「やっぱり、エステルはフレンの恋人だったんだね……なんというか、フレンも私たちに言わないなんて水臭いっていうかさぁ……」
 おかわりも進み、4杯目で私はティーサワーに切り替えた。ちゃんぽんしている訳だが、正面の彼は「変な酔い方するなよ」とありがたくも忠言してくれる。でも今日はあまり酔わない気がして、私は首と手を同時に振った。
「本当は酔っ払って忘れちゃいたいんだけどねー。フレンのでれでれした顔とか、フレンの嬉しそうな顔とか、真面目くさって『エステリーゼ様』って呼ぶ声が優しいとか、もう……」
 そう言いながら、つい思い出してしまう。

 薄暗く、雨も降っていたのに、どうしてかそこだけスポットライトが当たっているように光って見えた。きっとそれは私にとって衝撃的だったからなのだろうけれど。
 抱きつくエステルに腕を回すこともせずに上下に慌てて動く腕。

「お前さぁ、もう、ひつこいんじゃね」
「なによ、うん、もう、いいんだけどね……えっとそれぐらいじゃないとお城抜け出してまでエステル一人で突っ走ろうとしないよね」
「おまえ、ほんとさぁ……」

 ふと、酔いが回ったのかと思った。
 やたらすぐ目の前に座っているユーリの頭が揺れているし、彼の声が聞き取りにくい。
「ねえ、何?何かよく聞こえない」
「……うん」
 彼はそのまま傾ぐ頭をテーブルに突っ伏すと、動かなくなった。そばにある空になったパフェの器が僅かに揺れる。
「どうした、いきなり寝ちゃったの……?」
 そう言いつつ向かい側から手を伸ばして彼の頭を揺すってみるが、呻き声が短くあがるだけ。妙に触れた頭が熱を持っていた。おかしいな、と思いながらテーブルを枕にしている彼の頬に触れてみると、ぽっぽっと熱を放っていた。

「え……?」

 慌てて彼の飲んでいたグラスを掴み、一口飲んでみる。

 明らかにこれは私の頼んだティーサワーだったのだ。
「お姉さん、間違えちゃったんだ……」
 同じタイミングでユーリもアイスティーのおかわりをしていたのだ。私は一気にほろ酔い気分が冷めていくのを感じた。
「ユーリ?ユーリ起きなさい。もう帰ろう」
「…………」
「返事がない!!」

 私が一人であたふたしているところにウェイトレスのお姉さんがやってきたので簡単に事情を説明すると、平謝りしてくれた。結局注文間違いだったのだけれど、私はそんなことよりも帰りが気になる。ユーリはほとんどお酒を飲むとこうして寝入ってしまうのだ。さすがに私も大の男一人を担いで歩く自信が無かった。
 大体、口に含んだ時点で気付かないユーリもユーリだ。
 彼は自分が下戸だということをちゃんと自覚しているので、こういう場でもいつもは一切飲まないというのに……。
 慌ててお会計を済ませてくると私は椅子の後ろからユーリを思い切り揺さぶった。
「帰るよ!!ねえってば!!」
「…………うん」
「お願いだからちょっとは自分で歩いて!!」
「…………うん」
「起きてよー」
「………………」
 いつもの颯爽とした出で立ちはどこへいったのか。くにゃくにゃとテーブルに突っ伏したままでいるユーリを私は彼の脇の下へ腕を突っ込んで、引っ張り上げる。
「おもたい……」
 そのまま自分の肩へユーリの腕を回して立ち上がると、ずっしりと意識を失った人の重みを全身に感じた。段々イライラしてきて、かすかに寝息を立てている暢気なユーリが恨めしい。横っ腹にひとつ、思い切り突きを入れた。
「ぐっ…………んんん、何だよ起こすなよ」
「ちょっと分かってる?ここはまだ酒場だよ?宿まで歩いて!」
「あーお前に任せる」
「全身を!任せるな!」
 流石に突きの反動で目は覚めたみたいだが、実に気持ち良さそうに彼はへらへらと笑うと、私にそのまましなだれかかったまま歩き出した。
 明日の朝、覚えてろよ、とお腹の中で呟き、私たちはそのまま酒場を後にした。

 外に出ると、天の助けかは知らないが、すっかり小雨模様になっていた。こんなところを追っ手に見つかって襲われたとしたら正直ユーリを庇って戦い切る自信はない。僅かでも天候が回復している今は帰り易いだろう。
 完全に私に体重を預けながら歩く彼はやっぱり重たかった。
 よろよろと歩みを進める彼を叱咤しながらできるだけ急いで宿にたどり着く。
 ひやりとした雨から逃れ、宿の中へ入ると肌がほっとした。
 それでもしっとりとした髪の毛に気持ちが悪い。後で湯浴みさせてもらおうと思いながら宿の階段を一段づつ上る。半分引き摺られている形のユーリは私より一段遅く上っているため、体重を確実に私の肩と腰が受け止めていた。何でこんな目に、と散々な気持ちになり、何だか泣きたくなってきていた。

 やっとの思いで男性軍が借りた部屋の前にたどり着くと、再びユーリの横っ腹を突いた。もう思い切り突く力も無かったので、正しくはつついた、ぐらいのことだけれども。
 ようやっとこの重さから開放される、と私はユーリの腕を解き始めると、彼の声を聞いた。
「ん、着いた…………?」
「着いた?じゃないよ、もう絶対ユーリと飲みにいかないんだから……」
「はは、悪い」
 ずっしりとユーリは私の肩にあごを引っ掛けたまま、動こうとしない。喋るたびに耳に息がかかってとてもくすぐったく、小さく笑ってしまう。
「なに笑ってんだよぉ……」
 まだ声がのんびりとしている。私は廊下や部屋に響かぬように小さく笑いながら、「くすぐったいから早く離れて」と言った。

 急に身体が拘束された、と思った。
 何が起こったかまったく訳が分からなくて、声も出なかった。

「あのぉ、ユーリさん……?苦しいんですけど」

 ユーリがよろけた拍子に、私にしがみ付いてきたのだった。

 背中から苦しい程に私の腕ごと締め付けられていて、あまりのことに、動揺する間もなかった。
 けれども、その後ずっと黙ったままのユーリに私は違和感を覚えた。動けないので私はじっとしているしかなかったのだけれど、ふと耳に触れる彼の頬がとても熱いことや、回された腕の強さ、髪の毛の香り、そして私の首元にかかる吐息、全てに異性を感じてしまい、急に私の心臓は速く動き始めた。
「あっあの、ユーリ、えっと、離れて……」
 やっとのことでそう言うと、思っていたよりも声が小さく出てしまう。急に恥ずかしくて頬が熱くなってゆく。私は腕を振りほどこうとするけれど、びくともしなかった。
 ふいにユーリが口を開く。

「俺にしとけば?」

 小さいけれど、でも私の耳には十分に聞こえた吐息混じりの声。
 かすれたようなそのセリフに私は思わず聞き返す。
「何を……」
「フレンより、俺のほうがいいのに」

 掛けられた言葉の意味を脳が理解する。

「何言ってるの……」

 やっぱり小さく声が出る。意識しないと呼吸が難しくて、すうっと思い切り空気を吸い込み、また吐く。
 しばらく、そうして呼吸をすることに集中していると、ゆっくりと、開放されるのが分かった。まるで、かちんこちんに凍っていたように、全身がすぐには動けそうにない感覚だ。
 熱い肌が離れてゆく。
 背中に空気が触れ、ユーリが完全に離れたことが分かると、私は自分で自分の腕をかき寄せた。慌てて背後のユーリから逃げるように、隣の女子用の部屋の鍵を回す。
「悪い」
 急いで扉を閉める瞬間、ユーリがそう言ったのを、私は聞こえなかったことにする。

 部屋は物音ひとつしない。よく耳を澄ますと、かすかに先に休んでいるリタの寝息が聞こえるだけだった。
 閉めたままのその扉にもたれて、私は自然に顔を手で覆った。
 さっきまで触れていた、ユーリよりも絶対に私の頬の方が、熱くなっている。
 
「どういう……もう」
 小さく小さく一人で言葉に出してしまい、そおっと手の甲を唇に押し当てる。リタを起こしたら悪い。

 きっといつもの悪ノリだ。その延長線に違いない。
 そう思いながら、私は気を紛らわす為に荷物を大袈裟に漁って、タオルを取り出した。
 ユーリはずっと私がフレンを好きなことを知っているし、きっと慰め、とからかい半分にそう言ったのだと、そう自分に言い聞かせる。

 けれども覚えている限り、そういう類の冗談を彼が言ったことは、今まで一度たりとも無かった。




















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