かぐや姫 渡された台本は「かぐや姫」だった。代表的昔話としても有名だし、古文の教科書にも載るぐらいなので学生の演劇には馴染みやすいかもしれない。台本を読み進めていくと、決められた時間内に済むようにうまく文芸部がまとめてくれたらしく、見所を絞ったようになっている。 台本をもらって、赤城くんと向き合って読み合っていると、ふいに彼が言った。 「かぐや姫ってこんな話だったっけ」 「ええ?中学で習わなかった?」 確かに習ったのは大分昔に感じるけれど、たかだか2,3年前だ。私はちゃんと覚えている。教科書では端折ってあるところもあったから、全部知っていた、とは何とも言えないが。 「なんかやった記憶はあるけど、忘れちゃったな。かぐや姫ってこんな我儘だったのか」 「うーん、そうだね。最後は涙を流したりして可愛いところもあるじゃんって思うけど」 私が台本から顔をあげながら言うと、赤城くんはふと、にやり、と笑った。 「君、ぴったりじゃないの?」 またか、と思いながら私は言い返す。 「またそんなこと言う!もう!じゃあ赤城くんだって帝ぴったりじゃない!?勝てそうもない月の人に歯向かう気マンマンなところとか!傲慢っていうか!」 私が机の上に台本を置いて言った。ちらりと他の人の視線を感じたので、静かに、声を抑え目で言ったが、実のところ、少しイラっとしていた。赤城くんもふうっと息を吐いて首を少し傾げた。 「それは傲慢とは違うだろ。かぐや姫への愛情たるものじゃないか。分かってないなぁ」 「それを言うならかぐや姫だって、只の我儘で貢物しろなんて言ってないんじゃない?結婚したくないけどあっさり断るのもなんだから、っていう気持ちからなんじゃない?」 「そういうところがいけ好かないんじゃないか。断ればいいのにさ」 「時代背景ってものがあるんじゃないの?」 「へえ、君は平安の時代背景に詳しいのか。ちょっと教えを賜りたいな」 「……!もう、いい!」 何でこうなっちゃうんだろう……。 彼と顔を合わすと楽しく喋っていても、こうして言い合いになってしまうことが少なからずあると思う。その理由としては、私も、多分彼も頭に血が上りやすい性格なのだろう。もしこんなかぐや姫と帝だったらば、悩む間もなくかぐや姫は月に帰ってしまうんだろう。私が今家に帰ってしまいたいと思っているように。 「ちょっとごめん」 けれど、かぐや姫役の私ではなく、赤城くんがそう言って席を立ち、生徒会室を出て行ってしまった。 今はそれぞれお話の箇所箇所のペアで読み合いをしている為に、他の人たちもちゃんとセリフ合わせをしている時間だった。五人の若者たちの役の子は翁役の子とそれぞれのセリフを合わせている。帝のお付きのものたちは月の人役の子たちと合わせている。私はその相方を失ってしまい、イライラ、クサクサしたまま、一人で小さくセリフを読んでいた。けれど、到底頭に入っていくものではない。 (どこに行っちゃったんだろ、ここは羽学なのに……しかも勝手に……!) 数分経って、私もトイレにでも行こうかと立ち上がったところだった。生徒会室の扉が開閉し、赤城くんが戻ってきたのだった。私は顔を合わすのも何だか嫌だと思ったので、思わずそっぽを向くと、赤城くんは私の傍に駆け寄ってきた。 「……ごめん、何か変な空気にしちゃって。これ、飲んでまた続きの読み合わせしようぜ」 「え?」 そう言って赤城くんは私と彼の練習場所である机にカフェオレと、レモンティーの缶を静かに置いた。私が理解できない、と言いたい顔で彼の顔を見つめると、赤城くんは困ったように眉を寄せて、もう一度缶に手を置いた。 「何が好きか分からなかったから。どっちがいい?」 もしかしたら、彼は不器用な人なのかもしれない。私はちょっと唇を噛んだ。ちゃんと謝ってくれたし、私もかっとなっていたのは確かだし、ここは私も素直に謝ろうと思った。 「私も、何だかごめん。……じゃあレモンティもらうね」 「ああ、どうぞ」 「あの……購買、どこかすぐ分かったんだ」 「うん、初めにここに来るときに見かけたから」 「お金払うね」 「いい。本当にいいから……あのさ、別に僕は君とケンカがしたい訳じゃないんだ。本当に。」 ぷしゅっと勢いよくプルタブの開く音がして、私と赤城くんはちょっと見つめあった。そして同時に笑ってしまう。 「そんなの私だってそうだよ!」 「それもそうか」 「ありがとう、いただきます」 たくさん喋って怒った喉には、レモンティの爽やかな甘みがとても心地よかった。 当日、十二単を用意してくれた手芸部に私はまずすごく驚いてしまった。 「すごいね!ホントに全部これ作ったの!?」 「うん、羽学とはば学の手芸部総出だよ!時間があんまり無いから略式にしちゃったけどね。本当は本物のも作ってみたかったけど」 手芸部の部長が胸を張って言ってくれた。着付けにはその部長のお姉さんである貸衣装屋さんが手伝いにも着てくれて、あまりの本格的な着付けに私はとうとう喋れなくなった。 「…重いね、やっぱり。動けないかも」 「かぐや姫はそんなに動くシーンないでしょ?大丈夫。綺麗!」 「うー、でも緊張するよ……」 万一転んだりしたらみっともないし、私はそれが少し不安で息を長く吐いた。けれど、重たいのは重たいけれど、不思議と普通の和服のように締め付けられる感じではなかった。ふと顔をあげると、向こうから同じように平安衣装を身に着けた赤城くんが歩いてきた。頭には冠を載せてゆっくり歩いてくる様は、ちゃんと帝っぽく見える。 「オッス、君も着替え終わった?」 「オッス……重いね…」 「はは、重いね。僕も動きづらいなって思う。君はもっとだろう?」 「そうなのかな。手芸部すごいよね」 私は笑おうとしたけれど、頬が引きつるのを感じた。 着替えに手間取り、出番はもうすぐだった。生まれたばかりのかぐや姫(人形で代役をしてもらう)が姫に成長したところからが私の出番だ。不安なセリフをもう一度確認しようと台本を読み返す。 「……ねえ、姫」 「……え?何?」 「見た瞬間に思ったけどさ」 「……うん」 頭の中でいしづくりのみこ、くらもちのみこ……と一番間違えそうな人名と宝物の名前を復唱していたとき赤城くんが言った。 「すごく緊張してる?」 「…………うん。すごく。してる」 彼が私の顔を覗き込む気配がした。私は視線を上の方に上げてあべのうだいじん、と口の中で呟いていたけれど、彼に視線を合わせた。 「間違えたら僕がフォローするから、気にするなよ」 「うう、うん、お願いします」 赤城くんは私の黒髪のカツラをちょっと直してくれた。傾いていたようで、彼は小さく、「よし」と言ってそのまま軽く頭の上をポンと叩かれた。 「せっかく綺麗な衣装着てるんだ。君はいつも通り、笑ってな」 その手のおかげかどうか分からないけれど、間違えたときは間違えたときかな、といい意味で開き直れた気がした。私は頷く。 「よし、行って来る!ありがとう!」 「おう!また舞台で」 「おう!」 『珍しい宝物をお持ちくださった方のところに私はお嫁にいきます』 『かぐやよ、それはどういうことじゃな』 掲げられた御簾の後ろから私は声を張り上げた。例の人名と宝物の長口上だ。 『石作の皇子は天竺へ行って仏の石のお鉢をもってきてください。車持の皇子は蓬莱山の白い実のなる小金の木を。安部の右大臣はもろこしで火ねずみの皮衣、……えっと』 ふと観客席が目に入ってしまった瞬間だった。 私はすっぽりと今さっきまで覚えていたセリフを忘れてしまったのだ。 何とか目を閉じて台本のページを思い出してみようとするものの、焦りのせいか、どうしよう、という単語しか頭に浮かばない。ああ、どうしよう。不自然に空いた間に少し場内がざわめいた気がした。それが更に私を焦らせる。 そのとき、私の視界の隅で誰かが動くのが見えた。誰もウロウロするシーンではないので、そちらにつられるように顔を上げると、帝―赤城くんが御簾のすぐ向こうへ来ていた。 『かぐや姫よ、もう忘れるような宝などいらぬのだろう、私の元へ嫁にくればよい』 私は驚く。 まず、帝はまだここでは五人の若者がばたばたと出かけてゆくのを見送る立場だ。そんなに求婚を蹴り続ける姫とはどういう女なのだろう、と言ってそれから出てくる役だ。 それをこのタイミングで求婚なんて、話がめちゃくちゃになってしまう。でも私を助けてくれるつもりで出てきてくれたのだろう。私も慌てて何か良い返しは無いかと頭を巡らす。 『…私は宝物を持って帰られた方のところにお嫁に行くのです。帝はもう少し待っていてください』 笑い声が聞こえる。 万人が知っている話の筋なのだから、ちょっと違えば皆気付くだろう。御簾ごしに赤城くんの笑顔が見えた。笑い声を堪えているぐらいのその表情に私も緊張が解けてゆくのを感じた。それと同時にふっとセリフの続きを思い出す。 『……大伴の大納言は竜の首にあるという五色の玉。そして石上の中納言は燕が卵と一緒に生むという子安貝を取ってきてください』 最後まで言い終えてほっと息を吐くと、赤城くんが言った。 『もし誰も持って帰ることができなければ、私が姫を貰い受けよう』 そしてナレーションが入って場面は若者たちが宝物を用意するところへ移る。私と赤城くんはさっと舞台袖へと捌けた。 「あ、ありがとう、赤城くん…」 「まったく、焦ったぜ?でも何とか思い出せてよかった」 「うん……赤城くんのおかげ」 作中さながら、扇で口元を隠しながら言った。でも不思議にするりとお礼が言うことができて私は違う意味でどきどきした。重い衣装を引きずって、また次の出番に控える為に向きを変えていると、赤城くんがさりげなく手を引いてくれた。 「え?あ、ありがと……」 「うん、君、転びそうだから。ここで転んだらホントにシャレにならないぜ」 優しく握ってくれる手とは反対にいつもの様な口調。私は笑いをかみ殺しながら返事をした。 「そんなヘマしないよ、と言い切れないところがあれだけど…、よし、ありがとう」 ゆっくり手を離して、隣の赤城くんを見上げる。彼は尺を口元に当てて早口で言った。 「まあ、似合ってるからいいんじゃないか。ちゃんと輝かんばかりに美しいよ、姫」 「…え?ええぇー?何それいきなり…」 ぶっきらぼうに視線を逸らしてそう言われて、私は思わず扇で顔を覆った。 「出番だよ、姫!」 袖にいた監督役の子が呼びに来た。彼女は俯いている私の顔を怪訝そうに見る。 「ん?さっきの失敗気にしてるの?大丈夫だったからね!ドーンと行ってきて!」 私が俯いていたのは、そのせいではないのだけれど、弁解する間もなく。私はまた舞台へと戻った。 |