嫉妬と恐れ (2)







勇者、だなんて紹介はエッダが嫌がるのかもしれない、とクリフトは思っていた。
この少女はとんでもなく嫌な勘違いをしてくれたな、と思わず唇を固く結んだ。彼にしては珍しく、人を非難の対象にしたところだ。
そしてその勘違いが訂正された今でも、このルーシアという少女がなにかとクリフトに付きまとってくることが、クリフト自身には不思議でたまらなかった。
一体どういうつもりなのだろうか。
始めに出会ったときに傷を負っていた少女を自分が癒したからなのだろうか。
それではまるで卵から生まれたてのヒナのようではないか。
クリフトは誰にも気づかれないように小さく息を吐いた。
そして、世界樹の木を降りきるまでルーシアがクリフトの腕を放すことはなかったのだった。

だが、宿へ戻ってもルーシアがクリフトへ付きまとってくることは変わらなかった。
本当のところ、クリフトは天空人というのに非常に興味があったし、色々と聞いてみたいこともあった。それは信仰上の理由からというもので他意はまったくないのだけれども。
しかし、逆に自分が質問で攻め立てられているのには、流石の心優しき神官も、溜息を少しばかり落としていた。
そんな光景はマーニャの煽りによって、誰にも邪魔されることはなかったし、かのエッダはいささか冷ややかな視線で眺めていたようだ、ということもクリフトは気づいていた。決してそれは自分の意志では無いと告げたいところだが、そうわざわざ自分から言うのもおかしいところだ、と思い、止めたのだった。
皆が部屋へ引き上げた後も、ルーシアはクリフトを解放せずに次々と会話を持ち出した。それを断るほどの器用さと、はねつけるほどの冷酷さを持っていない自分をクリフトは少し恨めしく思ったほどだった。
二人は廊下の隅に据え付けてあった机の前に腰掛け、話していた。
会話は主に旅のことや、勇者であるエッダのことだったのだが、ルーシアは時に人間の生活様式を持ち出しては、不思議そうに首を傾げたり、鈴を転がすような声で笑ったりしていた。その顔にはまったく悪意というものは感じられなかったため、クリフトは仕方が無い、と思う反面、この自分の人の良さに返って呆れてしまったりしていた。
聞けば、彼女は初めて人間界へ来たそうで、今まで人間と出会ったこともないという。
「思ったより、人間って怖くないし、とっても優しいんですね!私、クリフトさんやエッダさんに会えて良かったです」
そう言う彼女にクリフトは笑顔で答えながら、元来、天空人とはこういう話しズキなのだろうか、とぼんやりと頭の片隅で思ったりもしていたのだった。



宿へ戻り、エッダは天空の剣を早速トルネコへと見せていた。
トルネコはまず始めに驚きを隠そうともせず、大きな声をあげた。その歓喜の声にやはりエッダは微笑む。自分のためというよりも、この男のために天空の武具を集めた、そんな気がする。
そのトルネコの喜びようは、今まで手にした天空の防具とは一際違うようにも思えた。長年探し求めた、その剣を手にしたのだから、それはそうなのだろう。
それは武器屋にとっての最高の幸せだとトルネコは語った。
今夜一晩じっくり見させてもらって良いかと嬉々として尋ねるトルネコにエッダは首を縦に振ること以外はできなかった。元よりそれを断るつもりも無いが。
それからエッダはトルネコの部屋を後にすると、廊下の端で、見知った人物が話しているのを目にした。何しろ今日の宿は大きい建物ではないので、仕方が無いのだが。向こうもエッダに気づき、はっとした顔でいた。もう一人は気づいたとき、軽く手をあげた。
「クリフトに、ルーシア」
一瞬動揺したような色がクリフトの顔に見えた気がしたが、次にはいつもの彼になっていた。
「ルーシアさんが眠れないと仰るので話を少ししておりました」
エッダはふうん、と答えると、すぐに自室の前へと静かに戻った。今日はマーニャとミネアと同室だった。先に休んでいるはずの二人の邪魔にならぬよう、声を抑えて言う。
「じゃあ二人とも、おやすみなさい。明日は気球で出発するから、寝不足がたたらないようにね」
扉を静かにくぐりながら、小さくエッダは息をついた。
…今のは嫌味っぽく、なっていないかしら。
部屋の中はきっとエッダのためにだろう、蝋燭が部屋の扉の側にある机にぽつんと灯っていた。
その蝋燭が照らす先には、既に寝入っているような二人の姉妹が見える。
何だか弱弱しく見えるその光をふっと一息で吹き消すと、すぐさまエッダは自分のための寝台へ潜り込んだ。
(こんなに嫌な気持ちになるのなんて、きっと私って嫌な人間だわ)
天空人であるというルーシアを始めに見たときによぎった気持ちは、なんとはなしの嫌悪に近い気持ちだった。
今まで旅をしてきて何度か耳にした噂が耳に蘇る。天空人と人間が恋をして、そしてその罰に人間は雷で打たれ、天空人は連れ去られた。
二人は禁忌を犯した。神の取り決めた掟を破ったのだ、という噂。
それを聞く度に、エッダはぎゅうっと頭が押さえつけられるような感覚を味わっていた。
自分だけが見に付けられる天空の武具。
天空人の血筋が自分に通っているのだとしたら?合点がいく。
―あの日。
あのよく晴れた日。確かに父親は言った。それは村の食物貯蔵庫に閉じ込められるその時だった。
『お前は私たちの実の娘ではない。だが、それ以上にお父さんとお母さんは、エッダを愛していたよ』
父親に強く掴まれた肩の感触が蘇るようで、エッダは思わず自分の肩を抱く。
そう言う父親の瞳があまりに真に迫っていて、エッダは何も問いかけることもできず、そのまま彼が走り去っていく背中を見ることしかできなかった。
両親の愛なんて当たり前すぎて、その豊かさと温かさに気づいたのは、惜しくもそれに触れることができなくなってからだったのだ。
その後、こうして旅に出て、その噂を聞く度に何故か胸がざわめくのは本能的に悟っていたのだろうか。
自分の本当の両親のどちらかが、天空人で、片方は雷で打たれた人間だと。
どうして種族を越えて愛し合ってはいけないのだろうか。
なぜ、人間の方は殺されたのに天空人は生きたまま連れ去られたのか。
天空の城とやらについたら純粋な疑問をまず、神様に聞いてみようか。
(私がルーシアを好きになれないのは、天空人だから?)
胸の中でその考えを形にしたとき、エッダは愕然とした。
もう一つ、ぽつんと取り残されるように胸の中で小さく思うことがあった。
(クリフトと仲が良いから?)
そんなのまるで子供みたいだ、と頭を振った。衣擦れの音がする。枕に顔をこすりつけてみた。
例えばアリーナとクリフトが一緒にいても、ちっともそんなこと思わないのに対し、先ほどの光景を目に入れた瞬間、エッダはかっと頭に血が上った感じがしたのを思い出す。
誰にでも等しく優しいクリフトのことだから、ルーシアもつい頼ってしまうのだろう。そう結論付けて、エッダは強引に目を閉じて眠ろうとしたが、ちっとも睡魔の波は訪れなかった。しばらく毛布の中で寝返ること数回。ついに諦めたエッダはそうっと寝台を抜け出した。

部屋を出ると、流石に廊下はしん、と静まり返っていた。廊下の端に灯っていた明かりを頼りに、階段を下り、宿を出ると、エッダは真っ直ぐに世界樹まで近寄っていった。
既に外は外套が無ければいられない程の季節だった。すうっと息を吸い込むと、冷たくて澄んだ夜の空気の中に、青々とした草の香りがした。
それは故郷の村を思い起こさせて、エッダは鼻につんとくるものを感じる。
「この辺は、ちょっと、似てるな」
あそこも、周りは木が多かったし、景色も通じるものがある。
ふいに突き動かされたように、エッダは一粒涙を零した。
間違いなく、私はクリフトの側にいたいのだと、そう、気づく。
あの夜のように、マントを届けてくれたら、と小さく期待をしたが、周りに人の気配は一切無かった。ましてや自分でしっかりとマントをひっかけて宿を出てきていた。
馬鹿みたいだ、と一言口の中だけで呟き、エッダはもう一粒だけ、涙した。






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ヲトメチッカーだな!やけに!











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