君への想いの行方 (8) あれから慌てて外へ飛び出してみるが、もう彼女はいなかった。 まだ真っ暗という程ではなかったけれども、薄暗くなってくる時間だからこそ危ないとも聞く。じめっとした熱気が身体を包んだ。アパートの外階段を急いで降りきって見渡せども、やはり彼女の姿はもう見えない。 走って行ってしまったのだろうか。無理にでも送っていけばよかったのに、と肩が下がる。一体僕は何をしているんだろう。慌てて履いたスニーカーのつぶれた踵を直すこともせず、部屋に戻るとベッドに倒れこんだ。部屋に充満するカレーの香りがとても、切なく感じた。 その夜、出てくれるとは思わなかったけれども、電話をしてみることにした。既に時刻は22時になっている。もう少し遅くなってからではさすがにどうかとも思ってのことだ。時間的にも、タイミング的にも。 けれども予想通りと言うべきか、数度の呼び出し音の後、無情にすら聞こえる「留守番電話サービスへ接続します」との声。僕は黙ってそのまま通話終了ボタンを押した。 どうしてこうなってしまうのだろう。 僕はいつもこうだ。ついカッとなって、余計なことを言ってしまう。結果、彼女も意地を張る。僕はさらに意地を張る。堂々巡りだ。 彼女を不安にさせてしまったのは分かる。そしてそれには誰の悪気も介入していない。例の彼女――前沢さんだって、間が悪かっただけだ。さすがに僕たちの仲を引き裂こうとはしていないと思う。偶然の成せることだったのだろう。 携帯電話の画面をじっと見る。電話帳の「」の文字が、液晶が暗くなって消えてしまうまで僕はそれを見つめていた。 次の日になる。もちろん彼女からの連絡は何も無かった。 部活には出るが、軽いパスでさえ受け取り損ねるなど、初歩的なミスを連発してしまい、思った以上にダメージを受けているのか、と気付く。こんなことは初めてだった。僕は落ち着く為に一人走りこんでいた。ある程度身体を疲れさせたら逆に集中できるのではないかと考えて、だ。 思ったとおり、身体が勝手に動くように反応する。けれどもなかなか心のもやもやまではスッキリしない。むしゃくしゃした気持ちを抱えて練習を終え、シャワーを浴び、ロッカールームに戻ると、ベンチで出雲崎が水を飲んでいた。彼は横目でこちらをちらりと見ると、ペットボトルを口から放す。 「なんかあったのか?」 そののんびりとした口調に僕はつい零してしまう。 「まあちょっと……」 「お疲れ」 「おつかれさまーす」 最後に残っていた先輩が出ていったのを見計らい、僕はぽつぽつ、と話し始めた。と言っても、ざっくりと。正直、たいしたことないじゃないか、と言われると身構えていたのだが、予想に反して彼はいつもよりも真面目そうな顔をして聞いていてくれた。 「電話して、何言うつもりなんだ?」 「何って、……うーん」 改めてそう言われると、何を言えば良いのか途端に分からなくなってしまう。 その僕の考えを見越したのか、彼は続けた。 「別に悪いことした訳じゃなし、謝るのもおかしいだろ?逆に勘ぐられてもどうしようもない」 「そうだよな……」 「かと言って彼女を責めるのも違うんだろ?そもそも、その他の男のことはお前の想像でしか無い訳で」 「……そうだよ。認めるのもなんだけど、そうだ」 そう言われると八方塞がりな気がする。 何が原因かというと、僕と彼女が同じようなところで突っかかっているだけだろう。 でもその元凶を取り除く方法が僕にはさっぱり分からなかった。 「実際さ、その彼女の高校んときの同級生ってどうなの。単に友達ってよりもっと親密なのか?」 そう言われ、瞬時にあのお昼どきにカフェテリアで見かけた後姿を思い出す。 何か深刻そうな話をしていたようでそれが心の端にひっかかっていたというのは本当だ。だから昨日もきっとああ言ってしまったんだ。再び思い出し、目を閉じる。周りに人がいなければ、大きな声で意味も無く叫んでしまいたい衝動に駆られる。 「彼は彼女に気が合ったっていうことは断言できると思う。でも、彼女の方はどう考えてるかはちょっと。でも普通の友達よりも仲が良いとは……感じる」 「ふうん、俺は男女の友情って成立するとは思ってねーからなぁ」 「……って言うと?」 「こんなこと言うのもあれだけど」 彼は気まずそうに口を歪め、そう前置いた。僕は視線で先を促す。 「どっちも友達以上の気がないと付き合わないんじゃねーかなと常ながら思ってるって、こと」 そして出雲崎は整った顔をくしゃりと崩して笑った。 「ま、お前の場合は自分にも女友達いるんだったらお互い様なんだろうけどさ!」 「ううーん、そうか、僕はそういう風に女友達を見たことないからなぁ……」 「どうせ女に不自由してないからだろーが」 拗ねたような口ぶりに僕は苦笑を漏らす。不自由。中身は違えど、自由にはいかないものだ。 あれからメールなら見てくれるだろう、と思ったけれども、何を書いて良いか考えれば考える程に分からなくなり、下書きフォルダに「昨日はごめん」しか打ち込んでないメールを放ってある。 そして彼女からのメールは、無かった。 ぼんやりとそう考えていると、隣の出雲崎はぼそりと言う。 「俺が一つ言えるのは、……お前ら似たもの同士なんだろなってこと」 似たもの同士。 彼女の方も、今もしかしたら悶々と悩んでいたりするのだろうか? 昨日突然帰ってしまったことについて、後悔したり。電話のことも、掛けなおそうかどうしようか、考えてくれたり、しているのだろうか。 そこまで考えて、どうしても、彼女に会わなければならない、と感じた。 電話でも、メールでも伝わらないだろう。何しろ僕はそういうのが苦手ときている。 顔を合わせていたって生じる誤解が、機械を通せばもっともっと絡んでいってしまうのではないかとそう感じている。結果、取り返しがつかなくなる事態にまでなったら、と考え、頭を振った。それだけは絶対に、避けたかった。 「ありがとう、出雲崎のおかげで何か冷静になった気がする。具体的に何したらいいのかは分からないけどさ」 「おう、それって誉めてる?よく分からんけど、何かお前がそんな自信なさそうなの初めて見たかも」 いつもの僕は一体どういう風に見られてるんだ。 そう突っ込みたかったけれど、なんとなく言う気にもならなかった。 彼が立ち上がり、プラスティック製のベンチはぎっと短く音を立てた。 「じゃーな。頑張れよ」 「ああ、ありがとう」 ロッカーを開け、カバンから携帯電話を取り出す。不在着信、メール共になし。期待はしていなかったけれども、大きく息が出てしまう。 最後にロッカー室を後にするものとして、電気を消して重たい扉を開け、外に出た。 時間は19時になろうとしている。さんもそろそろバイトが終わる頃だろう。 とにかく会わないと、と強く、思った。 続き→ |