震える月











 ダングレストには色々な職の人間が集まってくる。そして料理人を目指す人の行き着くところでもある料理スタジアム施設もあるので、やはり食堂のレベルも高かった。そこかしこにある食堂は価格の割に提供される食事の質が格段に良いところが多く、私達は旅の合間にダングレストへ食事をしに寄ることもあるぐらいだった。
 そして今日もひとつの食堂で遅めのランチにありついていたところだ。ちなみに食べ終えると今度はバウルに乗ってミョルゾへと行く予定があった。

 ダングレストはいつも夕暮れの街だと聞いてはいたけれど、実際目の当たりにするととても不思議だった。夕方と言えば何も言わなくても寂しくなってくる時間帯だし、夕日を見ると郷愁感に駆られる景色だという先入観がある。その上で「ずっと夕暮れ」の不思議を実感すると時間の感覚がおかしくなった。
「そうね。俺様も最初はそんな感じだった。何時かよくわかんねんだもん」
「だな。俺もこれはちょっと慣れない」
 私、レイヴンそしてユーリがそう話していると、カロルは少し得意気な顔を見せる。
「僕はこの夕暮れの空を見ると『あー帰ってきたんだなー』って思うよ。世界中一緒に回ったけどさ、やっぱり夕方になって日が暮れてくると不思議とほっとしたもん」

 私たちの会話をふんふん、と聞いていたエステルがそこへきて急に口を開いた。彼女はさすがにお行儀が良いので、きちんとナイフとフォークをハの字に置く。
「で、結局凛々の明星はここに本拠地を立てるんです?」
 誰とも無く顔を見合わせた。
 ユーリの視線はカロルに刺さっている。当然、ボスであるカロルの意見待ちなのだ、という態度だ。次第に自分に視線が集まっているということに気付いたカロルは頬を少し高潮させながら、小さな声を出した。
「まあ、やっぱりダングレストのほうが都合がいいかなって思ってる……よ。ユーリは、いい?」
 私は今度はユーリの方に視線を送る。当の本人はいつものように飄々としながらちょっと笑った。
「俺は、カロル先生についてくだけだぜ?な、ジュディ」
「ええ。ボス」
 水を向けられたジュディスも優しく微笑むと言葉の後半はカロルに向けて言う。
 不思議と胸が熱くなってくるのを感じる。

「いいないいなーおっさんも楽しくギルドしたいなー」
 左手のフォークを口に当てながら、レイヴンがおどけて言う。あはは、とカロルが嬉しそうに笑う。
「おっさんは天を射る矢再建にちゃんと尽くせよ。んで?」
 ユーリはさらりとレイヴンをあしらうと、私に今度は視線を合わした。

は?こんなこと今聞くのもどうかとは思うが、良かったら一緒にやんねーか?」

 それは本当に軽いお誘いだった。
 先のことがどうなるかは分からない。そんな私に気遣いしてくれたんだ。段々と今度は私に視線が集まってくるのを感じて、思わず食事の手を止める。
「私は……」
 元の世界に帰る方法は分からずじまいだ。些細な手がかりでもいいと思っているけれど、なかなかそれもない。四大精霊となった始祖の隷長たちでもお手上げだったくらいなのだから。
 帰れなかったら。
 そう考えない日は無い。その不安を押し込めて毎日歩いているのだ。
 この世界で一生を暮らすのも悪くはないと思う。ただ、ひとつ、家族や友人にはもう二度と会えない、というただそれだけが気がかりだった。

「もし、帰ることができなかったら……ギルドのお役に立ちたいって思ってる」

 今の時点での何よりの本音だった。
 魔物と戦うのは未だに怖かった。それ以外でギルドに貢献できることがあるなら何でもやりたいと思う。
「表に出ないスタッフもいたほうがいいかな、とか。経理とか事務的な、裏方。私、そっちの方が向いてるかも」
「確かに。アンタならちゃんとできそうよね」
 今までじっと話を聞いていたリタが言ってくれた。私は横を向いて微笑んでみせる。ありがとう。
 うっかりすると、泣いてしまいそうだった。声が震えそうなのを必死に堪えた。
 今のこの気持ちをどう表現して良いか全く私には分からなかった。怖い。不安。それにも劣らない、必要としてくれるという、喜び。

 その後はせっかくの美味しいご飯の味がよく分からなかった。私は混乱している自分を悟られないように、それだけに努めていたから。



 意外にもミョルゾから上空の眺めというのは全然見えない。空があるというのはかろうじて分かるけれども、例の不思議な大きなクラゲのような始祖の隷長に阻まれていて、景色を楽しむということは叶わない。
 それでも私は下の世界を眺めるようにひとり見つめていた。端的に言えばひとりになりたかっただけだ。
 今頃は皆は天蓋のかかった、異世界情緒溢れる寝台(ベッドというより寝台、と言いたい)でゆっくりしているだろう。まだ眠るには早い時間だったけれど、ミョルゾの街は既に薄暗く外灯も何もなかったのでただ月の明かりだけが光っていた。

「隣、いい?」

 敢えて足音を立てながら、近づいてきた人がいた。声で分かっていたけれども、私は振り返ってその姿を視認する。
「どうぞ、レイヴン」
「ありがとう」
 以前、突然声を掛けられて酷く驚いたときがあった。それで彼はわざわざ距離があるところから足音を立ててくれたのだろう。少しだけ可笑しくなって、石段に腰掛ける彼に倣い私も座り込んだ。
「月が見えるよ」
「あ、本当だ。お月さんはちゃんと見えるんだな」
 レイヴンはそう言い、手を床に突いて仰け反るように月を眺めた。私も首を傾けて真上に顔を向ける。
 透明なセロファンに覆われたような月の光は柔らかく降り注いでいた。

ちゃん、元の世界に帰れるとしたら…………どうする?」
「え?」

 ゆっくりとそう呟くように漏らした彼の顔を見る。彼もこちらをじっと見ていた。
 いつものおどけたような、ふざけたようなそんな色は微塵も無く、真剣な翡翠色の瞳がただ月の光を受けて、揺れていた。
「どうするって……」
「帰るかい?」
 続けて言われた言葉にも冗談の影はなりをひそめ、ただ静かに淡々と聞こえた。
「帰れるの?何か、分かったの?」
「……大将がずっと研究を進めていた魔道機の書類の中にこういうものがあったらしい」
 レイヴンは紫色の羽織の中からなにやら書類のようなものを取り出した。それを受け取り、目を走らす。かろうじて読めそうな文字の表題は読めたが、専門用語らしきものが並ぶ中身の方はさっぱりだった。
「ごめん、全然読めないや。”……解明に向けて”っていうレポート?」
「ああ、大将がザウデの処理をしながら見つけた論文みたい。ここ……」
 彼の指が数枚紙をめくり、ある部分を指す。気持ち私は身を乗り出した。
「”異世界への転送装置の解明”と書いてある。奴さん、案外この世界がダメになったら逃げようとでも思ったのかもしれない。まあ表紙に赤くバツが書いてあるところを見るとそうじゃなかったと思うがな。もしくは邪魔になった何かを転送しようとしたのか」
 結局、それは叶うということなのだろうか。私は動悸が激しくなってゆくのを感じていた。頭の奥がぎゅうっと痺れたように思える。
「俺や、ちゃんにはちょっと難しい話だけれど、あのリタっちなら、これを解読して何とかしてくれんじゃないかって、思ったわけ。どう、帰れそうな感じでしょ」
 顔を見合わせていた私は思わず目を逸らした。
 嬉しそうにさえ聞こえたそのセリフにショックを受けたという訳ではない。

 本当の選択をする日が来るのだという実感が頭の内を占めていたのだ。

 レイヴンは少し、ほんの少しだけ笑った。唇の端は上がったまま、目を半分ほどゆるく閉じて私を見ていた。
「…………」
 私はそっとその表情を見つめなおす。
「…………」
 なぜ、何も言ってくれないのだろう。
 私もなぜ、何も言えないのだろう。
 喉の奥に粘土を詰められたように声を発せられなかった。

 心が二つに割れた気がした。





 不思議と震える唇で私は声を出す。
「レイヴンは?私が帰ってもいいと、思う?」
 自分のつま先を見つめたまま私は言った。
 それでも隣の紫の肩が揺れたのは視界に入る。
 少しの沈黙の後、静かに返事があった。
「俺……かぁ」
 小さく空気が漏れる音。レイヴンがちょっと笑っていた。
「俺に聞いちゃうのね。ちゃんたら意地悪」

 頬に彼の視線を感じる。私は膝に顔を埋めるようにして、それを避けた。
「意地悪でごめん」
 私の前に回りこまれる気配がした。やがてそれと共に頭の上に温かい感触を覚える。
「違うよ。意地悪じゃないさ。……そりゃもちろん、俺だってちゃんがいなくなったら寂しいよ。でもお前さんにだっているんだろう?家族や、叶えたい夢だって、あったんじゃないのか?」
 諭すような響きを持った声音。頭上の温かな重さ。顔を上げると、レイヴンはとても優しく微笑んでいた。
「そうだよ。家族だっている。どうしよう。私、こんな決断できないよ……」
 もう二度と自分の部屋のベッドで寝ることは、叶わないのかもしれないと諦めてすらいた。なのに戻れるかもしれないという期待。そして、そうなると必然的にどちらの世界かを選ばなくてはいけない現実。

 転送装置は送ることは可能だけれども、送り先からは戻ってくることはできない装置だという。なぜなら送った側にその装置がないため。答えは明白だった。

 帰ったら最後、もうこの星には来られない。
 皆に、会えなくなる。レイヴンにも、ずっと、二度と。

「私、離れたくないよ。皆と離れたくない」
 そう、言葉にしてしまうと、もう堪えることはできなかった。呆気に取られたような顔をするレイヴンがぼやけて、見えなくなるほど私は涙を零し続けた。

 私が泣き止むまでの間、レイヴンはずっと頭を撫でていてくれた。

「……ちょっとは、落ち着いた?」
「……うん。ありがとう」
「素直じゃない」
「……そうかな」

 きっと瞼は腫れて、そして鼻も垂れて酷いことになっている顔はあげられなかった。
 レイヴンはそのまま私の肩を少し、抱き寄せる。
「顔上げられないんなら、こうしとこ」
「へへ、ほんとに酷い顔になっちゃってる」
 私は抵抗する気力もなく、されるがままに彼の胸に頭を預けた。感情をフル稼働させた後で、恥ずかしい、とかそういう気持ちにもならなくて、ただただじんわりと心が温かくなった。
「……服に鼻水ついちゃったよ。ごめん」
「あはは、洗って返してちょうだい」
「……うん」
 背中に回された腕は、太くて、熱い。少し冷えた身体にもとても心地よくて、私は安心しきってしまう。
 深く息を吐いて、吸うと、太陽のようなニオイがした。

「レイヴンがすき……」

 私はそう呟いてしまってから、はっと我に返った。心なしかレイヴンの身体が震えたような気もする。
 今。私はつい。
 ぽろりと零してしまった本当の気持ちに自分自身でまず驚いた。
 急に心臓が早鐘を打ち始め、自分の周りの空気が熱く固まっていくような気がする。
 どうしよう。どうして今言ってしまったのだろう。
 何か更に言うと余計恥ずかしいと思うのでひたすら黙ることにした。よりによって、こんなシチュエーションで言うつもりなんてなかったのに。逃げようにも逃げられない。動くことも叶わず、私は黙って小さくなっていた。

「…………えっと、ちゃん…………?」
「!!」

 耳のすぐ側で囁かれた自分の名前。響きには明らかに戸惑いの色があった。もっと俯こうと下を向いて、私は彼の胸におでこをつけて、自分の膝に顔を埋めた。二度と顔を上げられないと思う。できればこのまま私を放ってどこかへ行って欲しいぐらい。
 今言おうと思った訳ではないし、言ったところでどうしろというのだろう。何も求めてもいないというのを伝えたいけれど、何て言って良いか分からなかった。結局、私は何も言えない。

「……ごめんね。俺から好きだって、言えなくて、ごめん」

 額に当たる、固い感触。レイヴンの魔道器はほのかに温かい。その言葉を理解しきれなくて私は思わず顔を上げた。

「帰りなさい」

 静かに響く声に、私は冷たい水を浴びせられたような気になる。
 目が、覚めたと思った。

 知らず、彼の服をぎゅうっと掴んでいた。
「帰ったほうが、いいと、思うの?」
 私が掠れた声でそう尋ねると、レイヴンの身体はびくりとした。
「……ああ、もちろん、それがいいに決まってるんだ」
 いつになく低い声でそう言われると違う人のように思える。
 まして、私はその人に今抱かれていて、本当に夢なんじゃないのかという気がした。彼もごく近くで私を見つめている。
「泣かないでくれ」
 そういうレイヴンの瞳が潤んで見える。私の視界がぼやけているせいか、判別つかないけれど、私との別れを惜しんでくれているのだと、そう瞳は訴えてくれていた。
 私を閉じ込めていた腕が一度強く力が入り、それからだらりと横に落ちた。私は同時にゆっくり、立ち上がる。

「わかった」

 涙は出ていなかった。


















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