憎悪の傷

「酷い……」 町に満ちる異様な匂い。それは重く人の肺へ侵入するととても不快な気分をもよおせる。 ミネアはその美しい柳眉を歪め、口元を覆いながら苦しげに話した。 「私たちが前に来たときよりも、様子が違います。一段と、酷く……」 エッダは周りを見渡し、やはり眉をひそめた。異臭が鼻につき、自然と息をする回数を減らす。 「神父様もあの様子では、こちらの教会でお祈りなどできませんね…」 クリフトはそう言い、教会であったであろう場所を一瞥した。神父らしき衣服を纏った男はうわごとの様に「この町は終わりだ」と呟くばかりであったのを彼らは見た。 地底から掘り起こされた何かによって、噴出するガスの量も、そして質もまた増えたのだと街の人々は言う。 それが何かをエッダたちは知っていた。 リバーサイドの魔人像により辿り着いた魔物たちの城。 その城内に潜入した彼らは魔物たちの会議に大胆にも出席し、その耳で聞いた。 アッテムトにて地獄の帝王が目覚めると。 エッダたちが魔物の城―デスパレスに潜入できたのは、変化の杖のおかげだった。 パーティの半分である四人。いつも戦闘地へと赴くエッダ、ライアン、マーニャ、そしてクリフトは魔物に姿を変え、魔物たちの王であるデスピサロの目の前にいた。 色々、エッダたちが見たことのある魔物、無い魔物も皆魔族の王たる人物を注視していた。 もちろん、エッダたち四人も例に漏れることなく、見つめる。 当然他の魔物たちと思いは違えど、外からそれを見破られるようなことは無かった。整然と並ぶ魔物の群れと同化していた。 (デスピサロ………) エッダは心の中で彼の名を呟く。 壇上に立つ男が例のイムルの村の宿で見た夢の男と確かに同一人物であることは間違いない。 人間とは思えないその美しい造作の顔。刺々しい強いオーラ。会場中に響き渡る声。どれ一つとっても違いは無い。 ただ、夢では優しい光をたたえていた瞳は、今は捉えたものを射殺すような冷たい眼差しである。 エッダはデスピサロを見つめながらも決して目を合わせてはいけないと強く思う。 そのエッダもまた、その瞳はきっと普段の彼女を知る者が見たとしたら、きっと驚くであろう瞳をしていた。 燃えるような、憎悪。 エッダは拳を作り、両の腿の横でそれを強く握り締めていた。 魔物に変化しているその手は爪が長く伸びており、それが手の平に食い込んで血を流しても、エッダは拳を緩めなかった。 そうでもしていないと、壇上に飛び出してしまいそうなのだろう。 (今は、だめ) どす黒い感情が頭の内を這い回る。それは胸の中にも侵入し、締め付けてくる。 ただただひたすらに憎悪。 冷静を装うことで精一杯のエッダは、デスピサロの言葉など頭に入らない様子で、ただ目だけを彼に向けていた。 そのエッダの様子に気づいたクリフトは握り締められた拳を見やり、息を呑んだ。それから彼女の瞳を見て、慌ててエッダの固く握られた拳を上から掴んだ。 その力に一瞬びくりと身体を震わせたものの、クリフトの方を見る余裕すら無い。 「エッダさん」 ごく小声でクリフトは囁くが、エッダの耳には届かないようで、ずっと瞳の色は変わらない。 デスピサロは淡々と地獄の帝王が復活したということを語り、魔物たちにアッテムトで帝王が目覚めると告げ、姿を消した。その様子は何か焦っているようでもあった。 魔物たちは「アッテムトへ」と口々に叫びながら、皆一様に王の後を追うようにいなくなり、ついには変化していた四人だけが残された。 「ああ、元に戻ったわ。やっぱりこの姿じゃないとねえ〜」 マーニャはくるりとその場でひとつ回ってみせたが、誰もそちらを見ないので、面白くなさそうに動くのをやめた。 「なによ。クリフト、エッダの手なんか握っちゃって…」 そうからかい始めたマーニャは顔色を少し変えた。エッダの手からしたたる鮮血。少し見上げるとクリフトは強張った顔をして手を離す素振りもない。 「………エッダ?」 エッダははっとマーニャの声のするほうへ顔を向けた。 「うん、気付かなかったよ。爪がすごくのびてるんだった」 エッダは作り笑いを浮かべる。だが、マーニャはそれに気付かないほど愚鈍な女では無い。 「何よそれ?」 クリフトは黙ってエッダの手をずっと握っていた。それはホイミをかけるためであった。 他のメンバーに気付かれる前に治したかったのだが、どうも遅かったようで、マーニャもライアンもエッダの握られた拳を見てしまった。 既に傷は治り、血は止まったが、誤魔化す訳にはいかない。 エッダはクリフトから解放された両の手を胸の前で握り合わせた。 「悔しくて。ムカついて。デスピサロを見てたら、自分を抑えられそうになくって。どうにか抑えられたのだけど…」 「どういう、ことですかな?」 ライアンは静かに問うた。その声音は普段よりも幾分優しげになっている。 そんな仲間の気遣いにエッダははあ、と息を漏らした。 「エッダさん…」 クリフトはできるだけ、制止の雰囲気をもって呼びかけたが、エッダはそちらを見ずに、話し始めた。 「もう黙っていないほうがいいかもしれない。私、デスピサロの前に立って、冷静を保てるほど大人じゃなかった。  私が無茶に飛び出したりなんかしたら、皆に迷惑がかかるもの」 一気に話し始め、エッダはまた大きく息を吐く。涙を流さぬよう、その分ため息として気持ちを押し出すかのように。 「私ね、あのデスピサロを恨んでる。憎んでる。  あいつは私の村を滅ぼして、お父さんもお母さんも殺して、親友を私の代わりに殺した。  全ては私一人を殺すために、私の村を無くしたの。私から、全てを奪い、この憎しみだけを与えて。  ……だから、だから、だから…あいつを今すぐ、殺したい」 呪いの言葉を搾り出すが早いか、エッダは両手で口を塞ぐ。 エッダはあのか弱いエルフの女性を思い浮かべた。けれども、彼女のためにデスピサロを殺す訳じゃない。まして、世界のためでもない。 自分の私恨のため。 誰も声を出せなかった。 マーニャはクリフトに「知っていたの?」という意味合いの眼差しを送り、それに対してクリフトが頷いたため、更に瞳を吊り上らせた。 唇を噛み締め、立ち尽くすエッダの肩に軽く手を置き、言葉を発したのは、意外にもライアンだった。 「よくぞ、話してくれました」 「っ」 エッダは勢い良く、背後のライアンに振り向く。 「私は、勇者殿を探し、世界を周る中、幾たびもそういった話を耳に入れました。  ですから、多分世界のどこかにいる勇者殿も大変辛い思いをされているのだろうと思っておりました。  このライアン、エッダ殿のお力になりたくて世界を周っていたのです。  どうか、もう、一人で悩んだりはせぬよう。  エッダ殿が無茶に飛び出したならば、私が全力で止めるか、全力でご尽力申します」 ライアンはいつもの硬い表情のまま、エッダに語りかけた。だが、その立派に蓄えられた髭から小さく笑った口元が見える。 マーニャはそんなライアンを押しのけるようにエッダに飛びつく。 「水くさい子ねぇ!今ライアンがいいことみーんな言っちゃったけど、その通りよ!  あんたが間違ったとこに飛び出して行こうもんなら、あたしだって全力で阻止するわよ。  でも、やっていいときなら、いくらでも力、貸すんだから」 エッダは飛びつかれたマーニャを受け止めきれず、横にいたクリフトにもたれかかることになったが、顔を上げずにいた。 「エッダ、さん?」 クリフトがエッダの肩を支えながら窺うように声をかける。 エッダはマーニャの肩に顔を押し付け、声も無く泣いていた。 「思い切り、泣いてもいいわよ。このマーニャさんの豊かな胸で!」 ぽんぽんと小さな子をあやすようにマーニャはエッダの肩を優しく叩く。 そこで蚊の鳴くような小さな声が言葉を紡いだ。 「………ありがと……」 それを聞き、クリフトは半笑いのような表情でエッダとマーニャからそっと離れた。 自分も、ライアンとマーニャと同じ気持ちであることを、エッダに告げることができなかった。すっかり機会を逸してしまったという訳だ。 クリフトは一歩下がったところで二人の女性を見つめていると、肩に厚い手が置かれるのを感じた。 横を振り向くと、ライアンが目尻を下げてクリフトを見ていた。 それは、「わかっている」と言ってくれているようで、クリフトも笑みを返す。 やがて顔をあげたエッダは随分と晴れやかな顔になっていた。 ただ、それを見たクリフトは、ほんの少し心にちくりと何かが刺すのを感じる。 それは自分がエッダの顔をそうさせたのではない事への嫉みのような負の感情であるのが分かり、笑みはかき消された。 そんな様子には誰一人気付くこともなく、四人は城を後にすることにした。 そこから一同はアッテムトへと直行してきたという訳である。 デスピサロのいいようにはさせられない、とエッダは強く言い切った。 炭坑の中からは町を覆う嫌な匂いが寄せられていた。 これにより、身体の不調を著しく訴えるミネアは外で待つことになった。 後は、自動的に以前に炭坑へ潜ったことのあるマーニャ、回復要員としてクリフト、体力の強さを望めるライアン、そしてエッダの四人で潜入することに決まった。 「皆は身体に気をつけて待っていてね。くれぐれも、ガスにやられたりなんかしないように」 エッダは厳しく言った。 それは地獄の帝王と対峙するのだから、いつ戻ってこられるか分からないという心配からだったが、 それが逆に仲間の不安を募らせることになった。 「エッダたちこそ、具合悪くなったらすぐ帰ってきてね」 アリーナはその不安の色を隠せない。眉は八の字に垂れて、四人の顔を見比べる。 「大丈夫よ。私たちにはクリフトもついてるし。アリーナ、頼んだわよ」 待機メンバーとしては万が一襲われ、戦闘にでもなった場合に頼れるアリーナにエッダは片目をつぶってみせた。 「こっちはまかせて!みんな、気をつけてね」 炭坑の入り口でアリーナは手を振り続けていた。四人の姿が見えなくなるまで。 手をおろすとアリーナは後ろにいるブライに話しかけるわけでもなく、呟く。 「エッダがそんなにデスピサロを憎んでいたなんて…」 ブライは声を出さずに頷いた。 もしかしたら、この地中でデスピサロと出会うかもしれない彼らにやはり不安を覚えている。 「…ライアン殿もいることじゃし、大丈夫じゃろうのう…」 二人は町の外に停めてある馬車へ向き直り、歩き始める。 アリーナはそのブライの言葉の意味を理解し損ねたようで、ぐるりとブライの顔を覗き込む。 「じい?どういうこと?」 「いや、エッダ殿も若くして色々大変なこともあるのじゃろうが、大丈夫でしょう、と、いうことですじゃ」 「ふうん?」 アリーナは分かったのか分からなかったのか、あいまいに返事をしてブライの先を早足で歩き始めた。 そういう返事のときは、既に姫が自分なりに考えを固めてしまっていると知っているブライは何も言わなかった。 意外と繊細で他人の気持ちに敏感なこの姫のことだから、と自慢の白髪の髭を触りながら歩く。 見上げると、どんよりと重たい雲が空をびっしりと覆っている。 昼間のはずなのに薄暗く、時間を感じさせないこの町は、本当にもう終わった町なのかもしれない。 一抹の不安を拭いきれずにブライは馬車へと乗り込んだ。 ←前へ 次へ→ クリフト失敗。 続きはちょっと後戻りしちゃって話前後してしまうかもしれません。すんまそん。








読み物メニューへ index