君への想いの行方 (2) 大学構内の食堂で次の講義の為のプリントを眺めていると、ふいに聞き覚えのある声が耳を掠めた。 「ねえねえ佐伯くんは明日の授業出る?」 「うん、出るつもりだよ」 「じゃあ、隣座ろうっかな!約束しといてもいい?」 「えっ……うん、いいよ」 「ずるーい!私も隣がいい!」 「じゃあ、その次のときは私ね!」 「ああ、分かったよ。覚えておくね」 「やった!」 聞いていて笑いを堪えるのに必死だった。何だこれは。あの佐伯が。いつも面白くなさそうな顔をしている佐伯が、なぜか愛想よく3人の女の子と接している。不思議で奇妙なその光景を僕はそっと見守っていた。 そうして授業の時間割のごとく、佐伯の隣の席時間割を決め終えた賑やかでお洒落な女の子たちは、次の講義があるから、とこれまた賑やかに花を散らしながら去っていった。取り残された佐伯はいかにも疲れた笑顔をその端正な顔に貼り付けたまま、長く長く、息を吐いていた。 「いやあ、大人気だね」 「げっ」 彼の後ろから声をかけると、あからさまに嫌そうに彼は振り向いた。僕は笑いを堪えながら、彼の隣へと移動した。 「何のつもりだよ」 「何のって…佐伯こそ何であんなに愛想良くしてるの?この仏頂面のまんま『うるさい』とか言うのかなと思って見てたんだけど」 「見てんなよ」 佐伯は今度は煩そうに手を振った。僕は顔がニヤけるのを抑えながら続ける。 「見るよ、あんなに賑やかだったら」 「笑うな」 「だって…何だかあの言葉遣いもさ」 我慢できなかった。声に笑いが滲んだのが伝わったようで、佐伯は僕と反対の方を向いてしまった。食事中だった彼は箸を動かし始める。 「……クセなんだよ。3年間身についたクセが抜けなくて、気付いたらああやって接するようになっちゃったんだよ!だから今更つっけんどんにするのもなーとか思うだろ?」 何なんだコイツは。 ぶすっとお米を頬張りつつ、言い訳をし始めるその姿は可愛らしささえ感じられた。これは何とも、今の彼を見せたらきっと、多分、間違いなく、さっきの女の子たちにはイジられてしまうだろうなと思った。 「クセってどういうこと?」 僕は出していたプリントや文房具をカバンにしまい、佐伯の方を見た。彼は黙って食事を進めていたが、既にほとんどは食べ終わっており、箸を置くと声を発した。 「優等生演じてたんだよ。そんだけ」 そう言うと佐伯はトレイを持って立ち上がった。そのまま食器返却口へ行くともう戻ってはこなかった。僕もまた席を立った。 僕は中学時代にしていたアイスホッケー部に入っていた。高校時代になぜしなかったかというと、単純に高校に部が無かったからだ。一流大学にはサークルでなく、部活動として設立されていたので、迷わず入部した。春からはリンクでの練習は無いが、久々に手にしたシャフトを振る感覚は気持ちが良い。心地よい疲れを背負って、一人暮らしをはじめた部屋に戻ると、さんから5分前に着信があったことに気付く。慌ててかけ直すと、バイトが終わったら部屋に寄ってもいいかという用件だったので、一も二も無く快諾した。僕はたった今脱いだ靴を履きなおし、また玄関をくぐった。 アパートを出て、彼女のバイト先へと向かう。彼女は高校生のときも花屋でバイトをしていたそうで、受験勉強をするときに止めたらしい。今はその経験を生かして、大学のすぐ近くの商店街にある花屋でまたアルバイトを始めていた。そこは僕のアパートからは歩いて5分ぐらい。彼女にも、もちろん僕にとっても最高の立地だと思っていた。大学の近くということで、本屋や文房具店、居酒屋やファミレスなど何でも歩いて行ける範囲にあるのだから。 あと数mで件の花屋に着く、というところで丁度彼女が店から出てくるところが見えた。少し遠いが「おーい」と声を掛けると、彼女はすぐに気付き、小走りに僕の方へと駆けてきてくれた。 「赤城くん!迎えにきてくれたの?」 「うん、まあね。この辺危ないだろ。ついでにご飯食べて帰る?」 「そうだね……あ、ちょっと家に電話するから待って」 時刻は夕方18時だった。家ではもう夕食の準備をしている頃だろう。彼女がご飯を食べて帰る、と電話をしているのを聞くともなしに、僕は何を食べようか考えていた。近くのファミレスでゆっくり話してもいいな、それともラーメンでも誘おうか、彼女は何ラーメンが好きだったかな、と考えていると、彼女が僕の腕組していた左腕をぽんぽんと叩いた。 「ごめん、お待たせ、行こう?」 「うん、何食べる?」 「う〜ん、今日はお米食べたい気分」 「お米かぁ〜」 俄かにカップルっぽい会話に緩みそうになる頬を引き締めて、頭の中でこの周辺のグルメマップを思い浮かべた。 結局入りやすい和食風ファミレスに落ち着いた。食べたいものを注文すると、彼女はごそごそとカバンから何かをテーブルの上に取り出した。紙袋に入ったそれは適度な厚みを持っている。 「これ、借りてた本。ありがとう」 「ああ、それで来てもいいかって電話してきたの?別に明日でも良かったのに」 「今日学校で会わなかったでしょ?まぁ、だから」 そう言うとさんは少し俯いて、差し出した本をぐっと僕の方へ押しやった。その様子はなんとなくぶっきらぼうでもあり、僕は少し可笑しくなった。 「理由が無くても、会いたいって来てくれればいいのに」 すると、僕の言葉が図星だったと言わんばかりに慌てる彼女は「別にそうじゃないよ理由がなくちゃ会えないとか思ってないもん」と捲くし立ててお冷を一口飲んだ。 そんな彼女が可愛くて今度は頬が緩むのを抑えられなかった。 僕が注文した黒酢豚定食と彼女の注文した蓮根と鶏のつくね定食はほぼ同時に来て、ほぼ同時に食べ終わった。 僕も割と喋るのが嫌いな方ではないけれど、彼女もお喋りが好きだ。ずっと話題が途切れることは無い。僕と彼女では学部が違うので、それぞれの講義も全く違う。面白い教授の話やちょっと変わった教授の話、どうも芸能人らしい同学年の子の噂、部活の話や高校時代の話も。彼女と話していると時間の経つのを忘れるぐらいだった。 気付けば食後に飲んでいた日本茶も無くなり、店に入ってから2時間は経過していた。 「そろそろ帰ろうか、送ってく」 「いいよ、赤城くんまたこっちまで戻らないといけないでしょ?」 「でも外、もう暗いし。送らせて」 そう言って僕が伝票を持って席を立つと、慌てて今度は「割り勘でいいから」と言ってきた。彼女が意地っ張りなのは本当に相変わらずだ。 今度お茶をごちそうになることを約束して今日は僕が支払いを済ませ、店を出て歩き始める。既に空は暗くなり、星も出ていた。彼女のバイト先の花屋も入っている商店街の中を通り、一流大学前のバス停へと向かう。彼女は2本のバスを乗り継いで通ってきているのだ。 ところが、彼女はバス停の少し手前で徐々に歩みを止めた。 「……?どうかした?」 「……ううん、何でもない」 ぷらん、と垂れていた彼女の右手をさり気無く取って(さり気無く取るのには大変勇気が要ったけれども)僕は気持ちゆっくりと歩いた。 少しだけ、手から彼女の気持ちが伝わった気がした。僕も同じ気持ちだからかもしれない。 「あ、バスあと30分もある……」 「ほんと、さっき行っちゃったばっかりだな。寒くない?」 季節は初夏に差し掛かっているものの、日が暮れると途端に肌寒くもなる。僕は彼女の服装を見て、そう声を掛けた。 「うん、大丈夫」 「そっか」 少し、沈黙が二人の間に漂った。他にバス待ちの人もおらず、二人きりバス停備え付けのベンチに座ってしばらく黙っていた。 本当は、僕のアパートに彼女を誘いたかった。けれども、もう時刻は20時を過ぎている。そろそろ彼女の家族が心配する頃合だろう、と思い、それで僕は誘い文句が告げられなかった。きっと、彼女も同じ気持ちだったのだろうと感じる。それだけで僕は嬉しかった。 「なぁ」 「ん?」 少し黙っていたので余計大きく聞こえた気がする自分の声にどきりとして、次の言葉は小さめに言う。 「明後日、日曜、暇だったら、僕のアパートに遊びにこない?DVDでも観ようよ」 すると、彼女は零れんばかりの笑顔を見せてくれた。 「うん、行く!楽しみ!」 一度だけ、彼女がアパートに来てくれたことがあったけれど、それは一緒に出かけるときに迎えにきてくれただけで、まだきちんと僕のアパートに招待したことがなかった。だからだろうか、今、彼女は嬉しさを隠せない様子で何のDVDにするか、と悩んでいる。その横顔を見ていると、僕は胸の中が詰まるような気持ちになるのを感じた。だから自分の携帯電話が音も無く震えていることには全く気付かなかった。 続き→ |