君への想いの行方 (4)









 佐伯くんと話し込んでしまって、すっかりお昼も過ぎてしまった。大学内のカフェで偶然顔を合わせて、私が挨拶と共に「マスターは元気?」と聞いたところから端を発した。
 そのマスターは健康診断に行ったところ、どうも大腸になにかあるのではないかという結果だったそうで、本人以外の家族が心配している毎日だという。

「じいちゃんは大丈夫だって言うけどさ、再検査しろっていう手紙が来たんだぜ?普通何とも無いって思いながらも検査して安心したいよな」
「そうだよね。やっぱり佐伯くんが付き添ってでも病院に連れていったほうが良いんじゃない?」
「それなんだけどさ、じいちゃん、大の病院嫌いなんだよ。注射とかそういうの想像するだけで吐き気するんだって。いい歳こいてそんなこと言ってる場合じゃないのにさ…」

 ふと隣に誰か立った陰が出来たので見上げた。

「あれ、千代美ちゃん」
 千代美ちゃんが硬い表情で立っていた。いつもはもっとにこやかなので、私は首を傾げた。
「どうしたの?座って!」
「はい、失礼します」
 私が席を勧めると、佐伯くんが椅子をひいてあげる。前から思っていたけれどこの人、私以外の女の子には結構優しい。
「そういえば小野田さん、あのレポートやった?」
「はい、今書き上げてきたところです」
 佐伯くんがもうクセになっているという優等生スマイルで千代美ちゃんに声をかけたけれど、彼女はどこか上の空というような返事だった。それにしても佐伯くんはいつまで優等生するんだろう。一旦始めたら急に止めるのもおかしいかと思って、と言っているけど、だんだん羽学出身の子の前では普段の彼が出てきていると思う。

「赤城くんって……」
「ふうん、えっ?」

 突然聞こえた名詞に私は思わず耳を疑った。
 千代美ちゃんは、あ、と小さく言ってから、私に焦点を合わせると、明らかにしまった、という顔をした。何のことなんだろう?私は肘を机の上に突いて、千代美ちゃんに軽く、詰め寄った。「何のこと?」千代美ちゃんは明らかに慌てた様子で「いえ、ちょっと見ちゃっただけです!大したことないんです!」と言っている。
 私と佐伯くんは思わず顔を見合わせた。

 言い渋る千代美ちゃんに私は余計に気を惹かれた。彼女は「本当に大したことじゃないんです」と前置いて教えてくれる。それは赤城くんが女友達に、「赤城くんが好き」だと言う女の子を紹介されていた、というもので。確かに大したことではないと、思う。ただ、胸の中でもやもやとしたものが立ち上るのだけは分かった。
「そっか、何か気を使わせてごめんね。別にそんなの私気にしないよ」
「そうですか。すみません、私もこんなの言うつもりじゃなくて。……強いんですね、さんは」
「えっ?」
 千代美ちゃんは微笑みながらちょっと俯いた。それが何だか寂しそうで私は水を向ける。
「ひょっとして、千代美ちゃん?」
「え?わ、わたしは別にっ何もない…です」
 そんな私たちの会話に居心地の悪さを感じたのか、佐伯くんが立ち上がった。
「俺、そろそろ時間だし行くな」
「あ、佐伯くん。またマスターの様子教えて?」
「ああ、じゃあな」
 佐伯くんは私と千代美ちゃんに手を上げて行ってしまった。

 ふと二人きりになったテーブルで私と千代美ちゃんは見合っていた。昼時もとうに過ぎたここは人もまばらで、私たちの他にも何組かはいたけれど、テーブルは幸い離れていた。千代美ちゃんはぽそりと言った。
「あ、私ちょっと佐伯くんにレポートのことで聞きたいことがあったのですけれど……さんと話し込んでいらっしゃるみたいだったので、聞き逃してしまいました」
「そうだったんだ、ごめんね」
「いえ、いいんです……また後で授業で会いますし」
 目が合うと、彼女は眉を顰めながら笑った。そしてぺこりと頭を下げた。
「私こそ、すみません。本当に、言うべきことじゃありませんでした」
 さっきの話のことだ。私は首を横に振った。
「ううん。いいってば。それより……千代美ちゃんも、なの?」
「私は、多分、心が狭いんです……だってお付き合いしている訳でもないのにそう感じるんですから」
 千代美ちゃんには高校生のときからずっと好きな人がいたというのは最近聞いた。その人と他の女の子が話しているのを見ると、やっぱり悲しくなってしまう、と教えてくれる。
「悲しくなる、かぁ」
 この胸のもやもやは悲しいというそれとは違う気がする。
「やっぱり私も、気にしないって言ったけど、それは……気にしなくて平気になりたい、って感じかも」
 頭の中では『そんなの気にしなくてもいい』って解る。解ってはいるけれど。
「……さんも?」
「うん、女の子は皆、そうなのかな」
 千代美ちゃんはまた眉毛を寄せて困り顔で笑った。
「そうなんですかね…?そう思ったら、ちょっとだけ勇気が湧きそうです」
「私も」
 私たちは顔を合わせて笑った。



 とは言え。なんとも複雑な気持ちだった。
 千代美ちゃんには「さんはれっきとした彼女さんなのですから、どん、と構えていたらいいんですよ」と言ってもらったが(ちょっと驚いた。そんなこと言ってくれると思わなかったから)赤城くんはやっぱりモテるんだ、ということに気付かされると胸の中が重い。
 私だって、初めて見たときには「かっこいい人だな」と思った。その上話していても楽しいし、実は優しいし、出会って3年、付き合うことになってはまだ2ヶ月だけれど、知れば知る程好きになってゆくと思う。
 そんな彼が人気がない訳は無いと思う。そう、思うのは思うけれど。
 どう感じるかというと、そりゃあ恋人という立場から言わせてもらうとただ一言『面白くない』これに尽きると思う。

 焦った訳じゃないけれど、別にそういう訳じゃないけれど、こないだ言っていた一緒に観たいと思ったDVDを持ってきただけだ。「そんな言い訳なんかいらないのに」そう赤城くんには笑われそう、と思いながらも、心の中でなぜか会いに行く理由が欲しかった。
 今日はもう部活に行っているハズだ。そう思ってホッケー部の部室の前でノックしようかどうしようか、私は割と長いこと足踏みしていた。通りすがる人に変な目で見られている気がする。まるで不審者のようだ。そこでやっと携帯電話の存在に気付いて、電話してみようとカバンから取り出したとき、突然部室のドアが開かれた。重そうなその外開きのドアから顔を出したのは知らない男の人で、私はしばらく固まった。彼もドアのすぐそこに人がいるなんて思わなかったのだろう、驚いたような表情で私と視線を合わせてくる。

「えっと?何か用?」

 その男の人はすらっと背が高くて何となく威圧感のある人だった。整った顔立ちの彼は、眉を少し寄せて訝しげに私を見ている。不躾とも言えるその視線にも私は汗が噴出すのを感じた。どう考えたって、部室の前でウロウロしている女のほうが変だ。私は慌てて口を開く。
「あ、あの、あ、赤城くんいますかっ……」
 そう私が言うと、彼は一度部屋の中を振り返り、そして今度は私の顔をじーっと見て、言った。
「赤城は帰ったみたい。もしかして、赤城の……彼女?」
「えっ」
 『彼女』という単語に少し心臓が跳ねた。こうして彼の知り合いにそう言われるのは何とも面映くて私は小刻みに首を縦に動かした。彼の表情が一転して、笑顔になった。とっつきやすそうなその表情に私は少しばかり安心する。
「そうです。あの、よろしくお願いします」
「あ、どうも、よろしく。赤城はさっき帰ったばっかりのはずだよ。追いかけてみたら?」
「はい!あの、ありがとうございました!」
 私は慌てて頭を下げて、急いで踵を返した。小走りで部室のある棟を抜けてみたけれど、彼らしい人影はどこにも見えず、私は大きく息を吐いた。よく考えたら、私が部室の前でノックしようかしまいか考えている間にも既に彼はここを出ていたのだ。私は両肩が下がっていくのを感じながら、アルバイトの時間までカフェテリアで一人で時間を潰すことにした。




 外に出るとじめっと空気が重たかった。降りそうだな、と思うと同時にぽつりぽつりと雨が降り出し、とうとう本降りになったときには何とかアルバイト先である生花店へ滑り込むことができた。店長が丁度出迎えてくれる。
「おはようございます〜」
「いやあ、降ってきたねー」
「ホント!今日は降らないかと思って傘忘れちゃいました」
 店長がビニール傘を渡してくれる。
「今日は帰りに使っていいよ。またバイトのときに返して」
「あ、ありがとうございます!」

 その日は雨脚のせいかお客さんは少なかった。私は考え事をする時間があることに返って落ち込んだ。同じ大学に通っているからといっても、好きな人と必ず毎日会える訳ではない。学部が違えば選択する講義も違ってくる。わざわざ約束をしなければ会うことは叶わない。
(今日は一回も会わなかった。昨日も)
 レジカウンターに肘を置いてぼんやりと外を見つめた。自動ドアの向こう側はすっかり雨に濡れて灰色の世界だ。雨を見る度に赤城くんのことを思い出していたのでは落ち着かない。けれども雨と彼とは切っても切れない関係だ。私と彼を出会わせてくれたのも、雨だから。
 動けば考え事をする暇もなくなるかな、と私は切花の手入れをしようと思い立った。無心で水上げの為に茎を切っていると、やっぱり思考は彼のことで満たされてしまう。
(赤城くんのこと好きな女の子って、可愛かったのかな…)
 気にしても仕方が無いことばかり、考えてしまう。
 そんな暇そうな私を見て店長は裏から声を掛けてきた。

さん、今日はもうあがってもいいよ。雨も酷くなりそうだし早めに帰りなさい」
「いいんですか?」
「いいよ、大丈夫」

 私は大きく「お先に失礼しまーす」と元気そうに響く声で言うと、お店を後にする。バス停に向かう為に貸してもらったビニール傘を開いた。傘越しに滲む世界は何だかすごく頼り無さそうに映った。






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