最後の夏休み(2)
私は懐かしい思い出に少しばかり浸っていた。 応援団たちの試合中の応援の指示を横目に携帯を手に取る。 ―藤村、思いっきり応援してる! 送信ボタンを押し、ナインらがベンチへ引き上げていくのを見る。 アイツがこのメールを試合前に見ることができるかは分からないけれど、最大級の今の私の気持ちを込めた。 藤村なら、やってくれると、信じてる。 隣に座るゆかは携帯を覗いていたのかどうかは知らないが、一言言った。 「うちらも、頑張って応援してやろ!」 そうしてるうちにわあっと歓声が上がった。始まったな、と急いで目線を前へと向ける。 ブラスバンド部が久々に聞く校歌を鳴らし始めると、自然と口ずさむ。 隣へ目を走らせると、ちゃんとゆかも口ずさんでいた。目が合って、おかしくなり、笑った。 「あんなに歌わされて、忘れないよね。一年や二年じゃ」 試合は二回で私たちの高校が一点リードしたままずっと進んでいったが、 最後の最後の九回裏で藤村のミスピッチをおいしく拾われ、あっという間に二点、入れられてしまった。 惜敗、というやつだ。 勝てるムードでいた球場内の私たちのスタンドは突然の惨事に藤村を詰る者すらいたが、女の子の多くは泣いていた。 ゆかも、そして私も、涙を流していた。 マウンドのアイツも、大きく項垂れていた。 こうして、私たちの熱い夏はサイレンを鳴らし、幕を閉じた。 甲子園から地元へと高速バスで戻ると、陽は暮れていた。 ゆかと高校の近くのバス停で別れると、私の足は自然と思い出の学校へと向かっていた。 (ああ、あの水飲み場でよく藤村がたかりにきてたなぁ) 校庭には既に誰もおらず、私は水飲み場に近づいた。 見上げると、職員室には明かりが灯っているものの、全く人気は無かった。 皆、甲子園へ応援に行き、そのまま帰ってしまったのだろうか。 校庭のフェンスの向こうの生垣の外からは男の子の話し声が聞こえ、遠ざかっていく。 私はカバンから懐かしいチェルシーを取り出し、口へ放り込んだ。ひたすら思い出に浸る気持ちなのだ。 「藤村…」 そう私が呟いた途端、がさがさがさっと大きな音が鳴り、私は驚き、後ろを振り向いた。 「呼んだ?せんぱい」 「っっ」 「驚いた?」 「っ驚いて、声も出ないっつうの!!」 突然に現れた思い出の男の姿に私は更に一歩後ずさった。 しかも、名前を呼んだのが聞かれてたとは。自分の顔が赤く火照っていくのが分かる。 「ねえ、俺のこと呼んだでしょ、先輩」 藤村は野球部の大きな指定カバンをぶら下げ、崩したブレザー姿でそこに立っていた。 益々思い出と同じで私の胸は切なく音を立てるが、平然を装う。 「…うん。ばかって言った」 「は?ばか?」 「せっかく、約束したのに…」 「う、うん」 藤村はいつになく、しゅん、として私の前に立ち尽くしていた。 ちょっと試合後だというのに言い過ぎかもしれない、と思ってフォローしようとしたとき。 「あれ。先輩、チェルシー舐めてる?」 「ん、うん」 「俺には?」 「ええ、…しょうがないな」 あの頃のアイツに戻ったものだから、私もあの頃のようにしようとカバンを開けたときだった。 さっきまであったチェルシーの箱が見当たらない。 今取り出したはずなのに、とがさがさ探しても、どうも無い。 箱から出して持ってきたか、と思って、中身を探すけれど、それも無い。 藤村は人懐こい笑みを湛えたまま待っている。さながら、待て、された犬? 「ご、ごめん。もう無いみたい」 「ええ、あるじゃん」 「え?」 そう言うと藤村はすばやく私を拘束し、驚いて抵抗する間も無く、柔らかな感触が私の唇にぶつかった。 「んん」 藤村の舌がまさぐるように私の口内を動き回り、少し小さくなったチェルシーを絡め取ると、そのまま私から離れていった。 私は動転して、慌てて口を押さえて、藤村から飛び退く。 藤村は笑顔で言う。 「ヨーグルト味」 私は、動悸が抑えられずに、声の大きさも調節できなくなっていた。 「なっに…」 「俺と、さなえ先輩のファーストキスの味」 そのセリフに私の感じてる味覚と今、藤村が舐めている飴が同じなのだと思い、更に私は眩暈がする感覚を覚えた。 「ば、ば、ばっかじゃないの!?」 「ばかって、またばかって言った!」 「だ、だ、だって、何してんの?アンタ!」 「甲子園連れてったらごほうびくれるって言ったじゃん」 「ごほうびって、アンタ、何それ!?」 「さなえ先輩が、俺にとってのごほうびなんだけど」 急にすうっと藤村は笑顔を絶やした。真顔の藤村を見て、少しだけ私は落ち着いた。 「え?え?え?」 「俺さぁ、ずうっと待て、されたまんまなんだよね。俺、お利口なワンコじゃないし、もう待てないんだけど」 「は?」 「だからさー、すっげぇ俺、わかり易かったと思うんだけど?」 「…」 「さなえ先輩、部活引退してから冷たいし、学校でも会えないし、メールもそっけねぇし。大学入ったら、俺のことなんか、忘れちゃうと思った」 「そんなこと…」 「あるよ。だからさ、俺、絶対甲子園出てやるって思ったんだよ。俺の最後の夏だし」 「…」 「約束果たして、晴れて、先輩にちゃんと言おうと思った」 「藤村…」 「俺、さなえ先輩のことがずっと好きでした」 やばい、と思った。 私も、口から、想いが溢れてこぼれそう。 その想いはやはり、こぼれ落ちてしまう。 「私だって、ふ、藤村のこと…好きだったんだけど?」 その私の言葉に藤村は一瞬満面の笑みになってから、すぐに眉根をよせた。 「だった、けど?ど、どういうこと?」 「藤村こそ、私のことなんかすぐに忘れると思った。アンタの周りにはチアの可愛い子もいっぱいいるし、 ファンの女の子だって大勢いるし、ただ飴をあげてたっていう私のことなんて、すぐに忘れられるじゃない」 搾り出すように素直な私の気持ちを言うと、藤村はまた顔中笑顔にして私に飛びついてきた。 「きゃああああ」 私は警戒して身を縮こまらせてみるけど、藤村はそんな私を余計にきつく抱き締めてくる。 「好き好き、先輩、かわいい!」 私は藤村の肩に顔を押し付けて必死に恥ずかしいのを耐えて、考える。私のどこが可愛いって?こんなに可愛げ無い態度なのに? 「ふ、藤村、ど、どこが可愛いっていうの?」 そう私が尋ねると、藤村はにかっと笑って、「教えてやんない」と言う。 困って私は俯く。だって容姿だって本当に普通の私だし、何が突出していて藤村に好かれたのだろう。 不可思議すぎるのだもの。 そんな私の心の中を読んだのか、コイツはわざと私の耳元で囁くようにして話した。 「あのね、先輩の、瞳って、すごく、キレイ」 私はくすぐったさに身を震わせながら、その嬉しい言葉を胸に染み込ませた。 コイツ、わざと昔っから耳元で囁いたりしてたことも思い出す。 「他にもいっぱいかわいいとこあるよ…その耳が弱いとこも、好き」 耳も熱くなっているのが、コイツには気づかれているのだろうか。 もっともっと早く、自分の気持ちを伝えれば良かった、なんて思うけれど、これもいい思い出になるのだろうか。 実際、あの頃の私はぬるいあの関係が壊れること自体が嫌だった。怖かった。 藤村が同じ気持ちだなんてことは微塵も思わずにいたから。 否、そうして自惚れて、事実そうでなかったときにショックが激しいだろうと考えたからこそ、そんなこと思わずにいたのだ。 そうぼうっと考えていると、薄暗い中、藤村のでかいカバンからはみ出ていたあるモノに気づいた。 「アンタ、コレ…」 無理矢理ソレを抜き取ると、反動でバラバラと細かいものが落ちた。 「あ…」 「おかしいと、思ったの。絶対持ってきてたのに、何で無いんだろうって」 「いや、だってさ、水道の上に置いてあったから」 「アンタが持ってんじゃん!あたしの持ってきたチェルシー!」 散々驚かされたことへの怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。 藤村は私が置きっぱなしにしていたチェルシーの箱をこっそり隠していたのだ。 私は藤村を突き飛ばすようにして離れると、顔から火が出るような気がして後ろを向く。 「もう、ばかはあたしじゃないの…」 藤村の必死に堪えているような笑い声が聞こえて。それは更に私の怒りに火をつける。 「もう、撤回します!撤回です。ワタシハフジムラノコトハワスレマシタ。サヨーナラ」 私はまわれ右をして、すたすたと歩き出した。 「せ、先輩!ごめんなさい!もう、騙すようなことしないから!」 まるで本当にきゃんきゃん吠えている犬のように感じて、私は思わず頬を緩めてしまう。そして、右手を後ろに差し出す。 「煩いよ!帰るよワンコ!」 「え、え、は、はーい!わん!」 私よりもずっと体格の大きな犬は飛びつくように私の手を握ってきた。 「ナニ?尻尾振ってるの?」 「うん、振りまくり!!」 わんわーん、と嬉しそうにおどけて言う藤村を見て、私は夏の匂いを吸い込んだ。 草の緑の匂いと、ほのかに土の匂い。 微かに意地悪な気分になって、私は急に握った手をぐいっと下へ引っ張った。 「わ!」 バランスを崩して、身を屈めた藤村の唇を、私は下から掠めるように奪った。 「!!」 「ばーか。顔赤くしてんじゃなーい」 「だって!今、先輩から!」 「お返しですー」 「うれしいー」 また私は藤村に全身を包まれた。 汗の匂いを肺いっぱい吸うと、すこし酸っぱかった。 「…におう」 「…しょうがないじゃん」 全身が熱くなってゆく。 彼にとっての夏は、終わってしまったのかもしれないけれど、私にとっての夏は、 まだ、始まったばかりだから。 この熱さにも、慣れることでしょう。 ←前へ aikoの曲名で10のお題に戻る げろる。パート2。 最後の夏休みって、部活なイメージしかなくて、こんなになっちゃいました。 ご一緒に、酸っぱい気持ちになってください。 えっと、某笛漫画の某学園のダレカさんがモデルだなんてことは内緒です。 つうか、その夢っぽいね。うふふー。 あー、野球部員と恋におちたかったー。 好きだった(気に入ってた)野球部員がいたのですよ。 しかも、嫁いだら同じ苗字になっちゃった(笑 元クラスメイトの、彼。元気してるかなー。 しかし、突然ちゅうは萌えますねー。 何とも思ってない人から突然ちゅうされると、もー頭真っ白になりますねぇ。 これが想い人からだったら、どうなるんでしょ。 あはは、想像できません。
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