琥珀色の温度(1) 

只でさえエッダの頭を悩ませることは沢山あった。 旅の経験が浅いことから来る身体の疲れは言わずもがなであるが、元々そんなに身体が弱い方ではなく、若いエッダは自分の力を信じていた。 他、個性豊かなパーティの面々をどう生かすか、など野営での、また、戦闘での皆への指示ももちろんエッダの仕事の内だ。 慣れないことではあるが、この大所帯をなんとか仕切っている。 金銭面の管理はトルネコに任せてはあるが、大元締めはやはりエッダであるし、 豊かとは言えない状況ではあるが、この先の冒険の為に切り詰めて戦闘に支障のでないように準備などもする。 情報収集も積極的に自ら行い、近い将来の予定を立てている。 このように、とにかくエッダは常に考え事をしていた。 そういった考え事の中に、最近は別のことも入り込んでいた。 ―クリフトのことだった。 あの月の綺麗な夜の日から、エッダはクリフトのことを考える時間がたまたまあった。 村のことを思い出し眠れない夜、そういった時、決まってクリフトのことも思い出した。 暗闇が怖くて窓を開けると月が見えた時、あの晩のことを思い出す。 惨劇の日から、計り知れない重圧に耐えていたエッダであったが、その時だけは普通の年頃の少女の気持ちになれる気がした。 「こんなこと、許されないのかな」 エッダは自分の気持ちに蓋をしようとしていた。蓋をして、ずっと奥の奥にしまってしまおうと。それは勇者としての責任感からであった。 一行はモンバーバラにいた。 スタンシアラへ天空の武具を求めて訪れたが、なんと王を笑わせることができなければ例え勇者であっても天空の兜は渡せないと言われたのだ。 自分たちでは無理だということを悟ったエッダは、 モンバーバラで興行中だった世界的に有名な(と言ってもエッダは知る由もなかったが)パノンという芸人の力を借りるべく、こうしてやってきていた。 そして一晩明けた今日、パノンを連れて再度スタンシアラを訪れるつもりであった。 「ねえ、エッダ、進んでないよ?」 アリーナの一言にふと皆がエッダに注目する。 朝食の席では、その日一日のおおまかな予定を皆に伝えるのがエッダの日課であった。 それを話しながら食事を取るのがいつもであったが、今日のエッダの正面の机の上はちっとも片付いてなかった。 喋ってばかりだという訳ではなく、ただ本当に食事を取る手が働いていなかった。 「ちょっとお腹空いてなかったかもしれない。大丈夫よ」 そう言ってエッダはコーヒーに口を付ける。そのまま言葉は止まったきりである。 皆に心配はかけたくない。パンを千切り口に運ぶ。 その様子を見て、クリフトは声をかける。 「お風邪でも?そう言えば顔色もあまりよろしくないようですが」 「ご無理は感心しませんぞ」 ブライも自分の皿を全て平らげると、ナプキンで口元をぬぐいながら静かに言う。この老人は朝からよく食べる。 「じゃあ、今日はお休みの日にしない?私、稼いでくるわよー」 嬉々としてマーニャは進言する。最近カジノへ行かないせいか、飢えているように、頭の中はそのことばかりだ。 それをたしなめるようにミネアは「姉さんこそ、朝はコーヒーだけっていうの、止めなさいよ」とぶつぶつ始める。 「たまにはそんな休みの日があっても良いかもしれませんぞ」 あの堅物なライアンまでそう言い始めた。皆エッダを気遣ってくれている。それを感じながらもエッダは首を振る。 「ありがとう。でも大丈夫よ…今日は私は船に乗っているだけだもん。  それに、早く天空の武具なんてもの、見てみたくない?」 そう笑いながら言うと、またコーヒーを一口すすった。 しかし、案の定とも言うべきか、その日エッダは風邪のせいか、体調を崩してしまった。 船の上とはいえ、魔物はいつ襲ってくるか分からない。 その為、エッダはいつも甲板にいた。そして照りつける日差しと船の揺れ。急に倒れこんだのを慌てて近くにいたライアンが助け起こしてくれたのだった。 「ごめんなさい。平気よ」 「エッダ殿、身体が熱いですぞ。無理はご無用。このライアンが甲板にいるのですから、魔物どもの好きにはさせません」 「うーん、じゃあ、ちょっと休ませてもらおうかな…」 薄くエッダは笑ったが、次第に意識が遠のいていき、ライアンの馬鹿でかい声すらも聞こえなくなってゆくのが分かった。 そのままエッダはライアンの腕の中で気を失ってしまったのだった。 次にエッダが気が付いたときは、船室の寝台の上だった。 固い寝台と揺れに、休む気持ちでないと起きようとしたが、なかなか身体が言うことをきいてくれない。 息は乱れ、寒気がする。熱は結構あるようだった。喉がヒリヒリと痛む。 (何か飲みたい) 朦朧とする視界の端にあった水差しに手を伸ばすが、届かない。 その時、 さっと水差しに節の目立つが細い手がかかった。 「………クリフト…」 「何でも仰ってください。寒くはないですか?熱いですか?」 コップに澄んだ水を注ぎながらクリフトは言う。 重い身体を起こしながらエッダはコップを受け取った。 「どうして…」 一口水を飲む。その冷たさに鳥肌がたっていくのを感じる。 「ライアンさんより申し付かって…。甲板にはマーニャさんもミネアさんも姫様もいらっしゃるのでご安心ください」 なぜクリフトがここにいるのか。回復呪文が使えればいいのだから、ミネアでも良いのに、とエッダは思うが、 同時にクリフトがいることが嬉しいと考える自分を嫌らしく思い、深くため息をつく。 しかし、身体はそれどころではなく、寒気のために震える。 「寒い…」 「これを」 クリフトは船室に備えてあった部屋着を差し出すと、あ、と声を出す。 「やはり、ミネアさんと代わってきます。私より、女性のほうが」 そう言ってエッダを見ると、何とも言えない表情をしているのに気づき、どきりとした。 「いい」 エッダはそう言うと、渡された部屋着をいつもの服の上から羽織り、クリフトに背を向けるように布団にもぐり込んだ。 「…それより、あったかいお茶が…欲しい」 「分かりました。今お持ちします」 エッダの返事は無い。クリフトは読みかけだった本と眼鏡を小さな椅子の上に置くと、そっと部屋を出た。 その気配を感じてからエッダは顔を上げた。椅子の上にちょこんと座っているクリフトの私物を見て何だか安心する。 (本当は忘れたいのに) 高熱のせいか、感情が昂りすぎた訳でもないのに涙をにじませる。 (今日だけ、いいよね…) 昔から、めったに風邪などひかず、ましてや熱を出すことなどあまり無かったエッダは、たまの身体の不調のときの特別待遇を思い出す。 母親はエッダが食べたいと言ったものは何でも作ってくれた。 父親は普段は食べられないような甘い甘い果物をどこかから取ってきて、自ら皮を剥いて食べさせてくれた。 (…お母さんのコーンシチューが食べたい…) その思い出は余計にエッダを泣かせてくれた。 頭は熱で重い上に、鼻の奥はつんとしてきた。エッダはぐいぐいと枕に顔を押し付けて涙を拭う。 身体の節々が重苦しい痛さを感じる。寝返りを繰り返しても心地よい体位はなかなか見つからない。 何度目かの寝返りをしてやっと落ち着いたところへクリフトは戻ってきた。 「お待たせしました。まだ、熱いですよ」 手に持ったカップからは温かい湯気と、柔らかい香りが漂う。それをやっと身体を起こしたエッダに慎重に渡す。 「…ありがとう」 クリフトが自分の好きなものを覚えていてくれた。 そのことでまたエッダの瞳からは涙がぽたりと落ちた。 「どうしました?お辛いですか…?なかなか風邪には魔法は効かなくていけませんね…」 魔物につけられた傷だとかには顕著に効果を発する、神官たちの有する『ホイミ』といった類の魔法であるが、 やはり病気にはなかなか効かない。全く効かない訳でもないが、これは神官たちの専門外である。医者の分野になってしまう。 「やはり、一旦どこかに戻って、お医者様に診て頂く事に…」 「…いい。寝てれば治るよ……」 苦しげに呟くエッダを見ながら、クリフトは少し困っていた。 やはりクリフトの方もあの夜からエッダを女性として意識してしまうようになっていた。 二人きりになることを極力避けていた。それは嫌だという感情からではなく、どう動いて良いのか分からなくなるためだった。 あんなに過去のことで哀しみ苦しむ姿を見てしまった。 それに対しても優しい言葉すらかけられない自分に苛立ちすら覚えていたのだ。 しかし、結局は簡単に同情の言葉などかけられない性分で、沈黙しか与えられない。 もっと気の利いた大人であったら、エッダの哀しみを理解できたかもしれないのに、と歯痒い気持ちを抱いていた。 それはクリフトの誠実さ故なのだが。 そっと本と眼鏡を自分の道具袋にしまうとクリフトは小さな椅子に腰掛けた。 エッダは少しづつカップの中身を減らしていった。喉の痛みに程よい温かさがじわりと沁みこむ。 飲みきらずにエッダはカップをクリフトに渡し、布団にずるずると入っていった。 まだ温かいカップを手の平で握り、クリフトはただ椅子に座っていた。 どうしようか。何かあったら呼んでもらうことにして、部屋を出ようか、と考えあぐねているところへ、扉を叩く音がした。 「はい」 「わしじゃ。薬を持ってきたぞい」 その皺枯れた声の主はブライであった。すぐにクリフトは扉を開けた。 「ブライ様。薬を、ですか」 明らかに安堵の表情を浮かべたクリフトを見、それから寝台の上で力なく横たわるエッダを見て少し自慢の髭を歪めた。 「あまり芳しくないようじゃな」 「はい、先程から寒い寒いと仰られて。熱がまだ上がるのでしょうか」 代わりにクリフトが口を開く。ブライはただ頷くと、エッダの元へ歩み寄った。 「エッダ殿。薬ですじゃ。少し苦かろうが、飲みなされ」 「……ありがとう…飲む」 ブライの腕を借りながらエッダは身を起こした。 ブライの持ってきた器の中は黒に近い緑色をした液体であった。お馴染みの薬草をベースにブライが色々配合したのだろうか。 鼻をつく匂いに顔をしかめながら、エッダは一気にそれをあおった。 確かにブライが言うとおり、苦い。とても苦い。 「クリフト…さっきの」 クリフトがカップを差し出すと、エッダは慌ててアップルティの入ったカップを飲み干す。しかしそれでも口の中は苦い味を残していた。 エッダはそのまま、またずるずると布団にもぐりこみ、眉をしかめたまま目を閉じた。 「少し眠りなされ。汗が出るじゃろうから、ミネア殿にでも着替えを持ってきてもらっておきますゆえに」 エッダは頭を少し縦に揺らしたまま、目を開けなかった。 ブライはクリフトに目で部屋を出るよう促し、そのまま足音を立てることなく出て行った。 それに倣って、クリフトもそっと部屋を後にした。 ←前へ 次へ→ いよいよ何だか更に乙女チックな展開で、かゆくなります? ヒロインが倒れるのはお約束…というところでしょうか。 最近、旦那が倒れたのでその影響受けてるかも。 身体が弱ると人間、心も弱りますもんね。 っちゅうか、パノン連れていくときはルーラで行けだなんて言うのは無しの方向で。 書いてるときに気づきました。がーん。  








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