に響く。こういうところは音が止むことなんてないんだろうな。ビールなんか飲む余裕無い…。何だか私は気分が悪くなってきてしまった。

 ミホにビールいらないって言おう…なんて心に決めたときだった。
 右斜め後方からどんっといきなり押されて、私はぶっ倒れてしまった。
 膝をついてしまった衝撃と、突然の背中に当たった固い衝撃で私は急に泣きたい気持ちになる。
 ……今日は良いことなさすぎる…!!
 涙を必死に我慢して立ち上がろうとした時、
「ごめん!大丈夫?」
 と、男の人の声が背中からかかった。
 ……大丈夫じゃなさそうなんだけど。
 涙をぐっと飲み込んだ。
「ごめん。後ろ見ずにバックしてたから……立てる?」
 男の人は私の正面に周り込み、助け起こしてくれた。くれた、というか、元はこの人に吹っ飛ばされたんだけどね…。
 何か言ってやろうか、と顔をあげると、薄暗いその中でもどこかで見たような、という見覚えのある顔に目を奪われた。
「!」
「……?あ、あれ!?じゃね?」
「え!!?ふじっっ」
 私は急にその男に口を手で塞がれた。
 そ、そうだ。こんなところで名指ししてはいけない。
 その男とは、私の中学生のときの同級生で、今はJリーガー、日本代表として日本を背負って立つ男、藤代誠二その人だったのだ。
 最近よく洗顔料のCMで顔を見るなぁと思っていたのだけど、まさかこんなところで会うとは。今やその整った顔と軽快な喋りとで、すっかり芸能人なのだから、こんなところで名指ししたら大変なことになる。
 しかし、その藤代くんが、まさか私のことを覚えてるとは…。
 ゆっくりと私から手を離すと、藤代くんは「懐かしいなぁ」とニッコリ笑った。
 途端に私の記憶から彼の笑顔が引き摺り出されてくる。



 藤代くんと私は中学3年生のとき、クラスメートだった。
 誰でも分け隔てなく接する彼と隣の席になったのをきっかけに、私たちは結構仲良くなった。
 それで、当時、私は彼のことを好きだった。
 ……そして、彼も同じように私のことを好きだ…という噂、が流れていたのだ。
 それは彼の取る、私への冗談めかした求愛行為のようなものからきていたのだろうけれど、多分、彼のことを本気で好きな女の子たちには冗談では済まされなかったに違いない。
 私は好きだったけれども、逆にその噂を意識しすぎて仲良くなんてできなくなった。
 彼としても、私が避けるものだから、次第に私たちの仲もただのクラスメートとなり、卒業と同時に関係は絶たれたのだ。
 そのまま彼は高校在学中からプロのサッカー選手になってしまい、完全に雲の上の人となった。
 初恋は実らない、とは良く言ったものだ。
 そのまま10年近く会わなかったのに、まさか今日、ここでこんな形で出会うなんて。



「まさかに会えると思わなかったよ」
「私だって、藤…」
 そこまで言い、周りを見渡し、気持ち小声にして私は続けた。
「藤代くんに会うと思わなかった」
 藤代くんはそんな私を笑顔で見た。
 変わって無いんだなぁ。その人懐っこい笑顔。
 私まで笑顔にしてくれるような。そんな笑顔だ。
、こういうとこくるんだ?」
 場所が場所だけに顔を近づけて話している。だからか、彼の少し記憶とずれた大人びた声が耳をくすぐり、くすぐったい。
 恥ずかしいということも入り混じり、私は余計大きく首を振った。
「私、初めてだったんだけど、友達に付き合って連れてこられたの」
 そう言い、未だショーちゃんとやらと話し込んでいるミホをちらっと見た。
 藤代くんは目を軽く見開き、
「あの子?ショーと知り合いなんだ?」
「?藤代くんも知り合いなの?」
「ん、まあね」
 藤代くんはそう言いながら、つかつかと二人に歩み寄った。わ。わ。ミホが騒ぐぞ…!

「ショー。この子の友達なんだけど」
「おう誠二。この子ってミホのこと?」
「ん?多分そう。ね、ミホちゃん、友達、借りてっから」
「ええ?……え?え?あ!ふじしろ…」
「じゃーなー」

 藤代くんは何やら彼らに話をするとすぐに戻ってきた。
 足早に私に近づくと、腕を掴まれる。
「な!」
「出るぞ」
 後ろでミホがきゃあって言ったのが分かった。
 こんな大音量の中でも聞こえるぐらいだから、すごい声なんだろうな。
 そういえば、ミホ、藤代くんのことカッコイイって言ってたことあったかも。
 そのまま藤代くんは私を引っ張って出口へと向かった。
 何か、今日、私流されてばっかりだな、と笑ってみる。
 でも、嫌じゃないのは、もっと藤代くんと話してみたいから?
 暗い階段を駆け上がって、息が弾む。心も、弾む。

「っ……はぁ、藤代くん、はや」
「あ、ごめんごめん。ちょっと歩いたらいい店あるから、付き合ってくんない?」
 軽いけれど、有無を言わせぬようなそんな口調に私はただ頷いた。
「よし、じゃ行こう。足、痛く無い?」
 藤代くんが言っているのは、多分ぶつかったときのことだろう。
 でもあんな痛み、出会った衝撃ですっかり吹っ飛んでしまったのだ。
「平気」
「オッケ」
 私は夜の街を藤代くんのななめ後ろから付いて歩いた。

 藤代くんが案内してくれたお店はさっきとは違い、すごく落ち着いたバーだった。
 ぴしっと正装した男の人が、いらっしゃいませ、と頭を下げてくれる。店員さんは藤代くんの顔を見て「ようこそ」とつけたした。
「奥、いいかな」
「はい、こちらへどうぞ」
 私はすごく場違いな感じがして、完全に気後れしてしまったが、藤代くんは堂々と店内を奥へ進んでいった。
 同い年なのに、エライ違いよね。
 ……当たり前か。片や芸能人。片や単なるOL。それは取り巻く環境も住む世界も違う。
 着いた先は個室のように空間から少し区切られたようになっていた。
 なるほど。芸能人御用達って訳だろう。
 案内されたソファに身を沈めると、そのふかふか具合に少しだけ気が安らぐ。それにしても、何だか落ち着きはしない……。
は、何飲む?」
「え。私、えっと、何か軽いので…」
「ええと、じゃあ、コレ、とコレ」
 手早く藤代くんは小さなメニューから二つ指差して店員さんに告げた。
 すぐに店員さんは一礼して去っていく。
 それでも一応気になる。
 一般人の私がフライデーとかに載っちゃうのだけは勘弁して頂きたいし…。

「ね、大丈夫なの?」
「何が?」
 藤代くんはゆったりとソファでくつろぎはじめた。目線だけでこちらを見るその表情に慣れを感じる……。
 私は質問を変えることにした。
「何人も連れてきてるの?」
 途端、ぶっと藤代くんは大げさに吹き出す。
 こんなリアクションが大きいところも、変わってないなぁ。ちょっと笑っちゃう。
「何人も…って何だよそれー」
「だってなんか、手馴れてるんだもん」
「別に、人にくっついて来たりするだけだよ」

 藤代くんは拗ねたように言うと、ぷっと頬を膨らました。
「あはは、良かった。藤代くん、あんまり変わってなさそうだね」
「ええ?俺?かっこよくなったろー?」
「そうかなー。中身はちっとも変わってないみたい」
「なんだよそれー」
 そう言いあっていると、飲み物が運ばれてきた。
 藤代くんは、マティーニ……。アダルト……。
 私の前には、ピンク色のカクテル。
「これは?」
「ん、何か軽そうで甘そうなやつにしといた」
「ふうん」
「じゃあ、偶然の再会に、カンパーイ」
「ぷ」
 クサいセリフも何だか藤代くんが言うと親しみがあるのは何故だろう。
 おどけてグラスを鳴らして、私達は飲み始めた。

「でもさ、も変わってないよ。すぐ分かったもん」
「ホントよく分かったねー。私、そんな変わってないかなぁ?」
 少し火照った頬を手の甲で冷やしながら私は首を傾げる。
 オトナになったつもりなのになぁ。
「ううん、キレイになったよ?」
 藤代くんはしれっと照れる様子もなく、そう言ってのけた。
 私は更に頬が熱くなるような気がして、まともに彼を見れなくなってしまった。
 ただ、ちょっとだけ笑って、「お世辞でも嬉しい」と言うのがやっとだった。
「んー、別にお世辞じゃないよ?、キレイになってる。ただ、俺はだってすぐに分かったけど」
 私は何だか嬉しくて、つい口がすべる。
「私だって、藤代くん分かるよ」
 いつも、見てたから…。
 少し酔っているのかも。
 藤代くんは二杯目を頼んでいるけれど、私は止めておいた。
 私はベロベロに酔う前に吐く人だし、藤代くんに迷惑かけちゃいそうだし。

 その後は、思い出話や、元クラスメイトの近況などを報告しあった。
 藤代くんは次々お酒をあおる。
「同窓会したくね?何かと会ったら、あの頃のことすげー思い出す」
「うん。私も。普通同窓会って、3年生のクラスでするもんね」
「そういえば、今までしねぇもんなー。誰だよ幹事?」
「さぁ…」
「じゃあさ、俺ら二人でやんない?で、ぱあっと集まろーよ」
「えー、大丈夫?忙しいんじゃない?藤代くん」
に会えるならさー、仕事蹴っていくよーサッカー選手だけにさー」
「……」
 大分藤代くんは酔っているみたいだ。
 上機嫌でがははーと笑っている。
 逆に私の酔いは少し熱が取れてきた。
 こんな約束したって、藤代くん、きっと明日には忘れてそうだな、とも冷静に思うぐらいには。
「藤代くん、もう帰ろ?」
「え、もうちょっと飲もうよ?」
「いいよ、もう。藤代くん、ベロベロだよ」
「まーだ、だいじょーぶ」
 これはダメだ。顔は赤くなって、目はとろん、としてきている。
 完全なる酔っ払いだ。
 またさっきと同じ話をしてるし。
 私は身を乗り出して、近くにいた店員さんに少し気後れしながらも声をかけた。
「すいません、タクシーお願いします……」
 私は彼を送ることにした。

 タクシーに藤代くんを押し込み、私も隣へ座った。
 さて、先に藤代くんを家まで送らないと。あんまり遠くなければいいな、とお財布の中身を思い出す。お店のお会計は店員さんが「藤代さんから頂きました」と言っていたので心配することはなかったのだけれど、すごく驚いた。本当にいつの間にだったんだろう?
「どこまでいきましょ」
 運転手さんがちらっとこっちを見て、聞いてくる。
「すみません。……ええっと、藤代くん!おーい!おうち、どこ?」
「んー、んー、北……」
「北?何?」
「んん、ねみぃ。よろしく」
 藤代くんはそう言って、私の肩に頭を乗せて寝入り始めたのだ。彼の重さに、本当に寝ていることに気付く。何で……。
 恥ずかしいやら、運転手さんに申し訳ないやらで私は汗をかく気分で。仕方が無く、私は自分のアパートの場所を運転手さんに告げた。
 運転手さんは無愛想に返事をすると、するすると車を動かし始めた。
 私は肩に寄りかかる火の玉のような熱さの彼を心配しながらも、どこか心の端で喜んでいることに気づいた。
 ちょっとは、心許してもらえてるのかなー、なんて。
 こんなにまで酔ってしまうなんて。
 私は彼の逆を向き、窓の外の流れるネオン街をそっと見送った。















長いので続きます。









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