君への想いの行方 (1) 晴れて両想いになった僕と彼女はこれも奇跡のなせる技だろうか、志望校まで同じだった。これでめでたく同じ大学へと通えることになり、僕は新学期を心待ちにしていた。 卒業式の日に『たまたま』『偶然』バスを乗り間違えてはば学へと来てしまった彼女を教会で見つけたときには、運命だと思ったものだ。神様も捨てたもんじゃなかったな、と。 ただ― 「氷上くんも一流大だったとはね、知らなかったよ」 「そうかい?いつだったか志望校の話をしたことが無かったかな」 「そうだっけ?」 キャンパス内の中庭のベンチで僕はさんを待っていた。すると、見知った顔が歩いているので声をかけたという訳だ。それが彼。羽学出身の、氷上くん。僕はなんとなく嫌な予感に駆られた。 「なあ、氷上くん、もしかして羽学のさんって知ってる?」 「ああ!そういえば赤城くん、君は―」 急に思い出したように声量を上げた彼は、僕の顔を見返すと、目を大きく開けて何か言おうとした。だが視線が僕の後ろに止まったまま、言葉の続きが聞こえてこない。僕は予感を察しながら振り返る。 「おまたせ〜!あ、氷上くん!何か久しぶりだね〜!」 彼女だった。ゆるっとした素材のワンピースにカーディガンを羽織っている。肩上で切りそろえられた髪の毛を揺らして、手を振りながら僕らの座るベンチまでくると、ごく普通に僕の隣に立った。 さん。彼女が正式に僕が付き合っている、正真正銘の『彼女』だ。氷上くんと同じ羽学からこの大学に進学しているので、二人が顔見知りであってもおかしくは無いはずだ。僕はお腹の底でもやがかかったようになっている気持ちを押し込めて、笑顔を作った。 「やっぱり、知り合いだったんだ、氷上くんとさん」 「そういえば、君がうちの学校に来たことがあったな。その時、噂になったんだよ」 僕は『噂』という単語に耳がぴくりと動いたのが分かった。僕の今の気持ちなど分かるはずもなく、氷上くんは話を続けた。 「くんがはば学の男子と痴話喧嘩をして泣いた、とか、はば学に交際相手がいるだとか」 「えっ」 声をあげたのはさんだった。そして小さく「泣いてなかったよ」と付け加えていた。それを耳にしたか、氷上くんは少し柔らかく笑う。 「ただの噂だよ。でもその相手が赤城くんだったんだな、そうか、そういえばそうだ。君たちは、知り合いなんだね」 知り合い、という言葉に反応したのか、さんは顔を僕に向けた。困ったように少し眉尻を下げて、どうする?と言いたそうな目で僕を見上げる。それはからかうような、挑戦的なようなそんな強さを湛えており、僕は舌先で少し唇を潤した。 「実はその、氷上くん。僕たちは」 「あ…君!佐伯くんじゃないか!おい!」 佐伯までいるのか。 そう心の中で呟いた瞬間、氷上くんの呼びかけにより振り返った佐伯その人が明らかに動揺した顔でこちらに向かってきていた。 「や、やあ、皆、元気そうだね」 さんも手を小さく振って答えた。 「佐伯くんも一流大だったんだねぇそういえば」 久しぶり、と笑う僕の隣の彼女を見ると、心なしか嬉しそうに見えた。いや、普通、旧友に会うのは嬉しいものだろう。そうだ、ごく普通の反応で、それ以上ではないはずだ。きっと。 でもこの胸騒ぎは一体なんなのだろう。それを駆り立てるのが、佐伯本人の表情にあったとは気付くのが遅れた。 「何だ、赤城もここだったのか」 「”何だ”は余計じゃないか」 そう言う佐伯は僕と彼女の顔を少し見比べる。 「お前らも知り合いなのか?」 佐伯に指を指された僕と彼女が返事をしようとしたところ。 「そうらしいな、僕も今聞いたんだ」 氷上くんが頷いて教えていた。 そうなんだ。そうだけど。けれど、そのまま僕と彼女の関係を披露するきっかけがなくなり、僕たち4人は、しばし雑談した。彼の働く喫茶店の閉店の話もしたかったけれど、氷上くんの耳に入ったら悪いかもしれない、と口にしなかった。他にも話すことはあった。学部はどこだ、とかサークル決めたか、とか新生活が始まったばかりの僕たちは話題に事欠かなかった。 「お前、この後、飯でも食う?」 佐伯がさんに言う。 用事があると言って氷上くんは帰っていったが、時間はちょうど夕方。自然とそういう話になった。そもそも僕とさんも夕食を食べに行く約束で待ち合わせていた訳だし。 彼女はちらりと一瞬僕の顔を見た。僕は何も言わない。ただ目で頷く。 「丁度わたしたちもご飯食べようって話してたの。佐伯くんも一緒に行こうよ」 「あー、そうだったのか、じゃ、いいよいいよ」 手を振りながら言う佐伯の腕をさんが軽く、叩いた。 「別にいいじゃない。一緒に行こう?」 ふと、佐伯は僕の顔を真っ直ぐ見た。これは、もしかして。 僕は頬を掻きながら、にっこりと笑ってみせた。 「行こうよ、佐伯も。何食べよっか?」 「んー、じゃあ、行くか」 こうしてなぜか3人でご飯を食べに行くことになった。 僕の中ではどうしよう、どうなるんだろう、という不安な気持ちと、どこか面白そうだと思える二つの気持ちが無い混ぜになっていて、何も胃に入ってゆかないような気がしていた。 夕食は「何でも良い」という佐伯と「君にまかせた」と選択権を放棄した僕たちに呆れたように、さんがパスタ専門店を提案してくれた。本当は腰を落ち着けてさんとじっくり話せるようなところに行こうと考えていたのだけれど、佐伯がいるんだったらまぁどこでもいいやという気持ちになってしまった為だ。別に最初から投げやりだった訳ではない。念の為に心の中で弁解をする。 その店は人気があるようで、女の子同士のグループや若いカップルが席を埋めていた。まだ夕食時には少しだけ早い時間なのだろうけれど、既に混みかけているということは、あまり長居しなくても良いな、と少しほっとする。もちろんお開きにする理由ができるからだ。 「で、佐伯くんと赤城くんはどこで知り合ったの?」 四角いテーブルだったらどうやって座ろうか、と思案していたのだが、僕たちが通されたのは丸型のテーブルだった。何も考えず安心して着席し、とりあえずメニューを決めると早速さんが僕たちの出会いを聞いてきた。思わず僕は彼と目を合わせた。 「コイツは知ってるから……。珊瑚礁だよ。赤城が普通に客で来たんだよ。そんだけ」 「ふうん……?」 友達というほどでもないけれど、客と店員というには近いような距離に、さんは納得がいかないように口を尖らせた。きっとこれは彼女のクセだ。何か言いたいことがあると、尖っている気がする。 「お前らこそ、どうやって知り合ったんだ?」 今度は佐伯は僕と彼女の顔を交互に見て、そう言う。これは牽制するチャンスだ。僕は少し息を吸いこんだ。 「高校生のときだけどね、急に帰り道に雨に降られて、雨宿りしてたら会ったんだよ」 「そうなの」 「へえ……」 肘を突いて佐伯は相槌を打った。こうして出会いだけを言うとまさに偶然のなせる技だと言いたいが、もっと先の展開になると奇跡なんだぜ、と逐一彼に話してやりたかった。ただそれを全部教えてやるのも勿体無い気がして、最後だけ言った。 「で、こないだの卒業式から、付き合ってるんだ」 「へえ…………え!?」 佐伯は目を見開いて、発言した僕ではなく、さんの顔を凝視していた。その彼女は口元を優しく緩ませて、小さく何度か頷いていた。さらりとまっすぐな髪の毛が揺れる。 「マジ……だよな、まぁ、へぇ、そうなのか」 佐伯はすぐに彼女から目を逸らして、突いていた肘を下ろした。この様子はもう確実に、佐伯は彼女に気が合ったんだな、と嫌でも分かってしまう。僕はほのかな優越感や少しの罪悪感、そしてちょっとの焦燥感全てを感じ、話題を変えた。 「でも羽学からの一流大進学者多いな。他にもいるのかな」 「うーん、後は、氷上くんと、ほら、生徒会にいた小野田さん!それぐらいかな、私が知ってるのは」 「ああ、小野田さんね、あの小さい感じの」 「そうそう。かわいい感じの」 うんうんと頷きながら、僕は椅子の背もたれへ身を預けた。 差し当たって男の同級生は氷上くんと佐伯、二人がいるということか。 その内の一人である目の前の佐伯を僕は観察した。色素の抜けた髪は無造作にまとめてあり、少し俯き気味にしているせいで、意外と長い睫毛にも気付く。鼻筋も高く、初めて出会ったときから思ってはいたが、整った顔立ちだ。彼目当てに喫茶店へ来る女性も結構いたようだったし、さぞかし高校時代もモテたことだろう。 その彼でさえも、彼女に気があったとは。改めて、自分の彼女のスペックの高さに舌を巻く。 やがて注文したものが滞りなくテーブルの上に並ぶと、僕たちはぼちぼちと喋りながらも食べ始めた。 「悪い、俺、じいちゃんとこ行かなきゃいけなかった。先帰るな」 「え!もう?」 早々に自分の食器の中を空にすると、佐伯は立ち上がった。同時にお札をテーブルに置く。 「まだアフターコーヒー来てないよ?」 引き止める彼女に佐伯は苦笑いを返す。 「いいって、家で淹れる」 「そっか」 「じゃ、な、赤城、悪かったな」 急にふられて、僕はフォークを慌てて置いた。 「いや、大丈夫。また学校で」 「ああ、また」 佐伯は僕の顔を一瞬見つめると、すぐに振り返って、行ってしまった。 それを見送るさんの横顔を見ると、少し、寂しそうに見えてしまい、僕と彼女の間にまだ無いものを感じた。 「君ってさ、……佐伯と仲良かったの?」 「うー…ん。まぁ悪い訳じゃなかったかな?たまに遊んだりしてたし」 コーヒーの味が分かる訳ではないが、珊瑚礁のものの方が香りが高かったな、と思いつつ熱いそれをすすり、僕はふいに彼女に尋ねてみた。気が回らなかった訳ではないが、元彼、という可能性だって無いことはない。そこまでの雰囲気では無かったように見えたが、急に僕は気になってしまった。僕の知らない、知ることができない彼女の高校時代を彼は知っている。そのことだけで十分嫉妬の対象になるのだ。過去に嫉妬するなんて、かっこ悪い、と思いながら続きを聞く。 「あ、修学旅行周ったりもしたかな。私、うっかり当日まで全然プラン決めてなくってね」 「ふうん」 羨ましい羨ましい羨ましい。 佐伯禿げろ、と一瞬呪ってしまいそうになったが、多めに見てほしい。僕は行きたくても一緒に行けない立場だったのだから。修学旅行どころか文化祭や体育祭やクリスマスパーティー、果てにはバレンタインなんてイベントも学校の壁というのはとても厚く高いもので彼女と過ごせなかったのだから。思わず僕は口を開いた。 「じゃあ、今度一緒に旅行いこうよ」 「えっ」 「えっ?」 「えっ」 「あ」 つい心の声が零れるように出てしまった言葉だが、嘘ではないし、真実そのものだ。そして、やましい気持ちというものも一ミリたりとも入らない気持ちで言った言葉だ。言ったあとにその意味することを感じ、僕は頬が熱くなるのを自覚した。 「いや、誤解しないでくれよ?そういう意味じゃなくって、修学旅行っていう流れからただ、いいなって思って言っただけだから、別に変な意味で言った訳じゃなくてね、えっと」 「う、うん……分かってる、分かってる…」 その表情はどう受け取ったらいいんだろう。 頬をほんのりとピンクに染め上げて俯きながら「分かってるから大丈夫」と言われても、逆にそれは僕を煽る効果しかないということを教えてあげたほうがいいんだろうか。 付き合ってまだ一ヶ月と少し。 まだまだ早い気がするその「旅行」という響きだったが、この反応は嫌がってもなさそうで、僕はさっきまで抱いていた佐伯や羽学男子への嫉妬心を簡単に手放した。 続き→ |