憎悪の傷(6)

そこはどこかの草原のようだった。 柔肌ににぶく衝撃が打たれ、肌が震える。 紅く艶やかな髪は既に泥にまみれて風を通さずにいる。 初めてこのイムルの地で夢を見たときとは違い、エッダはその感覚は感じられずにいた。 その場に空中浮遊しているかのような、実態の無い感覚で、目の前に繰り広げられる光景を見つめていた。 それはとても衝撃的で、エッダは目を背けたくなるほどであったが、決してそれで夢は終わらない。 ロザリーと分かる見目麗しいエルフは今、地に身体を倒され、身を護るようにうずくまっていた。 その周りを固めるように二人の屈強な体格の人間が立ちはだかり、顔には醜悪な笑みすらを浮かべている。 「泣けよ」 「………」 「泣いて、ルビー落すんだろうがよ!」 男は持っていた棍棒を勢いよく振り下ろす。 鈍い音のあと、微かに痙攣するように伸ばされた足が見えた。 白い足。前に夢で見たときはそれは白磁のように滑らかであったのが、今や擦り傷、切り傷、泥まみれである。 痛い。 それを見て、エッダの中に黒い感情が渦巻いた。 最低だ。最低だ。こんな人間。 早く、誰か来てあげて。アイツでも良い。早く、ロザリーを助けて。 エッダはその光景を見つめながら、ひたすら祈った。 怖い。人間の欲の恐ろしさが見えた。 ロザリーはずっと前からこんな仕打ちを受けていたのだ、と思うといたたまれなくなる。 人間という種族を恨んだり、呪ったりしなかったのか。 それなのに、一度だけ会ったとき、ちっともそんな様子は見受けられなかった。 ロザリーは、強かったんだ。 エッダはただその夢の出来事から目を逸らさずにいることが今できることだと、それを見つめることに決めた。 段々とロザリーを痛めつける手が激しくなってくるにつれて、エッダの息もあがってきた。 やめて。もう、やめて。 その内、絶え間なくロザリーの華奢な身体を痛めつけていた男たちの動きがふと止まった。 「おい、こいつ……」 「………何だよ。…死んじまったら元も子もねぇだろうが!」 そう言い放ち、一人が横たわるロザリーを思い切り蹴飛ばした。 だが、反応はなにもなく、ただ白い腕がぽとりと地についた。 そこへ突然空が暗くなったかと思うと、男たちの身体に雷撃が走った。 エッダは息を呑む。 人間の二人は一瞬で黒く燃え上がると、跡形もなく消えてしまった。それは断末魔もあげることすらを許されない、一瞬のことであった。 後に残った横たわるロザリーに駆け寄る一人の青年の影。 「何と、いうことだ」 その青年の姿はデスピサロその人であった。 ロザリーの名を何度も呼び、抱き起こすと、微かに反応があった。薄く開かれた瞳を覗き込む形でデスピサロはロザリーの身体をかき抱いた。 「すまん…!遅くなって……」 「来て、くれたの、ですね………」 ロザリーの声は聞こえるか、聞こえないか分からない程小さくなっている。 それも途切れ途切れで今にも尽きようとしているのが悲しくも見て取れた。 「よかった」 ロザリーは口元だけをふわりとほころばせると、一粒ルビーを瞳から零した。 そして、そのまま眠るように瞳を閉じた。 デスピサロはそこで彼女の命が果てたことを理解したのであろう。 しばらくそのまま彼女を抱いていたが、俄かに立ち上がると、ロザリーの身体を抱き上げ、その場を後にした。 その背中には誰が見ても分かる程、憎悪の念が渦巻いていた。 静かに激しくそれは燃え上がっていった。 エッダはそれが何であるかを痛いほど知っている。 ぎゅうっと瞳をつぶると、遠くで自分を呼ぶ声に気づいた。 何度も呼ばれるその声に返事をするように瞳を開けると、自分を心配そうに覗き込むクリフトがいたのだ。 夢は、そこで終わった。 「エッダ…!起きた?」 エッダは飛び起きた。慌てて周りを見渡すと、据え付けられた小さな椅子に座るマーニャの姿が見えた。 その項垂れたようにこちらに目を向ける姿から、エッダは自分の見た夢と同じ物をマーニャも見たのだと受け取った。 「………ロザリー、死んでたね……」 「…そうね……アンタなかなか起きないからちょっと心配したわよ。この前んときも何だか言ってたじゃない?」 そう言うと、マーニャーは水差しから器に水を注いでエッダの元へ寄越した。それをエッダは一気にあおる。 「…うん。大丈夫。何が大丈夫か分かんないけど、平気だから」 はあっと大きく息を吐くと、エッダは寝台から足だけ出して座る格好となった。 大丈夫と言ったものの、未だ夢の衝撃は頭の中に焼き付いていた。それはマーニャとて同じようで、彼女も頭を抱えるように机に項垂れている。 「デスピサロの気持ち、分かってしまうの」 ぽつん、と始めたそのエッダの言葉にマーニャはゆっくりと顔を上げた。 「大切な人が殺されたって気持ち、私も一緒だし、」 そこで言葉を切ると、エッダはマーニャを見た。その瞳にマーニャも困ったように笑って目を伏せる。 「…よね。マーニャたちもそうだもんね。でも、私にとっては敵は、あのデスピサロなのよね…」 エッダは頭をゆるく振る。 「私はアイツを許せないし、アイツも人間という種族が許せないんだろうけど」 そこは、譲れないところ。 エッダは最後に小さくそう呟くと、寝台から立ち上がった。 「私、何だか寝汗かいちゃった。何かこの部屋暖かいし」 マーニャは机に突っ伏して顔だけあげていたが、その顔を少し緩ませると、温泉いきたいなーとぽつりと言った。 エッダは顔だけ縦に揺らすと、気球で行くのもいいかもね、と言う。 その声に早速マーニャも腰を浮かし、首をぱきんと鳴らした。 「あ、そういえば、さっきクリフトが来たのよ。アイツらはもう目ぇ覚めてたみたいで、エッダが寝てるって言ったらちょっと不安げだったわよ」 「…ふぅん」 部屋の扉を開けながらエッダは小首を傾げる。その訝しげな様子にマーニャは自然と頬が緩んでいた。 「そりゃ、アンタが心配だからでしょうが」 そのマーニャの言葉にエッダは目を丸くして振り向く。 「何で?」 「何でって…」 やや疲れたようなマーニャの目元はほんのりと垂れていた。 エッダもきっと同じように疲れた目なのだろう、と思ったが、今のマーニャの言うところがイマイチ理解できない。 「分かんないかなー」 マーニャはエッダを追い越し、階段を降りていった。 軽口を叩いていたその背中はやはり何だかいつもの覇気などは感じられなく、エッダは益々辛く思う。 自分に気を使ってわざと明るく振舞ったマーニャの気持ちを考え、下唇を小さく噛んだ。 残されたエッダはとぼとぼとその後を追った。 ロザリーは会いたかった愛する人の胸に抱かれて息絶えていた。 その最期を見てしまったが、そのわずかに笑む口元が脳裏から離れなかった。 まるで酷い仕打ちを受けたのに、デスピサロに見せたあの顔は幸せそうですらあった。 「やっぱり、何だか釈然としない」 何が正義で悪なのか。 何も罪を犯していないだろう女性が何故殴り殺されねばならなかったのか。 何も悪いことなどしていない村人は虐殺されねばならなかったのか。 何故彼女は笑って死んだのか。 何を持ってして正しいというのか。 世の中は理解し難いことがたくさんありすぎる。 エッダは重い気持ちを引きずるように階段を一歩一歩降りていった。 降りた先のエントランスでは既に起きていたというクリフトとブライが小さな椅子に座って二人を待っていた。 マーニャは空いていた椅子に腰掛け、早速アネイルに行きたいというようなことをブライに話している。 それを眺めながら階段を降りきったエッダはすぐにクリフトと目が合った。 その目は先ほどマーニャの言っていたとおり、不安気に自分を見ている。 急に動揺し、エッダは慌てて目線を外して三人の元に寄った。 「お待たせ」 「……さて、では皆と合流することにしようかの」 「…そうね。………このこと報告しなきゃなんないしね」 「…そうじゃの」 ブライは目を伏せがちに言う。多分、これを聞いたアリーナの衝撃を慮っているのだろう。 クリフトも多少顔色が悪い。自分を心配していると言うけれど、本人こそ大丈夫なのだろうか、とエッダは思った。 「クリフト」 エッダが声をかけると、クリフトは、はねるようにして顔を上げた。彼は返事もそこそこにじっと瞳を見つめる。 「平気?」 「え、ええ、私は平気です。エッダさんこそ、大丈夫ですか?」 その瞳をゆるくまばたきさせてクリフトはエッダに問うた。 クリフトはマーニャから、エッダが前回イムルへ訪れたときに夢に入り込んでしまい、相当に精神的に揺さぶられていたことを聞いていたのだった。 もちろん、マーニャは良くない夢を見ることを想定してクリフトに話をしていた。 だからあれほどまでに、部屋を訪ね、起床を確認するほどエッダを心配していたのだった。 それを露ほども知るよしもないエッダは単に気分の悪い夢を見たことだと思い、ごく普通に頷いた。 事実、今回は以前とは違い、ロザリーの感覚を自分の感覚として受け取った訳ではなかったので、その点で言えばダメージも少なかった。 それだけは良かったと少しだけエッダは安堵していたのだ。 「それならよろしいのですけれど」 眉根をほのかに寄せたまま、クリフトは微笑んだ。 それを目の前で見せられ、エッダはどぎまぎしてしまう。 喉元まで先刻マーニャへぶつけた疑問が出てきていたが、ブライが席を立ったため、それは飲み込まれてしまった。 「姫様たちがそろそろしびれを切らす頃かもしれませんな」 重く息を吐いてブライは宿を出て行く。 マーニャもミネアにはハッキリ言いたくないなぁ、と呟きながら席を立ってブライの後を追った。 残された形になった二人は腰を浮かしたものの、耐え切れなくなったか、エッダは口を開いた。 「クリフトはどうしたの?」 その言葉に当のクリフトは首を傾げた。 「はい?」 「…何でそんなに私のこと不安そうに見るの?」 そう真っ直ぐに言われ、クリフトは明らかに狼狽していた。だが、すぐにいつもの落ち着いた様子を取り戻したようで、立ったまま語り始めた。 「マーニャさんに伺ったのです。以前にこちらで夢を見たときのエッダさんの様子を…。それで、勝手ではありますが心配になりまして」 これを聞くとエッダは目をわずかに細めた。 「…マーニャが?ふぅん…。でもそういう意味でなら平気よ。この前のときとは何だか違ったから」 「そうだったのですか…ただ僕などが見る夢とは違うようだとお聞きして、すごく、心配してしまいました」 そこまで話すと、ようやくクリフトはほっとしたように笑った。 逆に疑問を投げかけたエッダの方が動揺する番であった。今、この場で不謹慎だとは思っても、こういった風に笑いかけられたら、鼓動が高鳴るのは自然だ。 ましてや、自分を自惚れさせるかのような優しい言葉とともに。 エッダは動揺を隠すように言葉を発する。 「…クリフトは、何が正しいか、間違ってるか、不思議に思わなかった?」 クリフトは笑んでいた口元を引き締めた。まさか、こういう話を持ちかけられるとは思ってはおらず、俄かに緊張したようだ。 その一連の表情の変化を見つめ、エッダは続ける。 「自分の欲を押し付け、終いには罪の無いエルフを殺した。その人間を憎むデスピサロ。間違ってるとは言えないわよね。だって、私と同じだもの」 そう決して感情を出してはいないけれど、言葉の端に震えるものを感じ、クリフトはエッダから視線をそらせずにいた。 「けれども、今まで彼が人間にしてきた行為は正しいとは、言えません。彼の憎しみは理解できますが、その行為を肯定など、できません。  それはきっと、ロザリーさんもそう思っていらっしゃったはずです」 そうクリフトが言うと、エッダは表情をわずかに緩めた。一言、「そうよね」と呟く。 デスピサロが自分と同じ思いを味わい、復讐という怨念に身を染めたとしても。 クリフトの言葉を聞き、エッダは頷く。 「…私のやろうとしていることは、彼女の最後の意志を貫くことでもあるものね」 「ええ」 エッダは宿の入り口である扉へと足を進めた。そして、その扉を開く前にクリフトに振り向いて固い表情で言う。 「あなたの信じる神は…無慈悲なものね…」 「……」 それには返す言葉が無かった。 エッダも別に意地悪で言った訳ではなかったが、言わずにはいれなくなったのだ。 クリフトは頭の中に浮かんだ聖職者としての答えを振り落とすように軽く頭を振った。 彼自身も、神官としてではなく、一人の人間としてそれは常々感じていたことだ。 今日見た夢だってそう。エッダの言った「罪の無いエルフ」が殺されたというのも、神の導きだと言える訳もない。 しかし、その考えを肯定してしまうことは今までの自分、及び神をも否定することになる。 長く旅をしているうちにその思いは日増しに強くなっていった。 それはエッダへの恋心と比例するかのようだ、とクリフトは思う。 『何故罪のない彼女が非道な目に合わねばならないのか』という考えが大きくなる。 目の前の、細い肩が大きく揺れて、扉を開けて出て行くのをクリフトは見つめていた。 ←前へ 次へ→ やっぱり自分と重ねずにはいれなくなりますよね。デスピサロを。 そして、改めてマスタードラゴンへの理不尽が募る場面だと思います。 せめて、あの竜が、ロザリーを助けてやってたら、大分違ったのに!と思うのですけど。 PS版じゃあ生き返るのは竜様のおかげでしたっけ?プレイしてないんで知らないのですけど。 補足として。 なーぜ今回エッダが見た夢は前回と趣向が違ったかと言いますと、私としてはの考えですが、 イムルの2回目の夢ってロザリーが見させてるとは思えなかったので、こうしてみました。 すっごくすっごく疑問だったのですよ。 ロザリーたんがあんな夢見せるかー?とか思って。 見せるとしたら、デスピサロの怨念?と思っていたのですよ。昔っから。 もしくは、あの村の誰か?誰だよー。








読み物メニューへ index