琥珀色の温度(3) 

既に空は満点の星を輝かせ、暗闇の海の上を船は進んでいた。 けれども、船室からは外の様子が窺えず、目の覚めたエッダはただけだるい身体をゆっくりと起こした。 だが、自分でも驚くほどに先程よりも身体は軽くなっていた。それはブライの持ってきてくれた薬のおかげなのだろう。 備え付けてある寝台からまたゆっくりと降りた。ミシミシと音が鳴る。 そこでエッダはふと自分の服装の変化に気づく。 確か、いつもの服の上から部屋着を着ていたはずではなかっただろうか、と。 今のエッダの格好は、誰かの寝間着である。ほんの少し肩幅や胴囲などがゆったりしていることから、マーニャかミネアのものだろうと予想が付く。 しかし、一体誰が着替えさせてくれたのか。 まさか。 エッダは目を閉じる寸前まで視界に映っていた若草色の法衣を思う。 それは違うだろうと思いつつ、一瞬でもそんなことを想像してしまった自分を恥じてエッダは無意味に声をあげた。 「エッダさん?大丈夫ですか?」 その声が聞こえたか、扉を叩く音がすると、すぐに開かれた。見えたのは長く美しい藤色の髪。入ってきたのはミネアだった。 顔中に心配を張り付けてミネアはエッダを寝台へ座らせた。されるがままにエッダはおとなしく座る。 「どうしました?熱は…まだ下がりきってはいないようですね。でも、良かった。少しは回復されたようで」 ミネアはほっと息を吐いて控えめに笑い、続ける。 「まだゆっくりされて大丈夫ですよ。今は真夜中ですし…」 エッダはミネアの言葉を遮って口を開いた。 「服、ありがとう。ミネアが替えてくれたのよ…ね?」 語尾はおずおずと終わった。そうであろうと思っていても、やはり胸は高鳴ってしまった。 ミネアは首を縦に動かすと 「ええ。勝手にすみません。失礼かとは思いましたけれども、ブライさんが仰ったようにすごい汗でしたので…。  でもそのおかげで良くなられたみたいですね。さすがブライさんのお薬ですわね」 と言って「これで一安心です」と付け加えてまた微笑んだ。 「すっっっごい苦かったけどね。  …ありがとう、ミネア。心配かけたね。ごめんね」 殊勝にもエッダはミネアにそのまま軽く頭を下げた。 エッダは少し無理をして倒れてしまったことにやはり自分の至らなさを感じていた。 皆が心配するような人物。それでは勇者としていけない。そう思い、エッダの顔は苦渋の色を浮かべた。 ミネアはその様子に首をゆるく振って言葉を紡ぐ。 揺れ落ちる髪の毛は艶やかで雨上がりの紫陽花のようだった。エッダはその美しさにしばし見惚れた。 「いいえ。確かに私が勝手に心配はしましたけれども…  あの、本当に、たまにはお休みの日があっても良いんですよ?」 この優しく美しい女性の言葉にエッダは微笑み返した。 「ありがと。十分休ませてもらったもの。大丈夫。もう平気だから」 そう言って笑うエッダを見て、ミネアは更に心配を募らせることを何とか止めるようにエッダの手を握った。 「お願いですから、無理なんかしないで下さいね。今晩はまだゆっくり身体を休ませていて下さい。  外のことなら心配はいりませんよ。ブライさんとアリーナさんがそれは元気に見張っておられますし、私も今から甲板へ向かうところでしたの。  まかせてください。まさに、大船に乗った気持ちで」 ミネアにしてはめずらしく、洒落をきかせて語った。 エッダは声は出さずに笑い、そんなミネアの気持ちを察し、素直に頷いた。 「じゃあ、甘えさせてもらって、寝ることにする」 「ええ。今クリフトさんがこちらにいらっしゃいますから、何かあればクリフトさんにも甘えて下さい」 ふふふ、と意味ありげに微笑みながらミネアは部屋を後にした。 その様子を見送り、エッダは『クリフトが来る』ということに自分が過剰に反応したかと思い返すが、 そうではなく、ミネアには自分の隠したい気持ちが知られているのかと顔が強張った。 あの最後の微笑みはミネアだったはずなのに、姉のマーニャに見えた。 ミネアはいつもの夕焼けを思わせるような茜色の法衣を身に纏っていた。マーニャではない、とエッダは思うが疑念は晴れず、船室の戸を開けた。 追いかけて尋ねるつもりだった。―ミネアなの?マーニャなの?…と。 いつまでも消化されずに胸につまりものがあるようで気分が悪い。 何より、クリフトのことを引き合いに出されたのが実の所、気になっていた。 しまっておくべき想いなのに、他人に知られる訳にはいかない。 ミネアだかマーニャだかは分からないが、知られていると思うと恥ずかしくてまた倒れそうだ、とエッダは思いながら、早足で甲板に向かう。 ミネアは甲板に向かうと言い残していったのだから、すぐに追いかければ捉まえられるとエッダは思っていたのだが、 余程急いで走って行ったのか、或いは甲板へは真っ直ぐ行かなかったのか、ミネアを見ることなく、甲板への扉まで辿り着いてしまった。 首を傾げながら重たい扉を開くと、冷たい潮風が顔を吹き抜けていく。まだ微熱があるような身体にはその風は気持ちが良かった。 そこには先程のミネアの話通りブライが並べてある樽の上になんとも退屈そうに腰かけていた。 アリーナも暇を持て余していたが、ブライ相手では話すこともつまらない。甲板の上を歩き回っていた。 見張り台となる船の中央から伸びる長いはしごの先には重たそうな人影が見えた。どうやらトルネコがうずくまっているようだ。 「あれ!?エッダ!どうしたの!?」 アリーナは深夜だというのに元気によく通る大きな声で呼びかける。と同時にエッダの元へ走り寄った。 ブライは座ったまま、目だけエッダへ向けていた。その表情は暗くて読みづらかったが、安堵がにじむようであった。 エッダの出てきた扉の真上に位置していたトルネコは、展望台から下を覗き込み、エッダの姿を確認する。 だが、出っ張った腹がつかえ、苦しかったようで、すぐに元の姿勢に戻った。 エッダは乱れた息を整えるときょろきょろと暗闇の中、辺りを見回す。 しかし、ミネアらしき影は見えない。それでも一応アリーナへ尋ねてみる。 「ねえ、ミネア、見なかった?」 その慌てた様子を不思議に思いながらも、アリーナは首を振る。 「さあ…。来るようなことは聞いてたけど、まだ見てないわ」 船内から甲板へ出たときは、今のように必ずアリーナたちの目に留まるはずだった。 それなのに見ていないということは、ここに来ていないことは明らかであった。 「そう、ありがと…。  見張りも、ありがとうね」 エッダはすぐに開け放っていた扉をくぐろうとしたが、そうだ、とまた振り返った。 「あの、ブライ。  薬、ありがとう。すごく良く効いたみたいで、楽になったわ」 ブライはその言葉を聞き、うんうんと頷き、一言返した。 「それはよかった。今晩、またゆっくり養生なされよ」 その声にエッダは笑顔だけ返し、重たい扉を閉めた。鈍い金属音が鳴り響く中、残された一同は安心したように、胸をなでおろすのだった。 「いや、こんなに早く効果がでるとは。やはり若いということは良いのう」 ブライは胸元から木製の喫煙具を取り出し、火皿に火を焚きつけると、そう呟き、大きく煙を吐いた。 エッダはマーニャとミネアの部屋に向かっていた。 といっても、自分の使っている船室の一つ隣の部屋のはずだった。 来た道を戻っていると今は見たくない大きな神官帽が見えてしまった。クリフトが反対側から歩いてきたのだ。 「え、エッダさん?もうお身体はよろしいのですか!?」 クリフトとブライだけがひどく調子の悪い様子のエッダを見ていた。 クリフトがここまで驚くのはごく当たり前であろう。数時間前まで唸っていた人物とは思えないくらい、エッダはしゃんと歩いていた。 「うん。もう大分良いわ。迷惑かけて、ごめんなさい」 クリフトは笑みを湛えながら 「それでも、まだ熱がおありのようですね…。今ミネアさんからお聞きしました。  確かに、顔色が赤くて。…さあ、部屋にお戻り下さい。私は部屋の外におりますので、何かありましたら何でも言ってください」 そうまくし立てて、エッダを船室へと追いやった。 そのままエッダは部屋へ戻り、扉を閉めた。 ミネア(かマーニャ)を探して問いたてるのは諦めた。それより何より、扉の外にいる彼に顔を見られたくなかったのだ。 寝台へとまたもぐりこみ、エッダは息を吐く。 忘れようと思えば思うほど、思いは募ってしまうのは何故なのだろうか。 どうせその内離れねばならぬことになる。遅かれ早かれ別れはくるのだから、とエッダは自分に言い聞かす。 勝手に自分で想いはじめ、勝手にその想いを封印するだけなのに、気持ちの波は激しくエッダを揺さぶる。 クリフトの言葉、マントを羽織らせてくれた手、抱擁、自分のために淹れてくれたアップルティ、それぞれクリフトの優しさが心に染み入る思い出となる。 今更思い出したくないのに、頭を巡っていくのは何故なのだろう。 あの夜以来、エッダはクリフトのことを何とは無く避けるようになっていたが、本当は気にしすぎていること、 そして、あの抱擁は少し痛かったが、痛さがとても心地が良いものだったことを思い出す。 他人に身を預けることの心地よさを久しぶりに感じた夜だった。 布団の中でエッダは外に漏れないように声を殺して泣いた。 クリフトのほうも、慌ててエッダを部屋に入れた後、深く息を吐いた。 エッダをよろしくと頼まれた。ミネアに頼まれると断れないのは分かっている。 それにミネアは今までエッダに付き添っていながら、これから甲板の方に上がって敵へ備えるつもりだと言っていた。 クリフトは今甲板での見張り番を終えたところなので、休憩を兼ねて、エッダの付き添いを頼まれたという訳だった。 だが、今日、ブライに忠告を受けたばかりでエッダに何事もなかったように接することが出来るほど、彼は大人になりきっていなかった。 まだ自分の気持ちの整理もついてはいない。 そうだ。本当のところクリフトはエッダについて良く知らない。 過去に自分の村が魔物のたちによって無くなったと言っていたが、それだけの話ならこの御時世、聞く話である。 だが、エッダは勇者だから村が滅ぼされたと言う。 それは噂に聞く、魔物たちによる「勇者狩り」のせいなのだろうとクリフトは想像していた。 しかしそれはクリフトの想像の域を出ない。何しろエッダに直接聞く勇気が無かったのだから。 『自分のせい』だという重圧。 それがエッダの瞳に影を落としているのだろうと解釈していた。 その影を振り払ってやりたいと思うのは同情からきているのか。はたまたブライの言うように恋するが故の相手を想う気持ちからなのか。 整理するのは自分の中だけで良いはずなのに、なかなか器用に気持ちを切り替えることができない。 その苛立ちはため息となって出て行く。 クリフトの知っているエッダは今まで自分が見てきた健気にも勇者として振舞うことを決めた若い少女だ。 それ以上を知りたいと思う好奇心はこの旅の邪魔になるだけだ。そうクリフトは思った。 そこまで考えたクリフトはようやく決心がついたように、エッダのいる船室の前に腰を下ろした。 細い通路には、先程ミネアが使っていたのだろう小さな椅子が置いてある。そこに座ったのだ。 今晩、魔物は襲ってはこなかった。故に身体には疲労はない。 だがクリフトは精神的に疲れがあることを感じずにはいれなかった。 先程の割と回復していたエッダを考え、少し眠ってもよいだろうかと目を閉じると、すぐに彼は眠りに落ちた。 ←前へ 次へ→ ミネアが好きなんです… やっぱり最近気づきました。 ミネアが好きな自分に… ミネアの容姿の表現のちょいと過剰っぷりに…  








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