月夜の告白(2)

エッダはただ泣いていた。 自分でもどこからこんなに涙というものは出るのだろうかと思う程、涙は溢れ出てきていた。 あの日に泣き尽したはずだと思っていた。 はらはらと涙を流し続けるエッダを見つめながら、クリフトはどうすることも出来ず、立ち尽くしていた。 何と声をかけて良いかも分からずに。 決して今まで、辛いのは自分たちだけだと思っていた訳ではない。 食事の最中などにたわいなく過去の話をするときも、エッダはさりげなく自分の話をすることは全くと言っていいほど無かった。 そういったことに気づいていたクリフトは何があったかまでは知らなくとも、過去に辛いことがあったことは容易に想像できていた。 クリフトだけでなく、仲間として皆エッダに立ち入ってはいけない場所があることを気づいていたはずだ。 だからこそ、人の痛みが分かる勇者なのだろうといった親近感に似たものを感じていたのだった。 そして、正直、このエッダの過去を知りたくて仕方なく思っていたのはクリフトだった。その好奇心を自制してはいたがとうとう聞いてしまった。 それがこうまで酷いことだったとは。 クリフトは目を伏せた。 境遇はアリーナ・クリフト・ブライの三人に似ていなくもない。 突然故郷の人間がいなくなったという点では。 ただ一番異なっているのは、殺されたかそうでないか、である。 もちろんサントハイムの国民たちも殺されたという可能性が無い訳ではない。 しかし、その逆の可能性が残されている限り、元に戻そうと前を向いてゆける希望があるのだ。 その希望があるが故に三人は毎日明るく過ごせていると言っても良いだろう。 (でもそんな希望すら無かったら―) クリフトはそう思うと恐怖を感じずにはいれなかった。 恐怖。 いつだったか、三人で初めて無人の城に足を踏み入れたとき、背筋が冷たくなっていくのを感じたことがあった。 よく知っているはずの場所なのに、誰もいないというだけでこんなに恐ろしげに見えるのだと。 よく知っているからこそ、当たり前に人がいたときのことを知っているからこそ、無人の状態が異常であるのだが、その異常さに足が震えたものだった。 その時本当の恐怖とはこういったことなのかと思っていた。 (違うのかもしれない…) 二つの事柄を比べるのは間違っているだろうと思う。 けれども、頭で分かるのは、エッダの身に起こった事実は自分の恐怖の想像を超えているということだけだ。 そう考えながらぼんやりと薄く震えるエッダの肩を見つめていると、ふいに抱き締めたくなる衝動に駆られた。 そんなことをすればエッダに嫌われるに違いない。突き放されて最低だと罵られることだろうとクリフトは頭を振った。 なのに次の瞬間、心とは裏腹にクリフトの腕はエッダの身体を抱いていた。白いハンカチがはたりと落ちた。 突然の抱擁に一瞬身を震わせたものの、エッダは嫌がることも突き放すこともせず、ただ身を任せていた。 その様子と、自分の行動に自身で戸惑いながらもクリフトは腕に力を込め、目を閉じた。 見た目にも細い身体に腕を回すと、思った以上に軟な感じがする。戦闘中の魔物に対する勇ましさは微塵もなく、か弱い女性だということを改めて認識できる。 豊かな巻き毛からは女性特有の優しい香りがした。それをクリフトは吸い込むと、頭の芯がクラクラ揺れる感覚を覚えた。 それと同時に脈は激しく波打つが、心の中は落ち着くような感じがした。それが不思議と心地よい。 どうして抱き締めてしまったかは分からない。慰めるためでも落ち着かせるためでもなく、ただそうしたかっただけだった。 こういった風に衝動のままに行動することはこの生真面目な神官にとっては稀なことであった。そして、女性を腕に抱いたことすらも初めてだった。 この先どうして良いかも分からずに、ただそのまま泣き続ける彼女を包んでいるだけで時は過ぎていった。 どれほどそうしていただろうか。 先に口を開いたのはエッダの方であった。 「…痛い」 既にエッダは泣き止み、溢れていたはずの頬をつたう涙はすっかり乾いていた。しかし、瞼は重たそうに腫れている。 「す、すみません」 はっとクリフトはそのエッダの顔を見、慌てて腕を解いた。 思ったよりも強く抱かれていたようで、エッダは腕にまだクリフトの細く見えたが強い力の感触が残っているのを感じ、さすりながら言葉を選ぶ。 いつしか空は白み始めていた。小鳥のさえずりすら聞こえてくる。かなり長い時間二人は外にいたようだ。指先は凍えるとまではいかずとも冷たい。 クリフトは今更ながら自分の行動を思い出して頬を赤く染め始めたが、エッダに動揺を悟られぬように後ろを返りながら言った。 「エッダさん、宿に戻りましょうか。もう朝食の準備も始まっているでしょうし、温かい飲み物でももらいませんか?」 その言葉にエッダは小さく頷き、クリフトの後を付いて、宿への道を歩いた。そのまま宿に着くまで二人の会話は無く、エッダはひたすら考えていた。 (この人は…優しいんだなぁ) 宿の食堂の扉を開けると、ほの暖かい空気に、焼きたてのパンの香りがし、それを感じて二人はほっとする。思った以上に身体は冷えていたようだ。 クリフトは厨房で忙しく動いている宿の女将の側へと寄っていった。エッダはマントを羽織ったまま、食堂の端のテーブルの隅の席に腰掛ける。 ずっと同じ姿勢で立ちっぱなしだったため、足は少し浮腫んでいる。腰掛けたときにぎゅうっとふくらはぎが軋む感じがした。その重たい感覚にエッダはすこし苦笑いをする。 そのエッダを目の端で見ながら、クリフトはポケットから小銭を出し、女将を呼び止めた。 「すみません。温かい紅茶、二人分頂けますか」 恰幅の良い、いかにも人の良さそうな宿の女将は、また温かい笑顔を顔見知りの神官へと返した。 「はい、クリフト様。ただいまお入れしますのでお待ちくださいね」 その言葉に笑顔で頷き、クリフトはそのまま厨房と食堂を通じさせるカウンターの前で待った。 程なくして、二つのカップとポットを運んで女将はカウンターへ戻ってきた。 「お待たせしました」 そう言ってにこやかに目元をほころばせながら女将は続けた。 「あんまり勇者様、泣かせないでくださいよ。クリフト様」 「ち、ちがっ…私が泣かせた訳では…」 慌てるクリフトを見ながらそのままの笑顔で女将は厨房の奥へと消えて行った。 単にからかわれたことに気づいていないクリフトは「そういう風に見えてしまうのかぁ」と呟き、カップとポットを持ってエッダの待つテーブルへと足を運んだ。 エッダは頬杖をつきながら冷えた指先で瞼を押さえていた。さすがに皆が起きるまでは腫れが引かないだろうと少し焦った様子だ。 それを見つつ、クリフトはエッダの向かいに座る。あらかじめ温められたカップに紅茶を注いだ。 手を離し、緩やかに流れる琥珀色を見つめ、エッダはふわりと流れる香りを吸う。 「アップルティか。温まりそう」 先刻の会話が聞こえていなかった様子に安堵し、クリフトは「どうぞ」とカップを差し出す。 「ありがとう」 エッダは微笑み、そのままカップを両手で包むように持ち、ふうふうと息を吹きかける。 「猫舌ですか」 クリフトは自分の分の紅茶を注ぎながら声をかけた。 「うん。熱いのは、飲めないの」 「僕もです。ぬるい紅茶が結構好きなんです」 「私も。ぬるいアップルティを飲むと落ち着く気がするの」 エッダは目だけ動かしてクリフトを見た。カップを見つめている伏せた睫毛が長いことに気づく。そのまま顔を上げたクリフトと目が合い、慌ててそらす。 見られていたことに気づいたクリフトも何だか意識してしまう。 そのまま二人は黙り込み、ただ紅茶が冷めるのを待っていた。 湯気が瞼を刺激して鈍く痛む。 エッダは飲み頃になった紅茶を一気に飲んだ。身体の中から温められていくのをじんわりと感じ、席を立つ。 「じゃあ、クリフト、おやすみ。今日一日サランでゆっくりしたら、明日からは情報を集めるつもりよ。  伝説の武具の情報もそうだけど…サントハイムのことも。  そして、さっきは…ごめん」 恥ずかしそうに俯きながら言うエッダに慌ててクリフトも席を立つ。 「いえ!僕こそ、あの、突然…すみませんでした。エッダさんは謝る必要はちっともありません!」 その言葉を聞いてエッダは微笑む。 「ありがとう。えっと、じゃあごちそうさま」 「は、はい」 エッダはそのまま食堂から出ていった。身体の中には、紅茶のせいだけでなく、温かい何かがあることを感じながら。 自室へと戻り、マントとブーツを脱ぎ捨てるとそのまま寝台へ倒れこんだ。 疲れを感じている足も、腕も、頭も、ふかふかの羽根布団へ沈み込み、エッダはそのまま深い眠りに落ちた。 ←前へ 次へ→ うむむ、結構前に書き終わっていたものの、 バタバタしていてなかなか直しができずジマイで、こんな遅くなってしまいました。 えと、初めて好きな人と抱き合ったときのことを思い出して書いたのは秘密です。 きゃー、乙女ー!!!!!  








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