最後の夏休み 

空が青い。雲が白い。私は少し上を見上げて目を細めた。 じっとりと暑く、着てきたTシャツが背中やお腹に張り付く感覚が気持ち悪い。 今年も、この季節なんだなぁ、と今度は眼下に広がる人の頭を見渡す。 今、私は甲子園球場にやってきている。 今年卒業したばかりの母校の野球部が夏の甲子園に行くというので、 去年までは、その野球部を応援する立場であるチアリーダー部であった私はたまらなくなり、ここ甲子園まで付いてきてしまったのだ。 我が母校のナインたちがわらわらと姿を見せると、一気に私の周りはテンションがあがっていった。 私も気持ち身を乗り出して土色に広がるそのステージを見つめる。 ……いた。 「さなえ先輩!ホラ、藤村出てきましたよ!」 私が座る席の斜め後ろに位置して踊りの練習をしていた後輩が興奮気味に囁いてきた。 耳元で囁かれたくすぐったさと、それだけではないその言葉の意味に、私は困ったように笑って返す。 「何で、私に言うのよ?」 隣に座る友人のゆかはニヤニヤ顔で、後輩と顔を合わせている。 「だって、藤村ってばさなえ先輩に相当懐いてたじゃないですか?」 「んん、去年まではねぇ」 私はその笑顔のまま顔を前へ戻す。 練習を始めたナインたちを盛り上げるかのようにブラスバンドの音色が響く。 その途端、私の胸はきゅうと音が鳴るように痛んだ。 懐かしい。 夏の主役、野球部と、それを応援するというブラスバンド、応援団、そして私が所属していたチア部は夏はずっと練習に明け暮れるという妙な連帯感の中、案外と仲が良かった。 それは夏休み中も部活があり、終わる時間も大差ないので自然と触れ合う機会が多いためなのだろう。 私もチアの中では随分と普通で目立たない方であったにも関わらず、野球部のレギュラーの子たちとも仲が良かったため、随分在学中は羨ましがられたりもした。 その中でも一番仲が良いというか、懐かれていたのは一つ下の学年の藤村。 彼はその才能のためか二年でありながらもレギュラーのピッチャーの座を射止めていた。 天才だなんて騒がれて、地元の新聞社なんかも幾度か取材にきていたりしたが、それを鼻にかけることもせず、周囲の人間から好かれていた。 顔も整っているものだから年齢問わずファンの女の子も多くいた。 年齢問わずというのも、彼の人間性の滲み出ているような笑顔のせいだと思う。 彼の満面の笑みは、犬を思い浮かべるような人懐こそうな笑顔。 けれど、特定の女の子を作る気は無いようで、私なんかのところによく遊びにきてお菓子類をたかるようなヤツだったのだ。 藤村がよく好んだのは飴。 私も種類を問わず飴が好きで、いつもカバンには何かしら入っていた。 …少し、嘘。 藤村が来るかもしれない、なんて期待を込めて、いつも飴は切らさないようにしていたのだ。 特に、アイツが好きなチェルシーを。 そう。私は、よく懐いてくれている藤村に少しばかりの恋心を抱いていたのだ。 そんな気持ちを私は億尾にも出さず、藤村と接していた。 その時の関係のまま。進展することを望まずにいた。 「さなえ先輩!お疲れ様です!」 「藤村、お疲れ〜」 いつも通り、練習が終わるや否や、アイツはまさに犬のように私の元へ走ってくる。 チア部の三年である私たちは、いつも練習が終わり、着替えると、大体この水飲み場でお喋りに花を咲かせていた。 それを知ってから、アイツはいつも真っ先にここへ来る。 その光景をチア部の仲間たちはニヤニヤ(というと『微笑ましげにって言いなよ!』とか返してくるのだけれど)見守っている。これが私の部活後の毎日だった。 「ハイ」 「わー、チェルシーじゃん!もしかしてさ俺の為に買ってきてくれてない?」 「自惚れんな!あたしが好きだからに決まってるでしょー」 「ええー」 チア部の部長のゆかはニヤニヤ顔のまんま、私たちの会話に割り込んできた。 「藤村、さなえに餌付けされてんね?」 それを聞くと皆アレコレ突っ込んでくる。 「こんなに藤村はご主人様一筋なのにねぇ」 「お前のご主人様は冷たいねぇ」 当の本人であるアイツもニコニコ顔のまんま、それに乗っかっていった。 「そうなんですよー。俺はさなえ先輩の飴しか女の子にはモノもらわないのにさ〜」 そうアイツも返すものだから、場は沸くのだ。周りが盛り上がる中、私は頭が揺れる思いで藤村を小突く。 「いたっ。さなえ先輩〜何で照れるんすかー」 「照れてない!もうあたし、帰るわーお先ー」 「待って、先輩」 囃し立てる仲間を背にして私は帰路についた。 それを藤村が追いかけてくる。ほとんど毎日こんなパターンだった。 まだ七月なのだから、部活帰りといってもそんなに暗くはないのだけれども、藤村はお世話になってるし、家も近いし、だとか何とか言って毎日送ってくれていた。 校内のアイドルに学校帰り送ってもらえるのは悪くない気分だとは思うのだけれど、私はやはり恥ずかしがり屋なので、いつも迷惑そうにしていた。 本当は嬉しかったのだけれど。 夕暮れの中、伸びる二つの影、なんて少女マンガのよう。 「先輩、あのCDありがとでした」 「うん、藤村とは音楽の趣味合うねぇ」 「そうっすね!一緒に音楽聞くのにケンカしなくて済みそうっすね!」 「う〜ん、そんな状況、ありえないけどねー」 「だから!なんでそんなこと言うんすかー」 「だってありえんしー」 こんなじゃれあったような会話が続けることができる今のぬるい関係に私は浸っていたかった。 笑いながら私が返すと、神妙な顔つきで藤村は私の顔を覗き込んできて尋ねた。 「そうかなー…先輩の理想って高いんすか?」 「え、何、いきなり」 「うちの主将みたいなんならいいんすか?」 「ん〜…」 野球部の主将。 それを聞き、同い年の野球部の主将、渋谷くんを思い浮かべたが、これといって印象は無い気がした。何でもそつなくこなしているような…。 「渋谷くんは、可も無く不可も無く…かなぁ」 「ええ、じゃあどんな男ならアリなんだろう…」 まさか目の前にいるお前がアリなんだけどね、なんて言えるはずも無く、その話題は打ち切りにした。 「それより、藤村。今年は甲子園、行けそうかね?」 「何すか、突然?しかも何その口調」 こう、たまにコイツは冷たく返してくるときがある。熱いんだかクールなんだか分からない。 「うるさい。どうなのよ」 「んー。俺は絶好調っすよ?」 「そっか。最後の機会だし、あたしもチアとして、行きたいんだけどね。甲子園」 そう私が呟くと、藤村は少し項垂れたように同じように呟く。 「そうっすね…。そっか。せんぱい、今年で最後なんだ…」 「そうよー。私が入学してから野球部は甲子園行ったこと無いのよー。春も、夏も!私も一度でもいいから甲子園で応援したい!」 「……現役野球部員を前にして言うセリフっすか…?」 「ああ、ごめん。プレッシャーを与えた訳じゃないんだけど。ただ、そう思ってるのは私だけじゃなくってさ、渋谷くんとかもそうだと思うけどね」 「そうなんすよね…。三年生は最後っすもんね…」 藤村は溜息と共に、寂しそうにそう言った。 私はその声のトーンに少しの切なさを感じながら、逆に明るく言う。 「藤村が、甲子園連れてってよ」 「え」 「ね。アンタならやってくれるって思ってるからさ!」 そう私は言い放ち、わざと強めに彼の背中をばしっと叩いた。 「った先輩…。……そうっすね!じゃあ俺が先輩のこと、甲子園連れてきますから!」 初め、私の手の平を背中に喰らった彼は顔が歪んだけれど、すぐにあの、犬笑顔を取り戻し、眩しく私に笑いかけたのだ。 私も負けじと笑顔を返す。 「ヨロシク!」 「そしたら、先輩、飴よりもいいものくださいよ?」 「え、いいものって。ご褒美?さらに私の犬ってアンタ言われるよ?」 「犬でもいいっすから!…ね」 そう言ってアイツはかの有名なCMのチワワさながらのおねだり顔をしてみせるのだ。 ずるい。 私は緩みそうになる口の端を押さえつけ、返事をする。 「ん、考えておきましょう」 「うわー!そっちこそ、ヨロシクおねがいしますよ!?」 「はいはい」 そんなやりとりの後日。 その年は結局、県大会の決勝で敗れてしまい、甲子園への夢は儚く消えたのだった。 私は涙したけれども、多分、藤村たちの落胆だって私以上なのだろう、としばらく彼らからは距離を置いた。 私は部活を引退してしまったし、部活帰りに送ってもらうことも無くなったのだ。 恒例の飴をあげることももう、無かった。 いつもカバンにはチェルシーは入っていたけれども、私は大学入試に向けて本格的に活動し始めたためかやはり会うことは無くなった。 たまに携帯にメールは来たけれども、大した話でもなく、そのまま私の卒業と共にメールは途絶えた。 その途絶えたメールが突然届いたのがつい最近のことだった。 ―さなえ先輩。俺、約束守れたよ。甲子園、応援きてください。 慌てて私は新聞でチェックした。確かに我が母校は県大会での優勝をしっかりと報じられていた。 思えば、やっとの思いで入学した大学に慣れることでいっぱいの私は薄情だったのかもしれない。 藤村への恋心も思い出にしようとしていた矢先だったのだ。 私は藤村にちゃんと行くことを返信した。 次へ→ aikoの曲名で10のお題に戻る ちょっこす長いので分けました。  








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