嫉妬と恐れ (3)







その町は今までの町とは何かを画していた。
雰囲気、町並み、町の人々…どれをとっても荘厳でゆかしい印象を受ける。
「何だか、気後れしちゃう感じ」
エッダはぼそりと呟いた。
旅人はあまりやってこないのか、周りからは物珍しそうな視線を痛いほど感じる。
彼はどう感じているのだろう、と目をやれば、やはり思ったとおり、瞳が輝いているように見える。
その視線を受けている当の本人、クリフトは色々周ってみたいところがあるのだろう、周りをきょろきょろと見渡している。
「それじゃあ、各自、情報集めに一旦解散しましょう。トルネコと私は、宿の手配をしてきます。
 夕方までにはここに集まりましょう」
ふ、と息をついてエッダは言った。
ここはゴッドサイド。天空に一番近い町、だそうだ。

めいめいが散っていき、残ったトルネコとエッダはさて、と顔を見合わせて、商店の立ち並ぶ方へと足をむけた。
「エッダ、気分でも悪いのか?」
「え?」
広い町のようだが、宿の数はそうでもなかった。一軒目に見つけたところに入り、既に宿泊手続きを済ませたときだった。
「悪くないけど…」
「そうか?何だったら部屋で休んでいなさいよ」
トルネコは、今宿を出ようとしているエッダに声をかけたのだ。
これといって気分が悪い訳ではない。
ただ、考えることが多すぎて、少しでも一人でいるのが、じっとしているのが嫌で、動き回ることに専念していた。
それをトルネコは心配したのだ、とエッダは気づく。
「大丈夫よ。私も情報集めに行こうかと思って…トルネコは?」
「ああ、少しお茶でも飲んでから荷物の整理でもしようかと思ったんだけどな。
 良かったら、エッダも一緒にお茶でも飲まないか?」
にこやかな笑顔で優しい言葉をかけてくれたトルネコ。エッダは頷いた。
「ありがとう。じゃあ、そうする」
ほっとしたように、トルネコは笑った。エッダもつられて、笑った。

熱すぎる茶に息を吹きかけて口に含み、エッダは言った。
「この町は、何だか全てが神殿とか、そういう雰囲気ね」
「そうだね。クリフトあたりは心地よいかもしれないけどなぁ」
そこで声を少し潜め、僕たちにはちょっと寛げないかもな、と言い、トルネコは目を細めた。
ふいに出てきた彼の名前に少しだけどきりとしながらも、エッダは口だけ笑ってみせた。
「本当ね」
宿の食堂は、昼時から少し外れたこの時間は、二人しかいなかった。
だからだろうか、トルネコは何か言いたそうにしている様子だ。
「トルネコがお茶に誘ってくれるのなんて、初めてね」
「おや、そうだったかな」
「そうよ」
トルネコは笑顔を湛えながら、いよいよ口を開いた。
「最近、どうかしたのかい?」
その優しい口調に、エッダは目を丸くしてトルネコを見つめた。
言い難そうにトルネコはエッダの顔を見ながら、続ける。
「いや、ほら、天空の装備を全て手に入れたっていうのに、エッダはあまり嬉しそうでもないしさ、
 特にここ最近は、いつも思いつめたような顔してる」
ほら、と付け足して、トルネコは自分の眉間をとんとん、と人差し指で指す。
いつの間にか寄っていた眉間の皺を触ってみて、エッダは苦笑いを返した。
「…トルネコには分かっちゃうのかしら…?」
ふうっと息を吐いて、陶器の器の中身に風を送る。
「嬉しくないって言うんじゃないんだろうけど、何ていうか…」
普段の自分は、割と意見をはっきり言う方だ、とエッダは自分でも思っていた。
ただ、意見ではなく、自分の感じる思いを言葉に乗せて伝えるのは苦手だな、と常々感じていた。
いっそアリーナのように気持ちよく思ったままに言えれば、どんなに素敵だろう、とも思っている。
こうして喉に何かつっかえているような話し方で、トルネコはどう思っているんだろう、と顔をあげてみれば、そこには全て分かった、と言ってくれんばかりの温かい笑顔が浮かんでいて、エッダはほっとした。
実際にトルネコがエッダの気持ちを分かってくれている訳ではないだろうけれども、それでもエッダはその笑顔に救われたのだ。
「ごめん、トルネコ。何か…私…自分の気持ちを話すのってね、苦手みたいなの」
「あ、そうだな。誰だってそうさ。言い難いなら無理して話すことなんかないよ」
謝ることなんて、無いよ。
そう付け加えてトルネコはお茶をすすった。
エッダは目を閉じて、考えてみる。
一体、自分は何を悩んでいるのだろうか。
ひとうひとつ、あげて考えてみようか。

クリフトは町に入ったときに、ここが噂で聞いたゴッドサイドなのか、と興味深く思った。
ここは神を崇める一番天空に近い町だという。
色々な話も聞けるかもしれない、として、一緒について周りたがったルーシアを丁寧に断り、一人でゆっくりと周ろうとしたのだ。
今まで自分のことを信仰心の薄い奴だと思ったことは無かった。
だが、どうもここ最近、それよりも大事だと思うものがあるような気がしてならなくなった。
それはエッダに出会ってから、その思いが強くなってきていると思う。
それは例えば、数年前の自分であったら、きっとここに留まりたいと考えたのではないだろうか。
けれども今日、こうしてこの町を見て周っても、興味深くはあるが、ここに住んでみたい、などとは露にも思わない。
今自分がいたい場所。それがはっきりと自分でも分かっている。
そう考えると、胸の中がほのかに温かくなるようだった。

宿に寄り、茶でももらおうかと食堂を覗いたら、そこにはエッダとトルネコの姿があった。
エッダの表情が、久しぶりに和んでいるように見えて、クリフトはまた温かい気持ちになり、近づき、声をかける。
「戻りました」
すると、慌てたようにエッダは顔をあげた。
「え!?もうそんな時間?」
始めに宿の手続きをしたはずの二人が宿の食堂にいるのだから、ずっといたのだろうことは分かったが、クリフトは少し笑って返す。
「いえ、そんなに時間は経っていませんよ。通りかかったので、すこし休憩しようかと寄っただけですから」
なんだ、そう、と安堵した様子でエッダは浮かしかけた腰を落ち着かせた。
次に席を立ったのはトルネコだった。
「それじゃあ私は荷物の整理をしてくるよ。暗くなるとやりづらいからね」
そう言って、トルネコは二人それぞれに意味ありげに微笑み、食堂の扉をくぐっていった。
(もしかして、トルネコさんは気を利かせてくれたのだろうか。悪いことをしてしまったかな…)
そう考えながら、机の側に立ったままクリフトがエッダに視線を向けると、エッダもそわそわしている様子で、一気に緊張し始めた。
「じゃあ、良かったら、僕と、お茶でも…」
「え、あ、そうね」
クリフトは食堂の奥に飲み物を注文して、エッダの向かいの、トルネコがいた席に座った。
真っ直ぐ、エッダの顔を見てみると、今日は割りと顔色が良さそうだ。
近頃は体調が悪いのか、顔色が冴えないことが多いと感じていただけに、つい、笑みがこぼれた。
「…どうしたの?何で笑ってるの?」
エッダが問う。
不審そうなその表情に、少しばかり焦りながらも、クリフトは答えた。
「いえ、最近元気が無いようでしたけれども、今日は何だかエッダさんの気分が良さそうなので、嬉しく思いました」
自分でも言ってからしまった、と思うほど、素直に答えてしまい、クリフトは慌てた。
恥ずかしくて、弁解しようにも、余りにもさらっと言ってしまったため、それもおかしい。
だが、当のエッダは少し目を伏せて、言うのだ。
「そう?さっき、トルネコにも最近元気無いっていうようなこと言われたけど、
 その後、トルネコと話してたら何だか少し元気出たみたいで」
自分の思っていたよりも、エッダは気に留めなかったとクリフトは考え、少し残念に思いながらも安堵した。
「その、最近の元気の無い原因は、何だったのでしょうか、とお尋ねしてもよいでしょうか」
そうクリフトが尋ねると、やはり流石にエッダも露骨に困った顔をした。
それを見て、言いたくないのなら、良いのです、とクリフトが言おうとしたとき、エッダは息を吐いて話し始めた。
「…………………………こわいの」
それはとてもとても消え入りそうな小さな声で、エッダが自分の気持ちを搾り出そうとしているのが良く分かった。
「でも、皆に心配かけてるみたいだし、何だか、もう自分だけで考えるのも、苦しい」
いつだったか、もう随分と前のような気もするが、こうしてエッダが自分の内面の気持ちを語った夜のことを、クリフトは思い出した。
痛々しくて、でも目を逸らすことができずに、抱き締めた。
今日も、同じ気持ちを抱いた。
少しでも、それが例え自分のエゴイズムでも、支えたい気持ちが溢れ、クリフトは机の上に出されていたエッダの手を取る。
「自分で持て余すほど、苦しいお気持ちなら、僕に分けてくださいませんか」
急に触れた温もりに、エッダは驚きながら、顔をあげて、クリフトを見た。
その顔は、涙こそ流れてはいないが、泣き顔と形容するべき顔だった。

エッダは気づいていない。
自分が唯一素直になれて、唯一素直になることができないのも、クリフト只一人にだけだということに。

「何が、怖いのです?」
優しい口調だった。
エッダはつい零れそうになる涙を飲み込みながら、言葉を探した。
「私は、天空人と人間の子供…なのよね」
ぼそりと呟いたそれに、クリフトが緊張したのが手から伝わってきた。
やはり、この人もそう気づいているのだ、と分かる。
「それって罪人の子供なんでしょう?天空人からしてみれば。なのに、どうして私が勇者なのかしら。
 神様は私のことをそうして罪を軽くさせようとしているの?」
クリフトは押し黙ったままだ。
それでも、握られた手は、温かく強い。
「私は、神に会うのが怖い」
その恐怖には、憎しみや悲しみといった気持ちも込められている。
エッダは、神のことを憎み、怒り、そして恐れていた。
「本当なら、会って文句のひとつも言ってやりたい。
 何で天空人と人間が恋におちてはいけないのか問いただしてやりたい。
 でも、事実、こうして神に翻弄されているのは…」
わたし。
語尾を消え入りそうな声でエッダは言うと、クリフトに重ねられた手へ、自分の額を押し当てた。
「僕もご一緒します」
静かなその低い声を、エッダは顔をあげずに聞いた。
「お側におります」
エッダは嬉しいのか悲しいのか、自分でも分からない涙を一粒、零した。






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